10年目のイヴ
西暦2020年12月23日 日本国、東京
一日当たりの乗降客数においては今もなお、「世界一」の座にと在り続けている(筈の)新宿駅の東口。
その駅前広場から見る師走の街中には、色鮮やかなクリスマスイルミネーションの明かりが煌めいていた。
――夜空に浮かぶ二つの月の、その光も霞ませる程に。
この日で32度目を数える、今上天皇陛下の誕生日も。もう残り時間を数えるところとなって。
年の瀬の街頭は、いよいよクリスマスムード一色の賑わいで満たされつつある。
結城悠斗はそんな駅前広場の端に一人佇んで、待ち人をしていた。
待ち合わせの時間には、まだ十二分に余裕がある。
と言うよりも、〝世間一般の感覚〟からすれば。むしろ彼の方が、早く着き過ぎなくらいであるだけなのかもしれないが。
ただ単に、「五分前の五分前に行動する」と言う、かつて身近にしていたその習慣が。
現役では無くなっている今でも変わらずに、馴染んでしまっていると言う事なのだった。
もちろん、相手もそれに付き合わせると言う様な話ではなくて。
早着して街角の様子をこうして一人、何とは無しに眺めてみるのも。時には一興だと言うだけの事なのだけど。
そうして視界に入る、行き交う〝雑多な人々〟の姿を眺めていても。
目を転じて、ランドマークとしても有名な大型街頭スクリーンの画面にちょうど、映し出されている映像を見上げても。
つくづくと「世界」は変わった……と言う実感を、改めて意識させられる。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……世の中に在るヒトの姿も、またかくのごとし……」
(8世紀も昔に生きた文人が、現在のこの世の姿をもし目にしたならば――あるいは、そんな風に記すのかもしれない……)
古典随筆の冒頭の一節を口ずさみながら。悠斗はふと、そんな事を想う。
流れる川の水にと例えられし、時の流れ。
まさにその例えの如く、「世界」と言う流れ行く大河もまた同様に。
時として越流し、自らのその水の一部を異なる川へと移すと言う事が、本当にあるのだと……。
彼が目をやった大型ビジョンの中では、現在人気上昇中だと言うあるアイドルグループの少女たちが。
揃いの衣装で並んで、踊りながら歌っているところであった。
そのおよそ半分強は、黒髪黒瞳の純日本人的容姿の持ち主たちだが。
それ以外の半分弱にはスラブ系の容姿を持ったメンバーたちも、普通に混じっている――。
そして基本的な容姿としては、そちら寄りではありながらも。
緑色やピンク色と言った、未だに信じ難い色合いの地毛を舞わしている少女たちがおり。
更には、図抜けて際立った容姿の尖った耳を有する少女や。
猫や兎と言った動物のそれの形をした、頭頂部の耳に尻尾を生やした少女たちまでもが、幾名か。
良くも悪くも、時事折々の世相を映す鏡だと言える芸能界が一番端的であるのだろうが。
流石に比率的にはそこまで至ってはおらずとも。街中を普通に行き交っている人々の〝その姿〟もまた、それは同様となっていた。
身に纏う、その衣服や装飾品の様相からして。
この世界の外国人客だろうと、明らかに判る者たちはもちろんとして。
細り消え行く途上にあった、各地の伝統技術の継承者たるべき「永住外国人技能者」として、そちらから迎え入れられた人々であったり。
あるいは帰化して「〝異世界系〟日本人」となった者たちも含めて。
それら「多様な種族の人間たち」の姿を、日常の中で目にするのも。
もはや当たり前のものとなっている。
ちょうど今も、そんな一人と思しき異世界人の大道芸人が繰り広げる、「魔法」を駆使したご自慢のパフォーマンスで。
多くの人の足を止めさせ、魅了している様が視界の端に見えていた。
そう、「世界」は〝変わった〟のだ。
頭上の夜空に浮かんでいる月が二つになり、そして「言語の壁」と言う概念が会話する上では消え失せた――。
間もなく10年目を迎えようとしている、あの夜から。
(後世の歴史には、「日本の史上においても、最も激動の四半世紀だった」と言う風に記されるのかもしれないな……)
眼前に在る状景を眺めながら。悠斗はふと、そんな感慨を抱く。
戦国乱世の世を終焉へと導いた、三英傑の時代であったり。
幕末から明治維新にかけての一大変革期であったりと。
同様に「歴史上の大転換期」だと見るのに相応しい〝時代〟ならば、もちろん他にも挙げられるのは確かなのだろうけど。
それでも、現在のこんな状況に繋がっている変容こそが。
文字通りに「史上空前のもの」だと、そう確定的に言えるであろうその理由は――。
〝それ〟が、人間自らの営みによってもたらされしものだけでは無くて。
むしろ人智を超えた「事象」によって生じたものだったと言う方が、割合としては圧倒的に大きかったが故に。
20世紀末から21世紀初頭に至る四半世紀の間の。日本が辿る事となった歴史とは、それ程までに。
まさに開闢以来の〝未曽有の状況〟が、襲い来る時代であったと言っても良かった。
