16 懐かしい名前
「怖いですわ!」
アイリスは私に思いっきり抱き着いてくる。
「安心して。追っ手が来てたとしても私が守ってあげる。ちょっとだけなら魔法使えるんだから」
「ありがとう存じますの」
別にアイリスは命を狙われているわけではない。というかむしろ、家出してきているわけなのだから大人しく手渡すのが一番だろう。相手が騎士の場合は、それも考慮しておくべきだろう。ただ、私はもうちょっとだけアイリスとこうして話をしていたいな。
こっちの世界では碌に友達が出来なかったから、こうして同年代のお話ができる人との交流は大事にしたい。
私の腕にぎゅっとしがみつくアイリスを見る。もうちょっとだけ、お話したい。
するとアイリスが上目遣いに見つめてきた。怖いのか息が荒い。
「なんだか、凄くドキドキしますのね」
「だ、大丈夫?」
なんだかいろいろやばそうな感じがする。アイリスの汗の量が尋常じゃないのだ。心なしか目が潤んできている。顔も赤い。熱でもあるのか?
しかしそのくせ、しがみつく腕に力は増している。その成長途中の胸を押し付けるかのように彼女は私の腕を引き寄せようとしている。
「フラムぅ……、しゅきぃ……」
「なっ!」
アイリス、これ魅了にかかっていないか!?
待って、私いつ魅了を発動させた? 無意識? 友達が欲しいあまりに無意識で魅了を発動させていた? さっきまでのアイリスとは別人のようになってしまっている。
これは非常にまずい。はやく魅了を解かなければ……!
私が魅了の魔眼を発動し、アイリスへ向かって解除を施そうとすると、突如私は何者かに吹き飛ばされた。
後方の壁に思いっきりぶつかりそうになるも、ぎりぎりのところで踏みとどまる。
アイリスが驚いた表情でこちらを見ている。突然見えない何かに吹き飛ばされたのだ。しかもこれは明らかに第三者の仕業である。もしかして、既に侵入者が近くにいるのか。
私がアイリスに近づこうと走りかけると、それは私の耳元に囁いた。
「動くな」
首筋には、冷たい感触が走る。ナイフだ。いつの間に私の背後に回っていた?
余りにも早い。魔法か何かで透明にでもなっていたのだろうか。いや、おそらく違う。私は背後にいるこの人の足音を聞いていない。
しかも私は何者かに吹き飛ばされて後方に飛ばされたのに、その後方に瞬時に回り込んでいるのだ。
これは透明になっているからではない。単純なスピードの違いだ。常軌を逸した速度と死角を利用したテクニックが合わさっているに違いない。よくわからんけど。
その証拠に、目の前のアイリスは私の背後の人間に視線がいっている。
「目的はなんだ。なぜアイリス姫様を誘拐した?」
「誘拐? 私はそんなことしてない! 一緒に遊んでいただけ!」
「嘘をつくな。お前は騎士団の捜索隊を撒いている。それにその背格好……。冒険者ギルドで捜索されている者の特徴と一致しているではないか。俺が聴く限り、その逃亡者は重犯罪者だそうじゃないか」
「いや、それには訳が――」
「やめなさい!」
私が弁解しようとした矢先、アイリスが叫んだ。見れば、ポーチから取り出した小刀で自身の首元を貫こうとしているではないか!
背後の男が動揺したのが判る。というか私もびっくりしている。え、なんでそんなことするの?
「フラムを離しなさい! さもないと、自害するわ!」
明らかに目がやばい。そうだ、私の魅了がいつの間にか効いてしまっているんだった。アイリスの今の状況が理解できたのか、やや焦った状態で男が囁く。
「アイリス姫様を解放しろ」
首元にナイフが刺さりそうになる。少し動いたら、切れてしまいそうだ。それは痛いから嫌だ。
アイリスはまるで狂信者のような口ぶりで、小刀をさらに喉元へ近づける。
「はあ、はあ……、フラムぅ……。私、フラムのためならこの命捨てられますの……」
はやまらないでっ! まだ会って数時間だよ!
これが魅了の力か。シェリルの時は、魅了の魔眼と催眠の魔眼を併用して操っていたけど、魅了だけだとここまで暴走してしまうのか。全然役にたたないじゃないか。
まあおかげで私は今殺されずに済んでいるけど。
男は再度、私に術を解くように脅す。しかしここで解いたら、それこそ私が殺されるのでは?
だけど解かなかったら解かなかったで、アイリスが自害してしまったら悲しい。
この背後の男と私、アイリスを救うという目的は一緒なのに、手段が正反対だ。私と男のどちらかが行動不能に陥らないと、アイリスが救えない。
この拮抗状態にしびれを切らしたのか、アイリスがもう一度叫ぶ。
「聞こえなかったのですか!? フラムを離しなさい! サンクシオン!」
――え?
サンクシオン?
私はその聞き覚えのある名前に、思わず声をあげてしまった。




