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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(下)
96/192

3-20 お茶会騒動(4)

「言い過ぎた……」

 思案にふけったところで、おもむろに呟かれたマクレスの声が耳に届いて、ふとエイネシアは、珍しくも眉尻を下げて困惑気にしているその人の顔を見る。

 驚いた。この人も、こんな顔をするのだ。

「マクレス卿。メアリーを追って下さい。一人にするのは不安だわ」

 マクレスの顔に浮かんだ心配そうな顔を見て取ってそう口にしたところで、「いえ」という生真面目な顔が振り返る。

「アルフォンス卿にここを任されています」

「その心配ならいらないわ。寮内には近衛もいるし。裏庭の扉の裏にも、ザラトリア卿ご縁戚のレナルド・ウィー・グランデル卿がいらっしゃるだろうから」

「え……」

「はっ?!」

 シシリアが口にした思いがけない言葉に、エイネシアとアンナマリアが揃ってブンッと首を振って庭に降りる窓を振り返った。

 未だにカーテンはかかったままだが……まさか。

「お気付きではなかったの? お二人とも」

「気付くって……あの、シシー? それって……」

「アルフォンス卿が姫の傍を離れている時は大抵どこかしらにいましたわよ。卿が姫についていらっしゃるときは、大抵王女殿下の護衛を」

「ッ……アルぅぅ……」

 あぁ、まったく。全然知らなかった。道理でなんだかんだふらふら勝手にどこかへ行っても、必ずいつの間にかアルフォンスがいるわけだ。レナルドに監視されていたわけか。

 大体アルフォンスもアルフォンスだ。縁戚で、いずれは近衛に入るであろう人物だからといって、学生に何をやらせているのやら。

 凄まじく呆れたが、何やら凄まじく“らしい”。

「これ、言わない方が良かったのかしら?」

 シシリアは一つそう己の口に手を添えたけれど、「でもまぁそういうことですから。行ってちょうだい」と改めてマクレスに促した。

 それに今少し躊躇する様子を見せたマクレスだったけれど、窓の外で、コンコン、と窓を叩く音がしたものだから、納得の顔をし、改めてアンナマリアとエイネシアに深い退席の礼をとると足早に部屋を飛び出して行った。

 うむ。本当にいた。今も絶対そこにいて、ちょっと肩をすくめて立っているに違いない。

 なんて恐ろしい子……。

「知らなくていいことを知ってしまったみたい……」

「まぁ“影”なんてそんなものよ。慣れたら気にならないわ。心配せずとも、何も聞かず、何も言わず、姿はないのが彼らよ。慮る必要はないわ」

 そう苦笑したアンナマリアさんは、そういえば、日頃まったく気にしていないから忘れていたが、常に誰かしらの護衛が密かについているのだったか。

 王家の者にはそういう影と称される護衛が常に一人二人付いているのが普通で、彼らも一応は近衛の所属になる。アンナマリアにも昔からついていたはずで、もっと言えば、今もついているはず。そんな先輩の助言なので、エイネシアも、外のレナルドのことは取りあえず忘れようと思う。

「そうね……まぁ、取りあえず」

 何やらちょっと色々とありすぎて、頭が混乱している。

 一体どこからどう手を付けたらいいのやら……。

 こういう時は。

「座ってお茶にしましょうか……」

 深いため息とともにそう促したところで、え? あ? と、もぞもぞと立っていたカレンナとグエンが顔を見合わせた。

 彼らが躊躇うのは無理もない。本来ならば、王族と席を同じくするのは貴族と雖もご遠慮すべきもの。ましてや、負い目のあるエイネシアを前に、呑気に席に着くなんておこがましいこと出来るはずがない。

 だがエイネシアにしてみれば、もういい加減に身も心も疲れていて、ゆっくりと落ち着いて話したい気分だった。

「アン王女、宜しいかしら?」

「私も賛成よ。落ち着いて、少し整理したいわ」

 そう言ったアンナマリアに頷いて、壁際に残されたままのティーセットに歩み寄った。

 それにカレンナが慌てたそぶりを見せたけれど、「良いから座って頂戴」と促す。

 カレンナ達は律儀に突っ立ったままだったけれど、エイネシアがお茶を淹れて、テーブルに五人分並べると流石に立ったままというのも憚られ、「それではお言葉に甘えて」と、カレンナとグエンが並んで腰かけた。

