3-11 新学期(1)
「シア様、シア様! 聞いたわよ! 二十人から一斉にプロポーズされたんですって!?」
新学期早々、星雲寮で久しぶりに会ったアンナマリアが出会いがしらにそう言ってエイネシアの肩を叩いた瞬間、あぁ……、と、エイネシアは頭を抱えて項垂れた。
もうやめてほしい。
ほら。隣でエドワードがものすごい怖い顔になっているから。
「アン王女……その話はおやめになって……」
「ふふっ、どうしてっ? 噂を聞いてから、もうずっとこの話がしたくて仕方が無かったのに。まさかの逆ハーレムルート?」
「もう。ほらっ。エドが怖いお顔になってる!」
そう言ったところで、「いつもの顔よ?」なんてアンナマリアが言うものだから、二の句が継げなかった。
ニコニコと恐ろしいエドワードの顔色は、すでに標準装備と認識されているらしい。
「アン王女。お間違え無く。二十人ではなく、十七人ですよ」
しかも何故かそんな訂正をするエドワードには、「何で知ってるのよ」と突っ込みたかった。
だが如何せん、この話には裏がある。
「取りあえず、真に受けないで頂戴ね、アン王女。これはちょっとした事情があって、お父様が情報操作に動いた結果の、ただの心無い求婚合戦なの……」
「求婚、合戦?」
そう首を傾げて意味が解らないという顔をしたアンナマリアに、ふっとエドワードが恐ろしい面差しを引っ込めて苦笑した。
そう。エドワードだって、この話の裏はちゃんと存じている。彼が怒っているのは、その原因を作った一人の大公殿下のことだけだ。
「一人、公衆の面前で姉上を誑かした天然お花畑異邦人がいましてね」
「それ、アレクお義兄様よね。絶対」
思わずアンナマリアが即答した。
「その話題を鎮静化させるために、父上が裏で働きかけて、アーデルハイド家が姉上の新たな許嫁を探しているといったような噂を流したのですよ。さらにザラトリア候がこれに加担して真っ先にアルフォンスの名前を挙げたものだから、まけじと色々な名だたる権門が名乗りを上げて、この現状に」
エイネシアも最初は何事かと驚いた。
ザラトリア候が近衛の連中に働きかけて的なことを口にしていたから、最初はそのせいだと思った。しかし上がってくる名前の大半が近衛とは関係のない文官の侯爵家の子弟などの名前だったから次第に分からなくなり、やがてそこに“ジュスタス・ニーズ・ノージェント”の名前が挙がったところで、『そうか、これはお父様の仕業だわ!』と気が付いたのだ。
何処からどう考えても、友であるジュスタスがエイネシアに求婚するだなんて微塵も想像ができなかったし、その上ジュスタスからは即刻手紙が届いて、『これは一体何の祭りですか?』なんて呆れたように書かれていたから、ピンときた。父が情報操作に働きまわっているのだ、と。
こうして方々から名だたる貴族の子弟からの求婚があった、という噂を流すことで、アレクシスの求婚騒動の噂を緩和し、さりげなくそのことへの人々の思考を麻痺させようとしている。
その結果が、十七人から同時に求婚されるという、アンナマリアが思わずエイネシアの肩を叩いて笑い出すほどの異様な事態を引き起こしているのである。
ちなみにグレンワイス大公家からも縁談を求める大公の直書があったが、これは引き籠りなはずのハインツリッヒが自らアーデルハイド家に乗り込んできて、『見なかったことにしろ!』と、父大公の手紙を引き裂いて暖炉に放り込んだ。
深いため息を吐きながら頭を抱えて、暖かくなり出したこの季節に暖炉の火を掻くハインツリッヒの後ろ姿は、なんだかちょっと面白かった。
こうしたことの顛末を話したところで、なんだ……とアンナマリアが話題を取り下げてくれることを期待したのだが、しかしどうしたことか、「まぁまぁまぁ!」と、ものすごく食いつかれたから驚いた。
「アン王女? 一体何をそんなに目をキラキラさせて……」
「アレクお義兄様ったら、ついにやったのね」
「えー……」
そこに食いついたか……。
「もう……からかわないで。それも、仕方なく、ですよ」
誤解が無いようにとそう言って、深い深いため息を吐く。
「アレク様は私を庇って下さっただけなの。私をいまだに所有物だと思っていらっしゃる王太子殿下を咎めてくださって。私と殿下の事情に口を挟む権利を得るために、プロポーズだなんてとんでもない狂言をなさったのよ」
