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占い師の手相

作者: 春名功武

「あなた、今年は駄目ね。何やっても上手く行かないわ」

「え!そんなぁ…」

 人気占い師の女性がテレビ番組の収録で、B級男性タレントの手相を見て言った。50代半ばの彼女は、いかにも占い師らしい濃い化粧に派手な服、嫌味な程大きい宝石を身に着けていた。


 この番組は彼女の歯に衣着せぬ物言いが評判を呼び、毎回高視聴率を獲得している。彼女はこの番組以外にもレギュラーをいくつか持っていて、今のこの占いブームの先駆者であり、占い界の女帝と呼ばれていた。


 彼女はB級タレントの手相を拡大したフリップにマジックで印を付ける。

「ここの手相みなさい。生命線と運命線を横切る傷みたいな線が入っているでしょう。今年がちょうどここなのよ。この時期は不運を招くの。2~3年は、大人しく精進して生活しなさい。そうしなければ…あなた…」たっぷりと間を取り「死ぬわよ」とズバッと発する。

 スタジオに観覧に来ていたお客は、彼女の決めセリフを生で聞けて、沸き立つ。言われた当人は苦笑いを浮かべていた。


「いい、必ず寝る前と朝起きたら、感謝の気持ちを込めて、しっかり手を洗いなさい」

「手洗いですか?じゃやっぱりトイレした後はちゃんと手洗いした方がいいですね。今後は忘れないようにするぞ。忘れてたんかい!」

 B級タレントは笑わせようと冗談交じりに言った。鉄仮面と言われた占い界の女帝は決して笑わない。馬鹿にされたと思ったのか、B級タレントを睨みつけると厳しい口調で言い放つ。

「あなた、手洗いを嘗めているの。だから駄目なのよ。手もまともに洗えないようじゃねぇ…」またたっぷりと間を取り「死ぬわよ」と発する。


 決めセリフとはいえ2度もそんな事を言われると、気分が良いものとはいえない。B級タレントはムッと怪訝そうな顔を浮かべる。スタジオに険悪なムードが流れはじめた。しかしそんな事気にする素振りさえ見せず、彼女はカメラ目線でこう告げるのだ。

「手を繋ぐのは、人とだけではありません。幸運や幸福とも繋ぐ事が出来ます。それらに失礼にならないよう、手は必ず綺麗にしておかなければなりません。そうすればきっと、幸福はあなたと手を繋いでくれるでしょう」

 こうして番組はエンディングを迎えた。


 テレビ局からの帰り道。秘書が運転するベンツの後部座席に座った彼女は、苛立ったように話し出す。

「占いランドに出資してくれる企業は見付かったの」

「それが、いくつかの企業に話を持ちかけているのでが、まだ返答はありません」

 チィ、彼女の舌打ちが車内に響く。占いランドとは彼女が考案した占いをテーマにした大人も子供も楽しめるアミューズメントパーク。5年以内の開園を目指して現在出資してくれる企業を探しているのだ。

「これは私の夢なの。必ずやりとげなくてはならないのよ。尻込みしてないでどんどん売り込みに行きなさい」

「あ、はい」

 秘書は上擦った声で返事をした。


 車は煌びやかに光る夜の街を横切っていく。革張りのシートに深く座った彼女は、窓から流れ去っていくネオンを見詰めながら自分に言い聞かせる。

「きっと見付かる。そういう運命にしてみせるわ」


 車は見晴らしの良い高台にある彼女の自宅に着いた。明日の予定を確認して、秘書は帰って行った。彼女は部屋に入るなり、上着を脱ぎ、ブラを外し、シミーズ姿とスカートという中途半端な格好で、洗面所へ向かった。


 戸棚の引き出しを開けると、プロ仕様の上等なカミソリを取り出す。大きく一度息を吐き出すと、強張った顔付きになる。彼女はゆっくりとカミソリを手首に当てると、掌の方に向かってスーッと切った。ウッ、と顔を歪める。縦に一直線に切った傷口から、ジワーと真っ赤な血が浮かび上がってきた。何度やっても慣れず、冷や汗が出て来る。しかし彼女はニヤリと不気味な笑みをこぼす。

「これでもう大丈夫。出資してくれる企業が現れるはず。これまでのようにね」


 占い界の女帝と呼ばれる彼女だが、順風満帆に登り詰めたわけではなかった。40代の頃は、ごまんといる占い師のひとりにすぎなかった。せいぜいショッピングモールの占いコーナーに呼ばれる程度であった。しかし彼女はそんな状況を受け入れていた。このまま売れない占い師として終わって行く運命だと自覚していたのだ。


 占いの勉強を始めた頃、自分の手相を占った結果、自分には人が羨むような輝かしい未来が訪れない事を知った。彼女の運命線は極端に短かった。運命線が短い人は、出世に縁が薄いといわれている。幼い頃から占い師になりたかった彼女にとっては、それがずっとコンプレックスだった。占い師の運命線が短いなんて、恥ずかしくてたまらない。


