3-19 話し合い
「シーアーさーまー……」
むすっとした顔のアンナマリアの、これまでにない不機嫌そうな声色に、えーっと、とエイネシアは肩をすくめる。
言われずとも言いたいことは分かっていて、だが如何せん、今更どうにもしがたい。
ましてや着々と、第四土曜日恒例の星雲寮三階の面々が主催するお茶会の準備が為されてゆく寮内で、その暗雲立ち込める声色は二重、三重に突き刺さる。
ついでに言えば、傍らでニコニコとしてちっとも助けてくれる様子のないエドワードさんも、顰め面で口を引き結んでこちらを睨み続けている眼光鋭いアルフォンスさんも、すごく怖い。
「仕方がないことで……」
「何が?!」
「あ、あのまま無視したら余計に反感を買って何をされていたか分からないし……あるいはカレンナがその二人目、三人目のレイジーになっていたかもしれなくて」
「それで、どうして双子に堂々と宣戦布告することになるのよ!」
「いやだわ、アン王女。私、宣戦布告だなんてした覚え、ちっとも……」
とぼけて見せたところで、「ハァ?」と怖い顔をされた。
いかん……これは本気でご立腹のようだ。
だがそう再び肩をすくめたところで、ハァァ、と、深い深い諦めのようなため息を吐いたアンナマリアが、硬く組んでいた腕を解いて、ドンッ、と目の前の椅子に腰を沈めた。
「まぁ……流石の私でも、あの二人が“退屈を一番嫌ってる”というのは何となく分かったわ。シア様が言うところの、“ただの不器用な子供”だなんて甘っちょろい物言いには納得しかねるけれど」
「ハハ……」
「でも、誰にも真っ直ぐと感情を……本音を投げかけられずに育ったせいで、構ってほしくて、叱られたくて悪さをする。そういうのは、ちょっと分かる」
私にも身に覚えがありますし……なんて呟いたアンナマリアには、アルフォンスが、ふっ、と、おもむろに厳しかった表情を崩して肩を震わせたものだから、何があったのかものすごく気になって、ガン見してしまった。
アルフォンスはエイネシアが頻繁に登城するようになるより一年早く、王太子ヴィンセントの近侍として登城するようになっていたはずだから、その分アンナマリアのことも少しだけ長く知っている。あるいは何やら、あの堅物なアルフォンスが噴き出すようなことを、アンナマリアはやってしまったことがあるのかもしれない。
すごく気になるが……今そこで顔を赤くして粗放を向いているアンナマリアさんの為には、聞かないでさしあげるべきなのか。
「それで? お茶会に招いてしまった件はもうどうしようもないから良いとして。シアお義姉様はあの双子をどうなさるおつもりなのかしら?」
当然、何か策があっての事でしょうね、と眉を吊り上げたアンナマリアに、「えっ?!」と、思わず口から吐いて出た本音に、はっとしてエイネシアは自分の口を押えた。
だが当然、もう遅いわけで。
「お・ね・え・さー・まー……」
先ほどよりもっと怖い声色に、ううう、と肩を縮める。
当たり前だが……何も考えていなかった。
「た、ただのお茶会でしょう? 普通におもてなしして、普通に会話すればそれで……」
「いいわけないでしょう!」
うん。まぁ、そうだよな、と頬を掻く。
とはいえ、双子がどんなことを目論んでいるかなんてちっとも想像もできないし、そんなのはいざ面と向かってみなければわからない。
良く言えば大らかに受け止めようとしている。悪く言えば、行き当たりばったり。
「とりあえず、私はカレンのことが心配です」
ぱぱっと表情を取り繕いながら、話題の矛先を変えたエイネシアに、アンナマリアは一つ口を引き結んでエイネシアを睨んだけれど、やがて諦めたようにため息を吐きながら、「まぁ、そうね」と頷いた。
いくら双子が、自分らへの反感をさほど気にしないのだとしても、その反感を募らせてフリージアに直接喧嘩を売ったレイジー嬢が、大火傷を負って退学したのもまた事実。
今なおカレンナがフリージア達と同じ寮で生活しているというのは、どう考えても恐ろしい。
「私、ちょっと分からないのだけれど。カレンナ・ネイスアレスって、お義姉様の幼馴染なのでしょう?」
そう首を傾げたアンナマリアに、どうかしら? と、エイネシアもまた首を傾げた。
「そうなのですか?」
極めつけにエドワードまでそう首を傾げるから、「違うの?」と、またまたアンナマリアも首を傾げる。
まぁ確かに……ゲームでは、そんな感じになっていたはずだ。
だが生憎と、ゲーム通りにはいかなかった諸々の事情から、エイネシアは彼女達と親しくなるための必須イベントであった“お茶会”を、ほとんど催しておらず、顔見知り程度にはなっていたものの、親しいといえるほど仲は進展させてはいなかった。
唯一シシリアだけは親同士の交流があったため幼馴染と呼べる間柄にはなったけれど、正直カレンナやメアリスのことは殆ど知らない。
「カレンナのお母様とうちの母が、学院の同級生だった、という程度の関係ですわ。なんでも、カレンナのお母様がご結婚なさる時に、キューピッド……恋の仲立ちをお勤めになったのだとか」
「あぁ。それで、ネイスアレス子爵家のカレンナが、貴女のようなお姫様とお知り合いになったわけね」
お姫様にお姫様と呼ばれるのは何だか変な気持だったが、まぁ、常識的に考えればおかしな話だろう。片やこの国のトップである四公爵家の一角の嫡女。片や、何か役職についているわけでもないしがないいち子爵家のお嬢さん。
貴族同士とはいえ、何かしらの事情が無ければ関わり合いになどならない関係だ。
「うちで催したお茶会に何度かお招きして、でも……」
