3-13 最初の揉め事
新たな学年が始まって、最初にアイラとの揉め事が起ったのは、学院が定める最初の十五日の茶会のことだった。
前期、後期とも一番最初の茶会は星雲寮の寮長と副寮長が取りしきるのが長年の伝統と慣習で、当然本年の寮長ジュスタスと副寮長セシリーも、学院の茶会場を借り切って準備にいそしんでいた。
今の星雲寮にはいつにない結束力が生れているので、エイネシア達三階の寮生もこれを積極的に手助けしており、まさに寮ぐるみでお祭りでも主催するかのような賑わいだった。
季節の割には涼しい日々が続いているので、熱めのお湯で淹れるとちょうど良い茶葉を。紅茶に溶かしたら美味しいオレンジの皮の砂糖漬けを皆で試作し。お茶菓子はどんなものにするか。どのくらい用意するか。星雲寮らしい星形のケーキや焼き菓子。甘い物の嫌いな方には春の樹花の塩漬けに木の実の揚げ菓子を。
だがそんな茶会の準備に水が差されたのは、茶会の前日になってからだ。
「やられましたわ……」
そう深い深いため息をついて談話室に集めた寮生に一枚の紙面を見せたのは、セシリーだった。
それは学院の施設課からの通達で、『メインガーデンを譲ってほしい』という内容。
これを覗き込んだ寮の面々は皆揃って首を傾げた。
内容は極めて簡便だったが、“意味”が分からなかったのだ。
だから思わず誰もが沈黙して、それからポツポツと、「え?」「あ、え?」と、頼りない声が零れ落ちはじめた。
「嘘。え? これって要するに、星雲寮主催のお茶会はメインガーデンの茶会場ではなくて、裏手のサブガーデンでやれってこと?」
そうポカンと呟いたアンナマリアに、「え?!」と皆が揃って声をあげる。
「でも星雲寮の茶会ですよね?! 数百年の歴史のある、一番最初の茶会ですよね?!」
そう目を瞬かせたのは今年入学したばかりのステファニーで、彼女の姉はかつてこの星雲寮の副寮長を務めていた。きっと姉からも色々と茶会の話など聞かされていたはずだ。
「例年通り。うちの招待客は五十名ほど。百人単位の茶会を催せるメインガーデンには少ない人数ですが、その分趣向を凝らして広々と楽しめるようにというのがコンセプトでした」
それでも学院内で五十人単位のお茶会となると、それはもう盛大なものだ。
今年の招待客の予定も星雲寮の面々を除いて四十六人。昨今の難しい状況を鑑みて、少し厳しめに選んだ招待客ばかりで、それでも政局の影響を受けないメンバーにしようにと気を付けて選んだ。
各寮の代表を招くこともまた慣例で、皆で悩みに悩んだ末、今年新たにできた七星寮の寮長と副寮長であるらしいダリッドとアイラにも招待状を出した。
これに対して両者から欠席の返信があったことも異例なことだったのだが、来ないなら来ないで良い、と割り切って準備を進めていた。
それがこの事態だ。
一体何がどうしてこうなったのか分からず、どういうことだ? と皆が首を傾げていたところに、外に出ていたジュスタスが戻ってきて、早速この談話室に顔を出した。
だがその顔は頗る不快に歪んでいて。
「原因は七星寮です」
そう言ったから、皆揃って、やはりか、と眉を顰める。
「招待客を七十名近く集めて、すでに茶会の準備を進めています。うちに出席予定だった招待客の内十三名もあちらの招待客にも重複していて、先程急遽出席できなくなった旨の届けもありました」
そのリストです、と差し出された名簿には、すぐに納得した。
フレデリカ派の貴族達や、そちら寄りの中立派ばかりだ。
「要するに学院側は、人数的な理由をつけて、メインガーデンを七星寮主催の茶会に譲るように、と私達に言ってきているのね」
聊か怒りを孕んだアンナマリアの声色に、「そのようです」と、ジュスタスも不機嫌を隠さない声色で答えた。
「学院側も馬鹿ではないでしょうに。まさかそれを認めるというの?」
