3-20 お茶会騒動(2)
アンナマリアとシシリアにそう言った手前、堂々として見せねばならないわけだが。しかしどうしたものか。内心は、ちょっとヒヤヒヤしている……と。
二人に他のお客様の対応を任せ、隅でシャーベットを作り足すエイネシアは、こっそりとため息を溢した。
普通に、なんて言ってみせたが、『どうして私が貴方達を楽しませてさしあげなければならないの?』という挑発的な物言いをしたのは、ただの本音だ。
できれば関わり合いたくない。なのにどうして自分から彼らを楽しませてあげなければならないのか、という。
それで調子に乗った双子が何かをしでかしたとして、叱りつけたら改心してくれた、なんていう漫画みたいな展開になったなら万々歳だが、現実はそう簡単ではないだろう。
はてさて、どうしたものか。
エイネシアが周りとは違う態度で双子を挑発した。そのことだけで満足してくれたらいいのだが、一度味をしめた彼らは、二度目、三度目とエイネシアに絡んでくるに違いない。
「困ったわねぇ」
だからそうポツリと呟いたところで、「材料が足りなくなりそうですか?」なんて的外れなことを言ったエニーに、「いえいえ、そちらは大丈夫よ」と、慌てて首を横に振った。
「皆様、ものすごい勢いでお食べになられて。大好評でしたね」
そう苦笑するエニーに、本当にね、と、エイネシアもすっかり空になった大きな金属容器を見た。
予想外の人数のお客様が来たとはいえ、まさかこれが空になるとは思っていなかった。
はて。一応作り足してはいるが、もう皆満足したのでは無かろうか。こんなに沢山作り足す必要はなかったかもしれない、とあたりを見回したところで、なにやらすっかり人が減っているのに気が付いた。
アイスで体が冷えたのか、裏庭の方に移動した人も多いようだが、それだけじゃない。
いつの間にやら件の双子や、アイラにダリッド、メアリス。そうした主要な面々がこぞっていなくなっているではないか。
これは流石に不味いかな、と危惧したところで、「ふぅ。廊下は暑いわ」なんて言いながら、そのアイラが双子やメアリスを引きつれてサロンに入って来たから、少し安堵した。
「まぁ。新しいアイスを作っていらっしゃるの?」
そう飛んできたアイラさんは、まさかまだ食べ足りないのだろうか。お腹を壊しますよ、とか言ってやりたい。
「エイネシア様って、本当に料理がお上手なのね。プロみたいですこと」
クス、と笑ってみせたメアリスが、「そうは思いませんか? アイラ様」と話を振る。
「本当! ついこの間までヴィンセント様の許嫁だった方がどんな方なのかと思っていたら、案外、庶民的なんですね! 私はそういうエイネシア様も、親しみやすくて良いと思いますけれど」
にこっ、と、唐突に毒を吐いたアイラ嬢の言葉に、カランカランカランッ、と、エニーの手から落ちたボウルが甲高い音を響かせた。
その驚きはエニーばかりでなく、部屋にいたすべての人達の視線がアイラを見て、それからエイネシアを見て、再びアイラを見て。そしてみるみる、顔を冷めあがらせて行く。
これは……驚いた。さて、どうしたものか。
アイラのこういった物言いはエイネシアももはや聞き慣れたもので、ヴィンセントとの婚約以来、こういう多少直接的な物言いをするようになったものの、それも別段驚くようなことではない。
ただ、少し前にシシリアとアイラが揉める一件があって以来、アイラはどうにもエイネシアにおもねった態度をとって、エイネシアと仲睦まじいような演技をすることが多くなっており、つい先程までもそういう態度を取っていたはずだった。
それが一転、再びエイネシアを嘲るような物言いをして、実に可哀想な物かのようにエイネシアを見やるその視線は、どうにも腑に落ちない。
ましてやそんなアイラの後ろで、双子達がニヤニヤとしてやったり顔をしているのを見ると、まずいい予感はしなかった。
裏でまた双子やメアリスが、アイラに何かよからぬことでも吹き込んできたに違いない。
シシリアを標的にされるのも困るが、だがそれでも折角この数週間、いい具合にアイラの関心がエイネシアから逸れてくれていたというのに……また面倒なことをしてくれたものだ。
「お菓子作りは、小さな頃に習ったんです。“殿下”が、私の手料理を“食べてみたい”と仰られたものだから。随分と練習したんですよ」
