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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(上)
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3-10 陰謀(4)

「怪我はない?! シア!」

 ぐっと上王陛下のふくよかな体に包み込まれたエイネシアは、わっぷっ、と、一瞬息を詰まらせた。

 それを制してくれたのは国王陛下で、上王陛下の腕から解放されると、「何事もなくて本当に良かった」との言葉をかけて下さった。

 この数年ですっかりとやつれてしまった剛毅だったはずの国王様の姿には、なんだか申し訳ないような気持ちで一杯になった。


 そんな二人に指示されて向かった先は外廷の外れにある近衛の詰所で、エイネシアとアレクシスが現れると、近衛達が皆威儀を正して出迎えた。

 すぐにも近衛が一人出てきて、「ご足労をおかけして申し訳ありません」と詫びながら、二人を詰所の中ではなく外の倉庫のような場所に案内する。

 そこには公爵家の黒の馬車が停まっていて、あっ、とエイネシアも足早にそちらに向かった。

「姫様!」

 馬車から少し離れた場所にはぐったりと椅子に座っていたシロンの姿があり、その無事な姿に、エイネシアは隠すことなく安堵の吐息を溢した。

「シロン。良かった……本当に良かった。怪我はない?」

 そう手を差し伸べたところで、シロンがすぐにも深く頭を下げる。

「申し訳ありませんッ! このような危険な目に合わせてしまい。私がっ。私が、もっと警戒をしていればッ!」

「いいえ。その警戒を制したのは私だわ。あの花にもすぐに気が付いたのに。あぁ……でも無事で良かった」

 ぐっと奥歯を噛み締めるシロンの表情は暗く、エイネシアもそれ以上の言葉を思いつくことができなかった。

「姫様。ご足労をいただき有難うございます」

 そこに、ドンと胸に手を当てて礼を取ったがたいの良い騎士が一人挨拶をする。

 そのピシッとなでつけた黒髪と精悍な面差しには、エイネシアも見覚えがあった。

「ザラトリア騎士長……」

 少し沈んだような声色を心配したのか、「先に解毒を処方させますか?」と言われたから、顔をあげて、「大丈夫です」と気丈として見せた。

「まずはすぐに近衛を動かして下さったこと。有難うございます。本当に……助けられました」

 そうつい今しがたの事を思い出しながら、感謝の礼を尽くす。

「それで、今回のことをお話すればよいのですよね?」

 そう促したところで、一つ顔色を濁した騎士長は、「そうなのですが……」とても言い辛そうに背後をチラリと伺った。

 その視線に、自然とエイネシアの視線もそちらに向く。


 馬車の隣。床の上にこんもりとした白い布が寝そべっている。

 人間の大きさの白い布。

 僅かに鼻につく……血の匂い。


 たちまちひやりと背中が震え上がる。

 まさか、と足を踏み出したところで、「姫様……」と、心配そうなザラトリアの声がする。

 その声色に、察してしまった。

 そこにあるのは、“誰かの死体”だ。

 そしてそれは、犯人ではなくて……。

 思わず、その二つの白い布の傍らに、倒れるように膝をついた。

 その手前の布を、恐る恐る捲って。現れた顔を見た瞬間、じわっ、と、人目も忘れて涙がこみ上げてきた。

 シロンが無事だったから。あぁ良かった、と。何もなかったのだと、そう安堵していた。

 でも違った。

 血に濡れた茶髪。胸元に添えられた剣。青白い顔をしてピクリともしない、まだ若い精悍な騎士。

 間違いない……上王陛下が付けて下さった近衛の騎士だ。

 そしてもう一つの布からうかがえる少し小ぶりな女性と思しきシルエットと黒髪は、あのスースラの実を潰した女性だろう。

 どうして。何故この二人が、と、顔が青ざめてゆく。

