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消えない想い

 ロットバルトの意識は、ずっと闇に沈んでいた。悪魔の王は最上位の悪魔。その力には、どんなに強力な悪魔も敵わない。一介の悪魔であるロットバルトには、逆らうことなどできない。それでも娘のオディールのことが気がかりだった。心細い思いをしているに違いない。何とか意識を取り戻そうと、もがいた。すると、娘が自分を呼ぶ声が聞こえてきた。その方に必死で耳をすます。声はだんだんと、はっきり聞こえてきた。そして、遂に自分を呼ぶ声がすぐ傍で聞こえた。その声には泣く声が混じっていた。

 その瞬間、ロットバルトは意識を取り戻した。見たことのない城の大広間に立っている。よく見ると、普段、着たことのないような豪華な衣装を身にまとっている。まるで貴族のようだ。大広間には悪魔の王の力で起きた嵐が吹き荒れていた。悪魔の王の魂を奪えという声、悲嘆にくれる王子、オデットの幻影が消えるところを見た時、彼は全てを悟った。悪魔の王は娘の魔法の力を利用したのだ。オディールにオデットの精巧な幻影を作らせた。そして、ジークフリートが姫の幻に永遠の愛を誓うよう仕向けた。もちろん姫本人に愛を誓わなければ、呪いは解けるはずがない。むしろ、本人ではない姫の幻に愛を誓ってしまったことで、呪いを解く条件である永遠の愛の誓いがなくなってしまう。

 「なぜ、娘を巻き飲んだのですか! どうして!」

 ロットバルトは血を吐くような思いで叫んだ。娘を巻き込ませたくなかった。人の魂を奪うなどということに関わらせたくなかった。そんなことは悪魔である自分だけで十分だ。娘は悪魔ではないのだから。心に穴が空くような思いなど、してほしくない。

 「お前が早く魂を持ってこないからだ。以前は、そんなことはなかった。娘にほだされたな。だから、罰を与えたのだ」

 悪魔の王の非情な声が響く。ロットバルトはその場にくずおれた。その目の端に、オディールが走り去っていくのが見えた。

 「オディール?」

 なぜ娘がここにいるのだろう。まさか、自分を心配して追ってきたのか。ロットバルトは夢中で娘の後ろ姿を追いかけた。

 オディールは走って走って、ロットバルトがオデットを隠していた湖まで、やって来た。その湖には、今しがたジークフリートがやって来たばかりだった。自分がオデットの幻に愛を誓ってしまったことを涙ながらに謝った。オデットは自分の嫌な予感が当たってしまったと思った。今日が王子の言っていた舞踏会の日と分かっていたので、城へ向かおうとした。ところが、見えない力に阻まれて湖から出られなかったのだ。

 「ロットバルトにだまされたのですね、お互いに」

 「それが妙なのです。ロットバルトではなく、別の悪魔が、悪魔の王がだましたようなのです」

 オデットは困惑した。そこへ泣きながら走って来たオディールと、オディールを追いかけてきたロットバルトが現れた。二人のただならぬ様子に、王子と姫は二人を見守ることにした。預かり知らぬ事情がありそうだ。

 ロットバルトは泣きじゃくるオディールを抱きしめた。オディールはロットバルトがさっきと違って、いつもと同じ様子なので、幾分か安心した。それでも涙が溢れて止まらなかった。

 「わたし、知らない人にお姫様の姿を見せてあげたの。会いたいって言うから。怖い人だって思わなかった」

 ロットバルトはどう声をかければいいか、分からなかった。

 「パパは悪魔なの? 人の魂を取っちゃうの?」

 娘の目には信じられないという思いが浮かんでいた。ロットバルトはオディールを抱きしめながら、自分の目からも涙が一つこぼれ落ちたのを感じた。娘の気持ちは痛いほど分かる。でも、本当のことを言わなければならない。

 「そうだよ」

 「じゃあ、わたしも悪魔?」

 「それは違う。お前は悪魔じゃない。黒鳥の化身なんだ」

 全てを話すべき時がきたと思った。オディールのために、全てを伝えなければならない。ロットバルトはオディールの目を見て、彼女と出会った日のことを話した。黒鳥の群れの中にオディールがいたこと、ずっと前からオディールのことを知っていたと思ったこと、その日から親子になったこと。そこから続いた陽だまりのような日々を心から大切に思っていたことを。

 「私はお前から、たくさん大切な時間を贈ってもらったよ。同じ時間をお前にも贈りたいけど、パパは悪魔だから、同じことができたのか分からなかった。だから、せめて、お前の幸せを願うことにしたんだ」

 オディールは幼かったので、彼の言ったことの全てを分かったわけではない。でも、とても大切なことを伝えようとしてくれていることは分かった。幼い少女なりに、一生懸命、話を聞いた。

