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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(上)
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3-10 陰謀(1)

「まぁまぁ。では明日はデートなんですね! 素敵ですわ」

「では今夜はたーんと綺麗にお肌に化粧水をしみこませて、明日に備えましょう」

 そんなことを言ってはしゃぐジェシカとネリーには、もうやめて、と頬を赤くした。

 折角、アレクシスの言動のすべてを聞き出そうと詰め寄ったアンナマリアにからかわれ続ける、という散々なお茶会から解放されたというのに、今度はこれだ。

 それを見て取ったのか、流石に二人はすぐにも、「これは申し訳ありません」と苦笑交じりに引き下がったけれど、しかしいつも以上に念入りに肌を磨かれ、お手入れをされてしまった。

 ここまでしなくても、と思うのだけれど。

「ドレスはどれに致しますか? アーデルハイド領で仕立てたものにしますか?」

 さらにそうネリーがエイネシアを衣裳部屋へと誘導するものだから、「いえいえ、違うのよ」とそれを引き止めた。

「こっそりと、お忍びで王都の祭りを見に行くの。だから町娘風の、大人しいものを見立てて頂戴。確か先日、領都を散策した時にどこからかアレクシス様が用立ててきたものが……」

「あら。あれでしたら領都の方に置いてきてしまいましたわ」

「でも大丈夫ですよ、お嬢様。そんなこともあろうかと、町娘風、商家のお嬢様風など、いくつか取り揃えてございます」

 そう自信満々にバーンと目の前に晒されたのは三つのワンピースで、どれも無駄に生地が上等ではあったけれど、落ち着いた目立たないデザインに仕立ててあった。

 町娘というよりは豪商のお嬢様っぽいけれど、これなら、庶民の格好に身をやつしてなおどこかキラキラとしているアレクシスと並んでも見劣りしないだろう。

「一番右の、カントリー風なのにするわ」

 レースの詰襟に褪せた鍍金のクルミボタン。ミントグリーンのコルセットベストと同じ色のふんだんに布を寄せたミモレ丈のスカート。裾に縫い付けられた白いレースが春めいていて可愛い。アーデルハイドカラーで、春にもピッタリだ。

「髪のウィッグは、もしかしたらと思って持ってきているのですが。お使いになりますか?」

「うーん……王都は人も多いもの。いらないかしら」

「カントリー風というのもなんだかときめきますよね。髪飾りは同じ色のヘッドドレスで。お飾りの代わりにおろし髪で、髪にレースの小花を結いましょうか」

 うーん。そこまでしなくていいんだけど、と思いながらも、二人が楽しそうにしていたので、何となくそれ以上咎めることは無く、諸々の事はお願いしておいた。


 ◇◇◇



 翌日は少しだけ早く目が覚めた。いつもよりずっと身軽なそのワンピースに、一晩の内に作ってくれたらしい幅の広い同じ色の布にレースを縫い付けたヘッドドレスを結んでもらって、いつもと違う歩きやすい丸みのある靴を履いた。

 低いヒールに背中のちょっと大きなリボン。どれも、いつも背伸びしていたエイネシアには珍しい可愛らしいデザインで、なんだか少し幼くなったような気がする。でもその白とミントグリーンにこっそりと繊細な銀糸の刺繍の入った衣装はとても上品で愛らしくて、すぐに気に入った。

 これを見た母も随分と気に入ったらしく、「まぁまぁ! なんて可愛いの!」と絶賛した上に、「私も似たようなのが欲しいわ」だなんて言っていた。

 まぁ……年齢不詳で未だに乙女のように愛らしい母だから、きっと似合うと思う。

「姉上。くれぐれも、日が暮れる前にはお戻りください」

 わざわざ見送りに出て来てくれたエドワードが、エイネシアにそう念を押す。

「分かっているわ、エド。そんなに心配しなくても大丈夫よ」

 そう笑ってみるのだけれど、「心配に決まっているではありませんか」とため息を吐かれてしまった。

 一体何の心配をされているのだろうか。

 アレクシスに王都での散策を提案された時、話を聞いていた上王陛下は大層これを後押しし、「でも心配だから」と、ご自分の近侍である侍従のシロンや、護衛の近衛などを貸してくださった。さらにアレクシスにも「明日だけはリックから離れないで頂戴」と念を押し、くれぐれも何事も無いようにと気を使っていただいたほどだ。今も玄関扉の前で迎えにやってきたシロンがニコニコと立っていて、ちっとも危ないことが起りそうな気配なんてないのに。

