■殺駅‐アメリカ篇‐
敢えて言わせてもらおう。
ジャンル詐欺であるとッ!(ぇ
――見られている。
そう気づいたのは、私が仕事を終えた帰り……アメリカのマンハッタンの地下鉄駅のホームに立っている時だった。
私がホームへと入った時、そこには数人しかいなかった。私の後には誰も入っていない。という事はその数人の内の誰かが、私を注視しているのか。
視線は後方から。
いったいどこの誰だと、どうしても気になった私は、まずは平静を保ちながら、携帯電話を取り出しそのカメラ機能で私の後方を映し……息をのんだ。
後方の……十メートル辺りか。
そこに、黒い燕尾服と、同色のシルクハットを身に着けた青白い肌の男がいた。
男は電子タバコを口に咥えながら、私を見てニヤニヤと、まるで面白いモノでも見たかのように嗤っていた。
私からしたら男の方がよほど変……というか不気味だ。
なのに、なぜ私を見て男は嗤って……まさか電子タバコの中に違法薬物を入れてラリっているのか。
もしそうだとすれば余計な事はしない方がいいだろう。
向こうが先に余計な事をしてきた場合は警察沙汰にするが。
と思っていたのも束の間。
その男が、ゆっくりとした足取りで私へと近づいてきた。
電子タバコを口から離し、プカプカと口から蒸気を吐きながら、男はゆっくりと私の肩へと手を伸ばし……私は反射的に動いていた。
前へと動き、百八十度反転する。
向こうが先に何かをしようとしたのだ。ならばこちらもそれなりに動かなければ……そう思ったのだが、
「………あれ?」
私は呆気に取られた。
携帯電話のカメラに、確かに映っていたハズのその男が……どこにもいなかったからだ。
直後。ホームに電車はやってきた。
ゴウゴウと、空気を押し出して発生した風の音を構内に轟かせ、捨てられていた新聞紙を、宙に舞い上げながら。
いつも通りの地下鉄駅のホームが、そこにあった。
※
昨夜は疲れていたのだろうか。
そう思いながら、私は通勤のために地下鉄駅にいた。
カメラに映っていたハズなのにいなかった男が、私の見た幻覚なのか否かはとにかく、その程度で私は通勤手段を変えるつもりはないし、それに駅のホームは私の仕事場の一つだ。離れるワケにはいかない。
通勤するサラリーマンでごった返す地下鉄駅に、ゴウゴウと風の音を轟かせて、電車はやってくる。
私はいつも通り、涼しい顔でそれに乗った。
※
「まったく、そろそろ仕事を覚えてくれなくちゃ困るよキミィ」
マンハッタンの某ビルの中にある私の仕事場の上司が、正面に立たせた私を見て渋い顔をした。
「というか、日本人なんだろ? かつてのGNP第三位の国の人間としての実力をそろそろ発揮したまえよ。じゃないと、こうだぞ?」
上司が首を斬る動作をした。
聞いているだけで、怒りが湧いてくる。
確かに私は日本人だ。しかしだからと言って日本人全員仕事人間というワケではない……というか逆にそんな人間ばかりじゃ離婚する夫婦が急増しているだろう。しかし私は、上司に反論しない。
上司は仕事に厳しいし言い方もアレだが、それは私を思っての事。仕事を覚えた部下には一切文句は言わない人としても知られているので……これは私の落ち度。だから気にしない。私が成長すればいいだけの話。
それに、上司は……この部署で唯一私という存在を把握してくれる人。
小さい頃から存在感が薄く、そのせいでなかなか人の輪に入れなかった私の存在を把握してくれる……ある意味では、理想の上司だ。
だから私は、文句は言わない。
言わない、けど……。
※
昼休み。
私の携帯電話に、一枚の写真が送られてきた。
白髪まじりの、三十代くらいの男性。
容姿からして、おそらく南北アメリカ系だろうと思われる男性の写真だ。
そしてメールの本文には、補足としてこう書いてあった。
【早急に対処しろ。場所は――】
※
場所は、私が通勤で使う地下鉄駅の一つだった。
メールで指定された、対処すべき時間帯は夕方。私は仕事の途中で、上司に腹痛を訴え一時間早く退社させてもらい、予定通りの時間帯にその駅へとやってきた。
視線だけを動かし、私は写真の男を捜す。
駅構内は人が多かった。だが隙間なくいるワケではない。
なのですぐに……見つけた。