「そんなのただのきっかけでしょう? 私はいつまでたってもくっつかない貴方達にずっとやきもきしていたのだけれど」
「アン王女ったら。くっつくも何も、私にとってアレク様は兄のような人で、アレク様も私のことを妹だと思っていらっしゃるわ」
そう呆れた顔をしたところで、「本気で言っているの?」と、アンナマリアが微妙な顔で首を傾けた。
だが本気もなにも、その通りなのだ。
実際にエイネシアは何度もアレクシスに、『シアは私の可愛い妹だよ』と言われている。
アレクシスが可愛がってくれるのも、優しくしてくれるのも。たまに困るくらい甘やかしてくるのも。全部、エイネシアを妹のように大切に可愛がってくれているからだ。
手を取るのも、エスコートするのも、それにエイネシアを膝の上に乗せたあの行為だって。全部、子供扱い。
いつもいつも余裕な顔で微笑んで、そうやってエイネシアをぐいぐいとひっぱって。エイネシアはいつも振り回されっぱなし。
それを心地よいと思うし、嫌でもない。
嫌ではないからこそ、そんなエイネシアを守るための空虚な求婚が、切なくもあるのだ。
こんなこと、ちっとも望んでいなかったのに。
「お賑わいのところ、失礼します」
そこに折よく扉を叩いて顔を出した人物に、「あら!」とアンナマリアが目を瞬かせた。
「アル、どうして星雲寮に?」
身を乗り出すアンナマリアに、クツリと少し口元を緩めた卒業したはずのアルフォンスが、手にしていた書状をエドワードへと差し出した。
ザラトリア候からの手紙だったようで、すぐにエドワードはそちらに視線を移す。
「大茶会の日の事件の犯人がまだ皆捕まっていないの。それでザラトリア騎士長が、アルを私の護衛にと付けてくださったのよ。アルには申し訳ないのだけれど」
そう見やった先で、「私のことなら構いません」と言う。
この春からアルフォンスは正式な騎士として近衛に入隊しており、本来なら近衛恒例の新人扱き大遠征が行なわれているはずだった。
だが学院でのエイネシアの護衛を選出するに当たって、エイネシアの傍に居てもおかしくなく、かつ腕が立ち、昨今の学院情勢も通じた星雲寮に顔の利く人物として、アルフォンスが選ばれたのだ。
そもそもアルフォンスは今更新人いびりに駆り出されずとも幼少期からザラトリア候に扱き抜かれているから、実際にこの半月ほど遠征に参加していた間も、一人だけケロッとした顔をして教官達を唸らせていたらしい。
そのため教官たちの満場一致で遠征場を追い出され、この初任務に宛がわれたのだとか。
エイネシアとしても、良く知る顔が護衛となってくれるのは気が楽で良かった。
「そういえばアル。貴方もシアお義姉様の許嫁候補なんですって?」
そうクスクス可笑しそうに笑ったアンナマリアには、「それは……」と、アルフォンスがとても困った顔で頭を抱えた。
「まったく……申し訳ありません、姫様。父が……」
「いえ、いいのよ。元凶はうちの父だもの」
そう肩を落としてため息を吐く二人に、「例えアルでも姉上は簡単には差し上げませんよ」などと笑ったエドワードが手紙を閉じて会話に交じった。
「心配せずとも、そんなことには絶対にならない」
「あら、アル。その言い方はいささかデリカシーが無くてよ?」
貴方はそういうところが駄目ね、というアンナマリアに、アルフォンスは慌てて身を乗り出す。
「いえ、すみませんッ。エイネシア姫が魅力的ではないとか、そういうことを言っているわけではなくっ……」
「ふふっ。フォローなんていらないわよ、アル。幼馴染だもの。いちいち説明されなくたって分かっているわ」
根が真面目なアルフォンスにとって、エイネシアとは昔から護衛対象であり、ヴィンセント王子の許嫁という認識だったのだ。それを今更許嫁がどうのこうのと言われて、すぐにそれに順応できるような器用な人間でもないし、アルフォンスがエイネシアをそういう風に見ることは多分一生ないと思う。
それはエイネシアも同じで、お互いにちっとも想像がつかない。
多分アルフォンスにとってのエイネシアは永遠にアーデルハイド家のお姫様であり、エイネシアにとってもアルフォンスとは大切な友人で在り続けるのだろう。
「でもアルがいてくれるのは本当に心強いわ」