 その向かいにアンナマリアとエイネシア。斜め向かいの一人掛けの席には、自ら用意したミルクを手にやって来たシシリアが腰掛けた。

 今更だけれど、中々珍しくも奇妙な面子が揃った気がする。



「さてと。まずは少し、状況整理をしても良い?」

 丁寧に入れた温かいお茶を一口飲んで、ホゥと息を吐く。

 一体、どこからどう整理すべきか。

「昨夕、ベイクウェル子爵夫人が摘発された件で、そこで何があったかは分からないけれど、不安を抱いたレイジー嬢が屋敷を抜け出して学院に侵入。七星寮に顔を出したところで、双子ないしメアリーに間接的に追い詰められることがあり星雲寮に侵入した、と。ここまではいいわね? 私の印章は……メアリーにでも渡す手筈だったのかしら」

「私の……ラグズウィード家の一件が有ります。双子に頼んで、フレデリカ派の貴族を動かして罪の情状酌量、ないし軽減を頼んだのかもしれません。その見返りを求められたのかも」

 すぐに言葉を付け足したグエンに、「なるほど」と頷く。

 両親を大切に思っていたレイジーのことだ。かつて自分に酷い怪我を負わせた相手であろうとも、心を曲げて助けを請うことは、無くはないだろう。

「カレンが、印章がどうのというメアリーと双子達の話を聞いたのは、きっとそれより前ね」

 そしてそれはおそらくメアリス自身が策謀に使うのではなく、あるいはアイラを貶めるための何らかのアイテムとして用いられる予定だったのではあるまいか。

 どちらにしても未遂に終わったことで、この件は未然に防げたことになる。

「それで、二人はどうしてこの寮に? あぁ、印章の件というのは分かっているのだけれど。来るタイミングが、どうにもおかしな気がしたものだから」

 そう首を傾げたエイネシアに、「そういえばそうね」とアンナマリアも首を傾けた。

 忠告をするつもりなら、もっと早く。おそらくはお茶会が始まるよりも前に、それを伝えに来ることはできたはずだ。だが彼らがやって来たのはお茶会も半ばの頃の事で、まさにレイジーが盗みに入っていた時間とそう変わらない昼下がり。この時間になるまで、何があったのか。

「最初は私もまさかという気持ちで、グエンに相談をしたんです」

 チラと隣を見たカレンナに、グエンが頷く。

「それでお茶会の前に一度星雲寮に来たんですが、その……入りあぐねてしまって」

 グエンにとっては、去年罪を犯した場所。カレンナにとっては、去年散々エイネシアを貶める側に加担してしまった立場。訪ねてきたところで追い返されるのではという気持ちもあり、どうにも入りづらかったのだ。

「そうしている内にお客様が集まり出してしまったので、仕切り直して、学院側から正式に星雲寮をお伺いする許可証を貰おうという話に」

 なるほど、真面目な二人の考えそうなことだった。律儀にそんな許可証を貰って行き来する学生なんて、元より滅多にいないくらいなのに、なんと風紀正しい青少年達であろうか。

