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梟と黒鳥

 昔々、ある所にロットバルトという梟の悪魔がいた。悪魔の仕事は人間の魂を奪うこと。この悪魔も、他の悪魔と同じように様々な人間から魂を奪い、悪魔の王に献上していた。

 その日は、悪魔の王に魂を捧げた帰り道だった。ロットバルトはひどく疲れていた。魂を奪うというのは大仕事だ。だが、王は更に多くの魂を持ってくるようにと命じる。それに不服があるわけではない。それでも、どこか空虚な思いを抱いていた。それは魂を奪い集めても消えなかった。己の役割を果たし、王に褒められても、心の中には、ぽっかりと穴が空いていた。その穴はどんなことをしても塞がらなかった。穴を埋めるように、魂を奪っても穴は消えなかった。それどころか、ますます大きくなっていくようだった。こんなことは、誰にも言えなかった。他の悪魔たちに奇妙がられるか、弱いと思われるだけだ。

 いつの頃からか、ロットバルトは小さな森に住むようになった。空虚感に耐えられなくなると、彼は森をそぞろ歩いた。森の静けさと風の音、木々の暗がりの中にいると、幾分、空虚感がましになるのだった。梟の悪魔なので、暗がりは安心できるからだろう。

 ひどく疲れていたその日。ロットバルトはいつものように一人で森を散歩した。気の向くままに森を歩いた。やがて、森の中にある湖のほとりまで、やって来た。その湖には多くの水鳥が憩っていた。オシドリ、カモ、カイツブリ。白鳥に黒鳥もいる。優雅に泳ぐ水鳥をぼんやりと眺めた。湖面に満月が映っている。月光に照らし出された湖は幻想的だった。

ふと、ロットバルトは黒鳥の群れに目をとめた。さっきから、何か落ち着きがない。まるで何かを待つように、浮足立っている。黒鳥たちは岸の傍に寄って来た。一羽、また一羽と岸にあがる。

全ての黒鳥たちが岸にあがった時、どこから現れたのか、一人の幼い少女が佇んでいた。髪も瞳も黒く、身につけたドレスは黒鳥の羽のように真っ黒だった。少女は辺りをきょろきょろと見回し、すぐ傍にいたロットバルトに気が付いた。少女と目が合った時、ロットバルトは彼女がどんな存在なのか分かった。彼女は黒鳥の化身なのだろう。黒鳥たちの羽から生まれた妖精や精霊のような存在。まだ、この世界に姿を現したばかりの儚くおぼつかない存在。だが、そう分かると同時に、自分はこの少女をずっと前から知っているという気持ちになった。見えない大きな力で、ここで出会うことが始めから決まっていたように感じた。

 「おじさん、誰? ここ、どこ?」

 「お前はオディール。私の娘だ」

 反射的に口をついて彼女の名前が出た。そう言って、はっとした。そうだ。この少女は自分の娘だ。そう言葉にし、彼女の名前を呼んだ瞬間、それは事実になった。思えば、そうなることは運命づけられていたのかもしれない。

 「おいで。一緒に帰ろう」

 オディールはうなずくと、ロットバルトの後について歩き出した。だが、森の木立の下まで来ると立ち止まってしまった。

 「こわい」

 夜の森が怖いのだった。梟の目を持つロットバルトには、夜の森は、さほど暗く見えない。月の光さえあれば、木の葉の一枚、一枚もよく見えた。オディールは、そうではないのだ。幼い少女には、夜の闇が森の奥まで続いているように思えるのだろう。ロットバルトは困ってしまった。家はこの先にあるのだ。梟の目の力を分けてやれれば、いいのにと思ったが、そんなことはできない。彼は考えあぐね、魔法で明かりを作り出した。一見すると、ただのランタンなのだが、中に魔法でできた光が揺れているのだ。オディールにランタンを持たせてやると、怖いのを忘れて、その光を見つめた。

 「これ、きれい。好き」

 少女のあどけない笑顔を見た時、ロットバルトは言いようのない気持ちを感じた。今までに感じたことのない気持ちだ。嬉しいという気持ちに近かった。でも、今まで感じた嬉しいという気持ちは、もっと気持ちが昂るものだった。この気持ちは、そうではない。穏やかで静かで温かい。