「シア……」

 そっと背中に添えられたアレクシスの手が温かい。

 その手が余計に、人目を忘れさせてエイネシアに涙を流させた。

 ポロポロと落ちる涙を掌で受け止めながら、嗚咽を溢して身をよじる。

 分からない。

 何があったのだ。

 どうしてこうなったのだ。

「どう、して。どうして……」

「大公殿下のご協力の元、実行犯の一人を捕えてあります。まだ口は割っていませんが、他にも仲間が数人いたはず。彼らはその者達の手で……」

「フリックッ。御者は!?」

 ハッと顔をあげたエイネシアに、「深手を負っていますが、命は助かりそうです」と言われて、少しだけほっとした。

 けれどどうしてこの二人が。それに犯人側であるはずの、この女性まで。

 そうだ……名前も聞いていない。

「ザラトリア候……。彼の、名前は?」

 そう涙をぐっと手の甲で拭いながら、そう彼の部下であったはずのその人の名を問う。

「アーマンド。アーマンド・イースリーです」

「アーマンド卿……」

 ごめんなさい。ごめんなさい、と、そっとその白い布の上に手を添えた。

 そこにはもう熱もなく、硬くなった体が、その人が死んでいることを顕わにしていた。

 それがぞっとするようで、だがそれ以上に悲しみの方が勝った。


 一体どれほどそうしていたのか。

 エイネシアが動かずとも、急いでいるはずの彼らは少しもそれを咎めたりはせず、ただただアレクシスが背中に手を添え続けてくれていた。

 そうしてようやく気持ちが落ち着いたところで、ぐっと奥歯を噛み締めて顔をあげる。

「ザラトリア候……教えて下さい。一体、どうして彼らが……」

「ええ。お話を致しますので、どうかまずは暖かい部屋の方に」

 そう促した騎士長に一つ頷き、もう一度アーマンドの遺体を見やると、黙祷を捧げてから立ち上がった。

 見れば馬車には血が飛び散っていて、車軸が僅かに歪んでいる。

 その様子に聊か足元が頼りなく絡んだけれど、それにはアレクシスが何も言わずに手を引いて、体を支えてくれた。


 その手を頼りにして、傍らの扉から近衛の詰所の中へと立ち入り、ほど近い落ち着きのある部屋へと招き入れられる。

 そこには先んじて父ジルフォードがいて、エイネシアが姿を見せると、珍しくほぅ、と安堵の息を吐いて眉間を揉みほぐし、エイネシアの目の前まで歩み寄ってきた。

「怪我はないな?」

「私は平気です。ご心配をおかけしました……」

「いや、無事ならいい」

 端的な言葉ではあるが、安否を問うてくれるだけでも珍しいことで、それだけで充分に父が心配してくれていたことが分かった。

 その父に促され、アレクシスと父に挟まれてソファーに腰を下ろす。

 その傍らに律儀に立ったシロンには、薬の余韻を慮ったアレクシスが「構わないから座りなさい」と促した。

「早速ですが、姫様。まずは事の経緯をご説明いただけますでしょうか」

 そう促すザラトリアに、チラとシロンの様子を伺えば、すでにシロンは語った後のようで、コクリと頷かれた。

 なのでシロンが語ったであろう前半は簡潔に。道すがら馬車の前に倒れ込んだ女性をエイネシアが馬車に誘って、それから事情を聞き、教会にと促したことを掻い摘んで話した。

「その女性に心当たりは」

「いいえ。ただ見た雰囲気は、どこかの貴族の屋敷の侍女のようだと感じました。お仕着せのような恰好もそうですが、口調や物腰が。あくまで私の主観ですが……」

「私も同じ見解です」

 そうシロンが言ったので、やはりか、と、エイネシアも頷く。

「転んでついた傷とは別の、青痣などもありました。おそらく恒常的に体罰か何かを受けていたのだと思います」

「なるほど……」

「それから道中も、少し気になるほどに謝罪を口にしていました。日頃から怒鳴られることが多く癖になっているのかと思っていましたが、今になって思えば、ことを起こすに当たって、私達に謝罪していたようにも思えます」

