白い鷹が僕に運んできてくれた幸運
僕の肩にはいつも白い鷹がとまっている。
鷹の名前はホーク。安直なネーミングだが、僕は案外気に入っている。
ホークとの出会いは今年の正月のことだった。
◇◇◇
一月一日から二日にかけて見る夢は『初夢』と言われる。
特に初夢で『一富士二鷹三茄子』の夢は吉夢とされ、幸運に恵まれるそうだ。
僕は初夢で鷹の夢を見た。
実に不思議な夢だった。
僕が散歩をしていると上から羽が落ちてきた。空を見上げると、三羽の鷹が飛んでいる。そのうちの一羽の鷹が僕の姿をみつけると飛んできて、腕にとまろうとしていた。僕は自分の腕を止まり木として差し出そうとするが、とどまる。鷹の爪は鋭利だ。このまま鷹が腕にとまると爪でけがをしてしまう。
鷹を腕にとまらせるには、鷹匠が使っている手甲が最適なのだが、一般人の僕がそんなものを持っているわけがない。そこで上着を腕にぐるぐるに巻き付ける。すると鷹はそれを待っていたかのように僕の腕にとまった。
腕にとまった鷹をまじまじと見る。するどいくちばしにきりっとした瞳。体長は五十センチくらいだからオオタカだろうか? 変わっているのはその鷹は白かった。白い鷹というのは珍しいが、現実に存在する。
「やっぱり鷹はかっこいいなあ」
鷹は猛禽類で怖いというイメージがある。だが、僕は子供の頃から鳥類、特に猛禽類が好きだった。
腕にとまった鷹の背を恐る恐る手で撫でてみる。手触りが良く、ふわふわの羽毛だ。鷹は嫌がるそぶりはなく、それどころか頭を僕の頬にすりすりとする。こちらもふわふわで肌触りがいい。
そこではっと目が覚める。スマホに手を伸ばし、時間を見ると朝七時だった。
「もう朝か。それにしてもいい夢だったな。あのまま目が覚めなければ良かったのに……」
夢の続きが見れるといいなと思いながら、再び布団に潜りこみ二度寝することにする。
正月ではあるが、今年は実家に帰省しないことにした。なぜなら僕は今、病気で休職中だからだ。
大学を卒業して入社した会社はブラックに近い企業だった。毎日二十三時まで残業、土曜日は休日出勤。希望にあふれて入社したはずの会社だったが、いつしか僕は心身共に疲れ果て、心療内科に行くはめになった。
診断は『心身症』。しばらく休職して治療に専念した方がいいという医師のすすめで、とりあえず一ヶ月休職の診断書が出た。その後は追加で一ヶ月ずつ診断書を出してもらいながら、早や五ヶ月になる。
会社の上司からは「早く復職しろ」と督促の電話が頻繁にかかってくる。うちの会社は万年人手不足なのだ。
だが、僕はまだ完治していないからと、復職を拒否している。うちの会社の就業規則は、休職は六ヶ月までと定められており、これ以上の延長はできない。
あと一ヶ月で復職をするか、転職を考えなければならない。
「これからどうするかな?」
呟きながらごろりと寝返りをすると、外で「ピィ!」という甲高い声がした。猛禽類独特の鳴き声だ。
慌てて布団から出てカーテンを開けると、夢で見たのと同じ白い鷹がバルコニーにとまっていた。
「うそだろ? まだ夢の続きなのか?」
窓を開けると鷹は僕の部屋に舞い込んできた。そして夢と同じように僕の腕にとまろうとする。
「ちょっ! ちょっと待て!」
僕は部屋に干していたバスタオルを腕に巻き付けると、鷹に差し出す。鷹はバスタオルを巻きつけた腕にとまる。意外と軽い。
「おまえは夢に出てきた鷹か?」
鷹に尋ねると「ピィ!」と答えるように鳴くが、そんなはずはない。
「ははは……。まさかな」
こんな都会の真ん中に鷹がいるわけがない。考えられることは、誰かが飼っていたが逃げ出した。もしくは野生の鷹が迷い込んだかだ。
はあとため息を吐く。鷹をこのまま家で保護してもいいが、野生の鷹だとまずい。野生の鷹は飼うことが禁止されているからだ。
「仕方ない。警察に届けるか」
警察に電話をすると引き取りにいくから、そのまま鷹を家で保護していてほしいと言われた。僕は住所と名前を告げて電話を切る。
警察が鷹を引き取りにくるまで着替えをしないといけない。バスタオルごとテーブルに鷹を乗せる。鷹は大人しくテーブルに乗ったまま僕をじっと見つめていた。人に慣れた鷹なのか警戒心がない。
一時間ほどテーブルに乗せた鷹を眺めていると、インターホンが鳴る。おそらく警察が鷹を引き取りに来たのだろう。
ドアを開けると、制服を着た男性警察官が立っていた。自分の親くらいの年配の男性だ。大型のカゴを提げて手甲を持っている。
「電話をくれた秋山さんですね? 鷹を引き取りに参りました」
「正月早々、申し訳ありません。朝起きたらバルコニーに鷹が止まっていて、窓を開けたら部屋に入ってきたものですから」
警察官は「それは大変でしたね」と苦笑した。テーブルに乗せた鷹をバスタオルごと抱えていくと警察官に見せる。
「この白い鷹です」
「鷹はどこですか?」
「え? バスタオルの上に乗っていますよ」
首を傾げた警察官にバスタオルに乗った鷹を指差す。だが、警察官はさらに首を傾げる。
「私には白いバスタオルしか見えませんが?」
どういうことだ!? まさか、この鷹は僕にしか見えていない?
