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キラキラ光に包まれて

作者: 佐々木泰宏

こんにちは


父親が亡くなって 10年以上が経ち

父親を思いだしたくて書いた作品です。


よろしくお願いします


「バッティングセンターへ」


真夏の太陽がギラつくなか

車イスを押す腕から

汗が滴り落ちる


車イスに乗っている父親も

滝の様な汗をかいている

何年も病院暮らしの父親にとって

久々の真夏の暑さは しんどかったかも


それでも 首に巻いたタオルで汗を拭きながら

久しぶりの外の世界を楽しんでいる


父親は僕が15歳の時から

脊髄小脳変性症という 徐々にに歩けなくなり

上手く話せなくなり

最後は 寝たきりになる病気に

苦しんでいた


この病気の辛い所は

意識は しっかりしているので

いつか寝たきりになるという

絶望を抱きながら

生きる事だ


ただ 昭和のスターの様な父親は

歩けなくなるから

大人しくなるのではなく

大好きないいちこを飲んで

家の階段から 落ちた 笑


そこから 入院生活が始まった


そういえば なんで真夏の太陽が

ギラつくなか

車イスを押しているかというと


入院して月日が経ち

すっかり 自分で起き上がる事も

出来なくなって

疲れたから もういいよ 終わりにしたいと

口に出す様になった父親


父親が病気になり 全てを否定的に

捉える様になってしまった母親は

外出など反対したが


そこは 夢や希望に溢れる

成人したての俺のパワーは

凄かったのかもしれない


小学校の頃によく連れて行って貰った

病院から3キロ先にある

四つ木のバッティングセンターで

何年も見せていない

成長した俺のバッティングを

見せれば父親としてのプライドが蘇って


生きる希望が沸くんじゃないかなって


そう 願いながら

俺は父親とバッティングセンターへ

歩き出していた


「最後のドライブ」


若気の至りで 高校を中退した俺は

都立篠崎高校で 2度目の入学式を

迎えようとしていた


入学式前 理由は忘れたけど

父親の運転する タクシーで

篠崎高校までドライブした


俺は父親の運転が 最近ふらふらしてるなと

感じだしていた


篠崎高校の近くに着くと

父親が不安げな顔で

イライラしているようにも感じた


父親との最後のドライブ


助手席から見える桜はつぼみで


いっぱいだった。


「親子」


車イスのアルミから

真夏の太陽からの

照り返しが

僕の目を細くする


すっかり 細く白くなってしまった

父親の足も 日焼けで少し赤くなっていた

83キロの体を支えていた

足の筋肉は 見る影もなかった


長い病院食で

体は標準になっていたから

足の筋肉は 丁度良かったのかも


タクシーでバッティングセンターを

目指せばよかった気もするが


父親の職業は 個人タクシー

障害者になって

個人タクシーを

廃業しなければ行けなくなった


免許証の期限が切れる日

病院のベッドの上で

悲しそうに 免許証を見ている父親を

覚えていた


20歳の俺は父親に

気を使ったのだ


でもね、

そんな 建前もあったけど

本当は 父親と一緒に

同じ目標を目指した日々を

思い出したかったのかもしれない


小学生の頃

キャッチボールや

父親の投げたボールを

打つのが好きだった


もちろんプロ野球選手を

目指していた


そう 同じ目標に向かって歩む

男同士の友情


真夏の炎天下の中

困難に負けず

2人の足でバッティングセンターへ向かう

そんな男同士の友情を 噛み締めたかったのかもしれない


近いうちに訪れる

父親の死


父親との1番の思い出になるかもしれないと

思いながら

バッティングセンターへと近づいていた


平和橋にさしかかると

中川の水面がキラキラしていた


父親と息子が

同じ目標を目指す


久しぶりに光に包まれた時間だった


「孤独感」


田中さんちの旦那さん

入院したらしいわよ


週末は雨みたいよ

洗濯物 困るわねー


小学生の俺は

夕日が差し込む

母親の美容院で

毎週月曜日 学校から帰ってくると

おばちゃん達の 会話をラジオがわりに

週間少年ジャンプを読んでいた


待機場所のイスや

時には パーマをあてている

おばちゃんの横で


気が向いたら

コーヒーと茶菓子を持っていき

おばちゃん達の肩までもんでいた 笑


お店のアイドル的 存在だったのかも


今も若い子より おばちゃん達に妙に優しくしてしまう


環境が人を作るというのは ほんとだね 笑


父親が 病気になってから

美容院の予約の電話は

俺がとることが 多くなっていた


さっきから 電話出なくて先生は

買い物でも 行ったかね?

いつくらいに 帰ってくるかね?


そうですねー

買い物かもしれないし

友達とおしゃべりでもしてるんですかね

電話があった事 伝えておきます


さすが 自営業の息子

仕事をサボって

パチンコ屋に行っている事は

内緒にしていた


病気の父親に向き合えず

現実から逃げる為に

母親はパチンコにはまってしまった


旦那が生きている

お客さんにも 嫉妬をしていたらしい


困ったもんだ


多感な時期の俺は

母親は女ではなく

家庭を守る人で あってほしかったのかも


全ての歯車が 狂い始めていた


父親は障害者

母親はギャンブル依存症


同世代に言えない事が増えていくにつれ

俺の孤独感はましていった


「暗闇」


うぁー


夜中 父親の唸り声が 響く


俺はその度に 目を覚まし

父親と病気を1日でも変わってあげたいと

思っていた


朝 父親は記憶には 残っていなかったが

病気が進行する怖さから 唸り声をあげていたんだと思う


そんな、家庭環境のせいか

俺は 自律神経がおかしくなり

持病のアトピーが悪化し

鬱にもなっていた


ある日 駅前で大学生達が

飲み会の後 帰らずに騒いでいた


その光景をみて 俺は


同世代は こうやって楽しんでんのか!