 実際にエイネシアは、彼女がスースラをはじけさせた後に、涙ながらに一緒に眠りに落ちて行くところを見た。

 本当に申し訳なさそうに、でもこうするしかないといった様子で。

「彼女は……どうして……」

 犯人側の彼女が、どうして死んでいるのか。

「おそらくスースラの花で一緒に眠ったところを、口封じされたのかと。首に絞殺痕が残っていました」


 ザラトリアいわく、公爵家の馬車が人気のない路地に入ったところで、件の女性が薬を使って皆を眠らせて、犯人グループが御者とアーマンドを襲撃したようである、と。そこでエイネシアと女性を別の馬車を移し、荷馬を装って王宮に向かったらしい。

 この女性は、その荷馬で、麻布に包まれた状態で発見された。

 見つけたのは、アレクシスとリカルドだった。

 エイネシアが待ち合わせ場所に来ないことを心配して、近くを見回りに行った彼らが最初に見つけたのは、この打ち捨てられた公爵家の馬車と、フリックとアーマンドの血まみれの姿だったという。

 すでに人だかりが出来て衛士が調べを始めていたが、馬車から運び出されたシロンを見たアレクシスが、すぐに近衛に使いを走らせて、この件は近衛に所管が移った。

 間も無く住民から、通りで馬車を襲った黒づくめの男達がいたことが知らされて、彼らが乗り去った荷台を付けた馬車とやらの行方を捜したところ、どうやら真っ直ぐと貴族達のタウンハウス街の方に向かったらしいことが分かった。

 まさかと半信半疑で王宮へ引き返していたところ、ガラガラと高速で王宮から下ってゆくそれらしい荷馬を見かけ、アレクシスとリカルドがそれを引き止めた。

 思わず逃げ出そうとした御者台の男を捉えたのはリカルドで、開け放った扉の中には、すでに息のない女性の遺体が一つだけあり、エイネシアの姿はなかったそうだ。

 すぐに捕まえた男から、彼らが雇われただけのごろつきであること。そして金の髪の女の方は王宮に届けた、との情報がもたらされ、その場をリカルドに任せて急ぎ王宮に駆け付けた、というわけだ。

 そこで近衛に国王に事の報告をするように言づけて、アレクシスは急いで大茶会の場を目指した。

 理由はない。ただ直感で、そこしかない、と思ったのだ。

 そして偶然にもヴィンセントがエイネシアを突き飛ばしている場面に遭遇し、慌ててその手を伸ばしたのである。

 彼女が生きていたことに、どれ程安堵したことか……。

 その顛末を聞き、エイネシアは思わず顔を青ざめさせた。

 自分が眠っている内に、とんでもないことになっていたのだ。


「それでシア……君はどうして大茶会場に?」

「私は薬を吸った後、目が覚めた時にはもう会場に面した薔薇の間にいました。拘束の類はなく、ただ着の身着のままに。それから……」

「気付け薬が?」

「はい。すぐに大茶会の場なのだと気が付いて裏口から出ようとしたのですが、何故かその時だけは鍵は開いているのに扉がびくともしなくて、逃げることもできず。そこに殿下とアイラ嬢が入ってきて、やむなく外に引きずり出されたのです……」

「扉が、開かなかった?」

 そう訝しむアレクシスに、すぐにもザラトリアが視線を寄越した近衛が一人、急いで走り去って行った。薔薇の間を確かめに行くのだろう。

「気付けの香炉のことは、間違いないはずです。ハイン様の温室でも何度も見かけて、何度も嗅いだ匂いですもの。間違えません。けれど部屋の外に連れ出されて問い詰められている僅かな間に、おそらく裏口を使って、誰かが香炉を別のものにすり替えたようです。殿下がお部屋で見つけてこられたのは、何処にでもあるお香の焚かれたものでした。それから、裏口が少し開いていました……」