こんなこと言わなければよかった。そう思った時にはもう遅く、不覚にもついつい反論してしまった。
むっとしたアイラの顔は小気味良かったが、しかし今更アイラとヴィンセントのことで揉める気は無いわけで、勝ち誇るつもりも毛頭ない。
「でもそうですわね。今はもう作って差し上げる方もいらっしゃらないものですから。こうして皆様を楽しませるのに役立てられたことは、幸いでした」
取りあえずフォローしておこうと言葉を続けたところで、周りのお客様方もほっとしたような顔をして、「流石はエイネシア様です」「ご多才でいらっしゃること」などと乗ってくれた。
危ない危ない。もう少し慎重にならなければ。
さて、しかし双子がアイラに何かを吹き込んだとして、その意図は何だろうか。
ただエイネシアを貶めたいだけならば、別段今までと変わらない。好きにすればいいと思う。
この部屋の中の空気一つ取ってみても、すでにそんなものは周りも慣れっこで、むしろアイラの評判を落とすだけになっている。
そんなこと、双子も分かっているはずだが。
「あら。王太子殿下に手料理を差し入れたことでしたら、アイラ様もおありになりますよね」
そこにそんな口を挟んだのはメアリスで、その言葉にはエイネシアも、えーっと、と困惑してしまった。
反論されたことに対してではなく、今し方そのアイラさんがエイネシアに対して、料理なさるなんて意外と庶民的! とディスって下さったばかりだというのに、よもや今度はアイラに、その庶民的な料理をアイラさんもしたことありますよね、と言っているのだから、困りもする。
だが当のアイラときたら、そんなこと微塵も気が付いていない様子で、「そうよ! 手作りお菓子なら、私だって食べていただいたことあるわ!」なんて胸を張った。
どうしよう。何と答えてあげるべきなのだろうか。
「えーっと……確か……プリン、でしたかしら……?」
あれは忘れもしない。去年の春のこと。
あの日は、アンナマリアと共に手作りしたパウンドケーキで、ヴィンセント等とお茶会をするはずだった。だがその待ち合わせの場所で、これ見よがしにヴィンセントに菓子を差し入れして、試食させるアイラを見てしまい、脇目も振らずに逃げ出した。
あれ以来、プリンは大っ嫌いな食べ物になった。
今になって思えば何やら気恥ずかしい過去の出来事でしかないが、思い出せばそれなりにムカムカとする思い出ではある。
「そうよ。とーっってもおいしいと、お褒め頂いたんだから!」
へー。そうなんだー……。としか思わない。
「それで……アイスのおかわり、出来ましたけれど。お食べになります?」
そう、すっかり冷やし固めた金属容器を手に、小首を傾げて問うてみたら。
「いっ……らない、わ」
いや、今絶対、いるって言いかけたよな、なんて思いつつも、「そう、残念ですわ」と微笑んで、無常にも容器の蓋を締めてあげた。
むぐぐと悔しそうな顔をしているアイラの様子が、またも少しだけ小気味良かった。
でもそう油断していたら。
「私はいただきますわ」
「僕も」
そう双子が出てきたから驚いた。
「えっ。ズルいわ、お二人とも!」
「じゃあアイラ嬢も一緒に食べようよ」
「これ、さっきと違う味じゃない?」
勝手に蓋を開けて盛り上がる双子に、「じゃあ食べる!」と子供のように食いついたアイラさん。
先ほどまでの矜持は何処へ行ったのやらと思わなくもないのだが、食べると言っているのだから、駄目とは言えまい。笑顔を取り繕いながら、三人分のアイスをよそって差し上げた。
双子が何を考えているのかちっともわからない。
その横でニヤニヤしているだけのメアリスの意図なんて、もっとわからない。
双子の方は……アイスが食べたかっただけなのか。それとも何か、エイネシアの気を逸らしておきたい理由でも有るのか。
そう勘ぐったところで、パタパタと何処からか慌ただしい足音が一つ、二つ。
続けて、ガバッとサロンへ飛び込んできた制服姿の少女が、慌ただしく部屋を見渡した。
その振り乱されたこげ茶色の髪に、すぐにそれがカレンナだと気が付く。
先日双子と揉めたばかりであるから、今日の茶会にカレンナが来ていなかったこと自体はちっとも不思議ではないのだが、しかし今になって、髪を振り乱すほどに慌てて、しかも制服姿でやって来るというのはどうしたことか。
「カレン?」