「シロン。殿下が姉上に失礼なことをしそうになったら、私が許す。殿下を全力で止めるように」

 しかもそうシロンにまで念を押すエドワードには、シロンがクツクツと声をあげて笑った。

 彼も昔から王宮内で、この仲のいい姉弟をよく見ていたのだ。それが変わりない様子がおかしいのだろうか。

「もうっ。一体何の心配をしているの」

 そう慌ててエドワードに背中を向けて玄関を目指す。

 まだ時間には少し早かったけれど、このまま時間を待っていたらもっと母と弟に苛められそうだったので、「行きましょう」とシロンに声をかけて早々と玄関を飛び出した。

「ではお母様。行って参ります」

「ええ。楽しんでいらしてね」

 そういう母に見送られながら、玄関前に止められていた黒塗りの簡易な馬車へと乗り込んだ。



 さぁ。町に行ったら何を見て回ろうか。

 お祭りの様子を見るのは勿論だが、町の雰囲気も見て回りたいし、店舗街も見てみたい。それからとても賑わうという郊外のマーケットも見てみたいが、この時間でもまだやっているだろうか。

「シロンは王国誕生祭へ行ったことはあるの?」

 少しずつ馬車が貴族達の屋敷の並びを降りてゆく。そうなるにつれてだんだんと楽しみな気持ちも増して行って、思わず声も弾んだ。

「私は王都の出身ですので、小さな頃には何度か。ただ十の頃からは侍従として宮中にお仕えするようになりましたので」

「あぁ、そうね。この時期は宮中も一番忙しいものね」

 そういえばエイネシアが最初にシロンと出会った時、彼は十一、二の年頃だっただろうか。今ではもう二十歳ばかりの青年だけれど、あの頃からずっと王宮勤めなのだと思うとビックリしてしまう。

 王宮侍従は貴族の、特に子爵家や男爵家の家督を継げない次男、三男が務めることが多く、あるいは一部世襲の家もあると聞く。シロンがどちらかはわからないが、そんな小さな頃から親元を離れて王宮住まいをするというのはどんな気持ちなのだろうか。素直に関心してしまう。

「しかし王都の散策はよくしておりますよ。陛下のご命令で様子を見に来ることもありますし、休みの日に他の侍従たちと出かけることも」

「まぁ。そうなのね。私は初めてだわ」

 そんなことシロンは存じているだろうけれど、つい声を弾ませてそう言うエイネシアには、とても優しい顔でニコリと笑ってくれた。

「王国誕生祭を見るのでしたら、トゥラッタ広間の小劇場街や、オークウッド露天街などが賑やかで宜しいですよ」

「小劇場街? 露天街? どんなことをやっているの?」

「小劇場街はその名の通り。広間に沢山のテントが出て、王国の歴史に関する演劇や人形劇、野外では子供向けに紙芝居をやっていたりもします。国中の劇団が集まっていますからとても賑やかですし、『必ず一つは気に入る演目があるだろう』と言われるくらい、色々な劇を連日催しています。一番集客の多かった劇団には、最終日に中央広場を貸し切って上演する権利が与えられるので、どの劇団も集客のための創意工夫を凝らしていて、通常とは一風変わった演出が見られますよ」

「楽しそうだわ!」

「露天街はお祭り限定の屋台街ですね。各領地を渡り歩く旅商人達の開く屋台で、国中の名品が集まります。この日ばかりは、王都のどんな一流の王室御用達店でも手に入らないような珍しい物がこぞって集まり、大変な賑わいになります」

「聞いたことがあるわ! 王国誕生祭の間の五日間だけは、その屋台で出品するものに限り王都への関税がかからないのよね? だから庶民でも少し奮発すれば遠い所領の名産品を手に入れることができて、とても人気なのだとか」

「ええ。特にシルヴェスト領で産出される宝石は恋人にプロポーズしようという男性に大人気で、毎年長蛇の列ができるんですよ。オークウッドで売られている指輪を結婚指輪として身に着けることは、王都の女性の最大の憧れだと言われています」

 なんだか何もかもが座っていても手に入ったエイネシアにしてみれば、よほどお伽噺のような世界でときめいてしまう。

 エイネシアの場合はそんなことをせずとも産地直送で好きなだけシルヴェスト領の高価な宝飾品でも何でも手に入るのだが、そうではなく、一世一代の日のためにと貴重なものを買いに行く男性達や、それに憧れる女性達というのが、少し羨ましいのだ。