 オディールが歩き出したので、ロットバルトも慌てて、ついて行った。森の中をランタンの光が照らしている。普段はランタンを持ち歩かないので、新鮮に感じる。こんなに柔らかい光だったのかと初めて知った。

 明かりがあることで、オディールは夜の森を歩いて行けたが、時々、森の木を怖がって立ち止まった。木が風で、きしんでいるのが恐ろしいのだ。

 「あの木、怒ってるよ」

 「怒ってないよ。あれは風の音だ」

 そう言われると、オディールは、ほっとして木の横を通り過ぎた。そして、ロットバルトの家にたどり着いた。今まではロットバルトは、この仮の住まいに一人で暮らしていた。これからは娘と二人で暮らすのだ。ロットバルトはドアを開けるときに、魔法を使った。今のままでは家は手狭だ。もう少し広くしなければならない。オディールの部屋も必要だ。

 入ってみると、家は以前よりも広くなっており、部屋も増えていた。こんなことは悪魔にとって朝飯前だ。望めば、なんでも魔法で出せる。財宝の山も、見たことのないような色の宝石も。一晩で城を建てることだって、できる。その魔法の力を今までずっと、人の魂を奪うことだけに使っていた。そうではないことに使ったのは、初めてだった。

 オディールは家を気に入ったようだった。さっきまで森を歩いてきて疲れているはずなのに、いろいろな部屋に入っては、中の様子を見てまわっている。元気が有り余っているようにも感じる。

 間取りは以前と、すっかり変わっていたが、自分が魔法で作ったものなので、迷わなかった。ロットバルトはオディールを彼女の部屋につれて行ってやった。いくら元気といっても子どもだ。夜遅くまで起きているべきではないだろう。オディールはベッドに入ると、すぐ丸くなった。だが、ロットバルトの服の裾を持って離さなかった。夜の闇が怖いようだった。眠る時は明かりを消す。それが心細いようだ。

 「行かないで」

ロットバルトは娘の小さな手を、自分の手で優しく包み込んだ。そして、ベッドの傍の椅子に腰かけた。それで安心したのか、オディールはうとうとし始め、やがて眠った。ロットバルトは娘が眠っても、ずっと傍にいてやった。空が白み始め、月の代わりに太陽が現れる頃、彼はそっと部屋を去って行った。

 それから、娘と二人の生活が始まった。

 オディールは初めて見るこの世界を怖がりもしたが、同時に好奇心のままに遊びまわることもあった。小さな花や木の実、鳥の羽、丸くて光る石などを拾っては宝物にして、自分の部屋の机の引き出しに、しまっていた。机の引き出しに直に入れていたのを見かねて、ロットバルトがきれいな小さい木の小箱をあげると、そこに宝物をしまったようだった。時折、オディールはロットバルトに摘んできた花をプレゼントしてくれた。森には、いくつか花畑があって、そこによく遊びにつれて行ったのだ。もらった花は、どれも森に咲く名もない野の花だった。

 「これ、パパにあげる」

 そう言って、何の気なしに花をくれるのだ。そんな時、ロットバルトはたとえようのない温かい気持ちになった。

 森には動物たちも暮らしている。オディールは特に鳥たちと仲良くなった。元が黒鳥の化身だからだろう。この森には動物たち以外に、古の時代からここに住む精霊たちもいた。ぼんやりとした人の姿をとり、ローブをまとって、森の空き地で話し合っていることがあった。彼らは悪魔を良く思っていなかったが、こちらが何もしなければ関わってこなかった。この地に古くから存在するので、この地にいる限り、精霊たちの力は何者にも負けなかった。たとえ、悪魔でさえも。そういうわけで、精霊たちが話をしたり、休んでいる場所に出くわすと、ロットバルトはオディールをつれて、静かに別の場所へ移動した。