「しかし一度寮に戻った際、七星寮の方に近衛が」

「あぁ。先にそちらに」

「誰を探しているとか、何を探しているとかは聞かなかったんです。ただ寮内を巡検するから、寮生もしばらく外出しないようにと言われてしまって。そこで時間を……」

「ただ近衛が動いたということは、やはりもう印章の件で何か起こってしまったのではと思った私達は、外出の許しが出てすぐ、こちらの寮へ」

 この時すでにレイジーは七星寮を離れた後で、追ったマクレスも先んじて星雲寮に入っていたのだろう。

 その後、カレンナとグエンが星雲寮に飛び込んできて、直後に近衛もやって来た。

 これで時系列ははっきりとした。


「あの。話の腰を追って悪いのですが……ちょっとお聞きしても?」

 そんな中、一人訝しげにしたシシリアが、小さく挙手しながら口を挟む。

「構わないわ。何かおかしなところがあった? シシー」

「いえ……というか」

 きょろ、きょろ、と、両側を見比べて。

「いつの間にカレン達と、こういう関係に?」

「あぁ」

 そういえばそうだった。

「シシーにはまだ言ってなかったわね」

「先日の、双子をお茶会に誘うことになった時の一件のことですか? そこでカレンと遭遇した、みたいな話なら噂で聞きましたが」

「遭遇というか、庇ってもらったのよ。魔法を行使しかけていたフリージア嬢から」

「あぁ……」

 そういう事でしたのね、と、察しよく理解したシシリアも、元々カレンナが好んでアイラの側にいたわけではないことは分かっていたのだろう。すぐに納得したようだった。

「庇うだなんて……。私達、今日お伺いした理由は印章の件がきっかけでしたが、そうでなくとも近々、お目通りするつもりだったんです。“謝罪”のために」

 そう続けたカレンナに、「謝罪?」と、エイネシアが首を傾げる。

「エイネシア様ったら……もう、お忘れなんですか?」

「忘れる?」

 何をだろうか。

 ついこの間、カレンナに庇われたばかりで、それでどうして謝罪をされることになるのだろうか。

 そう思っていると、何故かカレンナばかりでなく、三方から深いため息を吐かれた。

「シアお義姉様? まさか去年の事、お忘れなわけではありませんよね?」

 呆れたように言うアンナマリアに、「それはええ、勿論」と答えたものの、正直ちょっと思いがけない所を指摘され、びっくりしてしまった。

「去年、私がエイネシア様にしてきたことは決して許されることではありません。私はアイラ嬢が吹聴する噂をばらまく手伝いをしたこともありました。グエンは、エイネシア様の印章を……」

 コクリと頷いたグエンは、本当に申し訳なさそうな顔をして、「どれ程謝罪しても、しきれるものではありません」と声を震わせた。

「それは……まぁ。そうだったけれど。でもそんなこと、もう……」

「“そんなこと”ではありません。私達がしでかしたことが原因で、エイネシア様は王太子殿下との婚約を破棄なさったのですよ? 王太子妃の地位を、失ったんです」

 そうぶるりと身を震わせたカレンナに、まぁ、そう言われてみればそういうことになるのか、と、思いの外冷静に思った。

 でも多分、その原因とやらは大したことではない。ただのきっかけにすぎないのだ。

 本当は、そんなことが無くてもどこかでいびつになっていた。

 今ではそれが、本当に良く分かる。

「貴方達のせいじゃないわ。本当は、もうずっと……多分、幼い頃からずっと、無理をしていたの。私も。それから、殿下も」

「お義姉様……」

 少し心配そうに、アンナマリアがエイネシアの手に手を重ねた。そんなアンナマリアに、大丈夫と微笑んでみせる。

 アンナマリアも、きっと分かっていた。いや、当事者でない分、エイネシアよりよほどよく理解していたことだろう。二人の関係が、どれほどいびつであったのか。

 だからアイラ達が何かしたところで、それはただ、ほころびるのを早めててしまっただけなのだ。

 分かってはいたけれど、それでも無理をしても、ただその人の傍に居たかった。離れてゆくそのことが、どうしようもなく苦しくて仕方がなかった。

 ただそれだけのこと。

 だから、彼らのせいなんかではない。すべては自分とヴィンセント、二人の問題だ。

「だから私への謝罪なら、必要ないわ。むしろ謝罪と言われて、私はシシーへの謝罪という意味かと思ったのだけれど」

 そう言うと、「私?」と、シシリアもまた首を傾げた。

「勿論、シシリア様への謝罪もあります。というよりも……」

 チラ、と再びカレンナとグエンが気まずそうに視線を交わし、やがて頬を掻いて俯いた。

「やはり、お気付きだったんですね。シシリア様を襲ったあの一件も、双子の仕業であったと」

「アイラさんとシシーが揉めた場面には私も居合わせていたし、それにあの日も、二階の窓で二人の人影を見かけたの。生憎と現場は抑えられなかったけれど」

 シシリアに視線を寄越すと、「そうらしいですわね」と、シシリアも頷いた。

 彼女自身は犯人を見ていないが、エイネシアも一応、双子らしい影を見たことは伝えていたのだ。

「あの日は、グエンが偶然、双子とアイラ嬢が『少し痛い目を見るべきよ』みたいなことを話していたのを聞いてしまったんです。これは流石に放っておけないからと、二人でシシリア様をお探ししていて」