と びっくりした日があった 笑


光が届かないくらい 暗闇を

歩んできたのかもしれない


苦労は若いうちにした方がいいというが

そんな事は 思わない

人生は ずっと楽して生きていても

良い気がする

「ボートのおじさん」


四つ木のバッティングセンター近く

父親が タクシー運転手になる前に

車の整備士として働いていた

タクシー会社がある


子供のころ 父親の友達といえば

黒く汚れた つなぎを着たおじさん達だった


会社を辞めた後も

父親は会社に ちょくちょく顔を 出していた

会社に行く度に 父親は大量のインスンタントラーめん手土産に


まさに男の職場だ


子供時代 つなぎのおじさん達とよく遊んでもらった


駐車場にいる 鳩を仕掛けを作って掴まえたり


江戸川競艇場で 一緒に予想したり

俺の記憶には 父親とつなぎのみなさんに

予想を聞かれ 当てて

凄く褒められた記憶まである


競艇場の予想屋さんを 見上げている記憶もある


スナックにもよく連れていかれた

つまみで出される 金紙 銀紙に包まれたツナのやつも 好きだったし


パチンコ屋のヤンキー店員と鬼ごっこしたり


なんだこれ 子供の頃としては 酷い思い出だな!


良く言えば 昭和 今だと全部 コンプライアンスにとか言われそうだ 笑


ちなみに父親の友達から 電話がかかってくると

ボートのおじさんから電話だよと

行っていた俺


最近 好きな食べ物は 江戸川競艇場の

モツ煮丼なんだよね


まさか 自分がボートのおじさんになるとは 笑


でもね 父親の仏壇にお線香をあげるより

江戸川競艇場で どうしようもないおじさん達と

競艇をしている方が父親を感じれるんだよね 笑


「覚悟」


父親が 肺炎になった


肺炎は飲み物を飲んではいけないと

医者には 止められていた

チューブだらけになった 父親は

コーラを飲みたいと言っていた


障害と肺炎 しかもコーラも飲めない

思い出すだけで 胸が詰まる


神様なんて いないと悟った瞬間でもあった


これを 試練というならば

神様はただのいじめっこに過ぎない


神様も地獄の様な苦しみを抱えているなら

納得するけど

イメージ的には 健康そうだし


話が脱線したけど

俺は友達に 父親は死ぬと思う

と 告げた


翌朝

父親とキャッチボールをした公園

父親の勤めていた会社

よく行った スーパーマルエツ


思い出の場所を 自転車で回った


この世に 父親がいる最後の日と

感じながら


夕暮れの中

俺は 病院へと向かっていた


覚悟を決めて


「最後の呼吸」


病室に入ると

チューブだらけの父親は

意識はなかった


母親とその友達も来ていた


21時過ぎくらいに

母親達は 一旦帰るねと


俺には疑問だった


これから 父親は死ぬのに

なんで このタイミングで帰るんだろうと


母親に後で 聞くと

死ぬとは思ってなかったようだ


母親は 血が繋がってるから わかるんじゃない

と言っていた


そんな物なのかな


母親達が 帰ってどのくらいたっただろう


俺は父親との思い出を浮かべていた


ふぅー


父親の人生最後の 呼吸を見届け

泣きながら 手を握り


ありがとうございました


とだけ 父親に言った。



母親と看護師さんに

父親が亡くなった事を 伝えた


印象的だったのは

看護師さん達が 泣いていた事


5年間いた病院でも

誰からも 愛される昭和のスターで

いたんだなと 生き様を見た気がした


まるで 死期を悟った猫が

身を隠すように

母親達が 帰ってから

息を引き取った父親


何故 俺だけに

最後の姿を見せたのだろう


答えは わからないけど

父親の最後の 呼吸は

思い出すだけで

今も涙が 溢れてくる


「大切な日」


カキーン

カキーン


バッティングセンターからの

音が聞こえてくる


昔はバッティングセンターの

狭い駐車場に

自慢のタクシーを駐車していた

ドアを開ける際に

「壁にぶつけるなよ」

と 言われてたっけ


今日は 駐車場を横目に

車椅子を押されながら

バッティングセンターの入り口へ


バッティングセンター入り口にある階段

二段しかないけど 車椅子を持ち上げるのは

少し大変だった


入ってすぐ 両替機で

昔と変わらず 父親は両替をすまし


久しぶりに親子二人でバッターボックスへ


カキーン

カキーン


俺は120キロの球を打ち返す


「父親は今の打ち方は良かった」


「それじゃダメだ」


と 段々父親らしい発言が出てきていた


草野球チームのホームラン王


父親のバッティングは凄くて

子供ながらに誇らしかった

父親がバッターボックスに入る時

いつも わくわくして見ていたな


きっと 俺のバッティングの原点は

父親なんだと思う


バッティングセンターでの親子の会話は

実は少ない 笑

成長を見せる 見守るというだけで

充分なんだよね


打ち終わって振り返ると

父親は優しい顔をしていた



父親と最後の野球


帰り際

平和橋から見える

中川の水面は

変わらずキラキラと光っていた


難病は 本人、家族

とても大変な思いをします。

そんな日々の中でも

前向きになれるキラキラした時間はあります。


忙しい日常の中で 小さな幸せを見つける

きっかけになっていただけたら嬉しいです。

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