「授業中などは教室の外にいますが、寮への行き来や外出の際などは自分を連れて行ってください。暫く窮屈だとは思いますが……」
「大丈夫。ザラトリア候からも念を押されていますから」
こういうのは面倒かもしれないが、しかし今が本当に大変な事態であることをご理解ください、と、候には散々念を押された。
その上、『もし息子の目をくらましてどこぞの殿下のように行方不明になるようなことがありましたら、プライバシーの欠片も与えぬほどの監視体制へと切り替えることになりますので、お覚悟を』とギリギリと拳を握って訴えられ、『はい……』と大人しく頷かざるを得なかった。
ザラトリア候も、どうやらあの放蕩王子には困っているらしい。
「私にも、候から念を押す手紙が届きましたよ。姉上、くれぐれも気を付けてください」
そう言うエドワードにも、「ハイ……」と大人しく頷く。
この子も、あの事件があって以来ちょっと怖いのだ。
それはもう今にも犯人をとっつかまえてなぶり殺しそうなくらいの剣幕で、怪我も無くすぐに薬も抜けたというのに、エイネシアをベッドに押し込めて三日も起き上がらせてくれなかった。
勉強の類の本もすべてエイネシアの部屋に持ち込んで、ベッドサイドで延々エイネシアを監視するエドワードは実に真剣で、それはほどなくお見舞いに現れたアレクシスへの、『勝手に姉上に求婚をしやがった不埒者は私がすぐに追い払いますので、姉上はどうぞそのままお休みください』の言葉にその理由のすべてが詰め込まれていた。
まったく、どうしてこの子はこんなにもアレクシスとそりが合わないのだろうか。
不思議で仕方がない。
「それより今年の入寮者は? 今ジュスタスとセシリーが迎えに行っているのよね?」
こういう時は話題を変えてしまおう、と、パッと表情を変えてエイネシアが切り出す。
今日は新学期初日。昨日から引き続いて続々と皆が寮へ戻ってきている。エイネシアとエドワードも今朝寮に戻ってきて、先んじてオリエンテーションに出向き、エイネシアが寮に戻ってきたところで一足早く戻っていたアンナマリアと再会した。アンナマリアも今朝戻って来たらしい。
今は入学式の真っただ中で、今年の寮長のジュスタスと副寮長のセシリーが、恒例のお迎えに出向いている。
ジュスタス曰く、「今年の入寮者は厳選に厳選を重ねてじっくり審査をしましたから安心してください」とのことだったが、まだ詳しいことは聞いていない。
「確か、ビアンナの弟がいるとか」
「ええ。ベネットといいます。とても機転がきき優秀ですが、姉とは似ても似つかぬ温厚な性格ですよ」
それは……ちょっと想像ができない。
「それから、リックの甥だったかしら」
アレクシスの側近兼護衛を担っているディーブレイ伯リカルドの兄の長男が、今年入学だと聞いていた。『私が手塩にかけてしごきあげているので、護衛としても多少は役に立ちますよ』とかリカルドが言っていた気がする。
「レナルドですね。私のハトコです」
そう言うアルフォンスに、そういえばそうだった、と思い出した。
リカルドは親戚のディーブレイ伯爵家を継いだけれど、実家はグランデル侯爵家。この現グランデル侯は、アルフォンスの父であるザラトリア候とは従兄弟に当たるのだったか。
「あとはシャーロット侯爵家の次女のステファニーと、エマニエル侯爵家の三女のジェーナですわ。お義姉様は、シャーロット家の長女とはご面識があるのでは?」
「昔副寮長を勤めていたスティーシアの妹ね。この間の上王陛下のお茶会にいらしてたわ」
それにエマニエル家も聞き知っている。三女がいたとは知らなかったが、長女と次女はどちらも女性ながら外交官や財務官として働く優秀な才女達で、父の宰相府や茶会でお目にかかったことがあった。
なるほど。確かにジュスタスは厳選に厳選を重ねて選んでくれたらしい。
「今年はその四人だけ。来年はあの可愛いアンジェリカが入ってくるのよね。楽しみだわ」
そう早くも来年の話をしているアンナマリアには、「気が早いですよ」と苦笑した。
「そういえば……フレディとグエンの二人は、星雲寮を出たとか」
怪訝そうに言ったアルフォンスの言葉に、うむ、と、皆一度口を噤む。