アンナマリアは敢えて口にはしなかったが、なにしろ星雲寮側の茶会にはアンナマリア王女が招待されているのだ。
それにもかかわらず最も格の高い会場を七星寮に明け渡さねばならないなど、星雲寮を、そしてアンナマリア王女を馬鹿にしているとしか思えない。
良識のある学院が、本気でそれを認めたというのも信じられない。
「それともそれほどまでに、お母様の影響が及んでいるというの?」
ぐっと眉を顰めるアンナマリアに、エイネシアが気遣わし気にその背に手を添える。
片や我が子。もう片やヴィンセントに寵愛されている侯爵家の令孫。アイラの後ろにフレデリカがついているとすれば、アンナマリアにとって一体どれほどに辛いことなのか。
それを察したエイネシアの行動に、寮生の皆も口を噤んだ。
「学院側からは、あちらがすでに人数を集めていること、勝手に会場での準備を始めていることを理由に挙げられて、ことを穏便に済ませたい、と言われました」
「それで、ジュスタス。明日の茶会はどうすることになさったの?」
腹立ちはあるが、今まずなすべきは、明日の茶会をどうするのか決めることだ。
エイネシアの問いかけにすぐにもそれを理解したジュスタスが、「まずはこれを」とテーブルの上に三枚の封筒を置いた。
一つはアンナマリア宛て。もう二つはエイネシアとエドワード宛て。
すぐに手に取ったアンナマリアは、見やった文面に不快なため息を吐いて、それを皆に見せるように机の上に置いた。
エイネシア宛てとエドワード宛ても同じ文面。
まさかの、七星寮からの茶会への招待状だった。
「これはさすがに……引きますわ……」
思わずそうポツリと呟いたのはジェーナで、口に出さずとも皆同じ思いだった。
よりにもよって星雲寮から茶会場を奪った挙句、星雲寮の茶会の主賓である最も高貴な人達に、茶会の前日になって招待状を送ってくる。その神経のすべてが信じられない。
「どうなさいます?」
「どうもこうも、行くはずがないわ。こんな無礼なことをされて私が茶会に赴いてあげる理由がどこにあって?」
わざといささか高慢な風に言ったアンナマリアには、エイネシアも同感だった。
いくらなんでも礼を失し過ぎている。
「では欠席する、と」
「当然です。シア様やエドは?」
一応そう伺ったアンナマリアだったけれど、これにはエイネシアもエドワードも、同じ選択肢しかなかった。
「けれどこのまま素直に茶会場を譲ってその隣で、というのは反対だわ」
そう答えるエイネシアに、「同感です」と頷いたジュスタスは、バサバサとその場にこの星雲寮の一階の見取り図を広げた。
「なのでいっそ、寮で催してはどうかと」
「寮で?」
確かに。毎月第四土曜日、主に星雲寮の三階の住人によって開かれる恒例の茶会では、この寮の中庭や裏庭、はたまたサロンなんかで茶会が催される。
広々としたこの寮ではそれが可能なようにとの設えがなされているし、専属の庭師までいて、いつでもお客様が迎えられるような手入れが為されている。
とはいえ、星雲寮での茶会に招ける人数はせいぜい三十人がいいところ。
十三名の辞退があったとはいえ三十名以上の招待客に、さらに一応は主催者側ではない立場になるアンナマリア達三人の為の貴賓席を設け、星雲寮の他の七名のための席を用意するとなれば、明らかに定員オーバーだ。
「ですから茶会といっても立食式で、裏庭と、続きのサロンの扉をすべて解放して立食のガーデンパーティー風にしようかと」
どうだろう? と副寮長のセシリーをみやったジュスタスに、「それはいいですね!」とセシリーも手を合わせる。
「でしたらすぐに裏庭の設えをしないと。サロンの調度も整えて、寮のシェフにも予定の変更を。それから招待客への変更の通達と、待合場所になる玄関ホールや通路になる中庭の設えにも手を加えねばならないから、すぐに侍女達にその指示を出して……」