「失礼ですが、部屋の中を拝見してもよろしいでしょうか?」
「は、はい。どうぞ」
僕は警察官を部屋の中に招き入れる。まずいな。これ、職質ってやつかな?
警察官は厳しい目をして部屋の中をぐるりと見渡す。一応、正月前に部屋の片付けをしたので、それほど汚くはないと思う。
ひととおり部屋を見た後、警察官は僕に視線を移すとおもむろに口を開く。
「部屋の中を拝見しましたが、鷹がいた痕跡はありませんね。何かと見間違えられたのではありませんか?」
白い鷹は確かにここにいるのに……。
「……すみません。昨日鷹の夢を見たので。起きたばかりでしたし、寝ぼけて錯覚したのかもしれません」
少し考えて咄嗟に言い訳をした。鷹はいる! と言い張ったところで、最悪、任意同行を求められそうだ。おそらくこの鷹は僕にしか見えていない。警察官の視線は腕ではなく、僕の顔に向けられている。
先ほどまで厳しかった視線は緩み、警察官はにこりと笑う。目元に笑い皺が刻まれている。もしかして僕の言葉を信じてくれたのかな?
「そうですか。正月に見る鷹の夢は良い夢とされていますからね。貴方にとって今年はいい年になるかもしれませんね」
「お騒がせしてすみませんでした。お茶でもいかがですか?」
「いえ。職務中ですのでこれで失礼します」
軽く会釈をして部屋を出て行く警察官を見送りながら、もう一度謝罪をする。警察官は優しい顔で微笑むと、もう一度会釈をして外に出て行った。
僕はテーブルの上にバスタオルごと乗せておいた白い鷹へ目をやる。
「おまえは僕にしか見えないのか?」
鷹は僕の問いに答えるように「ピィ!」と鳴く。もしかすると霊体とかいうやつなのか? だが、この鷹からは不思議と嫌な感じはしない。むしろ心地いい。
しばらく鷹をじっと見ていると、枕元に置いてあるスマホの着信音が鳴る。実家の母からだった。
『もしもし。貴之? あけましておめでとう。元気にしているの?』
「あけましておめでとう、母さん。元気だよ」
『そう。それならいいけど。今年は家に帰ってこないって言うし、電話にも出ないから風邪でもひいたのかと思ったのよ』
母は心配して電話をくれたようだ。上司からの復職しろコールが怖くて、ここのところ携帯の電源を切っていたのを思い出した。今日は昨日の夜遅くまでスマホでゲームをしていたから、たまたま電源が入っていたのだ。ちなみに休職しているのは両親に言っていない。
「大丈夫だよ。今年は忙しくて帰る余裕がなかったんだ」
『そうなの。昨日直輝君が家に来てね。おまえに話があるって言っていたのよ』
直輝とは僕の従兄弟だ。父の弟の子供で僕より二つ年上の従兄弟は、地元で税理士事務所を経営している。
「急ぎの用事だって言ってた?」
『急ぎとは言ってないけど、直接話がしたいって言ってたわ』
「分かった。直接電話してみるよ」
『たまには家に帰って来なさいね』
「うん。そのうち帰るよ」
母と通話を終えると着信履歴を確認する。大晦日から昨日の朝まで何回か直輝から電話が来ていた。上司からも……。
着信履歴から直輝に電話をかけると、程なくして直輝が電話に出た。
「もしもし。直輝か? あけましておめでとう。母さんから直輝が僕に話があるって聞いてさ」
『あけましておめでとう。貴之、おまえ大学は法学部だったよな?』
「うん、そうだけど……それがどうかした?」
直輝が唐突に話を持ち出したが、僕には彼が意図していることが分からない。
『一度会えないか? その時に話をしたい』
とりあえず、僕には今のところ予定はない。直輝が都合のいい日に彼と会うことにした。
◇◇◇
直輝と電話をした翌々日に久しぶりに実家に帰ることにした。僕の実家で直接話をしようということになったのだ。
外に出るのは一ヶ月ぶりだろうか? 食品や日用品はネットスーパーで頼んでいたので、特に外に出る必要はなかったからだ。
結局、白い鷹は僕の部屋に飛び込んできてから、僕から離れないのでそのまま飼うことにした。人に見えないのならば特に問題はないだろう。いや。見えない鷹というのは問題があるかもしれないが……。
鷹にはホークという名前を付けた。今は僕の肩に乗っているのだが、鋭利なはずの爪は刺さらない。
そして、やはりホークは僕以外の人間には見えないようだ。外を歩いている時も電車に乗っている時も僕の肩に乗っているホークを指摘する人はいなかった。