 きっと世の女性たちは王国誕生祭の間、想い人がオークウッドで指輪を買うか買わないか、ハラハラとするのだろう。なんて素敵なお伽噺だろうか。

「他にはどんなものが?」

「そうですね……あぁ」

 そういえば、と、シロンがきっちりと着込んだお忍び用の使用人風の装いの上着から、褪せた金のチェーンを引っ張り出して、その先についた綺麗な装飾の円状の物を見せてくれた。

 カチリとつまみを開いたら、そこにはチクタクと時を刻む瀟洒な時計盤が。

「まぁ……とても素敵な懐中時計」

 驚いたのは装飾だけではない。時計というのはこの世界では中々に貴重なもので、手に入れても管理や整備が難しいとあって、あまり普及していない。町中には官が管理する時計などがシンボル的に建っていることがあるが、多くは教会が管理して、時の鐘を鳴らすことで人々は時間を把握する。だからこうした上等な懐中時計は普通は裕福な貴族の紳士の特権のようなもので、滅多に侍従などが持てるものではないのだ。

「正式な侍従として上王陛下にお仕えすることが決まった日に、両親から贈っていただいたものです。オークウッドで買い求めたという、スカーレット産の時計です」

「そういえば、スカーレット侯爵領の職人達はこうした細かな細工がとても得意よね。羅針盤や時計、機械仕掛けの装飾箱や玩具なんかも名品が多いわ。これもオークウッドのものなのね」

 そう言ってすぐにエイネシアは顔をほころばせると、「とても素敵なご両親ね」と口にした。

 時計はとても高価な品。いくらオークウッドで、普通より安く手に入るといったって、そう簡単に手が出る代物ではない。それを上王の侍従という栄誉に預かった我が子へ贈った両親の気持ちというのはどのような物なのだろうか。

「姫様も、大公殿下に何か強請られてはいかがですか? 殿下は私などよりよほどオークウッドに詳しいですよ。よく上王陛下に、面白いものをお土産にと持っていらっしゃいますから」

 肩を揺らしながらそう言うシロンには、エイネシアも少し呆れた顔をする。

 もう今更驚いたりしない。やっぱりあの元王子様は、しょっちゅうこういうお祭りに忍びこんで、散策しているのだろう。


 そうして話し込んでいる内に、段々と豪奢な門が立ち並ぶ界隈を抜けて、最後の山道を下り出した。ここを抜ければ町中に入る。

 それにわくわくとして窓の外を見やったところで、突然ヒヒンと馬がわななく声と共に馬車が大きく揺れてたため、思わずわっと身を傾けた。それをすかさず手を伸ばしたシロンが支えてくれて、エイネシアも慌ててその手を支えにする。

「っ、と。有難う、シロン」

「お怪我はありませんか?」

 そうすぐに聞いてくれたシロンに、大丈夫、と答えて顔をあげた。

 ガタガタ、と少し揺れながらも、すぐに馬車が停まるが、どうしたのだろうか。まだ町中には入っていない。

「少々お待ちください」

 そう言ったシロンはすぐに剣仕込みの杖を確認すると、トントン、と屋根を小突いて御者に何があったのかを問う。だが反応がない。むしろ馬車の傍らを、後ろの台に立っていたはずの近衛の青年が駆けて行くのが見えて、それを見た瞬間、シロンがパッと窓のカーテンを下ろして外を伺った。

「姫様は中にいてください」

「ええ。シロンもお気をつけて」

 少しドキドキとしたけれど、こんな貴族街の側で物取りということも無かろう。警戒しながら馬車を降りるシロンを見送ると、カーテンを少しだけ掻き分けて外を見やる。

 特に人影は見えず、何があったのかも良く分からない。

「どうした、フリック」

 薄い窓の外で、シロンの声がする。フリックというのは、御者の名前だ。

「申し訳ありません。突然目の前にこちらのご婦人が飛び込んできましてッ」

「レディ、お怪我はありませんか?」

「申し訳ありませんっ、旦那様っ。少し目眩がしてしまってっ」

 か細い女性の声がするとともに、エイネシアの乗る馬車の横をガラガラと別の馬車が登って行って、「危ない!」と近衛が女性を庇う声がした。

 エイネシアの視線の横を通って行ったのは乗合馬車で、きっとこれから王宮の一般参賀に向かう民を乗せているのだろう。他にもこの道には一般参賀に向かう人たちの影がちらほらとあって、決して人が多いわけではないが馬車なども通ることを考えれば危なっかしい。