不思議に思いながら声をかけたところで、エイネシアの姿を捉えたカレンナが、途端にその目の前にいる面々を睨みつけた。
「フリージア嬢っ。フレイゼン卿! 貴方達ッ……」
今にも怒り心頭と言った様子のカレンナの唸るような声にも驚いたけれど、そんなカレンナの後ろから慌ただしく駆け込んできたグエンの姿にも驚いた。
この寮を罪科によって退寮したグエンだ。その彼が自ら再び星雲寮に足を踏み入れたことにもだが、その顔がとても焦った様子であるのにはもっと驚いた。
一体何事なのか。
しかも二人が現れたのとほぼ同じくして、寮内のどこからか、ザワザワと騒いでいる声が聞こえてきて、他のお客様方も皆、何事? とあたりを見回す。
これは宜しくない……。
そうエイネシアが目を細めたのを見て取ったのか、庭の方から顔を出した寮長ジュスタスと副寮長のセシリーが、「皆様、お庭でもぎたての果物など如何ですか?」と声をかけてくれた。
二人も寮内の様子を気にしているようだったが、何を聞くでもなく、まだ戸惑うようにしている皆をテキパキと庭に連れ出してくれて、代わりに、アンナマリアやエドワードがサロンの方に飛び込んでくる。
「お客様がいらっしゃるというのに……寮内が少し騒がしいようだわ。エドワード、表を見て来て下さる?」
今それを頼めそうなのはエドワードくらいなもので、アンナマリアを行かせるわけにはいかないし、部屋の隅に警戒したように佇んだアルフォンスには、アンナマリアに何かあっては不味いから、護衛がてらいてもらわなければならない。
それを見て取ったのか、「分かりました」というエドワードがすぐに部屋を出て行く。
だがチラリと伺っても、ニヤニヤとしている双子に動く気配はなく、さては今更何かに気が付いて動いたところでもう遅い、という意味なのか。あるいは、ばれても構わないということなのか。
そう目を細めたところで、「まさか、またもこんなことをしでかそうとするなんて!」とカレンナが声を張り上げたから、エイネシアも目を瞬かせた。
まさか、カレンナは何が起こっているのかを存じているのか。
「カレン? 一体どうなさったの?」
だからそう問うて見たところで、一つ顔を顰めたカレンナは、まずは困惑気にしているエイネシアとアンナマリアに、「このような格好で突然、この場をお騒がせしたことをお詫びいたします」と、とても丁寧に、しかし慌ただし気に頭を下げた。
「ただどうしても急を要することがありまして」
何かしら、と促したところで、双子がカレンナを止める様子はない。
「どうか、すぐに寮内を調べてください!」
「え?」
ぐっと身を乗り出して訴えるカレンナの様子は、それだけでも危機感をあおられそうな気迫だったが、しかし寮内を調べろとはどういうことなのか。
「今朝、お二方がメアリス嬢とお話しているのを聞いてしまったのです! このお茶会を混乱させて、その隙に、またエイネシア様のっ……」
また……、と、カレンナがチラリと見やったのは、唇を引き結んで厳しい顔をしているグエンで。
「まさかっ」
勘付いて思わず声を上げたのは、アンナマリアだった。
グエンが今回の件に関与しているわけではないのは明白だが、カレンナがグエンを見やった理由。それは、今まさに、かつてグエンがやったことと同じことが起ろうとしているという意味なのではなかろうか。
まさかそういうことなのか。
だが今日は寮監事務室には寮監のマダム・スミスがいらっしゃって、印章の写しを盗み出す隙なんて微塵もない。
だとしたら、彼らの目的は……。
「私の、印章を?」
「まぁ! なんて恐ろしいことを言い出すの? カレン。貴女、おかしくなったの?」
そこに大仰に驚いた声を出したのはメアリスで、すぐにもカレンナがそちらを睨みつけた。
「いい加減にしてください、メアリス様! 貴女も、一体どうしてこんなことばかり!」
「言いがかりはよして。私が何をしたというのよ。私はずっとアイラ様達とご一緒でしたし、何なら手荷物検査でも何でもして下さって構いませんのよ?」
如何かしら、エイネシア様、と微笑んでみせるその顔は堂々としていて、言うがままに身辺を確かめたところで、エイネシアの印章が出てこないことは一目瞭然だった。
ましてや、それが絶対に見つかるはずがないことは、エイネシアが誰よりも一番良く存じている。