 「パパ、お姫様の魂を取らないで」

 オディールなりに魂を取られると、人はどうなってしまうのか、ぼんやりと分かっているようだった。そんなことを父にしてほしくないのだ。ロットバルトはどうしていいか分からなくなった。娘を守るためには、姫の魂を奪うほかない。それが悪魔の務めだ。でも、それは正しいことなのだろうか。

 「娘を想って泣くとは、悪魔にあるまじきことだ」

 いつの間にか悪魔の王自身が目の前に立っていた。ロットバルトは反射的に娘を背に庇って王の前に出た。

 「よくも娘を巻き込んだな。これ以上、傷つけるといなら、私が相手だ」

 「ただの悪魔が我に逆らえると思うか。さっきも意識をなくしていたではないか」

 悪魔の王の言うとおりだった。普通の方法では、この場を切り抜けられない。ロットバルトは心を決めた。生半可な魔法では通用しないだろう。彼は姫と王子を白鳥に、オディールを黒鳥に変えた。それは全身全霊をかけた守護の魔法だった。自分の身体を全く省みず、全てをその魔法にかけた。てっきり攻撃をしてくると思った悪魔の王は面食らった。

 「そんなことをすれば、お前もただでは済まないぞ。消えることになる」

 「それでいい」

 そんなことは、どうでもよかった。ロットバルトは残った力を振り絞ると、梟に変身して、空へ飛びあがった。つられて白鳥と黒鳥もついてきた。悪魔の王を倒すことはできない。それなら、王が興味を失うまで、彼らを安全な場所に隠しておくしかない。思い当たる場所が一つだけあった。ロットバルトが住む森にいる精霊たち。彼らはこの地にいる限り、悪魔の王にも太刀打ちできる。何とか守ってもらえるように、頼んでみるしかない。

 精霊たちの住む森の領域に着くと、すぐに周りに精霊たちが現れた。悪魔が自分の領域に現れたので警戒したのだ。森の地面に降り立つと、ロットバルトも姫も王子もオディールも元の姿に戻った。精霊たちは、始め、悪魔が自分たちの領域を奪いに来たのだと思った。しかし、それにしては様子がおかしい。ロットバルトが悪魔の王から娘と姫と王子を守ってほしいと懇願していると、精霊の長が姿を現した。長は髪も髭も真っ白の老人の姿をしていた。長はロットバルトを気の毒に思った。

 「精霊の領域にいれば、悪魔の王の目は届かなくなる。ただ、いつまで守れるかどうか。首尾よく悪魔の王が諦めてくれればよいが」

 「それは、考えがある。王は一介の悪魔が逆らったことが許せないのだ。私が王のもとへ戻れば、こちらに目を向けなくなるだろう。そのうち、彼らを探すのを諦めると思う」

 悪魔の王は多くの魂を、あまり手間をかけずに手に入れようとすることをロットバルトは知っていた。精霊たちが守ろうと介入してきた今、精霊の力を破ろうとする手間を惜しんで諦めるだろう。

 「だが、王のもとへ戻るということは、その身を差し出すということだぞ」

 恐らく、王はロットバルトを許さない。オディールとは、もう会えなくなる。それに、あれだけの魔力を守護の魔法に使ってしまった今では、自らの存在を維持するだけでも精一杯だった。

 「パパ、行かないで。ここに一緒にいて」

 オディールは不安を感じた。ロットバルトがこれから、何をしようとしているかは分からなかった。でも、どこか遠くへ行ってしまうような気がしたのだ。怯えたように、ロットバルトの服の裾をつかんでいる。ロットバルトは、しゃがんでオディールと目線を合わせると、額に優しく口づけた。それは娘が眠る時や、夜に仕事で娘の元を離れる時にしていることだった。

 「パパは、行かないといけないんだ。お前はここで、幸せに暮らしなさい」

 「お仕事、行くの? 終わったら、また会える?」

 きっと二度と会えないだろう。だが、できれば、もう一度、会いたかった。彼は娘に答える代わりに抱きしめた。それから、梟になって夜の空へ飛び立った。

 精霊たちの領域を離れると、すぐに、悪魔の王の魔力に捕まった。恐ろしいほど濃い闇に包まれ、何も見えなくなる。

 「よもや精霊どもに頼るとは。小癪な」

 悪魔の王は、その圧倒的な魔力で魔法の森を作り出した。そこにロットバルトを閉じ込めた。

 「お前を消したりはしない。ずっとこの森にいてもらう。もう娘に会うことは永遠にない。それが、お前にとって罰になるだろう」

 ロットバルトには、力は残っていなかった。梟の姿から戻ることもできず、深い眠りに落ちていった。自分自身の存在は消えずにすんだ。ずっと自分をここに閉じ込め、苦しめる気なのだろう。魔法の森は特殊な結界に守られていて、どうやっても出ることができないのだ。悪魔の王は結界を守る魔物を生み出した。魔物を倒せば、結界は消える。だが、この魔物にロットバルトは絶対、勝てないようになっていた。本当に、もう娘に会うことはできないのだと分かると、辛かった。それでも、オディールがどこかで安全に幸せに過ごしているだろうと思うと、これで良かったのだと思った。