 どうやら何か悪いことが起ったわけではないと見て取ったエイネシアは、自ら馬車の扉をカチャリと開けて顔を出す。

 すぐに気が付いたシロンが振り返り、近衛がエイネシアの目の前を制したが、「大丈夫よ」とその近衛の傍らから顔を出した。

「いけません、姫様ッ」

 更に警戒したようにシロンは言うけれど、しかし目眩がしたとか言っている女性を放っておくわけにもいかない。実際に扉から顔を出してみてみれば、粗末な身なりの女性が頼りなく地面に座り込んでいた。

「いけない。お怪我はないかしら?」

「姫様……」

「大丈夫よ。それより彼女に手を貸してあげて。ここでは危ないから、取りあえず馬車に。フリック、馬車を脇に寄せて頂戴」

 そう御者に声をかけたところで、シロンも仕方なさそうな顔をして、護衛に女性に手を貸すよう促した。

「立てますか?」

「わ、私のことなら大丈夫です! お嬢さ……お姫、さま?」

 少し困ったように首を傾げた女性に、クスリと笑う。確かに、身なり的には今はお嬢様。けれどシロン達が姫様だなんて呼ぶから、変な顔をされてしまったではないか。

「ただの一般参賀に行った帰りの“お嬢様”ですよ。さぁ、中に。どちらに行くつもりだったのですか? ご迷惑でなければお送りいたしますよ」

 そう馬車の中を促したエイネシアに、まだ女性は困った顔でチラ、チラとあたりを見回したけれど、やがてぎゅっと何やら意を決するように口を引き結ぶと、「大変申し訳ないのですが、ご厚意におすがりして宜しいでしょうか」と言ってくれた。

 シロン達はまだ少し警戒するような顔をしていたものの、エイネシアが女性を促すものだから、仕方なく彼女を馬車の中へと誘ってくれる。

 そうして女性を席に座らせて、目の前にエイネシアが。護衛は警戒するように中の様子を見たけれど、「大丈夫よ」と声をかけると、「何かありましたらすぐにお声をかけてください」と言って、再び馬車の後ろへと戻った。更にシロンが、「恐れながら」と言ってエイネシアの隣に腰掛ける。本来ならば隣は遠慮するべき立場だが、今は何かあった時、すぐにエイネシアの目の前を庇えるようにという配慮なのだろう。

「まずはお怪我を見せて。少しなら医療の知識があるの」

 そう促したところで、おずおずと女性はドレスの裾を摘まみ上げる。見れば何故か裸足で、足の裏に小さな傷や、転んでついてしまったのか、膝にも擦り傷があった。

「足首を回してみて。痛くはないかしら?」

 シロンに布と器替わりのティーカップをお願いしながら問うと、軽く足首を回した女性が、「少し……」と答えた。幸い腫れたりはしていないが、もしかしたら馬をよけようと倒れた際に少し捻ったのかもしれない。先ずは冷やさないと、と、シロンの出してくれたカップに精霊魔法で細かい氷の粒をコロコロ生み出すと、キョトンと目の前の女性が目を瞬かせた。

「お嬢様は精霊魔法士なのですか?」

 そう驚くのは無理もないことで、貴族と違って庶民の間では精霊と契約できる人は多くない。全くいないわけではないが珍しい方であるし、精霊使いはそれだけでも引く手あまたなほどに色々な職業から引っ張りだこで、高給取りにもなりやすい。とても大きなステータスなのだ。

「捻挫は冷やすと痛みが落ち着きますから。少しきつめに縛りますね」

 そう言って、溶かした氷で濡らした布を足首に巻いてゆく。他の傷は、シロンが用意していた飲み物用の水を使って傷を洗ってくれて、酷いところにはエイネシアが自ら包帯替わりの布を巻いた。

「何から何まで、申し訳ありません……」

「良いのよ。それで、何処へ行く所でしたの?」

「それは……その」

 少し困ったように口ごもる女性に、はて、何かわけありだろうかと見て取る。

 どう考えても裸足でこんな人気の少ないところを歩いていたなんておかしいし、それに身なりを見ると、どうやらどこかの家のお仕着せのような恰好な気もする。もしかしたら、どこかの貴族の屋敷から逃げ出した侍女か何かなのだろうか。良く見ればガリガリと細くて、手の甲の青痣など、良くない様子が見て取れる。