「でも間に合わなかった」

 打ち沈んだ二人の表情。

 その言葉は、二人がアイラ達の側から離反するという明確な意思表示であるようにも聞こえた。

 シシリアの一件を未然に防ごうとした。エイネシアを双子から庇おうとした。もう、彼女たちに巻き込まれたくない。彼女達とは違うのだという、それを意味する確固たる言葉だ。

「でもそれって、ただの貴方達の自己満足でしょう? そんな謝罪、必要ないわ」

 どう答えるべきか。そうエイネシアが口を噤んでいる間に、まったく容赦のない厳しい言葉がしたものだから、皆の視線がシシリアを向いた。

「貴方達は謝罪することで、これまでのことを全部清算したいだけ。味方だと意思表示して、信頼を取り戻したいだけだわ」

 容赦なく言葉を続けたシシリアは、二人に厳しい視線を投げかけたかと思うと、続けて、深い深い吐息を溢した。

「顔をあげて頂戴。責めているわけじゃないの。私もそうだったから、貴方達の気持ちが分かる。分かるから、謝罪はいらないと言っているの」

 後悔するように溢されたその言葉には、カレンナも顔を跳ね上げた。

「シシリア様、も?」

 その視線を受けながら、シシリアはチラリとエイネシアを見やる。

 そういえばそうだ。この春、シシリアも一方的に謝罪をして、一方的に清算を望み。でもそれでもすぐにシシリアを信じることはできないと言ったエイネシアに、彼女は、『ただ、私が謝罪をしたかった。その自己満足のためにここにいます』と言った。

 自己満足のために。自分のやって来たことを、清算するために。

 きっとカレンナとグエンもそうなのだと、そうシシリアは言っているのだ。

 何が原因かは知らないが、セシリーやシシリアをはじめとして、やはりどこか少しずつ、状況は変化してきている。

 それは多分、今なお少しも変わらないアイラの態度と、度の過ぎた双子のせいで。


「カレン。折角の機会だから、少し聞いても良い?」

 本当はずっと気になっていたことが一つあった。

「何でしょうか。何でも聞いてください」

 そのために来たんです、とでもいうような覚悟した顔をされると、逆に少し聞き辛い。

 そんな大した話ではないのだけれど。

「グエンがね。アイラさんに味方した……という言い方が正しいのかはわからないけれど。私の印章を盗んだ理由は、分かるの」

 チラと見やった先で、グエンが憔悴した面差しを一層くぐもらせて、首を横に振る。今なおそのことは、絶対にしてはならないことをしたのだと、そう彼を深く後悔させているのだ。

「貴族院評議会が反権門派に大きく傾いていることは周知の事実で、その旗頭にあるのがフレデリカ妃。でも私は昔からフレデリカ様には大層嫌われていて、貶める機会がないかの粗探しなんて、日常茶飯事だったわ」

 理由なんて言わずと知れたこと。エイネシアはヴィンセントの王太子位を堅固にするためにその許嫁とされたが、元より反権門派であるフレデリカが権門の象徴のような公爵家の令嬢を気に入るはずがない。ましてやエイネシアはフレデリカが最も敵視するエルヴィア王妃の近縁なのだ。上手くいくはずがない。

 エイネシアが非の打ちどころもない許嫁であればあるほど、フレデリカにはそれが忌まわしく思えたことだろう。それは昔からエイネシアも薄々感じていたことで、ずっと互いに互いを探り合うような関係だった。

 だからフレデリカ派の貴族院評議員の家系の者達がエイネシアを嫌煙することは、エイネシアにとっても何ら不思議なことではない。

 彼らが、非権門でも能力次第では貴族院評議員を取り立てるという改革を行なった宰相アーデルハイド公に恩義を感じていたとしても、厳しい権門風潮の残る中央政治の場で反権門、フレデリカ派に傾倒していく心情というにも、察せられるものがある。