その南北アメリカ系の男性は、エレメンタリースクールの学生であろう少女と、ハイスクールの学生であろう少年に挟まれて立っていた。男性の子供か。
いや、それは無駄な思考だ。
私はすぐに、彼と接触すべく人ごみの中を歩き出す。
※
ずいぶん前から、私は上司への不満から転職を考えていた。
しかし次の職場に、私の存在を認識してくれる人がいるとは限らない。だから今の職場に勤めている。甘んじている。
だけど心が限界に近くて、そして……私は、つい登録してしまった。
二週間前に、携帯電話にメールで送られてきたURL。
なんだか怪しいが、URLの中にjobという単語があったため、仕事の関係のサイトだと思い……ついついジャンプした、それに。
その時の私は、今思えばどうかしていたと思う。
――新たな自分になれる。
そんな宣伝文句にやられて、登録してしまうなんて。
そしてそのサイトは、ご想像通り怪しい……ブラックどころかダークなバイトのサイトだった。言うなれば裏稼業関連。犯罪者が見るようなサイトだ。
次の日になって、冷静になった頭で退会しようとも思ったけど……登録の際に、いろいろと個人情報を書いていた事を思い出し断念した。下手に退会してしまったら、サイトの管理者に証拠隠滅のために消されるかもしれないからだ。
※
だから私は、もうやるしかないと心に決めた。
仮に自分が、目の前の南北アメリカ系の男性と接触した事で……犯罪者になってしまおうとも。
そして私が、男性に接触しようとした時だった。
ゾ グ ン ッ
……と。
背筋に寒気と、怖気と。
まるで、絶対の存在を前にしたかのような……圧倒的な圧力を感じた。
――動けない。
――肌が粟立つ。
――汗がじんわりと流れ出す。
いったい自分に何が起きたのか。
標的は目の前だというのに。
私は……理不尽な〝何か〟に囚われた。
ケタケタケタケタ――。
すると、その時。
私の背後で、誰かが嗤った。
――ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタッ
乾いたような嗤い声。
そして時々鼻孔に入り込む……刺激臭。
嗅いだ事のある、ニオイ。
職場でも。実家でも。
そして最近……駅構内でも嗅いだニオイ。
――煙草の煙のニオイ。
それに気づいた瞬間。
私の心臓が、徐々にその鼓動を早くした。
感じる寒気が。怖気が。圧力が。
相手がいったい〝何〟なのか分からないままに……私を蝕んでいく。
相手が誰なのかは、分かった。
昨夜、私の後方から消えた……謎の男だろう。
嗤い声からして、あの男がしそうだ。
それに彼は電子タバコを吸っていた。
まさか、あの男が私のすぐそばに――?
「お嬢さん」
すると、その時だった。
私が接触しようとしていた男性が……私の方を見もせずに声を発した。
「今から私にしようとしていた事は、やめなさい。じゃないと……君は死神に連れ去られるぞ」
私は……その言葉を聞き呆気に取られた。
死神? い、いったい……どういう事なの?
いや、それ以前に……どうして私の存在に気づいた?
普段から存在感が薄いのに。それに加えて気配を殺していたのに。
「ハイチの死神よ。死と性交を司りし偉大なる精霊よ。我らが神エル・フマドールの御名において……ここは引いてくれんか? 私お手製の煙草、献納するから」
そして私が、男性が私の気配を察した事を疑問に思い、男性の底の知れなさに、恐怖を覚え始めた……その時。
男性が、何やらブツブツと言った。
電車が来るのとほぼ同時に呟いていたため、その声のほとんどが、風の音にかき消され、よく聞こえない。
すると次の瞬間。
いったい何がどうなったのか……私を襲っていた寒気と怖気と、圧力が急になくなった。
私は、驚きのあまり目を丸くした。
と同時に、男性は、両脇に立つ少年少女と共に振り返った。
「まったく。幽霊を使った〝自殺偽装屋〟が生まれるとはな」
「世も末ですね、師匠」
「それだけ、この世が荒んできているんだな」
男性と少年少女が、私の方を向くなり、そして他の乗客が電車に乗り込んでいく中で、ワケが分からない事を言った。
いや……〝自殺偽装屋〟については、分かる。
私が登録してしまった、仕事の名前。
指定された標的を、電車が来るのと同時に押して……自殺を偽装する裏稼業。
でも、幽霊を使った?