何しろ去年の一件があってから、エドワードやアンナマリアには散々、大切な物は目につくような場所には置かないように! と念を押されたのだ。
だから、アレクシスにいただいた髪飾りや、家紋の入ったような品。研究資料や論文、レポートの類に至るまで、すべて印章と一緒に部屋の机の隠し扉の中に入れてある。
あの部屋に住んでいるエイネシアでさえずっと気付かずにいた天板の下の隠し扉だ。そう簡単には見つかるまい。
少なくとも、少し席を外していただけのメアリスが、人目を忍んで三階へ行き、エイネシアの部屋を探り当てて、ついでに印章まで探し見つけてくるなんていう時間はなかった。
カレンナが嘘を言っているとは思わないが、少なくともまだ未遂に違いない。
となると、証言だけでは証拠に弱い。むしろ、証拠になりさえしない。
順番を間違ったか、と眉を顰めたところで、それをカレンナへの不快感と勘違いしたのか、「嘘ではないのです!」と、不安そうな顔でカレンナが声を張った。
だがここで、双子やメアリスを前に『分かっているわ』なんて言えないわけで、どうしたものか、と益々眉を顰めたところに、なにやらザワザワと寮のどこかで騒いでいた気配がすぐ近くまで来ていることに気が付いて、はっと顔をあげた。
それに先んじて、「きゃっ!」という女性の短い悲鳴がしたかと思うと、サロンに、制服姿のオレンジ色の髪の少女が突き飛ばされたように飛び込んできた。
エイネシアの見たことのない顔。ただその右顔面に痛々しいほどに巻き付けられた白い包帯が目を引いて、続けざまにカレンナが発した「レイジー?!」という驚きの声に、はっとした。
レイジー……ということは、先月怪我をして学院を去ったという、レイジー・ベイクウェル嬢なのか。
それが一体何故こんな所で、しかもどうして制服姿でいるのか。
説明を求めるべくカレンナを見やったが、しかしそのカレンナも酷く驚いた顔をして目を瞬かせていて、「どうして学院に」と声をひっ詰めさせる様子はただ事ではない。
ましてやその入ってき方は、明らかに誰かに突き飛ばされでもしたような足取りで、自分の意思でないことは明白だった。
では誰が、と見やった先で、ゆっくりと入り口をくぐって入って来たのは、濃緑の短髪と鋭い目つきで、手に剣を携えた青年。
「ち……ちょっと。どうして貴方がここにいるのよ、マクレス!」
その姿に声を上げたのは、カレンナ……ではなく、まさかのメアリスで、見ればいつの間にかメアリスの面差しに焦燥が浮かんでいた。
「あら、マクレス? お茶会なんてつまらないから欠席するんじゃなかったの?」
この状況の中、ただ一人ニコニコと訳も分かっていないような顔をしているアイラが、呑気にそんな情報を漏らしてくれたおかげで、エイネシアにも、どうやらこのレイジーを連れてきた(それもかなり乱暴に)マクレスが、ここにいるはずはなかった人物であること。そしてレイジーの存在が、カレンナにとってイレギュラーであったように、マクレスの存在がメアリスにとってイレギュラーであったことを知る。
ではまさか、双子にはむかって大怪我をし、学校を辞めたという“レイジー”が……、と、その可能性に思い当たったところで、はっとしてカレンナを見やる。
同じことに思い当たったのか、カレンナの顔は見る見る青ざめてしまっており、「そんな、まさか。まさかよね」と、声を震わせた。
「嘘。まさか全部……全部、嘘だったの? レイジーッ」
じわりとカレンナの目に張った涙の膜に、あっ、と同じく泣きそうな顔をしたレイジーが、一瞬顔をあげる。
だがその奥のエイネシアと目が合うなり、すぐにもパッと目が逸らされた。
目を逸らすのは、後ろめたいことがあるからだ。
ましてやそんなレイジーの制服の首根っこをグッと掴んだマクレスの乱暴な仕草には明らかな敵意があって、これにはカレンナが口を挟みかけて、ぐっと噤んだ。
これは一体……何がどうなっているのか。
「マクレス卿。これは一体、何事なのか、ご説明いただけますか?」
とにかくここは、星雲寮だ。そして今は、星雲寮主催のお茶会の最中。
その主催者でもあるエイネシアがしっかりせねば場がどうにもならないわけで、とにかく混乱を取りまとめようと、エイネシアがそう一歩を踏み出した。
正直……彼は、苦手だ。
大して接点も無かった人物だが、彼に抱いている印象といえば、先の卒業パーティーの時、国外追放というヴィンセントの命を下されたエイネシアをエドワードが庇ったことで、これを抵抗と見なしたのか、問答無用にエイネシアの腕を掴みあげた、その時の印象のみ。