 ロットバルトの言った通り、悪魔の王は、オデットの魂を奪うことを諦めた。上質な魂を持つ人間は少ないとはいえ、オデット以外にもいるのだ。力のある精霊たちの守りを打ち破るのは面倒なことだった。それに、ロットバルトを罰したことで悪魔の王は納得したのだった。

 オデットは、守護の魔法で白鳥になった後、朝になっても白鳥に変身しなかった。あの時以来、呪いは消えてしまったのだ。なぜ、そうなったのか誰にも分からなかった。恐らく、ロットバルトにも悪魔の王にさえ、分からなかっただろう。

ジークフリートはオデットの幻影に愛を誓ってしまった。幻影に実体はないので、永遠の愛の誓いを破ったことにならなかったのかもしれない。もしくは、ロットバルトがかけた守護の魔法で、呪いが上書きされたのかもしれない。本当のところは分からない。だが、呪いはなくなった。

悪魔の王に魂を狙われなくなると、オデットとジークフリートは城へ帰った。互いに想い合っていた二人はやがて結ばれ、王子は王に、姫は王妃になった。

ジークフリートとオデットは一夜のうちに、父が行方知れずになってしまったオディールを気の毒に思った。家臣に国中、ロットバルトを探させたが、見つからなかった。悪魔の王が作った魔法の森は人には見えないのだ。だから、誰も見つけられなかった。

 オディールはロットバルトが飛び去った後に落ちていた梟の羽を拾って持っていた。オディールは精霊たちに守られて、一度、自分の家に帰ったことがある。家の中はがらんとしていて寂しかった。オディールは自分の部屋に残していた宝物の小箱を持って、精霊たちの元へ戻った。木の小箱に黒鳥の羽と梟の羽を大切にしまった。その小箱には、オディールの集めた宝物が入っている。宝物の一つ一つに大切な思い出があった。この宝箱を持っていれば、安心できた。

 精霊の長は祖父の代わりになって、面倒を見てくれた。周りには同じ年齢の少年、少女の精霊たちもいたので、友達はたくさんできた。ジークフリートとオデットもオディールを気遣い、時々、お城から招待状がきて、小さなパーティに参加することもあった。

 それでも、どうしても寂しくなると森の家へ、つれて行ってもらった。そこにいれば、ひとりぼっちでなくなる気がした。その家はしばらく、以前と変わらずに森の中にあった。だが、ある日、行ってみると家そのものが消えてしまっていた。もともと、ロットバルトの魔法で作られた仮の住まいだったので、魔力が切れると、なくなってしまったのだ。オディールは悲しくなった。こらえきれずに泣き出した。精霊の長はそんな彼女を抱きしめて、泣き止むまで傍にいてくれた。

 「また、パパに会えるのかな」

 どうしても知りたくて、精霊の長に尋ねたことがある。彼は、答えられなかった。会えるかどうか、全く分からなかった。ロットバルトが今、どうしているかも分からないのだ。悪魔の王に大変な目にあわされているに違いない。

 「会いたいと思っていれば、会える日がくるかもしれないよ」

 そんな日が来てほしいと、そう願いながら口にした。

悪魔は自分の力を使い果たし、存在を保てなくなると、消えてしまう。オディールはそのことをどこかで聞き、ひどく不安になった。

家が消えてしまい、ロットバルトがこの世界に存在していた証は、小箱の中にある梟の羽だけになってしまった。まるで世界が彼の存在を忘れようとしているかのように、彼と過ごした時間を証明するものは一つ一つ消えていった。元からこの世界に存在していなかったかのように。まるで幻だったかのように。それでも、宝物の小箱は消えなかった。中にある宝物も消えなかった。それだけは、オディールの手元に残った。

それから、長い年月が過ぎた。青年だったオデットとジークフリートはとっくに成人になり、今や立派に国を治める王と王妃になっていた。その間、オディールはゆっくり成長した。彼女はまだ、少女だった。といって、幼い子どもではない。大人になる手前の年頃だった。人と黒鳥の化身では、生きる時間が違うのだ。いつしか、人々はロットバルトを探すことを諦めてしまった。その間、ロットバルトはずっと魔法の森に閉じ込められていた。



 これで、よかったのだろうか。これ以上、どうしようもないのだろうか。

意外なところから、事態は進展する。一人の名も無き剣士が、偶然にも魔法の森の結界を踏み越える。

物語の舞台に意図せずして引っ張り出された剣士が、わずかに全ての運命を変えていくのだ。


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