グエン・キール・ラグズウィードは、この春本格的に取り調べが行われたエイネシアの印章の偽造問題について、その当事者であったことを公の場で明らかにされた。これによりグエンの父、ラグズウィード伯は貴族院評議会の退任を迫られることになった。
子息が公爵令嬢のご印章を偽造したのだ。当然のことで、庇う声はあったものの(特にフレデリカ派の貴族から)、紋章院が断固としてこれを許さなかった。
近衛はグエンに印章を盗み出す指示を出した側のことも詳しく取り調べようとしたが、しかしそれについては『見抜けなかった罪を王太子とその許嫁の侯爵令孫にかぶせるつもりですか』というフレデリカ妃の強気の発言が彼らを足踏みさせ、さらにグエンの罪に加担することになってしまったセシリー・エット・ランドールの罪を許したい、という、エイネシアの意思が尊重され、ラグズウィード家にもそれ以上の罪は与えられなかった。
それでも貴族院評議員が一人、中立派である紋章院の弾劾によって退任に追い込まれたことの意味は大きく、くしくもエイネシアが所領に引き籠ってバカンスを楽しんでいる間に、王都は大変なことになっていたのである。
グエン自身については、問題の手打ちを受けて厳重注意に事が済まされたが、しかしこの一件を受け、新寮長ジュスタスが自ら退寮通告を出したのは当然のことである。
フレディ・ワーズ・クレイウッドの方は、問題を起こしたわけではなかったが、フレディが自主的に退寮届を出した。
クレイウッド侯爵家も貴族院評議員の立場とあってフレデリカ派の貴族である。フレディ自身は学院では中立的なポジションを貫いていたのだが、今期に入って、『父がどうやら派閥だ何だに踏み込んでいるらしい』とため息を吐きながら、退寮届を出した。
「二人とも、例の“アイラ嬢の寮”に?」
眉を顰めて言うアンナマリアに、エドワードが首肯する。
「七星寮、という名前だそうですよ。王族から騎士爵まで、七階級すべての人間が分け隔てなく平等に入寮できる寮だそうです」
皮肉がかった声色で言うのはその星雲寮ばりに豪華なお屋敷で、集められたのがフレデリカ派の貴族の子弟ばかりだという現状を知っているからだ。
上はシンドリー家のダリッドやアイラ。下は現実として、精々男爵家まで。
分け隔てなくと言っているが、入寮者数は三十名ほどの少規模で、美園寮などにいた子女子弟が取分け多く移動したらしい。
これには星雲寮の寮監であるマダムスミスも、『ただでさえ部屋数が余っているのに、どうしてあんな贅沢な新しい寮なんて建てたのかしら』とため息を吐いていた。
七星寮がどんな寮かは見ていないので知らないが、おっとりしたマダムスミスが贅沢と漏らすほどのものだということだけは確かだ。
「フレディやグエンのような貴族院関係の子女子弟と、例のメアリス・ニデア・ノークウッドでしたか? そうした取り巻き達。それから、メイフィールド家の双子ですね」
「フレデリカ妃の甥姪ね」
これが一番の懸念事項だ。
「私は会ったことないのだけれど……」
そう首を傾げたエイネシアに、見る見るアンナマリアの顔が顰め面になってゆく。
フレデリカの甥姪ということは、アンナマリアにとっては従姉妹に当たるはずなのだが。
「最悪ですわよ。例えるならシンドリー侯爵プラスお母様、かける一・五倍」
「……」
「……」
「……」
悲惨な例えに、誰もが言葉を失った。
「我儘王国の王子様とお姫様で、先の上王陛下がその悪辣っぷりに、『私の在位中は少なくともアレを登城させないで頂戴』と仰ったという伝説を残している双子だわ」
「それはむしろすごい……」
「逆にちょっと見てみたい……」
そう囁くアーデルハイド家の姉弟には、「本当に貴方達って」とアンナマリアが呆れた顔をした。
「取合えずアル。あの子達はシンドリーばりに自己顕示欲が強くて怖いもの知らずな上に世界は自分達を中心に回っていると勘違いしているから、くれぐれもこのお二人に近付けないように気を付けて頂戴ね」
「ええ。分かりました」
「ついでにお母様ばりに図太いから。シア様もエドも。あの二人を言葉でどうこう説得しようとかまず無理だから。それだけは覚えておいて……」
そこまでアンナマリアに言わせるというのはどうなのだろうか。
「ただ幸いにして、頭も悪いわ。アイラ並みに。ものすごく」
さらにそうまで付け足されては、まともな反応もできなかった。
それは本当に……どうなのだろうか?