い、いったい何の事?
「まぁ、詳しい話は」
私が困惑したのを見て、男性は肩を落とした。
そして深い深い溜め息を挟んでから……私の背後へと視線を向けた。
私は、反射的にその視線の先を追い……目を丸くした。
なぜならそこには……息を切らしつつ私の前に立つ、私の上司がいたのだから。
「彼の話を、まず聞いてからにしようか」
私の上司へと視線を向けながら、男性は言った。
※
――今年の春に入社する予定だった女性が、電車に轢かれて死んだ。
私の上司はまず、そう話を切り出した。
――ド田舎の実家からマンハッタンに向かう途中、ホームドアがない駅で、他の客に押されて電車に轢かれたそうだ。私はその事にショックを受けた。新入社員が死んだ事も悲しいが、なにより我が社は忙しい。猫の手も借りたいということわざが日本にはあるが、まさにそれだ。一人でも戦力を失うのは想像を絶する痛手だ。しかし、そんな中で……キミィは現れた。他の客に押され、電車に轢かれて死んだハズのキミィがな。
――私は、小さい頃から幽霊の類が見える体質だ。と言っても、体調によっては見えない事もある中途半端な霊視能力だ。そしてその霊視能力に……今回ばかりは感謝した。なぜならば、キミィとうまくコミュニケーションを取り、彼女を戦力にできれば我々の負担は減るのだから!!
――しかし二週間前。私は気づいた。
――キミィの霊体から……何やら黒い煙のようなモノが出始めた事に。
――まさか幽霊だからと無茶をさせすぎて、悪霊化し始めているのかと慌てた私は、知り合いの霊媒師である煙術師……南北アメリカ系の呪術師である彼に相談をしたというワケだ。
そして話は、私が殺そうとしていた男性に引き継がれた。
――まさか、幽霊にブラックな仕事をさせている会社があるとは思わなんだ。
男性は呆れ、深い深い溜め息をついて……話を続けた。
――とにかく彼に依頼されて、私は君……キミコ・イノウエの霊体の調査をここ最近行った。すると君は……ややこしいな。私もキミィと呼ばせてもらおう。とにかくキミィが、恐ろしい呪術にかかっている事に気づいた。
――幽霊を使役し殺人に利用する、幽霊の持つ通信機器を介した呪術を開発し、最近裏社会で幅を利かせ始めている〝自殺偽装屋〟の呪術。そしてキミィと同じくその呪術にかかった幽霊により殺された、被害者の家族が……弔い合戦としてその〝自殺偽装屋〟に関係あるモノ全てにかけた西アフリカ系精霊教の呪術だ。ついでに言えばキミィの上司が気づいた黒い煙は、それらの呪術をかけられた影響で霊体から吹き出るようになった邪気だ。
――最近変な男を見なかったかね?
――燕尾服にシルクハットの男だ。
私は、正直に頷いた。
――アレは西アフリカ系精霊教の精霊。ゲーデやバロン・サムディと呼ばれる存在だ。呪術によりヤツが喚び出され、そして〝自殺偽装屋〟の関係者たるキミィが狙われたワケだ。たとえキミィがその犯人じゃなくとも、殺された被害者の家族にとっては同類。だからキミィもヤツの呪術の対象にされたというワケだな。
――キミィ、私を呼んだ上司に感謝するんだな。他の霊媒師じゃあ、ヤツを退散させるのは難しい。だが私を始めとする煙術師は違う。同じアメリカ出身の神を崇拝しているし、ヤツの好きな煙草を作れる。ちなみにヤツは、酒にも目がないぞ。
順序立てて説明されても、ワケが分からない荒唐無稽な話だった。
いや、彼のいう宗教についてはある程度知っているけど……詳しくは知らない。ゾンビやゾンビパウダーくらいしか印象にない。
というか……私が、死んでる????
