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三月二日。時折吹き抜ける冷たい風に体を震わせつつも、日差しの温かさに確かな春の息吹を感じる今日この頃――。
「……どうしましょう」
住宅街のど真ん中で、近くの高校の制服を着た少女が顔を青ざめさせて立ち尽くしていた。
彼女の名前は、小日向志希。高校を昨日卒業したばかりの十八歳。父親を幼い頃に病気で亡くし、母親も半年前に交通事故で亡くなったため、家族はいない。いわゆる天涯孤独というやつだ。そして現在――無職で家もなし。
「どうしましょう……」
青く晴れた空に向かって、志希は呆けたように同じ言葉を繰り返す。
もはや、それ以外に出てくる言葉もない。そして、繰り返されたその言葉も、昼下がりの住宅街に虚しく消えていった。
もっとも、志希が途方に暮れるのも無理からぬことだ。なぜなら彼女は、就職の内定、自宅、さらには家財道具一式に至るまで、そのすべてをほとんど一遍に失ってしまったのだから……。
どうして彼女が、真昼の住宅街で顔を青ざめさせるに至ったか。事の始まりは、およそ一日前に遡る――。
* * *
「すまない、志希ちゃん。実は、うちで受けていた部品製作の仕事のひとつが、元請業者の倒産で突然打ち切りになってしまって……。今いる職員を守るだけでも精一杯の状況で、君のことを雇えなくなってしまった。本当に、申し訳ない……」
卒業式からの帰り道。志希がスマホ越しに聞いたのは、中年男性の悔しさを滲ませた謝罪の言葉と、内定取り消しの通告だった。
電話の相手は、志希が内定をもらっていた町工場の社長だ。
ちなみにこの町工場、志希の母・愛希も生前に働いていた職場で、志希も小学生の頃から会社主催のバーベキュー大会などにお呼ばれしていた。当然、社長とも既知の間柄だ。とても温厚かつ社員とその家族を大事にする人で、志希もいつも優しくしてもらった。愛希が亡くなった際にも、葬式の手配など会社を上げて志希をサポートしてくれたくらいだ。
志希が高卒で就職するつもりである話をした時も、「だったら、うちに来ないか? 私も社員のみんなも、志希ちゃんなら大歓迎だよ」と手を差し伸べてくれた。
そんな社長の人柄を知っているからこそ、志希も内定取り消しのショックより、社長と会社の心配の方が先に立ったくらいだ。
「社長の私が至らないばかりに、本当に申し訳ない。しかも、直接会って謝ることもできずに……。君には、どれだけ謝っても謝り切れない。もう愛希さんに会わせる顔もないよ……」
「いえ、そんな……。社長さんは、まったく悪くないです。お気になさらないでください」
何度も謝罪の言葉を繰り返す社長へ、志希も見えないとわかっていつつも手やら首やらを振って応える。
電話での通達となったのも、おそらくは直接会う暇もないほど多忙を極めているからだろう。事実、電話越しに聞こえる社長の声からは、隠せない疲労の色が見て取れた。きっと連日、寝る間も惜しんで社員を守るために奔走しているに違いない。
「私の方は大丈夫です。仕事はまた探せばいいだけですから。それより、社長さんも体を壊さないよう気を付けてくださいね。社長さんに倒れられたら、社員さん達が困ってしまいますよ」
「志希ちゃん……。――ああ、そうだね。ありがとう。気を付けるよ」
それからも社長は何度も志希に謝り、電話を切った。
通話を終えたスマホを見つめながら、志希はフゥと一つ息を吐いた。
正直に言えば、内定取り消しは志希にとって大きな痛手だ。ショックも大きい。
しかし、志希は社長のことを恨んではいなかった。そもそもこれまで幾度となくお世話になってきた人だし、今回の件は完全に事故のようなものだ。社長を恨むのは筋違いだろう。
「消えてしまったものは仕方ありません。こうなったら、また一から頑張りましょう!」
明るくそう言って、志希はスマホを握り締めた手を晴れた空に向かって振り上げた。
――そう。降りかかった不幸は大きかったものの、志希もこの時はまだ前向きにいられたのだ。
しかし、一度転がり出した不幸という名の雪玉は、なかなか止まってはくれないものだったらしい。しかも、転がる度にその大きさをどんどん増していくようで……。
つまり、志希に降りかかった不幸は、これで終わりではなかった。