 明らかに誰かに嵌められたものだった。それも用意周到に、最初から計画的に。

 そしてあの場所にアレクシスが来てくれなかったら、間違いなくエイネシアは不味い立場になっていた。

 主犯は、エイネシアを引きずり出して貶めることで、公爵家や宰相閣下を追い落とす隙を作ろうとしたのだろう。同時にエイネシアを徹底的に非難の対象とすることで、“権門を捨てた王太子”の評判を打ち消そうとしたことも考えられる。

 だがそれは思いがけない大事件になり、今こうして、宰相や大公が自ら近衛の詰所に足を運ぶほどの事態になっている。

 計画を改めて客観的に見ると、そもそもエイネシアの馬車に近衛や宮廷付きの侍従がいたことや、エイネシアがアレクシスとの待ち合わせに向かっていたことなどは、どれもエイネシアが“被害者”であることを裏付ける証人になってしまう。なのにそんなタイミングでエイネシアを誘拐するなど、杜撰な計画である。

「つまり犯人は、エイネシアがその日街に出かけることを知っていた。だが、外部の同行者がいることは知らなかった、ということか」

「上王陛下のお傍にいた方々は、私がアレク様と出かける予定であったことを知っています。でもそれを知らず、ただ私が大茶会の日に街に出かける予定だとしか知らなかった者……」

「情報はアーデルハイド家内の、だがエイネシアのすぐ傍にいるわけではない誰かから漏れた可能性が一番高いか」

 すぐにも獲物を追い詰める猛禽類のごとく視線を鋭くして笑った父に、実の娘ながら背中をきゅっとさせてドン引いてしまった。

 何処の誰だか知らないが、口のすべった誰かさんのせいで、きっと今日明日にも我が家の中は大変な氷の嵐が吹き荒れるに違いない。

 しかしその誰かさんが、不確かで中途半端な情報しか持っていなかったことで、誤算が生まれた。

 ただの誘拐のつもりが、思いの外手ごわい騎士がいたせいで、殺人を犯してしまった。時間がかかったせいで、人目に着いてしまった。そして中々やってこないエイネシアを探しに来たアレクシスが、シロンの姿を見て、事件発覚までの時間的猶予を奪い去ってしまった。

 近衛が早々と動き出してしまったことも、きっと犯人側には大きな誤算だったのだろう。

 そうして、すべての計画が狂った。


「シア。茶会場では何を言われた?」

 そう問うアレクシスに、「特に想像つかないようなことは何も」と答える。

「格好を咎められたことと、許しも無く薔薇の間にいたことくらいです。これが “計画された事”なのはすぐに分かりましたので、とにかく場を立て直すべきだと判断し、退出の許可を申し上げていたのですが……生憎と。アイラさんに引きとめられて、あの状況に」

 そうため息を吐いたところで、事情を察したのであろう。アレクシスも息を吐いた。

「アイラ嬢の目的はなんだと思う?」

「あの子には元々、大それた主義主張があるわけではありません。執拗に私の断罪を願っていたことは確かですが、別に私をどうこうするという最終目的があるわけではない」

「というと?」

「あの子にとって大事なのは、“自分”だけです。私はあの子が憐れな少女であるための仮想敵であり、自分を憐れんだ周囲が、自分のために、自分の敵を貶め、自分を構ってくれる。それだけが、アイラさんの目的なんです」

「それを、公爵家とエイネシアを貶めたい連中に利用されたか……」

 そう察しよく唸ったアレクシスに、一つ頷く。

 最早首謀者ははっきりしている。

 誰もが国王陛下に慮って口を噤んでいるが、今回の騒動にフレデリカ妃が絡んでいることはもはや間違いなかった。

 ただ、首謀者といっても殺人までもがフレデリカの罪にはなるまい。あの状況を考えても、やはりフレデリカが護衛を殺すように命じたとは思えない。

「本来なら婚約破棄の騒動の責任自体をお父様に突き付けたかったのだと思います。けれど国王陛下が先手を打って、自らお父様にボイコットを命じて、王家側の責任を誇示し、追求を封じた」