 ロットバルトはオディールに自分が悪魔であることを隠していた。怖がらせたくなかった。特に人の魂を奪う仕事は恐ろしい仕事だ。時に人の望みや欲望を叶えてやった代わりに、時にだまして、人の魂を奪ってしまう。そんなことに、娘を巻き込みたくなかった。だから、オディールの目の前で大っぴらに魔法を使わなかった。明かりを出した時も、オディールの目には彼が、どこかから明かりを取り出してきたように見えただろう。家を大きくした時だって、始めから、家は、あの大きさだったように映ったはずだ。つまり、さりげない魔法は使っても、目の前で大げさな魔法は使わなかった。例えば、花の雨を降らせたり、石ころを宝石に変えたりはしなかった。

 オディールは活発な遊びを気に入っていた。木に登って小鳥の巣を見たがったりした。ある時、木に登って降りてくる途中、指を枝にひっかけて怪我をしたことがあった。小さな傷だったが、血が止まりそうにない。痛いと泣き始めた娘を見て、ロットバルトはつい、娘の目の前で魔法を使ってしまった。傷を癒す魔法だ。みるみる血は止まり、跡形もなく傷が治っていく。オディールはもう、泣いていなかった。目を丸くして、傷が治っていくのを見ていた。

 「どうやって、やったの?」

 「魔法だよ。生まれつき、使えるんだ」

 ロットバルトは素直に答えた。目の前で傷が治るのを見たのだ。もう、魔法を隠すことはできない。

 「わたしも、大人になったら、使えるようになる?」

 「どうだろう。大人になったら、そうなるかもしれない」

 これは本当に分からないことだった。オディールは黒鳥の化身で妖精や精霊に近い存在だ。彼らと似た魔法が使えるのかもしれない。でも、どんな魔法が使えるのかは、本人にしか分からない。オディールはロットバルトが魔法を使えることを怖がったりはしなかった。ただ、憧れて、頼もしく思ってくれているようだ。それがロットバルトの目には、眩しく映った。

 だから、だろうか。寒い冬の日のことだった。もう少しで春が来る、その前の最後の厳しい寒さの日に、娘は凍えた小鳥を連れて帰った。

 「パパ、助けてあげて!」

 凍えて、ほとんど動かない小鳥には、わずかに息があった。オディールは困ったように、ロットバルトを見ている。パパなら、きっと助けてくれるだろうと思っているのだ。ロットバルトはその手で小鳥を包み込むと、暖炉の前で辛抱強く、傷を癒す魔法を使った。オディールは自分の傍で、じっと自分の手の中の小鳥を見つめていた。心配そうに。ロットバルトは小鳥の様子を確認しながら、手当てを続けた。そして遂に、小鳥が息を吹き返した。

 「大丈夫?」

 オディールが尋ねると、小鳥は弱弱しく一声、鳴いた。小鳥を毛布の上に移すと、まどろみ始めた。オディールは安心したように、小鳥を見ていた。ロットバルトも娘につられて安堵した。

 「あれ、パパも怪我してる」

 言われてみて、やっと気が付いた。どこかで引っ掛けたのか、指を切っていた。大したことはない。だが、オディールは心配そうな目をこちらにも向けてくる。心配いらないと言おうとして、オディールの手が伸びてきた。ロットバルトの指の傷を淡い光が包む。魔法の光だ。仕組みはロットバルトの魔法と違うようだった。傷が癒えていく。温かい魔法だと思った。

たちまち傷は完全に塞がった。ロットバルトは驚き、自分の傷を見つめる。それと同時に、誰かに傷の手当てをしてもらったのが初めてだったと知る。彼は一人で、なんでもしてきた。傷を負っても、一人で治してきたし、そのことを何とも思っていなかった。だが、今思えば、それはひどく寂しいことのように思えた。

