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志希がブックカフェあらいぐまに住み込み始めて、一カ月弱。三月も末を迎え、外はより一層春を感じさせる陽気となってきた。
そして、あらいぐまの景気も春真っ盛り。志希が働き始めたことが良い効果を生んでいるのか、あらいぐまの今月の売り上げは一昨日の段階で前年三月の売り上げを上回ったらしい。
ちなみに、志希にそれを教えに来た時、荒熊さんは「商売繫盛、いえーい!」と千円札を十枚ほど広げて片手団扇していた。完全に有頂天である。あと、団扇に一万円札を使わないところに荒熊さんの気の小ささが垣間見えて、何とも微笑ましかった。
そんな、気候とともに店の懐も温かなとある日の朝。
いつも通りカフェの開店準備をしていた志希は、不意に「そういえば……」と何かに気が付いた様子で、グラスを磨く荒熊さんの方を見た。
「今さらなのですが、荒熊さんは何の神様なのですか?」
「どうしたの? 藪から棒に。前にも言ったけど、僕はこの町の土地神だよ」
「ああ、いえ、それは前に聞いたので知っているのですが……。“学業の神様”とか“芸能の神様”とか、そういう得意分野的なものはあるのかな、と……」
「ああ、なるほど。御神徳のことね」
志希がどう言い表していいのかという風に説明すると、合点がいったらしい荒熊さんはちまちました動きでポンと手を打った。……かわいい。
「僕はね、そっちの方だと“縁結びの神様”ってカテゴリに入るよ。この間の本の記憶に入る御業も、本と人の間にある縁を強化するってものだしね。僕が神使として仕えていた前の土地神が縁結びの神様だったから、僕が土地神になる時、それも受け継いだんだ」
「前の土地神様……ですか? 荒熊さんは、ずっと昔からこの町の土地神だったわけじゃないんですか?」
「うん、そうだね。僕がここの土地神になったのは、五十年くらい前の話だよ」
そう言って荒熊さんが語ったのは、彼が土地神になるまでの物語だ。
荒熊さん曰く、彼も最初はただのアライグマだったらしい。それも、日本生まれではなく、アメリカ生まれの。
「僕がまだ仔アライグマだった頃ね、森で親とはぐれちゃってさ。その後、なんか色々あった末に黒い船に乗っちゃったんだよね。で、人間に見つからないよう隠れていたら、何か日本の浦賀ってところに着いちゃってさ」
「それ、もしかしてペリーさんの黒船では……」
そういえば船で一番偉そうな人がそんな名前だったね~、とのんきな荒熊さん。
ともあれ、黒い船を降りた荒熊さんは日本での新生活を始めたらしい。
「でも、すぐに食いっぱぐれちゃってね。行き倒れていたところを、前の土地神に拾われたんだ」
そう言って、荒熊さんが遠い目をする。なぜか、毛皮越しにもわかる青い顔で……。
前の土地神は、荒熊さんのことを大層珍しがったらしい。そして、おもしろそうだから、と自分の神使にしたそうだ。
「で、それからは前土地神にこき使われる毎日だよ。あの人、優しい顔してアライグマ使いが荒いったらありゃしなくてさ。炊事洗濯、他の神様へのお使い……。百年近くパシリにされたよ」
「百年も……。それは、大変でしたね」
嘆き口調の荒熊さんに、志希は同情的な視線を向け、労わるような言葉を掛ける。
しかし、これがいけなかった。志希が親身に話を聞いたことで、荒熊さんのスイッチが入ってしまった。
「そう言ってくれるのは、志希ちゃんだけだよ~。それでさ、五十年前にあの人、いきなり何て言ったと思う? 『ちょっと日本全国巡ってくるから、君、土地神やっといて』だよ! それでさっさと僕に役目と権能の一部を預けて、神社から出て行ってさ! もうほんと、あの時は何日か開いた口が塞がらなかったよ」
「それは……はい。心中、お察しします……」
「しかもあの人、いまだ悠々自適に全国漫遊中でさ。十年に一度くらい帰ってくるけど、土地神に戻る気はゼロみたいなんだよね。……ほんとにあのダメ土地神、次に帰ってきたら眼鏡叩き割ってやろうか」
はあ~、と重いため息をついて首を振る荒熊さん。もはや過去語りでも何でもなく、ただの愚痴大会である。今がバーの開店前だったら、店の酒でも取り出して飲み始めそうな勢いだ。
最初は同情的だった志希も、辛うじて笑顔は保っているが完全にお困りムードだ。
ただ、このまま荒熊さんを愚痴らせておくわけにもいかない。放っておけば、いつまでも愚痴っていそうだし……。志希は気を取り直し、荒熊さんに申し訳なく思いつつも、この流れをぶった切りにかかった。
「ま、前の土地神様の件は置いておくとしまして、縁結びの神様というのはちょっと意外でした。私、荒熊さんは商いの神様かと思っていましたので。自分でカフェを経営していらっしゃるくらいですし」
「このお店は、ただの趣味だよ。神社にずっといるのって暇だしね。神社の方は神使がいれば何とかなるし、僕はこの店を経営しながら、町のみんなを見守っているんだよ」
割とあっさり愚痴モードから戻ってきた荒熊さんが、得意げに胸を張る。
その言葉から、荒熊さんと前の土地神様って似た者同士なのでは、と思った志希だったが……あえて口には出さなかった。
「それにね、自分で言うのもなんだけど、アライグマって縁結びの神様に向いていると思うんだよね」
「そうなのですか? でも、どうして?」
理由がわからず、志希が不思議増に首を傾げる。
すると荒熊さんは、今度は腰に手を当ててふんぞり返り、こう答えた。
「だって、アライグマは一夫多妻制だもん! しかも、毎年パートナーが変わる! つまりアライグマのオスは、縁を結ぶのがとても得意なのです!」
「ああ、なるほど。そう言われると、確かに頼もしい気が……」
自信満々な荒熊さんに若干気圧されつつ、感心した様子で拍手をする志希。ただ、すぐに何か思い至った様子で、志希は「あれ?」と首を傾げた。
「でも、毎年パートナーが変わってしまうのだと、結んだ傍から縁が切れていくってことなのでは……?」
「……………………。さて、無駄話はここまでにしようか。仕事しなくちゃ」
志希の問い掛けに長い無言の間で答えた荒熊さんは、さっさと開店準備に戻っていった。
志希もツッコんではいけない気がして、それ以上は何も言わなかった。
と、その時だ。開店前の店の入り口が開かれた。