「ましてや政務に戻ってからというものの、ジルには微塵も付け込む隙がなかった」

 そう俄かに苦笑をたたえたアレクシスに、エイネシアの隣でジルフォードが「当然です」と無関心な返答をした。

 この日一日散々な目にあった上に、騒動にまで発展させた娘へのあてつけだろうか。敵対勢力の動向を知っていたのなら、せめて娘にもそれ相応の忠告をしておいてほしかった。

 いや……あるいは知っていたから、ジルフォードが掛け合って、上王陛下に近衛やら侍従やらをお借りするような手回しをしたのかもしれない。

「何にせよ、これが公爵家を追及するためのきっかけ作りだったのならば、やはり殺人事件に発展したことは犯人にとって想定外……むしろ、望まない結果だったはずだ」

 そんなことになれば、フレデリカの立場が悪くなるのは目に見えている。

 いかにエイネシアが婚約破棄騒動により自粛を求められる状況にあったとしても、仮にも王家の血縁。それを“誘拐”だなんて、極刑ものの大事件だ。

 その点については、絶対に穏便に丸め込みたかったはず。

「そのリスクが計算できない程、彼女は愚かじゃない……」

 だから先程も、アレクシスが現れてエイネシアを庇った瞬間から、それまでの威勢を失ったように大人しくなった。

 多分、近衛が動いたことを知り、計画が狂ったことを察して、いち早く対応を切り替えたのだ。

「確かに。人柄はともかく、あの方は元は才女として名高く、それゆえに陛下の寵愛を受けたほどですからな」

 そう頷いたのはザラトリア候で、すぐに父も首肯した。

 エイネシアにとっては生まれる前の話なのでよく存じていないが、フレデリカがかつて外務省秘書官として宮廷に出仕していたことは有名で、当時王太子だったウィルフレッド陛下ともその縁で出会ったのだという。

「だが例の実行犯の女性については、最初から口封じをするよう命じられていたと思える節が多い」

 続けて父が言った言葉には、今度はザラトリアがそれに首肯を返す。

 それは、馬車にはスースラで眠ったシロンを放置しておきながら、エイネシアと一緒にその女性も荷馬で連れ去ったこと。アーマンド達はその場で襲撃しておきながら、その女性だけはわざわざ一度連れ去った後に、絞殺という手間のかかる方法で、しかもスースラの花で眠って抵抗できないところをわざわざ殺していることからもうかがえる。

 生きていては困る。その顔が近衛に知られ、調べられては困る誰かがいたのだ。

 どこかの貴族に仕えている侍女のようだ、という見解が正しいのであれば、フレデリカが指示をしたというより、フレデリカに実行計画を任された誰かしらの貴族が、その女性を最初から切り捨てるつもりでこの計画を作ったとみるべきか。