テキパキとやるべきことを並べ立ててゆくエイネシアには、「なんて頼もしい……」と皆の目が向く。
「寮での茶会はもう二年もやって来たから、慣れているわ。庭の設えの方は私が。エド、アン王女。お手伝い願えますか?」
そう問うエイネシアに、勿論、と二人が頷く。
「こちらは任せて。ジュスタスとセシリーは招待客への対応の方を優先してください」
「助かります、エイネシア姫。すぐに取り掛かります。ベネットとステファニーは私達を手伝ってくれるか?」
すぐにも名指しされた二人が頷いて、ジュスタスとセシリーの跡を続いて談話室を出てゆく。
「シシーはレナルドとジェーナを連れて、寮の使用人達にこのことの通達と、玄関ホールの清掃や、設えの指示をお願い。終ったらサロンの方の設えを手伝ってもらえる?」
「ええ。温室に寄って内装用の花も見繕って来ますわ」
流石に頼りになる慣れた様子のシシリアが、一年の二人を連れて談話室を出る。
「それからイザベルとギリアンはメリッサの所へ行って茶器や食器、テーブルクロスなんかを選びなおして頂戴。砂糖や蜂蜜なんかの用意もお願い」
それに最後の二人が頷いて談話室を出たところで、さて、とエイネシアも立ち上がる。
その様子に、思わずクツクツとアンナマリアにエドワード。アルフォンスまで俄かに笑みを浮かべているものだから、「何かしら……」とエイネシアは顔を歪める。
何を笑われているのだろうか。
「だってシア様。すごい即断即決っ」
「姉上はやはり根本は指導者気質なんですよね」
「とても頼もしかったですよ、姫様」
そう言う幼馴染達に、ハッとエイネシアは思わず頬を染めた。
そういえば、いつの間にやらジュスタスまで追い出してしまって、全部自分で指示してしまった。
これは本来、ジュスタスの役割だったはずなのに。
「私ったら……つい」
いかんいかん……。どうにも最近忙しくて、せかせかする癖がついてしまったようだ。
そうエイネシアはついつい肩をすくめるのだけれど、「いえ、姉上がお変わりなくて嬉しいです」というエドワードには、そうか、昔からそうだったか、と、少し反省した。
とはいえ、今はせかせかするくらいがちょうどいい事態だ。
かつて、『少しの困難は、政局を楽しむためのスパイスだ――』なんて怖いことを言ったのは父だっただろうか。
私はそんな人間にはできれば成りたくない、もとい、そんな状況を楽しめるほど神経は図太くないと思っているのだけれど。
しかしそう言ったならば、何故か三人には「そんなまさか」と笑われた。
◇◇◇
そうして何とか一日がかりで、寮の使用人も総出になって設えを施し、急いで使用人を走らせて招待客に会場の変更を伝えて、夜までかかって準備にいそしんだ。
せっせと南のサロンから椅子やテーブルを運び出して茶会用の設えに変えていると、ほど近い寮監事務室から出てきた寮監のマダムスミスが驚いた顔をして事情を聞いてきて、すぐにも学院側への抗議文をしたためる、と言ってくれた。
「でもなんだか皆で慌ただしくお茶会の準備だなんて、わくわくして良いわね」
ただそういつものおっとりとした様子で告げた寮監は、皆がわいわいと準備をするのを実に微笑ましい面差しで見やって、自ら花を活けたり絵を掛け替えたりと、ささやかな手伝いもしてくれた。
翌朝も早くからこの日のための菓子作りなんかに勤しんで、取り揃えた茶葉を出し、選んだカップを並べ、茶会の段取りを話し合ったりと慌ただしく働く。
そうして茶会の催される昼下がりを前にようやくすべての段取りをつけた皆は、一度部屋に戻り仕度を調える。
エイネシアも部屋に戻ると、予定していたドレスよりも少し落ち着いた、寮内での茶会にピッタリな淡いグリーンのドレスを身に着けて仕度を調える。
これで万事問題はない、と。
そう一息を吐いたところで。
それはやって来た。
「お嬢様、お嬢様! お客様がお見えです」