「公爵家で開くお茶会なら、出席者は上流貴族以上……皆、伯爵家以上のお家柄よね」
「ええ。だからカレンナはいつも浮いてしまって」
「それで声をかけたのね」
「まぁ、最初は。それからも多少は気にしていましたけれど、親しくするほどではなかったかしら」
色々とあって、もしかしたら自分はこの後没落するのではないか、なんて疑心暗鬼もあり、どうしても親しい友人を作れなかったのも一因だ。
そんな人がいなくても、ヴィンセントやアルフォンス、エドワードといった人達がいたから、気にならなかったというのもまた本音。
「だからあんな風にカレンに庇われたことには、正直驚いたんです」
「そう……」
何か思案するように顎に手を添えて神妙な顔をしたアンナマリアに、エイネシアも密かに目を細めて頷いて見せた。
アンナマリアが何を考えているのかは、エイネシアにも分かっていた。
たいして親しくしていたわけではない。なのにどうして、カレンナは、あんな風にエイネシアを庇ったのか。
二人目、三人目のレイジーを生みだしたくなかった、と言われればそうかもしれない。あるいは、昨年度中アイラの標的となっていたエイネシアに行ってきた諸々の件のせいで、後ろめたさがあったのかもしれない。
だが、もう一つの可能性――。
「カレンナも……“そう”だと、お思いになる? シア様」
アンナマリアの物言いに、エドワードとアルフォンスが首を傾げたけれど、エイネシアにはそれだけで通じた。
「そう……ですよね。やっぱり」
“そう”。即ち、カレンナ・ネイスアレスもまた、“転移者”であるという可能性だ。
エイネシアは先んじてアンナマリアに、シシリアがどうやら“そう”らしい、という話をしていた。
彼女がユナンを知っていたこと。“そう”であれば辻褄の合う言動の数々。
その話をしたとき、アンナマリアが言ったのだ。
『シシリアがそうなら、私はカレンナやメアリスも怪しいと思う』
理由はシシリアとほとんど同じだ。
ゲームとは性格が違っていること。当時何の力も持っていなかったはずのアイラ・キャロライン男爵令嬢に、エイネシアが没落すると言われてあっさりとそれを信じたこと。
正直メアリスについては良く分からない。
ゲームでの性格と近いと言えば近く、標的がアイラではなくエイネシアになっただけと置き換えれば、そう違わない。
だがカレンナは明らかに性格が違っている。
目立たないという意味では同じだが、ゲームでは真っ先にアイラに矛先を向けて、メアリスと二人、先兵となってアイラをネチネチいじめ貶めていたはずだった。
しかし今のカレンナでは、たとえエイネシアがバックについていたとしたって、そんなことは出来なさそうな性格だ。
だから、“そう”なのでは、と。
「“そう”だとして。どうすべきだと?」
更にそう問うたアンナマリアに、エイネシアも一つ難しい顔をした。
正直この問題は、どう取り扱うべきか、まだ判断しかねているのだ。
アンナマリアは学院に入学してすぐ、エイネシアにそれを打ち明けた。
幸いにしてそれはエイネシアにとっての大きな助けとなり、アンナマリアを無二の友と思える存在にしたし、アンナマリアの方もまた、これまでずっと一人で悩んできたものをエイネシアと共有することで救われたのだと言った。
打ち明けたことが、良い方向に働いた例だ。
だが二人とも、アイラに対してそれを打ち明けようとは微塵も考えたことは無かった。
アイラが転移者であることはまず間違いなく、だが『私達もそうだ』と打ち明けたところで、絶対にいいことにはならない確信があるからだ。
ではシシリアやカレンナはどうなのか。
「シシーには……打ち明けてもいい、と。そう思っています」
根拠はないが、悪いことにはならない。いや、むしろ打ち明けるべきだとさえ思う。
もしもっと早くエイネシア達がそれに気が付いていたならば、あるいはシシリアがアイラの側に着く事さえなかったかもしれない。
シシリアは、エイネシアが“ゲーム通りになる”と思って、エイネシアから距離を取り、アイラの味方をし、そしてそれを深く後悔して今に至っているのだ。
だからアンナマリアも、それには同意だった。
だがカレンナはどうか。
気弱な彼女のことだ。エイネシア達が同じ転移者だったと知って、それで余計にエイネシアを恐れて距離を取る可能性だってなくはない。
そしてそれが良いのか悪いのか。その判断ができかねる。
距離を取られて敵対するのも嫌だし、かといって味方になったとしても、そしたら今度は過度に双子の標的にされる可能性だってあるわけだ。
「カレンについては、やはり、もう少しカレン自身の動きを見てから考えるべきかと」
「そうね。かき乱すものでもないわね」
「一体、何の話です?」
すっかり二人だけの会話になっていたところに口を挟んだエドワードに、はた、と二人も顔をあげた。
いかんいかん。忘れる所だった。
「女の子同士の秘密の会話を盗み聞こうだなんて、野暮というものよ、エドワード。貴方も『白騎士物語』をお読みになる?」
でもそこは流石はアンナマリア様。ニコリと微笑んでそんなことを仰ったものだから、エドワードも肩をすくめて、「わかりました。聞かなかったことに致します」と、察しよく口を噤んでくれた。
とにかく、この話はひとまずここまで。
となると、やっぱり話題は元に立ち返るわけで。
「で? シアお義姉様。お茶会の件は、どうなさるおつもり?」
「うっ……」
そうして結局エイネシアは、具体策を思いつくまで延々とアンナマリアに問い詰められ続けたわけである。