ただでさえどん底にいたエイネシアに、さらに婦女子に対して遠慮の欠片もなく乱暴に取り押さえようとした人物なのだから、良い印象を持っていないのは当然だ。
今レイジーを取り押さえている姿を見れば、それが彼のデフォルトなのだろうことは分かるが、ついマクレスに声をかけながらも不信感を孕んだ声色になったのは、どうにも仕方のないことだった。
しかし驚いたことに、語りかけたエイネシアに視線を寄越したマクレスは、ドン、と武人らしく胸元に拳を叩きつけると、実に殊勝に頭を垂れて、「ご無礼をお許しください。アーデルハイド嬢」と、謝罪を口にした。
ということは……敵ではない、ということか。
そう首を傾げたところで、まるで“油断しては駄目だからね!”とでもいうように、アンナマリアがエイネシアの背中を引っ張った。
だがアンナマリアの姿を見るや、マクレスはさらに深く目礼して口を噤むものだから、アンナマリアも流石にたじろいだ様子で、チラ、チラ、とエイネシアに視線を寄越した。
困惑する気持ちはわからないではないが、とにかく今は、マクレスから話を聞きたい。
だからアンナマリアに一つ頷いて見せると、まだ少し躊躇う様子を見せながらも、「顔をあげていいわ」と、そう促す。
「感謝いたします。王女殿下」
律儀にそう答えて顔をあげる様子は、この無礼アンド不作法のオンパレードみたいなアイラ以下七星寮の皆様を見た後だと、何やら気味が悪く思えてしまう。
先入観のせいだろうか。
でもその“先入観”とやらは、そのマクレスが“とっつかまえて来た”らしい、レイジーにも言えることで。
「恐れながら、アーデルハイド嬢の部屋に忍び込もうとしていたレイジーを捕らえてまいりました。ご裁断をいただくため、無礼を承知しながらこちらに連れてきた次第です」
マクレスが言った内容は大方想像した通りのことで、ただ未だに信じられないというカレンナだけが、「そんなの嘘よ!」と声を張り上げた。
「嘘じゃない」
「嘘! だってレイジーはッ」
反論しようとしたカレンナに、しかしその肩を掴み止めたのはグエンだった。
「グエン!」
「カレン……気持ちは、分かるけれど……」
その静やかに眉を顰めた面差しが、途端にカレンナを冷静にしてゆく。
まさか、まさかと繰り返しながらも、段々とこの状況を受け入れていって。それからきゅっと胸元を掴んだかと思うと、俯いて、口を噤んだ。
もはや、レイジーが犯そうとした罪は明白。
「私の印章を、盗みにいらっしゃったの?」
率直に問うたエイネシアの問いに、ビクリと肩を揺らしたレイジーが、チラリと視線をよこし、かと思うとまたすぐに逸らして押し黙る。
今一度言うが、目を逸らすのは後ろめたいからだ。
エイネシアに対して、悪いことをしたと自覚している証拠。
だとしたら、印章を盗もうとしたのは、果たして彼女の本意なのか。
何かやむにやまれぬ事情があるのではないのか。
「マクレス・シグノーラ。貴殿は何故この寮にいる」
考え込むように黙ったエイネシアに変わってそう口を挟んだのは、ずっと傍観に徹していたアルフォンスで、彼もまた過去の出来事が頭によぎっていたのか、すかさずエイネシアとアンナマリアの前を庇うようにして立った。
言われてみればまったくその通りで、そもそもマクレスはアイラ派。即ち、エイネシアの印章を“盗む側”なのではないのだろうか。
それがどうしてレイジーを捕まえて引き立てる側になっているのか。そもそもどうして彼が星雲寮にいるのか。
「七星寮内で、退学したはずのレイジー嬢を見かけました。何かよからぬことがあったと考え、後を追うのは武官の家柄の者として普通のことでは? ザラトリア卿」
「それで追って来たら、彼女が姫様の部屋に忍び入ろうとしていたと?」
「星雲寮に立ち入った時点で捕らえるべきかとも思いましたが、目的を確かめるために暫し傍観に徹しました。どうかお許しを。姫君」
そうアルフォンスの後ろのエイネシアに直接言ったマクレスに、よもや許さななどという理由も意味もない。
「マクレス卿。事情はよく分かりました。突然の訪問と寮内での行動のことは不問に致します。それと、ことを未然に防いでくださったことに感謝いたします」
