3-18 メイフィールド家の双子(2)
「もういい加減になさってくださいッ。フリージア様!」
思いがけず、エイネシアの前にパッと飛び込んできた小柄なこげ茶色の髪の後姿に、きょとんっ、とエイネシアは目を瞬かせた。
何だ何だ。一体何が飛び込んで来たのか。
「すぐにそうして魔法の力にお頼りになって、人を傷つけようとなさる! そんなことをして、心は痛まないのですか!?」
飛び込んできた少女の言葉でようやく、エイネシアも、フリージアが俄かに隠した手に、ユラリと炎のような残像が揺らめいたのを見た。
それには流石に驚いた。まさかこの学院内で、こんな諍いに対して魔法を使って攻撃を仕掛けるつもりだったのか。
武官の者以外が魔法を武器として用いることは法で固く禁じられており、下手をすれば魔法を禁じられて貴族の籍を剥奪される。そんなことは子供だって知っている。それをまさか良識ある貴族の子女。それもこの学院の生徒が、こんなにあっさりと犯すというのか。
「痛むって何が? 貴女、私に文句でもあるの?」
確か。えーっと。何だったかしら? と首を傾げたフリージアが、ニヤリと面白おかしそうに口を緩めて。
「カレンナ・ネイスアレス、だったかしら?」
そう。カレンナ。カレンナだ、と、エイネシアもまた、その見覚えのある背中を見やった。
アイラの取り巻きみたくなりながらも、いつもおどおどと控え目で、憔悴したような顔をして、かといってどうすることもできずに為されるがままになっていた気弱な少女。
それがどうした事か。今、そのアイラに最も近しいと言っても過言ではない、フレデリカ妃の縁者でもある双子を前に、エイネシアを庇うように立って声を荒げている。
これは本当に、あのカレンナなのか。
「フリージア様。貴女のせいで、レイジーがどんな目にあったのか。もうお忘れなのですか?」
レイジー? と、首を傾げたのはエイネシアだった。
何だろうか。知らない名前だが、どこかで聞いたことがある気がする。一体、どこで聞いた名前だっただろうか。
「その上、今度はエイネシア様に手を出そうだなんて。もう黙ってなんていられません!」
「ふぅん。レイジーはどうなっても黙ってられたけど、エイネシア様は駄目ーって? へぇ。差別するんだ。どうして? その人がそんなに大事?」
クスクスッと笑ったフリージアに、「違うわ!」と、カレンナの強い声色が飛ぶ。
「どうでもいいはずありません。無いじゃないですか! レイジーは、私のっ。私の!」
「貴女の同じ部屋の後輩で、とっても可愛がっていたのに? だったらレイジーと同じにしてあげましょうか? 一緒に仲良くお揃いで、貴女も学校を去る?」
「ふざけないで!」
何の話かは分からなかったが、ただ会話の流れで、エイネシアはそのレイジーという名前にピンときた。そうだ。いつぞや、アンナマリアか誰かから聞いた名前なのだ。
確か、先月のことだっただろうか。七星寮の内部が二分化しつつある、みたいな話が漏れ聞こえてきた頃のこと。七星寮に住んでいた女子生徒が一人、突然退学することになった、みたいな話だった。それが、レイジー・ベイクウェル嬢。
同じ一年でもある星雲寮のステファニーやジェーナに聞いたところによると、何でも、大変な事故にあったため、その怪我の療養のために学校を去ったのだとか言っていた。その時点でアンナマリアなどは、「絶対にあやしいわ」なんて勘ぐって、密かに詳しい事情をアルフォンスに調べさせたそうだが、正直エイネシアにとっては関心を引かない話題で、特に意識もしていなかった。
だがこの話の流れからすると、そのレイジーはカレンナと寮での同室の子で、そしてその事故とやらには、フリージアが関係しているらしい。
「カレン……?」
どうやらその子がカレンナをここまで憤らせていることは分かったが、しかし如何せん、事情がまだはっきりとは呑み込めてこない。だから困惑したようにその名前を呼んだところで、チラ、と、その瞳がエイネシアを見た。
今までと同じ、少し気弱そうな顔立ちと、けれど確かに怒りを孕んだ瞳。見たことのない表情だった。
「レイジーは、フリージア様の魔法で怪我をして、そのせいで学校を辞めたんです。顔に、酷い大火傷を」
「あぁ……」
そういうことか、と、エイネシアも眉を顰める。
だがまさか、本当にそんなことがあり得るのか。
いかにフレデリカ妃の縁戚とはいえ、魔法の武力行使は大罪。この学院は一種の治外法権とはいえ、その国法を犯す行いを、まさか何も咎めもせずに放置しているというのか。
「悪いのはあの子じゃない。正義面して口うるさくって。ましてやあの時はいきなり私に掴みかかって来たものだから、びっくりしちゃったのよ。私、興奮すると勝手に魔法が出ちゃうタイプなの」
