28 剣歴と魔歴
剣歴とは百年前の四大戦争の終結より定められた暦である。それ以前は魔歴と呼ばれていた。
四大戦争が始まった年が魔歴2016年。終わった年は魔歴2021年のことであった。四大戦争とは、魔族、神族、人族、亜人族による約5年間に渡る巨大な戦争のことである。
これは、私が家を出る前に母から教わったこの世界の常識だ。詳細まで知らずとも、戦争があったこと自体は皆が皆一様に知っていた。
「え、剣歴を知らないっておかしくない? それなら今は何年なの?」
私はこの時点でうすうす気づき始めていた。そして脳裏にかすかに浮かぶ目の前の少女の名前。それは私がアイリスと共に旅をしている中で聞いたことがある名前だった。なぜ、私はすぐに思い出さなかったのだろう。
剣歴が存在しない可能性。パシアンという名の占星術師の肩書を持つ少女。これだけあれば今のこの状況が想定できるはずなのだ。
「そりゃ当然、魔歴2015年だろう?」
だから彼女の放つその言葉に、私は少しの動揺だけで済んだのだった。
四大戦争勃発まで、あと1年。
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「剣歴……ねぇ。つまり君は未来からやってきたってことになるのかな。あーあ、それならパシアンが君を視れる理由がわかったよ」
パシアンは尚も羊皮紙に文字を連ねつつ、じっと私の顔をうかがった。その金色の瞳はモノクルを通して私を捉える。
「言っただろう。パシアンのこの目は未来と過去を視る。パシアンが君を視れるのも、君が未来の人間だからだ。おそらくだけど、というか十中八九、君は生きている。君は自身の体を未来に置いてきて、魂だけが時間を逆行してきているんだ」
「それってどういうことなの?」
はあとため息をつき、パシアンは筆をインク壺に差し込む。先ほどまでの情熱が若干失われているような気もする。もしかして私が幽霊じゃないと判断したからなのだろうか。
「つまりだ。君は魂だけを過去に飛ばされたんだよ。確か、こうなる直前に怪物の攻撃をまともに受けたのだろう? そのショックのせいで魂だけ吹き飛ばされたんだ。あるいはそれこそがその怪物の攻撃の本質なのかもね。魂を過去に飛ばし、この世界の始まりから終わりまでを体験させて、精神を摩耗させる。本来なら君は君を保てなくなって霧散するはずだったが、君は耐えきってしまった。いや、今もその摩耗は続いているのかな。それはパシアンにはわからないところだけど……。いやそれよりもだ。君が存在するということは、この世界はまだ崩壊しないということになる。つまり、この状況を打破できる何かが存在する……? もしかしてそのトリガーは君だったりするのか……?」
序盤こそ私の質問に応えていたパシアンだったが、だんだんと話が逸れていって、私を置いてけぼりにしていってしまった。
パシアン曰く、私は生きているということになるが、元の体に戻れないこの状況では生きているといえるのだろうか。
何も触れられない、誰にも(パシアン以外)存在を認識されないこの状況は死と何が違うのだろうか。もし元の体に戻れるのなら今すぐ戻りたいところだけど、その方法がわからない。
結局、理由が分かったところで振り出しに戻っただけであった。
「なあ、君! 君は本当に何も出来ないのか?」
おっとぉ? いきなり何なんだ。何もできないのは確かだけど、そういう言われ方すると傷つくんだけどっ。
「うん、歩くことくらいしか私にはできないかな。何にも触れないし」
「いや、そうじゃなくて……。スキルとかは使えないのか?」
あ。
そういうことか。完全に失念していた。この世界にはスキルというものがあるんだった。ずいぶんと長い間、暗い闇の中で過ごしていたから忘れていた。
私はひとまず思いつくスキルを試すことにした。
私が最初に母から教わったスキル。火魔法――トーチ。小さな炎を出して明りにするスキルだ。
指先に魔力を扱うイメージで……。
ボッ。
「おお、スキルが発動したではないか。しかも……あちちっ。ちゃんとこの世界に干渉できている! 一体どういう理屈なんだ」
「できたはいいけど、これどうすればいいの?」
「あー、消していいよ。他にもでいそうなスキルがあれば試してみよう! これは実に面白いぞ」
それからしばらくパシアンの言う通りに使えるスキルを試していった。
結論から言うと、今まで使えたすべてのスキルが行使可能だった。ただし、身体強化系や魔眼などは発動しているらしいが、効果は表れなかった。
そりゃ体自体が存在しないからそうなるのかもしれない。魔眼は相手が目を視なければ術にかからないしね。そして、アイテムボックスも同様に発動したけれど、中身はからっぽだった。
「なるほど……。やはりスキルを使えるのは肉体ではなく魂……。これはいい論文になりそうだぞ! 図らずも面白いネタになりそうだ!」
パシアンは一人楽しんでいた。
いやー……、私としては早くもとに戻りたいんだけどなあ。その後しばらくパシアンの熱は下がる気配がなかった。