悠斗が物心付いた頃。日本はまだ、分断国家だった。
かつての大日本帝国が、大東亜戦争の敗亡を迎えたその後。
連合国を構成していた東西両陣営による分割占領の体制下。次いで始まった、冷戦へと向かう新たな両陣営の対立構造が形作られて行く。
そんな時代の潮流の中で、 極東地域の一角に位置する日本もまた。
同じ民族同士が、東西それぞれの陣営側の国家として。互いに「自らの方こそが、正当!」の主張を掲げて対峙し。
時に血を流して相撃つ運命を強いられし国々の一つに、数えられる事となっていたのだ。
そうしておよそ半世紀あまりに渡って続いた分断の歴史は、前世紀末に迎えた「統一戦争」で。
彼が生まれた側だった、昔から在る方の日本――すなわち「日本国」による、赤い日本こと「日本民主主義人民共和国」の打倒を以て。漸く終止符を打った。
もっとも、当時は小学生であった悠斗たちの世代が。
実感的に「統一」と言う、社会そのものの大きな変化を意識させられたのは。
戦争終結後からしばらくして、転校生と言う形で。
流入し始めて来る様になった「向こう側の日本人」の子供たちと言う存在と、身近に接する事を通してだったわけだけれども。
成長をして行くにつけ、徐々に理解も出来る様になっていった事だが。
祖国の「統一」がもたらした、大きな変化と言うのは――。
端的に言えば「日本人と言う定義」それ自体の、〝感覚的な変容〟であった。
もちろん、厳密に言えば違うのだとしても。日常感覚的な一般認識上での意味合いにおいては。
単一の民族であるとの意識感覚で来ていた、「日本人」と言うそれまでの概念そのものが。
一夜にして過去のものへと変じる事になった格好である。
およそ二千万強の「向こう側」の〝日本人〟たち――。
すなわち日本語を母語とし、日本人的な姓名を持ちながらも。遺伝子的には本来の日本人の要素は、多くても半分以下であり。
むしろスラブ系諸国民やシベリア少数民族の血の方より濃い者たちが、圧倒的大多数な。
そして半世紀あまりの長きに渡って続いていた、一党独裁の体制下で生きて来た人々が。
日本が「統一」されたその結果として、統合される格好となっていたわけだから。
この点については、先立って東西再統一を果たしていたドイツや。
こちらは未だに南蛮と北狄の分断対峙を絶賛継続中のままである、隣の和寧恨島とも全く異なる。
「日本」独自な状況であったと言えるのだろうが。
ともあれ、ようやく実現した「統一」によって。
結果的に日本国と日本人は――「日本は単一民族国家である」と言う、それまでの〝感覚的な意識〟を。
過去のものとする事にならざるを得ない、一種のコペルニクス的転換を余儀なくされる状況にもなったのだ。
それ自体が、自国の歴史上においても前例が無いレベルの一大転換点だったと。
間違いなくそう言いえたであろう、そんな変容も。
しかしより巨視的に見たならば。
むしろその後に生起する事となる、文字通りの天変地異――異世界への唐突な時空転移と。
その先である今のこの世界に存在していた、〝多様なヒューマノイド型類たち〟との遭遇と言う「現実」を受容する、その為の。
さながら、準備期間とでも言うべきものに。
結果的にはなってもいた様な格好だったと、そう言えるのかもしれなかった……。
無論、その道程は決して平和的、平穏裏にのみでやって来られたと言うわけではなかったのだけれども。
それでもこうしてひとまずは。このエリドゥへと根を下ろし、はや10年目を迎えようとしている。
必然たる〝相応の変容〟をも、どうにか折り合いを探りつつの「現実」として受け容れながら。
地球世界に居た頃と、大差ないレベルには平和と繁栄を維持する事が出来ていると言う事実は。
まことに幸いな事だと言ってよいものだろう。
自身もまた、転移直後の時期には。
まさに字義通りの未知なる「新世界」へと進出して行く、その〝最前線〟にて。
それと対峙する立場を担う、その一員であったからこその。
現在が、こうして平穏な状況であると言う事実に対しての。
悠斗が抱く感慨にも、殊更に深いものが伴うのだった。
……いや、「最前線に居る」と言う事においてならば。
ある意味で彼は。今現在もなおそれを、進行形にて継続中でもあるのだと。そう言われる立場なのかも知れない。
それこそ、死が二人を分かつまで――。
「あなた」
「ハルト義従兄様!」
感慨混じりの物思いに浸っていた悠斗は、横合いから掛けられた待ち人たちの声に振り向いた。
そこに立つ、本来ならば出会う事など無かった筈の妻フィオナと。
日本に留学する為の準備を兼ねて、彼らの下へとステイして来ているその従妹のフィリア。
並んでいると姉妹の様にも見える、人目を引く容姿の二人に微笑み返しながら。悠斗はそちらへと歩み寄って行く。
こんな何気ない日々の日常そのものが。
今この瞬間も変わり行き続けている「この世界」を織り成す、その一欠けとなっている。
そんな歴史を今、自分たちは生きているのだと言う事実へと。静かに想いを馳せながら。