そう慌ただしく部屋に駆け込んできたのはエニーで、お客様? と首を傾げたエイネシアは部屋の外の太陽の位置を見る。
まだ茶会客が来るには一時間は早い。
だからどういう事だろう? と首を傾げながら部屋を出たところでエドワードと遭遇し、すぐにもエドワードが歩みよってきた。
「客は七星寮のようです。アイラ嬢と、メイフィールドの双子」
「え? 何故?」
きょとんと眼を瞬かせる。
あちらだって今日は茶会だろうに、こんな時間にこんなところで何をしているのか。
しかも何のご用事なのか。
「私とアルが応対します。姉上とアン王女は部屋にいてください」
そう言ってすぐにアルフォンスを連れたエドワードが玄関に向かって行ったけれど、何をしに来たのかはものすごく気になったので、こそこそと小階段で二階まで下りて、玄関ホールを見降ろせる吹き抜け周りの巡り廊下に身を潜めて一階を伺った。
すぐにも同じように気になったらしいアンナマリアがやってきて、二人並んで声を潜めて階下を見やる。
そこでは早速、「ごきげんよう、エドワード様。まぁ、アルフォンス様まで」と目を瞬かせて、大した礼も尽くさずに、相変わらず馴れ馴れしくするアイラの姿があり、その後ろでこげ茶色の髪と鮮やかな青い瞳をした小柄な二人が、「あれ、アン王女いないじゃん」とキョロキョロしていた。
あれがメイフィールド家の双子だろうか、と視線を向けたエイネシアに、アンナマリアガコクリと頷いて見せる。
アイラのいつもながらの無礼な態度はともかく、公爵令息を前に突然の訪問を詫びることもなく、礼も尽くさない伯爵家の双子。
なるほど、これは確かに、アンナマリアの言っていた通りの人物のようだ。
「何か御用ですか? 生憎と王女殿下も姉上も、忙しくて手が離せないのですが」
そう少しも取り繕わないピリッとした声色で言うエドワードに、「ごめんなさいっ。お怒りにならないでねっ」と、アイラが甘えた声を出す。
「私、お詫びをしに参りましたの。私達のせいで茶会場を出て行くことになったとお聞きしたものだから。ごめんなさい。そんなつもりではなかったの。ただ思いの他、私達のお茶会に来たいと言って下さった方々が沢山いらしただけで」
はて、何だろうか。喧嘩を売りに来たという事でいいのだろうか。
「謝罪ならば今日の主催者であったジュスタスやセシリーにどうぞ。もっとも、今更そんなものは誰も欲していませんが」
「やっぱり怒っていらっしゃるのね、エドワード」
そううるっと涙目を見せたアイラには、エドワードがピクリと眉を吊り上げた。
それは顔を見ていないエイネシアやアンナマリアにもありありと分かった。
確かに、ゲームでは中盤からアイラはエドワードのことをそう呼び捨てていたが、当たり前ながらこの現実でそう呼ぶようになる切っ掛けなんて何一つありはしなかった。
エドワードが静かに怒気を起こすのも無理はない。
「だからお詫びにうちのお茶会に誘ってあげてんじゃん」
「アイラ様。早くお連れして帰りましょうよ。もうすぐうちのお茶会も始まっちゃうわ」
物珍しそうに星雲寮をきょろきょろと見やりつつ、しかしもう飽きたとばかりに不躾なことを口にする双子には、「なるほどこれが」とエドワードも目を細める。
「もうっ。フレイゼンもフリージアも、そんなに急かさないで。今そのお話をするところなんだから」
そう微笑んで見せながら言うアイラが、それで、と上の方を見上げながら首を傾げた。
「アン王女とエイネシア様はどちらに? 私、皆様をお迎えに来たんです」
ニコリと微笑んでそんなことを言ったアイラに、エドワードは一層目を細めて、やがて小さく息を吐いた。
何を言っているのか、一瞬分からなかったが。
まさか本気でそう言っているのだろうか。
つい先日、このアイラが関与している事件で姉を誘拐されたばかりだというのに、エドワードが本気でそれにニコニコと「喜んで」だなんて頷くと思っているのだろうか。