クスリと笑ってみせたフリージアの言い分が嘘であることは一目瞭然だが、先程、さしたる詠唱の言葉も何もなしに魔法を顕現させた事実を鑑みれば、精霊への生まれもっての干渉能力が高いことは推察できた。
事実、そういう子は精霊との意思疎通のバランスが上手くコントロールができず、感情の起伏でうっかりと魔法を発動してしまう、なんてことも無くはない。平均より多少干渉力が強い程度のエイネシアだって、精霊と契約してすぐの頃は上手くコントロールできずに、何度も手元のティーカップの中のお茶を凍らせてしまった。エドワードなんて出先で突然雨を降らせてしまったり、朝起きたらベッドの中だけびしょ濡れになっていたり、しばらくは書庫への立ち入りもできないくらいに苦労していた。
だが大抵は一年もせずにその辺のコントロールを自然と身に着けてゆくもので、まれに中々コツを掴めない人や、フリージアの言うような、干渉能力が高すぎてコントロールが特別難しいという人もいなくはないものの、十代を過ぎてなおコントロールができないなんて人はごく稀だ。ただ皆無ではないから、『上手くコントロールができなくて』と言い訳されれば、確かに、それは情状酌量という事にもなりかねない。
何しろ彼女は、学院の、まだ一年生なのだ。学院は、魔法のコントロールを学ぶ場でもあり、彼女はそれを、学んでいる最中。だからフリージアが故意に魔法を使って誰かを傷つけたのだとしても、それが未熟なせいだと言われれば、それは忽ち傷害事件から“事故”へと変わる。その上でフリージアの家柄を考慮すれば、学校側が黙認するのも無理はない。事故であれば仕方がない。だが故意であれば、学校側は、“学生に魔法の正しい知識と使い方を学ばせる場”としての面目も意義も失うことになるのだから。
「レイジーは、七星寮に入ってすぐの頃から、アイラ様やフリージア様方とは反目しあっていたんです。皆様が酷いことを為さるたびに反論をしていて」
「気の強い子だったの?」
「いいえ。普段はとても大人しいのですが、ただとても純粋で、時折カッとなったように、真っ直ぐな批判の声を上げることがあったんです」
なるほど。星雲寮の茶会を邪魔した上に裏庭を荒らしたり、エイネシアをはじめとする面々の悪評を吹聴したり、それを悪とも思わないような人達の傍にいて、これを厭う人物がいることは不思議ではない。
それでも固く口を噤んで身を守るのが普通。しかし彼女はそうはできなかった。
「レイジーは、ただ真っ当なことを言っていただけなんです。有りもしないことを吹聴するのは嫌。人や物を故意に傷つけるようなことはすべきではない。談話室で声高らかに悪いことばかりを口にする人達にも、そんなのは醜いことだと」
だがそれが、アイラや双子達の気に触れることになった。
「いじめ……という言葉が、一番近いのだと思います。部屋が荒らされる。制服が切り刻まれる。食事が用意されない。アイラ嬢がどれほど気が付いていたのかはわかりませんが、少なくとも酷いことをすればするほどフリージア様とフレイゼン様が喜ぶからと、周りも段々加減が分からなくなっていって。部屋の外から板を打ち付けて閉じ込めたり、階段から……突き落したり」
なるほど。単純に“いじめ”という言葉でまとめられず、一番近い、などという言い方をしたのはそのためだろう。それは、次第に歯止めを失い、いじめというレベルを超えていった。
何しろ生徒は皆、日頃から使用人や庶民に傅かれた特権階級の出身なのだ。加減を知らない者達がいたっておかしくない。ましてや一つ屋根の下で、日々悪意のある会話ばかりを聞かされていたとなると、良識の基準も分からなくなるだろう。
その結果生まれたのが、自分が標的になることを恐れて双子らにおもねった一派と、彼らと距離を置くことを選んだ一派。
カレンナは、後者だったのだ。
「私はそんなレイジーと同室で、ずっと傍で見ていたんです。私にはできなかった。悪いことを悪いといって抵抗することも。それをきちんと口に出すことも。だからどうしようもなくレイジーが眩しくて。どうにかしたい。助けたいと、声を掛けたりもしていたんです。幸い私は……その」
カレンナは酷く言い辛そうにチラリとエイネシアを窺ったが、それだけで、エイネシアも何がいいたいかは察した。
「以前からのアイラ嬢の側近中の側近。特別な存在だった?」
そう率直に言ったところで、少し困ったようにカレンナは頷いた。
エイネシアと近しい存在であったから。正確には、ゲームにおいてエイネシアの取り巻きとなるはずだった人物だから、アイラに目を付けられて、傍に置かれ続けた。その影響もあって、カレンナは寮内でも少し特別な、アイラに近しい存在に見られていたのだろう。