「だから貴族院関連の子弟達が、フレデリカ妃の威を借りたシンドリーや、シンドリーが擁護しているアイラさんの命に従ったのは、無理ないことだと思っているわ」

 犯罪は犯罪。グエンに反省の色が無いようならばエイネシアも考えるが、こうも憔悴した様子を見せられれば、今更掘り返して責めるつもりなんて微塵も起きない。

「でもカレンがアイラさんに味方する理由というのは、正直検討がつかないの。何故なの?」

 ずっと不思議だった。アイラの取り巻きみたくなっていた三人の内、いつもおどおどと隅で申し訳なさそうな顔をしていたカレンナ。いつもチラリチラリとエイネシアを窺っては戸惑うように顔を伏せ、何か言いたそうにしていた。そうであるにもかかわらず、何故アイラの取り巻きなんてやっていたのか。

 カレンナの父は貴族院評議員でも何でもない、政治にも関わっていないいち子爵でしかない。母はエイネシアの母とも面識のある“権門伯爵家”のご出身だ。グエンのように、家の事情で仕方なくアイラの味方をしたというわけではないはず。

 だから思い切って問うて見た問いに、カレンナは困惑したように視線を彷徨わせ、チラリとシシリアを見やった。

 その視線のままに、エイネシアも思わずシシリアを見てしまう。

「そういえばシシーは、アイラさんに、私の味方をしたら、私と一緒に罰される、みたいなことを言われたのだったかしら?」

「ええ。カレンやメアリーも一緒にその話を聞かされました」

 その言葉に、カレンナもコクリと一つ頷く。

「もしも本当にそうであるなら、どちらにも関わらず。平穏に過ごしたいというのが、本音でした……」

 それはそうだろう。エイネシアがカレンナの立場だったら、やはりそのように思う。

「けれど、アイラ様に味方をしないと敵と見なされるのではという不安もあって。逆らえなくて」

「アイラさんの言う私が罰される未来というのを、カレンも信じたのね」

 シシリアもそれを信じたのだと言っていた。

 だがどうしてシシリアがそれをあっさりと信じたのかについては、シシリアが転移者である可能性から解決されつつある。まだ本人に確かめてはいないが、エイネシアやアンナマリアの見立てでは間違いなくシシリアが“四人目”なのだ。

 アイラがヴィンセントを攻略目的としたと知った以上、エイネシアが没落する未来を想像してアイラに味方する。その心情は、実際にアレクシスが“ブラットワイス大公”だと知って彼を避けてしまったエイネシア自身が一番よく分かっている。

 カレンナもそうなのだとしたら……と、顎に手を添えて目を細めたエイネシアに、ずっと黙って話を聞いていたアンナマリアもチラリとエイネシアを見やって、どちらともなく視線を交わした。