そんな、馬鹿な。
何言ってるの。私はここにいる。生きている存在だ。
確かに私は影が薄いけど、死んでいるだなんてそんな――。
しかし。
私は、気づいた。
気づいて、しまった。
なぜ、人でごった返す中を……私は涼しい顔で通過して電車に乗れた?
すでに死んでいて。
物理的な作用をものともしなかったからじゃないのか。
指摘されて、改めて思い返せば思い返すほど……心当たりがありすぎるッ!
私は……わた、しは……もう、この世の住民じゃ……ッ!?
それを、完璧に自覚した途端。
もしも生きていれば、涙が出ていたかもしれないほどの……胸が締めつけられるほどの悲しみに、私は襲われた。
「……さて、悲しんでいるところ悪いが」
そんな私を見ながら、私が殺そうとしていた男性は淡々と事務的に告げた。
「死神を退けられるのは、あくまで一時的だ。忘れた頃にヤツはまたキミィを狙うだろう」
「ッ!? そ、そんな!」
まさに泣きっ面に蜂というべき、その衝撃的な事実を聞き……私は、さらに深い悲しみを覚えた。
ただでさえ死んでいる事を自覚してショックだというのに、なんで私は、死神に狙われなきゃいけないの?
「だが、助かる方法はある」
そんな私に、男性はさらに言う。
「幸いな事にキミィはまだ人を殺していない。ならば今の時点で〝自殺偽装屋〟を裏切れば。サイトの存在をしかるべき人達に明かせば……〝自殺偽装屋〟の殺し屋――呪術の対象とは、判定されん」
「ほ、ホントですか!?」
私は思わず、男性に詰め寄った。
すると男性は、溜め息をついてから「まぁ……神には神のルールがあるからな」と補足した。
※
「師匠、あの二人……これからどうなるんですかね?」
キミィが殺そうとした、南北アメリカ系の男性に付き添っている少年が、男性と共に次の仕事先へと向かいながら訊ねた。
「上司の方がサイトの存在を、アメリカの警察に通報した事で、呪術は一応解けたようだから……あの世に逝くんじゃないのか?」
同じく南北アメリカ系の男性に付き添っている少女が、キミィの体から吹き出ていた黒い煙が消えた瞬間の事を思い出しながら、少年に言った。
「さて、それはどうだろうな」
すると南北アメリカ系の男性は、溜め息をついてから言った。
「この世の中だ。上司の方はそう簡単にキミィをあの世に逝かせはしないだろう。うまく言いくるめて……これから先も働かせるかもしれん」
「そ、それは……なんてブラックな」
「まさか……幽霊も働かされるとは」
少年少女は揃って苦笑した。
「まぁ、彼女はまだまだ働きたいようだったし……今は上司しかいないだろうが、一応その存在を認識されているようだし……少なくとも悪霊にはならないだろう。いずれ、やりきったと彼女が感じれば……自然とこの惑星へと還る。ならば私達の出る幕ではない」
男性は深い溜め息を挟んでから……気を引き締め、改めて言った。
「だがカノア・クロード。
そしてビリー・マンチェスター。
決して、油断してはならない。
ここは、アメリカ合衆国。
人種のサラダボウルなどと呼ばれる大国。
人だけでなく文化も入り乱れ、我々の想像を超える〝何か〟が日々生まれている魔境だ。今回は穏便に済んだが、次は……何が起こるかは分からん。
――人が、誰かを。
――そして何かを想う限り、な」
私が書くと、どうもロー・ファンタジーになる(汗
恐怖要素ほとんどないやんけ。
もうね、ホラー系はこれっきりにしようかなと思います。
ちなみに死者の携帯電話になぜメールが来たかについて。
アイヌ民族にはあの世に死者の私物を届けるという習わしがあるらしく、その際にその私物を壊すそうな。という事は死者の携帯電話も、同じように壊れれば死者が手に取れ、さらには呪術付きのメールであれば受信できる……からである!(ぇ