地元の最寄り駅に到着する時間はあらかじめ告げてあったので、直輝が車で迎えに来てくれた。
「久しぶりだな、貴之。少し痩せたか?」
「ああ。久しぶり、直輝。仕事が忙しかったからな」
車に乗る時、ホークは肩から降りて僕の膝の上にちょこんと乗った。背を撫でてやるとホークは気持ちよさそうに目を細める。
「どうかしたのか?」
直輝が不自然に動いた僕の手を訝し気に見ている。彼にもホークは見えていないようだ。
「いや、何でもないよ。それより直接話したいことって何だ?」
「それはおまえの家に着いてから話すよ」
僕の実家までの道のりは二人でとりとめのない会話をした。
実家に到着すると、母が夕食の準備をして待っていてくれた。
久しぶりの母の手料理を味わいながら、直輝と酒を酌みかわす。ホークはキッチンの棚が気に入ったらしく、大人しくとまっている。目の前にいるというのに、ホークは母にも見えていないようだ。
「それで、話したいことって何だ?」
「単刀直入に言うけど。貴之、おまえ税理士にならないか? 俺の事務所で働いてほしい」
直輝のストレートな申し出に驚いて、飲んでいたビールを吹き出しそうになった。
「いきなり何を言うんだよ。話したいことってそれか?」
「事務所で働いてもらってた友人が急に田舎に帰ることになってな。人を探しているんだ。貴之、大学の時に税理士になりたいって言ってたじゃないか。それを思い出してさ」
確かに大学の頃から税理士になることを目指していた。就職を決める時にいくつか税理士事務所の面接を受けたが、悉く落ちてしまったのだ。大学時代に日商簿記一級に合格したので、面接でアピールしても「簿記一級だけではね」と一蹴されてしまった。『経験不問』とうたっていても、実のところ実務経験がある人間が有利なのだ。それで今の会社に就職したのだが……。
それでも諦めきれずに通信教育を受けたり、我流で勉強を続けてきた。いつかは夢を叶えたいと思ったからだ。
「でも、即戦力になる人間の方がいいんだろう?」
僕は税理士の資格は持っていない。日商簿記一級があれば受験資格はあるのだが、仕事が忙しくて試験を受ける暇がなかった。休職中は何もやる気が起きなかったし、何より実務経験がない。
「それはそうだけどさ。貴之は日商簿記一級を一発で合格してるだろう? 結構難関なんだぞ。それにおまえは昔から飲み込みが早いだろう。俺の事務所で働きながら、税理士試験を受ければいい。どうだ?」
願ってもない申し出だ。会社の休職期間はこれ以上延長はできないし、何より直輝の事務所で働けば、実務経験ができる。税理士試験に合格すれば、いずれ独立して自分の事務所を構えることも夢ではなくなるのだ。
僕は直輝に今休職していることを話した。病気のこと、復職か転職するか迷っていることを包み隠さずに語ったのだ。母は気を利かせてこの場にはいないが、父が帰ってきたら両親にも話そうと思っている。
「そうか。貴之も苦労したんだな。うちの事務所は俺の他に税理士を目指している事務員が何人かいるけど、気さくな人間ばかりだからすぐに仲良くなれると思うぞ」
直輝は僕の今の状況に理解を示してくれた。昔から気が優しい従兄弟なのだ。
僕の気持ちは決まった。
「その話受けるよ。退職手続きをしたり、引っ越しの準備をしたりで、今すぐってわけにはいかないけど……」
「本当か!? もちろん貴之の身辺整理がついてからで構わないよ」
満面の笑みを浮かべる直輝の顔は酔っているのか、嬉しいのか分からないが紅潮している。
「よし! 乾杯しよう」
グラスにビールを注ぎ、あらためて乾杯をする。
僕はキッチンの棚にいるホークに目をやり「おまえが運をはこんできてくれたのか?」と呟く。ホークは何のことだと言わんばかりに「ピィ?」と首を傾げる。
◇◇◇
――あれから三年。
会社を退職した後、病気が完治した僕はやる気に満ちて、従兄弟が経営する税理士事務所で一生懸命働いた。
税理士試験に一発で合格して、今も直輝の事務所で元気で働いている。
ホークは相変わらず僕のそばを離れない。いつも一緒だ。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)