「いじめの首班はフリージア様とフレイゼン様です。ただお二人も、アイラ様にだけは下手に出た態度を取る。だからアイラ様に近しい私が庇えば、皆も少しは冷静になって、大人しくなるかと思ったんです。私にできるのはそのくらいで、レイジーも、私に沢山感謝してくれました。だから一緒にいることも多くなって……」
「本人達を目の前に随分と言ってくれるじゃない」
そう吐き捨てたフリージアだったけれど、その表情は少しも厭わしいと言った様子がなく、むしろクスクスと面白おかしそうにカレンナの話を黙って聞いていて、それがどうにも奇妙だった。
カレンナの言葉を否定するわけでもなければ肯定するわけでもなく、ただ黙って聞いて、面白おかしそうに笑っている。それは一体どういうことなのか。
エイネシアがそれに首を傾げたのが分かったのか、カレンナはすぐにも、「お二人にとっては、何を言われようがどう思われようが、何ともないんですよ」と言った。
「先ほどは首班と言いましたが、お二人が実際に誰かをいじめたり、いじめろと指示したわけではないんです。ただ気に入らない。そんなそぶりを見せただけです。それを周りが勝手に誤解して、勝手にいじめて、勝手にヒートアップして。お二人はただそんな狂ったような人間の行いを見て、ただ楽しんで、ただ嘲笑っているだけなんです」
段々と、双子の事が分かってきた気がする。
「レイジーのことだって、多分、本当はどうでもよかったんです。ただ自分達が嫌っている様子を見せたら、周りがどういう行動を取るのか。それを見たかっただけ」
彼らにとって大事なのは、いかに自分達を退屈させないか。面白ければ、例え楯突こうが敵対しようが気になんてしない。ただ面白くなければ、レイジーのような目に合うこともある。そして周りはそんな二人に恐怖を募らせ、二人の怒りをかわないようにと、益々醜く歪んでゆく。彼らはただ、それを今みたいにクスクスと笑って傍観しているだけなのだ。
一体、彼らは何を欲しているのだろうか?
「私は、レイジーを助けてあげられませんでした。あんなにもただ純粋に、悪を悪だと言っただけの、優しい子を……」
グッと拳を堅く握ったカレンナが、改めてエイネシアを背に庇うようにしてフリージアを睨み据える。
「だからもう、繰り返したくないんです。二人目、三人目のレイジーを生み出さないために……」
あぁ、そうか、と、エイネシアは納得した。
レイジーが退学したという話を聞いたのは先月の事。ちょうどその頃、偶然廊下で行き会ったアイラとシシリアが揉める一件があった。
そしてつい先日おきた、シシリアを襲った事件。あの時に見かけた双子の影。
レイジーという標的がいなくなって平凡になった日常で、それに飽いた双子が次に目を付けたのが、シシリアだったのだ。
おそらくは、揉めた一件でアイラがシシリアのことを何かしら悪く言っていたのだろう。それにピンときて、『それは良くない』『懲らしめないと』などと煽り、やがて学内ではシシリアの悪い噂が飛び交うようになった。
だが何しろシシリアがその悉くに冷静な対処をし、少しもめげた様子も見せない上に、常にセシリーをはじめとする星雲寮がシシリアの味方に付き続けたことで、レイジーの時のように大きないじめに発展することは無かった。それに痺れを切らして、自ら手を下し。それできっと、星雲寮の面々が慌てふためく様子でも楽しもうとしたのだろう。
だが生憎、あの一件があってなお、シシリア自身もさほどショックを受けた様子も無く、翌日から平然と学校に顔を出した上に、星雲寮の面々も大きな動きは見せなかった。はては自ら学院側にもことを大げさにしないよう取り計らったばかりか、証拠集めこそすれ、双子に直接喧嘩を売ったり、問いただすようなこともしなかった。それに拍子抜けしたことは間違いない。
だからあの一件以来、二度目、三度目が無かったのだ。
星雲寮をイジっても、“面白くない”から。
その代り、今度は遠回しにシシリアにではなく、真っ向からエイネシアに喧嘩を売りに来た。それが今の、この現状という事だ。
おそらく彼らは、アンナマリアと親しくしているところを見せてエイネシアを蔑ろにすることで、エイネシアを怒らせたかったのだろう。
もっと正しく言うならば、“怒る”でなくても良かった。ただ、エイネシアが何かしらの感情の爆発を見せてくれるのを期待したのだろう。
だがそうはならず、冷静な対処をされたことに苛立ちを覚えたところで、カレンナが立ちはだかった。その彼女のらしからぬ衝動的な反発を見て、今、まさに彼らにとっては“望むべき状況”になっているのだ。