ありえない。
「何の迎えです? 私達は生憎と、これからジュスタスの催す茶会に出席することになっていて、それ以外の予定はありませんが」
だからそうきっぱりと告げたところで、「えっ?!」とアイラがキョトンとした顔をした。
「でも星雲寮の茶会は中止になったのでしょう?」
一体どこ情報だか知らないが、さも当然のようにそう言ったアイラには、「中止した覚えはありませんよ」と、奥からジュスタスとセシリーが顔を見せる。
「貴方、誰?」
しかしよりにもよってそう訝しげにしたアイラには、ジュスタスが非常に呆れた様子で、「私をご存知ないんですか?」とだけ口にした。
仮にもシンドリー侯爵家の養女となったアイラが、同格のノージェント侯爵家の令息に対して問うにはあまりにも不躾な問いだった。
「大体中止じゃないって……何故? それに何で貴女がそこにいるのよ。セシリー」
ピリッとした声色でアイラが見やった先で、セシリーがビクリと肩を揺らす。
しかし、「何故といわれても、セシリーはうちの寮の副寮長ですから」と、その目の前を庇ったジュスタスには、セシリーも顔をあげた。
「まぁ! 去年散々私にエイネシア様の悪口を吹き込んだ貴女が、エイネシア様のいらっしゃる寮の? いけませんわ、そんなの! エドワードっ、お姉様のことを思うなら、そんなのは絶対にッ……」
「貴女に言われる筋合いは微塵もない」
今までで一番厳しい声色と口調が、ピシリとアイラの口を噤ませる。
その冷ややかな視線に、思わずトツ、とアイラが一歩引き下がった。
「姉上はセシリーの謝罪を受け入れた。姉は貴女と違って、“真実が分かる”御方だ」
「なっ」
カッと顔に血を昇らせたアイラだったけれど、すぐにジロリとジュスタスの方を睨みつけると、反論の言葉も思いつかず、ふんっ、と粗放を向いてセシリーから標的を逸らす。
「まぁ、弟君がそう仰るのならいいけれど。精々お気を付けになることね」
「用が済んだのならもうお引き取りを」
そう追い出しにかかったエドワードに、「待って! まだ済んでいないわ!」とアイラが再びキュルンと大きな目を瞬かせてエドワードの腕を掴む。
ぐっと身を乗り出して、上目遣いにキラキラと目を輝かせるアイラ。
きっとこうされて心を動かす男は多いのだろう。
だが如何せん、極めて無礼なその態度に眉を顰めたエドワードには、アルフォンスがすかさずその間に割って入って、剣を掲げてアイラをドンッと押し戻した。
それを、きゃっ、という悲鳴をあげてわざとらしくアイラがよろめいて離れる。
「ッ、何をなさるの、アル!」
ついにはアルフォンスのことまでそう馴れ馴れしく呼んだアイラだったが、それに顔色の一つも揺るがさないアルフォンスは、「失礼を」と無感情な声色で謝罪をする。
「しかしエドワード卿は王家のご血縁です。今後は不躾にお許しも無く触れるような真似はお控えを。それを咎めるのが私の職務ですので」
そう真正直に言われては、アイラも一瞬言葉を失った。
しかしすぐにきゅるきゅると目を瞬かせて見せると、「まぁ、そんな、酷い」と口にしてみせる。
「だって私もいずれはヴィンセント様と結婚して身内になるのだもの。親しくしたいと思うのはそんなに駄目なことですか? だってエドワードはヴィンセント様のハトコなのでしょう?」
だったら私にとってもそうです、と微笑んで見せたアイラには、思わずエドワードが息を吐いた。
だからどうした、と言ってやりたいのだが、今はむしろこのままこの何を言っても意味のなさそうな会話を続けている事の方が億劫だった。
「それは用件に関係のあることですか?」
だからそう暗に関心がないことをアピールしたところで、「ですから親しくしたいと思って、皆様をお迎えに……」と、手をあわせたアイラがニコニコと微笑んでみせる。