 「いつ、魔法を?」

 「パパの真似してみたら、できちゃったの」

 それはきっと彼女の魔法の萌芽だろう。これから少しずつ使えるようになるに違いない。彼女だけの魔法の力を。

 「まだ、痛い?」

 ロットバルトが考え込んでいたからだろう。オディールはまだ、痛いところがあるのかと心配する。そうでは、なかった。もうどこも痛くない。心の中に、また、あの温かさがあることに気付いた。それだけではない。あの空虚感がなくなっていた。心に空いた穴は、なくなっていた。なくなったのではなく、何かで満たされたのだ。それは、あの温かさだ。オディールと過ごした穏やかな時間が、空いていた心の穴を埋めてしまった。ロットバルトはどう返事をしていいか分からなかった。ただ、とても幸せなことのように思った。

 「どこも痛くない。大丈夫」

 やっと、それだけ伝える。それでも、娘が心配そうにしているので、優しく抱きしめた。今の気持ちをどう伝えていいか、分からなかったから。オディールは抱きしめられて、安心したようだった。やがて、疲れたのか、ほっとしたのか、小鳥の傍でまどろみ始めた。そして、ロットバルト自身も眠気に襲われた。

日はまだ高く、陽光が部屋の中を包んでいた。暖炉の火の弾ける音を聞きながら、穏やかな午後が過ぎていった。

 いつまでも、この時が続けばいいのにと、ロットバルトは願わずにいられなかった。だが、そうはいかなかった。人の魂を奪うことを、つい、ロットバルトは忘れてしまった。そのことが悪魔の王に知られてしまったのだ。ロットバルトは王に呼び出された。嫌な予感がした。オディールに絶対に家の外へ出ないように言い置き、彼は王のもとへ出かけた。

 「呼び出した理由は他でもない。仕事のことだ」

 悪魔の王の前へ跪くと、王はすぐ本題に入った。怒っているようには見えなかったが、すさまじい魔力を肌に感じた。ロットバルトも強い魔力を持っていたが、上位の悪魔には敵わない。悪魔の王となると、傍で魔力の圧に耐えるのが、やっとだった。

 「近頃、全く魂を奪ってこないようだが。原因はお前の一人娘ではないだろうな」

 ロットバルトはオディールのことを誰にも話していなかった。それでも、悪魔の王は全てを知っているに違いない。目の代わりになる悪魔も使い魔も山ほどいる。彼らの内の誰かが、王に娘のことを知らせたのかもしれない。それに、そんなものに頼らなくても、圧倒的な魔力で相手の心を読むこともできた。悪魔の王の目が不気味に光る。

 「申し訳ありません」

 ロットバルトは頭を下げたまま、ただ、そう言った。

 「我は期待しておるのだぞ。お前の働きぶりは素晴らしかった。失いたくはない」

 そう言いつつ、内心では面白がっているようだった。ロットバルトがオディールを気にかけていることを分かっているのだ。ロットバルトの額を冷や汗が伝って落ちる。

 「挽回の機会をやろう。高潔な姫の魂を持って来い。そうすれば、今まで働いていなかった分は、なかったことにしてやろう」

 そう言うと、悪魔の王はロットバルトの額に触れ、見知らぬ王国の様子を見せた。その王宮の様子、城の中の様子を見せる。

 「この城には、オデットという高潔な姫がいる。我の前に、その魂を捧げろ。あの魂には、計り知れない価値がある。これ以上、我を失望されたら、分かっているだろうな」

 「仰せのままに」

命じられたことは、特別、珍しいことでもなかった。無理難題でもない。王は上質な魂を見つけ、それを求めたのだ。すぐに仕事に取り掛かり、魂を持っていけば、しばらくは、そっとしておいてくれるだろう。

 家に帰ると、オディールは眠っていた。森の中は、すっかり夜になっていた。娘の寝顔を見ながら、ある心配が頭をもたげてきた。

 ずっと一緒に住むことはできない。

 悪魔であるロットバルトは、ずっと悪魔の王に居所を見張られている。王はロットバルトの気持ちを知ってしまった。ロットバルトに好き放題、仕事をさせるために、もし娘を傷つけると脅されたら。娘を捕らえて、ひどい目に遭わせようとしたら。それは、耐えられなかった。自分のせいで、オディールが傷つくのは。かといって、どうすれば、娘が安全でいられるか、今すぐに思いつかなかった。確実なのは、悪魔の王の命令に従っていれば、娘は安全だということだ。


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