 やはりそうだ。推測は間違っていないはず。

 あとはそれを彼女達に切り出すか否か、と、視線を戻したところで。


「信じがたいかもしれませんが……カレンには、未来が見えるのです」


 唐突に、グエンがそんなことを言ったものだから、ぎょっ、と、エイネシアもアンナマリアも。そしてシシリアまでもが驚いた顔でグエンを。そしてカレンナを見やった。

「っ、グエンッ。そのことは……」

「でも言っていた通りのことが何度か起っているだろう? 今は私もそれを信じているし、きっとエイネシア姫は分かって下さる」

 だから話さないか? とカレンナに言うグエンの様子に、未だ少しおどおどとカレンナが困惑した顔で、チラリとエイネシアを見やった。

 これはもう完全に、“黒”だ。

「エイネシア様……こんなこと……言って、信じていただけるとは思っていませんが……」

 ぎゅっと手を握り、怯えるように声を絞り出そうとするカレンナ。

「私はこの物語の結末を知っていて……いえ。何と言ったらいいのか分からないのですが。ただ漠然と、アイラ様が王子殿下と相愛になる未来を見たことがあって……」

「これはもう、黒ね」

 おもむろに口にしたアンナマリアに、ぎょっ、と、エイネシアが視線を向ける。

 相変わらずこの豪胆な王女様は、歯に物を着せぬのだから。いっそすがすがしい。

「アン王女……」

「黒?」

 首を傾げるカレンナに、うーん、とエイネシアも唸る。

「えーっと。カレン。この国の王族、ないしその近縁や身近にいる人に、“漠然とした未来が見える”という人が時折現れる、という話はご存知?」

 取りあえずその場にいるグエンのことを慮って、かつてアレクシスから聞いた話を持ち出してみた。

 その言葉には、はて、とカレンナも、それにシシリアも首を傾ける。

「そんな人が……?」

「時折現れるそうよ。それで……」

 チラリ、と見やった先で、アンナマリアが一つ頷く。

 シシリアとカレンナは、最早信頼に足る。だから、“話してもいい”、と、そう目線で確認して。


「きっと、今の世には“七人”、そういう人がいるはずなのだけれど。どう思う?」


 その言葉に、みるみるカレンナの目が見開かれ。

 ガタンッ、と、動揺したシシリアが思わず足をぶつけて机を鳴らす。

 その空間に、きょろきょろと、幾つもの視線が飛び交って。

 飛び交って。


「ッ、はぁぁぁぁ……」

 おもむろに、深い深い、シシリアのため息が間延びした。

「あぁ。そういうこと。そういうことですか。エイネシア姫。道理で……。それにまさか、アンナマリア王女もですの?」

「そうよ。それとアイラさん。これで私達が知る限り、五人ね」

 一人グエンが首を傾げたけれど、話の通じた三人は、誰からともなく苦笑を交わした。

 まだ少しキョトリキョトリとしていたカレンナは、そんな彼女たちを見やってから、「そんなまさか」と口元に手を添える。

 薄々感じる所のあったシシリアと違って、ちっとも想像していなかったのかもしれない。

「道理で、“ゲーム”通りにならないはずよ」

 シシリアのため息に、やっぱりそういうことだ、と、カレンナが息を呑んだ。

「私はそれなりに姫と長い付き合いですが、どう考えても “私の知る”人柄ではなかったですし、弟君とも睦まじく……えぇ、それはもう。ちょっと目を疑うくらい仲が宜しくて」

 それは……ちょっと、見て見ぬふりをしていただけたら有難い。

「学院生活での齟齬は、アイラさんが“違っている”せいだと思っていましたが、姫もそうであったのなら尚更説明が付きます」

「えっ。あっ、え?! ではシシリア様も? え、え?!」

 まだ混乱した様子のカレンナに、「そうよ」とシシリアが頷いて見せる。

「でも、ゲーム通りでしたよっ? だって、初めてエイネシア様にお会いした時は、確かにイベント通りにリボンを褒めていただいてっ」

「え? そうなの?」

 はて、とエイネシアは首を傾げる。

「そうよ。回想イベント、覚えていらっしゃらない?」

 問うたアンナマリアに、「あんまり……」と答える。

「私はちゃんとプレイしたわけじゃないの。だからそれはただの偶然だわ。カレンのことはお母様から宜しく気にかけてあげるようにと言われていたの。だからお見かけして、随分と憔悴した様子だったものだから寛いでもらおうと思って声をかけて。リボンを褒めたのは、多分それがとても印象的だったからね」

「そう……だったのですね。でも私、あのことがあったので、やっぱりこの世界はシナリオ通りの世界なのだと勘違いして……」

「それで、いずれは私が没落する未来を“確信”してしまったのね」

 えっ、とグエンが青い顔で首を傾げたけれど、四人の中ではもはや分かり切った会話で、頷いたカレンナに、「私もそうでした」とシシリアも続けて頷いた。

「でもそうならなかった……」

 そうならなかった理由は、エイネシア自身と、それからアンナマリアだ。

「思えばアンナマリア王女がお取りになる行動にも、いつも疑問を抱いていたんです。エイネシア姫も相当シナリオと違っていましたけれど、王女殿下はそれ以上でしたから」

「私も幼少期は貴女達と同じで、シア様を避けていましたわよ。ただ幸いにして近くにいることが多かったことと、それから“アイラさん”に出会ったことで、気がついたの。アイラさんが“そう”なら、シア様がそうである可能性もある、って。何しろ、六十二度くらいは性格が違っていらしたから」