別に、誰かを貶めたいとか苛めたいとか、そういう原動力なのではない。ただ単純に、何でもいい。誰かの、真っ向からぶつかってくる感情を受けたいだけ。今カレンナが向けてる感情が何であるのかなど関係ない。ただ、自分達にむけて真っ直ぐな感情が向けられていること自体が、彼らには楽しいのだ。
それが、フリージアがただクスクスと笑っている理由。
「あぁ。構ってほしいだけなのね……」
ポツリ、と、思わずこぼしたエイネシアの言葉に、え? と、意味が分からず首を傾げたカレンナと、見る見る目を大きく見開いていったフリージア。小さな体躯とふわふわと揺れるツインテールと、ちょっと勝気な目元や傲慢そうな立ち姿。でも何だろうか。エイネシアの目には何故かただただとても寂しがりな子供にしか見えず、彼らが構ってほしくて傲慢を演じているだけであるように見えた。
無論、ただそんな言葉で許されていいはずもないことをしでかしてきたわけだが、どうにもそこに、“悪意”が感じられないのだ。
「何……よ。貴女。突然何を言って……」
「いえね。ただ何となく。そうなのかしら、って」
違う? と問うエイネシアの様子に、ぎゅっ、と、フリージアが唇を噛んだ。
その姿に、ほらやっぱり、と、確信する。
構ってほしい。気に入らないことがあるとすぐに手を出す。まるで駄々っ子だ。でもそんな子になったのには理由があるはず。彼らを歪ませたのは、誰からも面と向かって接してもらえなかった経験のせいなのではないだろうか。
フレデリカに気に入られたからこそ、それでいい、もっと気に入られろと親に背を押され、悪いことをして後ろめたい時でさえ、大人は彼らに媚びへつらって叱ってはくれず、周りは皆彼らに遠慮し、慮り、上っ面でばかり言葉をかけた。
この学院でもそう。人ひとりを傷つけ大怪我を負わせて退学にしたというのに、大した咎めもなく学院はこれを黙認した。
それを彼らはどう受け止めたのか。
とにかく、彼らにとって一番気に入らないのは、“退屈”なのだ。
何の感情もない、ただの退屈。それが一番、つまらないもの。
だったら最善の選択は何か。
「フリージア嬢。フレイゼン卿。学院は私にとって、外の政争を忘れられる平穏な場所なの。なのにこの場所をかき乱されるのは、私の本意ではないわ」
深い深いため息を吐いて見せながら、それがいかにも遺憾であると訴える。
その声色に、ピクリ、と、双子の視線がエイネシアを見やった。
「だから、私に構ってほしいのであれば、もう少し賢い方法をお考えになって。そしたら、遊んでさしあげますわ」
ニコリ、と。それはもう満面の微笑みで、大歓迎ですわ、なんて風に口にしたものだから。
「え?」
「は?」
「シア様?!」
ギョッとした声色がそこら中からかけられたのだけれど。
でも多分、これが正解。
「ッ、ちょっ。エイネシア様!」
何を言い出すんですか、と、カレンナが必死になって制服の袖を引っ張ったけれど、そんなことに構いはしない。
「分かったかしら?」
念を押すかのように微笑んで見せたエイネシアに、次第に双子の顔がニヤァ、と緩んだ。
「へぇ。言ってくれるじゃん」
「私達を怒らせたら、怖いんだから」
そう胸を張って見せる二人が、今では少し可愛くさえ見える。
「あら、ご存知ないの? 私を怒らせるのも、とっても怖いのよ?」
そうクスリと微笑んで見せたエイネシアに。
「あ……」
かつて真っ向から王太子殿下に喧嘩を売り、アーデルハイド公爵家をこの国から離反させかけたことのある過去を思い出したらしいカレンナが、真っ青な顔で手を泳がせた。
そのせいか、また大事に成ったらどうしよう、とハラハラした顔をしていたけれど、しかしエイネシアにもこれ以外の良い言葉なんて思いつかなかった。
こうやって双子の注意を自分に引きつけてさえいれば、カレンナが言うところの二人目、三人目のレイジーを出さなくて済む。カレンナが標的にされることも無ければ、もう無駄にシシリアに手を出しもしないだろう。
これが最善。
最善だとは思うけれど。
「だったら“シアお義姉様”。今度、星雲寮のお茶会に私達もよんでくださいよ」
「あ。それいい。アン姉様。ね? いいでしょ?」
ニコニコと、無垢な子供の顔をしながら、いいこと思いついた、みたいな悪戯な顔をして見せた二人の発案には……うん。ちょっと早まったかも……とか、後悔しなくも無く。
「ちょっ。冗談じゃッ……」
思わず本音で顔を引きつらせたアンナマリア王女の気持ちには激しく同感ではあったけれど。
「お待ちしておりますわ」
ひくっと引きつった面差しを必死に笑顔の下に隠しながらも、そう言うしかなかった。