「計画を立てた犯人の顔を見知っていたせいで口を封じられたのだな。殺しても家の中での出来事として秘密裏に揉み消すことができる」

「大公殿下らが見つけてしまったことが、犯人達には大きな誤算だったということですな」

 荷馬車を見つけたアレクシスは、密かにその後をつけてその貴族を割り出すこともできたのだ。

 でもそうしなかったのは、犯人よりもまずエイネシアの身の安全を優先したから。

 そう気が付いたエイネシアは、チラリと傍らを見やった。

 最近知った、少し厳しい真剣な顔。

 でもエイネシアの視線に気が付くと、視線を寄越してニコリと安心させるかのように微笑んでくれる。

 この人はいつもこうやって……何も言わず、何もなかったかのように守ってくれてきたのだ。

「物取りか何か装うつもりだったのが、思いの外腕の立つアーマンドがいたことがいたことで、殺しを犯させた。これですべて計画が狂った」

 そう推論するザラトリアに、皆も頷いた。

 もう皆理解している。

 主犯はフレデリカ。この事件の発端の人物。

 それから実行犯の女性と、それを指示した黒幕の貴族が最低一人。あるいは複数関係していることも想定せねばならない。

 この黒幕が雇ったゴロツキ共が、アーマンドと、実行犯の女性を殺した。

 彼らの当初の目的は口封じと、エイネシアを王宮に送り届けること。

 だが彼らのミスがこの計画を完全に狂わせ、今に至る。

 これがこの事件の全貌ということだ。


 さぁ。ではこの事件、どう落とし前をつければよいのか――。


 フレデリカとて、殺す気が無かったとはいえ、エイネシアを誘拐させたことは事実。

 ただ『大茶会にいらっしゃらない公爵令嬢をお迎えにやっただけ』あたりのことを言ってはぐらかされる可能性は高いし、そもそもフレデリカは誰かにそれを命じただけであり、あくまでも計画の立案者に過ぎない。

 実行犯の直接の雇い主が分かったところで、フレデリカまでその手が伸びることは決してないだろう。

 それに王太子ヴィンセントやアンナマリア王女のことを考えれば、今フレデリカを重たい罪に問うことは国王にとっても不本意のはず。

 それはエイネシアも同じだ。少なくとも、アンナマリアだけは巻き込みたくない。

「ザラトリア候……」

 だから思い切って、思い悩むように沈黙する皆に変わって口を開く。

「アーマンドを殺した実行犯は、必ず捕えてください。その裏で、例の女性を利用した貴族も。必ず見つけ出してください」

「ええ。勿論です」

「そしてしかるべき重たい罪を」

 そうでなければ納まりがつかない。

 ぎゅっと膝の上で硬く拳を握りしめる。

「けれど……フレデリカ妃の件は、どうか内密に」

 そうチラリと父の様子を伺ってみたところで、父が口噤んでいるのを見て言葉を続ける。

「今この情勢下で側妃を追い詰めては、今の二分化しつつある政局をさらに際立たせ、国王陛下を孤立させてしまいます。ましてや政治派閥の二分化は、王位争いの火種にもなってしまう。そうですよね?」

 その言葉には、ゆっくりと父が首肯した。

「私の目には、今回の件、王太子殿下は何も知らなかったように見えました。ならばなおさら、ここで側妃を糾弾して、その影響を広げるわけにはいきません」

「お前はそれで、いいのだな?」

 エイネシアの判断に、ジルフォードがそう問う。

 もしここでフレデリカを咎めずに甘い措置を取れば、必ずまた“次”がおこる。そんな不安を、抱え続けねばならなくなる。それを分っていて、それでも今は静観すべきと判断するのだな? という問いだ。

 それに対してエイネシアは、しかと頷いて見せた。

 父がそれを良しと判断するのであれば、そうすべきだ。きっとジルフォードには、エイネシアよりもよくこの政局が見えているはずだから。

 ただ一つ申し訳ないのは、正義を是とする公正なる騎士長に、この決断を受け入れてもらわねばならないことだ。

「ザラトリア騎士長……大切な部下を失った貴殿が、このことに納得して下さるのであれば、ですが」

 そう不安そうに言ったエイネシアには、ザラトリアが口元を緩めて頷いた。

「ご配慮感謝します、姫様。けれど騎士とは正義を貫くだけではなく、この国と陛下への忠誠に忠実であるもの。他でもない被害者の貴女がそう求め、宰相閣下が判断し、陛下がそれをご採決なさるのであればそれに従います」