 えらく中途半端ですね、とは、あえて突っ込まなかった……。

「だから王女殿下はアイラさんを星雲寮にお誘いにならなかったのですね」

「ええ。代わりにシア様をお義姉様と呼ぶ間柄になったわ」

 そう茶化して笑って見せるアンナマリアに、なるほど、とシシリアも顔をほころばせた。

「私はてっきり、アイラ嬢の度の過ぎた無礼ぶりが運命を狂わせたのかと」

「それも違っていないわね。アイラさんがゲーム通りの人なら、私だってアイラさんを応援したかもしれないわ」

 でも、そうはならなかった。


「私……馬鹿みたい。そうだと分かっていたら、私……アイラ様の味方なんて……」

 目に涙をにじませて、ぎゅっと拳を握って俯いたカレンナ。

 それに慰めの言葉をかけるのは簡単だったけれど、「それは違うわ」というシシリアの厳しい声色が、誰にも弁護はさせなかった。

「アンナマリア王女やエイネシア姫はいち早くこの世界がシナリオ通りの世界ではないことを理解して、ちゃんと抗ったのよ。でも私達はそうしなかった。この世界を理解せず、十年近くも流されるがままに保身だけして生きてきた。そのツケが回ってきただけ」

 シシリアはそれを知り、後悔し、そしてもう新たな一歩を踏み出している。

「そうね。この世界はゲームじゃない。だから殿下とアイラさんが婚約して、めでたしめでたしの物語じゃない。これから十年、二十年。私達が老いておばあちゃんになって息を引き取るまで、永遠に続く“現実”なのよ」

 だから今この瞬間、ゲームにはない、その次の年の毎日が紡がれている。

「だからカレン。後悔なんて必要ないわ。貴女は変わりたいと望んでここに来て、そして今、これが“悪役令嬢の取り巻きの一人”ではない、“カレンナ・ネイスアレス”という一人の生きた人物の物語であることを知ったわ。救うことはできなかったけれど……でもそれでも貴女は、レイジーを救おうと努力した。それはもう、ゲームで描かれていたカレンナではないわ」

 誰かに振り回される役回りではなく、生きて、きっと何かしらの課題を授けられた乙女の一人。


「ようこそ、シナリオ通りではない世界へ」


 ニコリと笑うエイネシアに、あぁ、そうか、と、カレンナの肩から力が抜けてゆく。

「シナリオ通りではない……」

「フィーは私達に、祝福と課題を与えたわ。カレン。貴女の課題は何かしら?」

「祝福と、課題」

「フィーいわく、これは“ケア”よ。きっと皆が、幸せになる資格を持っているの。カレンナ・ネイスアレスだって、ちゃんとハッピーエンドに成り得るの。だから諦めないで。貴女の幸せを、見逃さないで」