だがそれを打ち捨てるように、「アイラ嬢」と呼んだエドワードの冷ややかな声色が、アイラに言葉の続きを噤ませる。
「貴女が本当にヴィンセント殿下の許嫁でありたいのならば、せめてそれに恥じない常識くらいは身に着けるべきだ」
「え?」
「その意味が分からない内は、私の目の前に二度と現れないでもらいたい。不愉快だ」
そうさっさと踵を返した辛辣すぎるほどのエドワードの態度には、ポカン、と、二階の隅で、エイネシアもアンナマリアも呆気にとられてしまった。
未だ曾てここまで真正直なことを言った人がいただろうか。
現にアイラまでもが下でポカンと硬直してしまっていて、平然とそれを放置して大階段を上がってくるエドワードに少しも動じていないのは、後ろを着いてくるアルフォンスだけだった。
二階まで上がったところですぐにエイネシアとアンナマリアを見つけたエドワードは、「やっぱり見ていらしたんですか」といつもの調子で言いながら、同じように柱の影に立って階下を見やった。
日頃エイネシアの前では、良かれ悪かれ姉想いな紳士だから忘れていたが、そういえば本来はそういう、懐の外の者には容赦なく冷ややかな性格なのだったか。
だが階下ではそんなエドワードの態度に、驚くこともめげることも無いようで。
「なんて無礼なやつ! アイラ、アイツのこと、ヴィンセント兄様に言った方がいいぞ!」
「せっかく綺麗なお顔してるのに、こわーい」
ぷりぷりと声を高らかにするフレイゼンと、カラカラとおかしそうにしているフリージア。そんな二人にクスクス笑いながら、「もうお二人ったら」なんて言っているアイラ。
その呑気な様子には呆れてしまう。
だが決してそうばかりでないことは、わずかに、ジロリ、と階段を睨みつけたアイラの本来の表情によく表れていて、二階で皆もそれをジッと静かに見降ろした。
「残念だけれど、エドワード様はご欠席みたいね。帰りましょうか」
「どーせエイネシア姫がそう言えって言ってるんでしょ?」
「アン姉様が可哀想。もしかして寮に閉じ込められているのかしら?」
そんなことを声高らかに言いながら踵を返すアイラについてゆく二人には、「なっ」とアンナマリアが拳を握って怒りを露わにしたけれど、それは、まぁまぁ、とエイネシアとエドワードが二人がかりで窘めておいた。
ここで王女様に暴れられたら大変だ。
それを察してか、ジュスタスが殊更急いで三人を急き立て、「私、まだアン王女に」なんて言っていたアイラを押し出して、バタンと勢いよく寮の扉を締め切った。
これでようやく、ほっと安堵する。
「なんというか……非現実的な人達よね」
思わずそうポツリとこぼしたのはエイネシアで、「その気持ちは少しわかります」と、すかさずアルフォンスが頷いた。
これまで当たり前と思っていたものがまるで通用せず、それで悪びれるわけでもなく、少しもめげることも無く、堂々と礼を失する人達。
それはもはや現実的ではない何かであって、とても平常心では相手にできる気がしなかった。
今回は何とか引き下がってくれはしたけれど……、と、そう息を吐いたところで。
「皆様ッ、大変ッ。大変でございます!」
慌ただしく駆けてくる侍女の声。
「裏庭が、少し目を離した隙に荒らされてッ!」
駆け込んだ裏庭。
棒で薙ぎ払われたように花が落ち、枝が折れ、設えられていたテーブルが土で汚れ、折れた枝に傷つけられた姿。
花瓶は割れ、花が散り、地には花瓶からこぼれた水たまりができ。
踏み荒らされた花の跡が、憐れなほど。
それを皆はただ呆然と見やりながら。
ふつふつとたぎる言いようのない怒りを、ぐっと拳の中に握りしめた。
「要するに私達は……真っ向から、喧嘩を売られたという事よね?」
ただ静かにそう呟いたアンナマリアの声だけが俄かに響き。
この日を境に、学院はまさに星雲寮対七星寮とでもいうような様相を露わにしていったのである。