 そんな彼女の運命が突然変わったのだ。ある日、自暴自棄になった彼女は、手首にカミソリを当てた。この時、本当に死ぬ気だったのかどうかは、本人すら覚えていない。手首に這わせたカミソリの刃をじっと見詰めていた彼女は、突然コンプレックスである運命線を切って伸ばしてやろうと思い立った。スーッと運命線を切って伸ばしてみると、何だか心が穏やかになり、解放された気分になった。


 その後、驚くべき事に仕事が増え始めたのだ。味を占めた彼女は運命線をどんどん伸ばしていった。伸ばせば伸ばすほど、仕事がどんどんと増えていった。そしていつの間にか、占い界の女帝と呼ばれるまで登り詰めていたのだ。


 彼女は洗面所に常時置いてある消毒液をガーゼに垂らし、傷の止血をする。止血を終えた傷は運命線へとかわる。そして運命は切り開かれる。


 こうして伸ばした彼女の運命線は、とんでもない長さになっていた。彼女のもともとの運命線は、右手の掌の中央に1センチ弱ほどしかなかったのだが、今ではもとの運命線から指の方に向かって、縦に一直線に伸ばし、中指を通り、外側に伸ばして、爪を切り裂き、手の甲を通ると、腕、肩、背中を通って、そこから左の腕、手の甲、爪を切り裂き、中指、掌、手首、左腕の内側、そして胸、右腕の内側を通り、そして先程、手首から掌に伸ばしたのであった。もうすぐ運命線が上半身を囲むような形で繋がる所まで来ていた。


 止血を終えて間もなくして、1本の電話が鳴った。電話に出ると、さっき別れたばかりの秘書からだった。秘書の声は興奮してワンオクターブ高かった。

「せ、先生、たった今、占いランドに出資したいという申し出がありました」

「あらそうなの。どういった会社」

 誰もが知る大企業であった。


 電話を切ると、人が変わったかのように笑い出す。

「フフフフフ、アッハハハハハ、やっぱりこれの効果は絶大だわ。運命は自分で切り開くものなのよ」

 そう言いながら、彼女は先程伸ばしたばかりの運命線に視線を落とす。あと数センチ伸ばせば、運命線が上半身を囲むように繋がる。

「繋がったら…どうなるのかしら…」

 彼女は目を爛々とさせる。繋がるまでもうあと数センチ。勿体付けて別の日にしても良かったが、今日をその記念すべき日にしたっていい。


 そう思うと居ても立っても居られなくなる。彼女は鼻歌交じりに洗面所に向かい、カミソリを手にすると、運命線の先に当てる。カミソリを持つ手にいつもより力が入る。これが最後なのね。スーッ、といつもの要領で運命線を伸ばす。もともとの運命線の先と繋がる。鉄仮面と言われた彼女の顔が、喜びで皺くちゃに歪む。


 洗面所の鏡でも充分見る事が出来たが、もっと全貌をじっくりと見たかった。2階の寝室まで駆けあがると、全身鏡の前に立った。鏡にシミーズ姿の体を映し出した彼女は、運命線を目で追いながら、その場でゆっくりと回っていく。

「アッハ、なんて素晴らしいの。まるで天使の輪のように美しい。気に入ったわ」

 繋がったらどうなるのかと思っていたけど、答えは簡単。

「無限になったのよ。あの短かった私の運命線が無限になった。アッハハハハハ、私は運命を司る最初の人間かもしれないわね」


 彼女は血を止める事を忘れ、体を揺すりながら大笑いした。シミーズに血が飛び散ってしまった。

「あら、いけないわ」

 急いで止血をする。血も付いてしまったし、シミーズを脱いで、一糸まとわぬ状態でもう一度改めて運命線を拝もうと考えた。しかし汗を掻いていた為、シミーズが体に貼り付いてなかなか脱げない。頭を下にしてシミーズを強引に引っ張った。


 ベリッ!という妙な音と共にシミーズが脱げた。裸になったせいか、急に寒くなった。スー、スー、するのだ。フワフワするといってもいい。とにかく妙な感覚だった。だけどその感覚すら、今の彼女はプラスに捉えた。

「これが運命を司る神に選ばれし者の感覚かしらね」


 そして彼女は運命線を拝もうと、全身鏡の前に立った。

「ギャ~」と思わず悲鳴を上げたのは、鏡に映る胸から上の皮膚が剥がれた人体模型のような姿を見たからだ。


 彼女はいったい何が起こっているのか分からなかった。血と汗で皮膚に貼り付いたシミーズを強引に引っ張った事で、運命線がまるで切り取り線のようになり、胸から上の皮膚が切り取られてしまったのだ。剥がれた皮膚は、シミーズの下に裏返って貼り付いてあった。


「い、痛い…痛い…ちょっと、痛いわ」

 痛みが遅れて襲ってきたかと思うと、皮膚が剥がれむき出しになった部分から、大量の血が溢れ出てくる。意識が朦朧とし、その場に崩れるように倒れてしまう。そんな彼女の掌の「生命線」は、余り長いものとは言えなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後の結末が面白かったです! 想像したらちょっとぞわっとしましたが、面白いと思いました。
2020/08/26 13:58 退会済み
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