「その言葉はそっくりそのまま、シア様もご自覚なさるべきよ」

 横でアンナマリアが呆れた顔をしたから、エイネシアもちょっと肩をすくめた。

 分かってはいるけれど、言葉で言うほど簡単なものではない。

 何が幸せな結末なのかなんて、ちっともわからない。

 でもエイネシアももう、自分がフィーの言っていた“バッドエンド”の該当者なのだ、などという卑屈な考え方はやめた。

 多分自分にも、幸せになるためのシナリオが用意されているのだ。

 少なくともこの春、エイネシアの国外追放をエドワード達に庇われ、エイネシア・フィオレ・アーデルハイドの存在が守られた時、それを確信した。

 バッドエンドは、必ずしも自分の運命ではないのだ、と。

「そうね。私も。今すぐには信じられないけれど。でも自分がやりたいこと。楽しいと思うことをやることにはしているわ」

「“薬室の黴”だなんて未来、ちっとも楽しくないわよ?!」

 そう目くじらを立てたアンナマリアには、つい先日意気揚々と地面にへばりついて魔法陣式を練っていたエイネシアを目撃したばかりのシシリアが、思わず吹き出して笑った。

 そんな楽しげな様子を、ぼんやりと見やったカレンナの、硬く握った拳に。

 そっと添えられた大きな掌が、ハッとカレンナの目を見開かせる。


「私、元々勉強は好きなの。今、結構楽しいの」

「確かに。姫は楽しそうに勉強なさってますよね」

「シシリア、シア様を煽らないで頂戴! 本気で研究員とかなっちゃいそうだから! 私、お義姉様には大恋愛してもらう予定なの!」


 賑やかに笑い声をあげる三人の声が少し遠く。

 ぎゅっと強く手を包む温もりに、ドキドキと頬を赤くして。

 ゆっくりと、ゆっくりと見やった傍らで、少し恥ずかしそうにするグエン。

 その人はゲームには出てさえ来なかった人だけれど、でも多分間違いなく、今、カレンナの心をひきつけてやまない人。

「グエン……」

「えっと。何の話かはよく分からなかったが。要するに、私にもカレンナ・ネイスアレスを幸せにする手伝いが出来る、という意味で、いい?」

「っ……」

 え、え?! と、途端に賑わっていた三人の視線が向いて。

 顔を真っ赤に俯いてしまったカレンナに、パチパチと目を瞬かせた。


「まぁ……。これって、そういうこと?」

「なんだかいい雰囲気だとは思っていたけれど……」

「驚いたけれど……でも、そうよね。必ずしも“あの中”から、幸せの相手が現れるとは限らないのよね」

 アンナマリアの視線がチラリとエイネシアを向く。

 そのエイネシアがちっとも気が付かない様子でカレンナを見ているのを見ると、なんだか脈が薄すぎて心配になるのだが……でもそういうこと。

 この世界では、必ずしも攻略対象者だけが幸せの相手だとは限らない。

 限らないのだ。

「おめでとう、カレン。私は貴女達を応援するわ」

 いち早くそう言ったエイネシアに、「私も」「私もよ」と、シシリアが、そしてアンナマリアが顔をほころばせた。

 カレンナの幸せが、自分のことのように嬉しい。

 自分にも、そんな顔をする日が来るのだろうかと思うと、希望が持てる。

「ま、待って下さい、皆様っ。私、そんなっ……」

「私では駄目、だと……」

「いえ、そういう意味ではないわ、グエン!」

 あわあわとグエンを、そして皆を見やる困惑しきったカレンナは、今までのようにおどおどとしてはいなくて。

 もうっ、と真っ赤になって肩をすくめた様子には、思わず声を上げて笑った。


 二人の繋がれた手がとてもうらやましくて。

 そしてとても、安心した。

 二人がもたらした話は、決して楽しい物語ではなく、どうしようもない現実を突きつけるものではあったけれど。

 そこに生まれたささやかな幸せが、自分のことのように嬉しかった。

 幸せになる権利は、全員が持っているのだ。

 あとはただ、そのための努力をするかどうか。

 それだけ。




『勝たなきゃいけないの。そのためなら、その馬鹿だって利用するしおもねりもする。何なら捨てもするっ。だって……だって、仕方がないじゃない』


 目の前の幸せに、思わず綻ぶ笑顔と、ごく平穏な冷やかしの言葉と。

 でもそんな暖かい空気の中で、メアリスの吐き捨てたその言葉が耳の奥で木霊する。


『そうしないと、絶対に“不幸”になる――』


 怯えたようにそう言って自分の肩を抱いた彼女の、気迫と恐怖が入り混じったようなその顔が、瞼の奥でチカチカとちらつく。

 繰り返し繰り返し、勝たないと、と言っていたその人に、俄かに得た“確信”と。

 そしてこの場の空気とのギャップに、胸の奥底がもやもやと濁る。


 沢山の情報と突然の出来事の応酬に、何一つとしてまともな言葉の一つもかけてあげることができなかった。

 でももし今彼女に何かを言うことができるのであれば。

 『勝ち負けなんかじゃない。バッドエンドは、“負け”てなるものじゃない』と。


 そう、教えてあげたい。






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