 ただし、とザラトリアは言葉を続ける。

「いつかは、正されるべきものが正されることを願っておりますぞ。宰相閣下」

「無論だ」

 それにはとても頼もしいジルフォードの一言が返された。

「ただ姫様の周辺の警備は今後強化いたしましょう。陛下のご許可があれば、近衛を付けることも……」

 そう言うザラトリアにはエイネシアもいささか驚いて恐縮したが、だが実際問題それが必要であることは、すでに今日一日で思い知った。

 ただ二人目、三人目のアーマンドを作ることが怖い。


「心配はいらない。これからは私も、堂々とシアを守ってあげられることだし」


 だが続けざまにそうアレクシスが言った瞬間、不覚にもエイネシアの頬はぼふっ、と赤くなってしまった。

 その反応に、極限まで目を細くして眉を吊り上げたジルフォードの顔が向けられる。

「殿下……一体、何故殿下がうちの娘を堂々と守るような立場になられるんです?」

 その静やかな声に、アレクシスはとてもケロリとして。

「いやなに。ちょっと皆の前で、シアに求婚したものだから」

 そう呆気なく答えたアレクシスには、あーっっ、と、エイネシアが顔を掌で覆ってつっぷした。

 もう、何処から突っ込んでいいのかわからない。

「……は?」

 とても冷たい父の声。

 ジロリとその視線が、背中に刺さる。

「ヴィンセントの物言いがどうにも気に入らなくてね。あぁ。事後報告になってしまったけれど、ジル。シアを貰ってもいい?」

「……は?」

 二度目の“は”は、本当に怖かった。

「大丈夫。私はヴィーと違ってシアを大切にするよ」

 益々顔をあげられなくなったところで、「エイネシア……」と呼ぶとても怖い父の声が、エイネシアの肩をビクリと揺るがした。

「これは何の冗談だ……」

「……私に聞かないでください……お父様」

 突っ伏したままそうか細い声を出した娘に、ジルフォードはやがて盛大なため息を溢した。

「まったくまったくまったく……あぁ、まったく……」

「はは。四連続は初めてだな」

「まったく。貴方という人は……」

「おぉ。五連続……」

 あぁまったく、と六度目のまったくを呟いたジルフォードは、もう一度重たいため息を吐く。

「この昨今の情勢が分かっていて、そんなことをしでかしたのですか?」

「心配せずとも、王位欲しさにアーデルハイド公爵家の姫に求婚したわけではないよ」

 そんなのはジルフォードも百も承知だが、しかしそう見られるであろうこともまた周知の事実だ。

「これが政局的に望ましくないことであるのは分かっているが、しかしいつまでもシアを自分の思いのままだと思っているヴィンセントに、きちんとそうではないこと知らしめたくて。それにね、ジル……」

 ふと目元を和らげたアレクシスの手が、ポンポン、と、優しくエイネシアの頭を撫でる。

「私には政局なんかよりも、可愛いシアが毎日を安心して過ごしてくれる事の方が、よほど大切なんだよ」

 掌で隠す顔が、ぼうっと熱くなるのを感じた。

 そんなにも気安く触れないでほしい。

 顔があげられなくなってしまうから。

 父のため息を耳に入れながら硬直していたところで、「なるほど……」とザラトリア候が何やら呟く。

「エイネシア姫への求婚というのは確かに、公爵家への支持地盤が揺らぎないことを見せつけることになり、護衛効果としても有効的ですな。婚約破棄にエイネシア姫の非は無かったと標榜するのにもちょうどいい」

 頼むから、先程生まれて初めてまともな求婚をされた乙女を前に、そんな理論的な分析をしないでほしい……虚しくなるから。

 しかもどうしたことか。

 ザラトリアは勝手にうんうんと納得して。

 それから。

「よし。うちの近衛の良い家柄の者にもこぞって求婚させましょう。あぁ、そうだ。うちの息子も許嫁候補の一人に加えてやってください!」

 そうわっはっは! と笑ったその人に。

「頼むからやめて下さい!」

 思わず顔をあげてそう必死に叫んだ。

 あぁ、もう。

 本当に、やめてくれ。

 恥ずかしくて外を出歩けなくなる。

「酷い大人達だよね」

 ただ傍らでそう呟いたアレクシスの言葉だけがまともで、うんうんっ、と頷く。

 だがお生憎様。

 そのアレクシスは、よいしょ、とエイネシアを膝の上に引き寄せると、ぐっと後ろから抱きかかえるという更なる羞恥を与えて。


「そんな政略的なプロポーズと私のプロポーズを一緒にしないで欲しいよね。私はただ純粋に、シアを口説いているのに」


 そう耳元に囁かれるから。


 もうやめてくれ、と。

 頭から蒸気を出して再び項垂れたのであった。






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