エイネシアがはっきりとマクレスに感謝を述べたことで、そのマクレスに睨まれたメアリスが、あからさまにぐっと口を噤んで眉を顰めるのを見た。
まだ事情ははっきりとしないが、マクレスがレイジーを連れて来た時点から、明らかにメアリスの面差しに苛立ちが過るようになっていた。チリチリと幾度も唇の端を噛み、もぞもぞと落ち着かないように拳を握っている。
少なからず、彼女は何か知っているのではないか。どうして、レイジーがエイネシアの部屋に忍び込んで、印章を盗み出そうとしたのか。
どうして“レイジー”なのか。
「レイジー・ベイクウェル嬢。貴女は、七星寮内部での好ましくない風潮に異を唱えて、その……“事故”にあわれたと聞いていたのだけれど。それもすべて嘘かしら?」
だから続けてエイネシアがそう問うたところで、「嘘などではありません!」と、初めてレイジーが声をあげた。
そんな自分の声に、すぐにあっと口を噤んで俯いてしまったけれど、その咄嗟の反応を見れば、カレンナが言っていた彼女の行動や気性に偽りがなかった事は察せられた。
「ではどうして私の印章が必要になったのかしら。どなたかに……」
脅されて、と言いかけて、ふと言葉を止めた。
いや、おかしい。多分レイジーをそう突き動かしたのはメアリスか双子あたりなのだろうけれど、彼らがレイジーを脅す様子というのはどうにも想像できなかった。
双子の場合は、脅すというよりは、遠回しに何かを仕掛けて、自主的にレイジーを動かしそうな気がする。メアリスも、脅すというよりは、レイジーを追い詰めて、という方が有り得そうだ。
だが、一度は正義感から双子にはむかったような人物が、一転して罪を犯すようになるほどのものとは何だろうか。何か余程のことでもなければそうはなるまい。
そう首を傾げたところで、またしても外がざわざわと騒がしく、ましてやがちゃがちゃと金属音までしだしたものだから、今度は一体何事だろうかと入口を見やる。
そこに真っ先に飛び込んできたのは、外の騒ぎの様子を見に行かせたはずのエドワードで、その視線がエイネシア達を。それから、カレンナ、グエン。次いでマクレスと、彼が取り押さえている包帯を巻いた少女を見たところで、すぐに入口に舞い戻って、くいっ、と誰かを呼び込むかのように手を振った。
途端に部屋になだれ込んできたのは、正規の近衛の騎士服を纏った複数の騎士達で、これには流石にアイラやメアリスも、「何、何なの?!」「ちょっ。これは何事ですの!?」と声をあげた。
あっという間に部屋を埋め尽くしてゆく数多の騎士達。
彼らは一見乱雑に、しかし実に統率のとれた様子部屋の中に入ってくると、すぐさま部屋の中の状況を把握し、あっという間に庭に通じる扉のカーテンを閉めて外界からの視線を遮断。そのまま部屋の四方を固め、物々しい様子で剣に手をかけて警戒心を露わにした。
これにはエイネシアもアンナマリアもビックリとして、アルフォンスの背中を掴んできょろきょろとしてしまった。
だがそんな心配は無用だったようで、最後に一人、進み出てきた人物が、アルフォンスとその背後の二人を見つけるや否や、ドンと胸に手をついて恭しく礼を尽くした。
「突然のご無礼をお許しください。殿下。姫様」
そう謝罪をした人物に、「信頼のおける近衛の騎士です。ご安心を」と、アルフォンスが今なお背中を引っ張っているお嬢様方に声をかける。
そのことにようやくハッと我に返った二人は、慌ててアルフォンスの背中から手を離して、ゴホンゴホンッ、と咳払いなどして見せながら姿勢を正した。
そうしている間にも数人が、件のレイジー嬢を取りかこんだものだから、ぎょぎょっ、と皆も目を瞬かせる。
これはまた一体どうした事か。
彼女がエイネシアの部屋に忍び込もうとしたのはつい今しがたの事で、近衛が来るには早すぎる。
なのにどうしてこの治外法権的区域である学院の、しかも王族もが住まう星雲寮にまで近衛が押しかけてきたのか。どうして、レイジーを取り囲むのか。
「シグノーラ卿。ご協力ありがとうございます。そちらの令嬢を引き渡していただきたい」
そう進み出た近衛に、「流石に早いですね」と言いながら、マクレスが掴んでいたレイジーの身を近衛の手に渡した。
その口ぶりからすると、まさかレイジーが学院内にいることを近衛に通報したのもマクレスなのだろうか。
だがとにかく意味が解らない。




