19 恐怖球
パラパラと上から砂が落ちてくる。
怪物が建物を破壊しようと塔を攻撃する度に、重い地鳴りが内部に響いた。
「これ、逃げ場なくなったんじゃない……?」
一先ず怪物のターゲットは私に移った。領主の別荘にいるアイリスたちは無事だろう。サンのお父さんである族長の安否が心配だが、今はそれよりも私自身が大変な状況だ。
こっちで私が時間を稼いでいるうちに、ヘプタ盗賊団の体勢が整ってくれたらいいのだけど楽観的過ぎるかな?
あの人たちにとっては、私は切り捨てても構わない駒でしかない。アイリスだけはきっと来てくれるだろうけど、焼け石に水だろう。
それならば、アイリスだけでも逃げてほしいと私は思う。
私がそう考えていると、塔の一階部分から激しい音が響いた。どうやら扉がこじ開けられてしまったらしい。
万事休すか……。
「どうしよう、もっと上まで上って逃げるしかないのかな。上まで行って『飛翔』でさらに距離を離すべきなのかな」
しかし私の『飛翔』スキルは十全に機能しない。持っている翼がアンバランスなために滑空すらうまくできないのだ。ある程度の高さならまだ調節できるだろうが、高所ともなると落下速度が上がってさらに着地が難しくなる。
最悪墜落からのデッドエンドだ。
しかしあまり悩んでいる時間はない。そうこうしているうちに怪物がここまでやってきてしまうだろう。
私は決意を固めた。
∇
ガラガラと目の前の扉が破壊される。たった今、波打つ影で壁を破壊した怪物はその巨体で以って更に入り口を広げた。
「ふぅ。これで入れるぜ。さあて……、あのガキはどこにいるかなぁ?」
ガキとは追っていた少女のことである。彼女は、怪物が標的にしていた得物を庇い邪魔をした。しかしそれは怪物にとってはどうでもいい。
標的にしていた得物は既に恐怖を抱いておらず、ただ殺すだけになりそうだったからだ。
怪物の目的は至極単純。恐怖を分かち合うことだ。誰かと共に自分の抱いている恐怖を分かち合いたい。この恐怖を知る者が他にいるという安心、それを得たいのだ。
それを踏まえると、先ほどの白髪の少女は絶好の餌食であった。
「あぁ……、追いかけてるときに見たあの恐怖の顔……、よかったなあ」
怪物は先ほどの追走中に見た彼女の表情を思い出し、恍惚の笑みを浮かべる。とはいえ、眼球すらないその能面では、傍から見てもそれとは認識出来はしない。
「まずはしらみつぶしに探していくか……」
鼻歌でも歌いだすのではないかと言う調子で怪物が辺りを探す。
一階にはどうやらいないようだ。
この塔は八階建てで、高さ四十メートル弱はあるだろうと怪物は予測していた。
かつて四十六階建てのビルで働いていた元人間の怪物は、以前の記憶を思い起こしていた。
男はいわゆる社畜と呼ばれるサラリーマンであった。
不眠不休で働き続け、自身の身体が限界を迎える中、同僚の何人かは過労で死んでいく。身近に助けを呼べるような間柄の人間は当然いない、天涯孤独なままあっさりと一生を終えていくのだろうかという恐怖が心を蝕んでいった。
何も果たせず、何も残せず、何にも見られない。
それは果たして生きていたと言えるのだろうか。
死は恐ろしい。ありえた可能性が、確実に永遠に閉ざされてしまうのだから。
死んだらどうなるのだろう。死んだあとの世界はどうなるのだろう。
考える、考える、考える。
そして怖くなった。
男は死にたい気持ちと死にたくない気持ちがせめぎ合って、思考がどろどろになって、そこで転生教のチラシを見かけた。
死んだ後の世界があるのなら。
男は迷わずそこへ向かった。
怪物は今五階まで昇ってきていた。道中の部屋は全て見てきているが、少女の姿は見かけていなかった。もしかしたら少女は最上階に居るかもしれない。
「一番上でびくびくと怯えて過ごしてるのかなぁ。だとしたらいいなあ、いいなあ」
だが怪物は内心でもやもやと抱くものがあった。
この塔に追い込んで逃げられなくしたが、少女は翼を持っている。見た所、飛ぶのは得意そうではなかったが、万が一でも飛んで逃げようとするかもしれない。
だが問題はそこではない。飛んで逃げれるのなら追いかければいいだけの話だ。だがもし、墜落して死んでしまったら?
それこそ怪物にとっては興醒め、いや恐醒めだ。せっかく恐怖を分かち合う人間が居るかもしれないのに、先に死に逃げされてしまうのは怪物にとっては非常によろしくなかった。
だが、怪物が思っていたことは的中してしまう。
パリンと最上階の窓が割れた音が怪物の耳に届いた。
「やばいっ、あいつに死なれちゃつまらないじゃねえかぁああああ!」
ドサドサとその肢体を使って駆けあがる怪物。そして僅か十五秒で最上階へと着いた。
びゅうびゅうと室内に風が入り込み、辺り一帯に紙が舞っている。
咄嗟に開いた窓から外を見る怪物。するとその視界の先にはひらひらと飛んでいく白いものがあった。
「やばい、逃げられちまう! 恐怖球!!」
怪物が叫ぶと同時に口から黒い球が射出された。それはものすごい速度で目標に到達し、半径百メートルに及ぶ黒い爆発を引き起こした。
「あの球に包まれたやつは、俺の恐怖に呑まれる。その恐怖は一瞬じゃねえ、体感で千年ほどだ。あの爆炎が消えた後に残るのは、俺と同じ恐怖を千年も体験した人間だ。もし生き残れていたのなら、俺はアイツと共に生きていける……」
怪物はこれ以上ないくらいの笑みを浮かべた。