「大丈夫。安心なさって。そうね。行くべきところに行きたくないのでしたら、まずは町の教会に行きませんか?」

「教会ですか?」

「そこでしたらひとまず落ち着けますし。私に話し辛いようでしたら、司祭様にお話を聞いていただくと良いですわ。教会は辛い思いをなさっている方を、必ず救ってくださいますよ」

 そう促したところで、ほぅ、と、女性が小さく吐息を溢した。

「有難うございます、お嬢様……。お願いしても、宜しいでしょうか」

「勿論ですよ。シロン、どこか良い教会はないかしら?」

「でしたら私の叔父がおります、ソヨンの教会はいかがでしょう。救護院も兼ねていて怪我もきちんと診ていただけますし、“お待ち合わせの場所”からもほど近いです」

 教会に叔父君がいらっしゃるというのには驚いたけれど、それはとても頼もしい言葉だった。

 シロンは上王陛下の侍従だ。もしこの女性がどこかから逃げ出した侍女だったとして、主人の貴族が何かを言ってきても、“すべての弱い女性の味方”と豪語なさる上王陛下が聞けば必ず味方をして下さるだろう。

「フリック。ソヨンの教会に」

 そうトントン、と屋根を小突いて指示を出したシロンに、「畏まりました」と、脇に寄せてあった馬車がゆっくりと動き出す。

「あの……申し訳ありません。少し、窓を開けてもよろしいですか?」

 そう言う女性にシロンが眉をひそめたけれど、エイネシアが「構いませんよ」と促す。先ほどは目眩がしたなどと言っていたから、あるいは外の空気が欲しいのかもしれない。

 シロンの様子をチラリと見た女性はもう一度恐縮そうに、「すみません」と言いながら、傍らのカーテンの隙間から、ほんの少しだけ窓を開けた。

 春の程よく涼しい風が、馬車の中に入ってくる。その窓辺に手をかけ、小さく身を寄せて外の空気を吸う様子は、なんだか少し痛ましい。

「お水でもお飲みになりますか? 落ち着きますよ」

 そう促すエイネシアに、「恐縮でございます」とどちらでもない返事をした女性に、エイネシアはシロンにお水を、と頼んだ。すぐにカップに水を注いで差し出すシロンに、またしても「すみません」という謝罪の言葉を口にしながらそれを受け取る。

 先ほどから過剰なほどに謝ってばかりで、それは一体何故なのだろうかと思う。そんなにも主人に咎められてばかりの生活だったのだろうか。

「あの……お嬢様は随分と高貴なお方なようですが。このように少人数で……四人だけで、参賀に行かれていたのですか?」

 少し落ち着いたのか、おもむろにそんなことを問うた女性に、エイネシアも少しほっとする。

「ええ。四人ですよ。生憎と、家族は皆仕事で行けなかったのです」

 そう嘘を吐いて見せる。やはりいくらなんでも怪しすぎるだろうか。

 エイネシアが町娘を演じるには不慣れすぎるというのもあるだろうが、所作がいちいち綺麗すぎるシロンも、商家に仕える丁稚には見えない。立派な剣を掲げた後ろの近衛なんて、突っ込まれたら言いつくろえる気がまるでしない。うん、怪しいな、私達。

 だがお客様は、別段その不審を対して突き詰めるつもりは無かったようで、「そうなのですね」と流してくれた。セーフ……だろうか?

「私、参賀には行ったことが無いのです。随分と賑やかなのでしょうね」

 だが続けられた言葉には、またも、うっ、と返答に困った。

 賑やか……なのはそうだと思うが、エイネシアは当たり前ながら、一般参賀になんて行ったことは無い。行くとしたら王宮内で催される大茶会やパーティーの類で、ついでに言えば現国王陛下が戴冠なさった時、その“参賀を受ける側”に一緒に立っていたのだ。参賀に行ったことが無いという彼女がエイネシアの顔を存じていなかったのは幸いだが、そういえばそうだった、と今更思い出した。

 やはりウィッグはつけておくべきだったか……。

 とにかく、この参賀の話題をどうすべきか。そう困っていたら、「賑やかですが、厳粛でもありますよ」とシロンが口を挟んでくれた。

「陛下にお会いするまではみなそわそわとしていますが、会えばやはり緊張で皆厳かな気持ちなるのです。陛下から顔をあげるように促されると、皆途端に堰を切ったようにご祝福を申し上げますが、節度のあるものですよ」

 「ね、お嬢様」と話を振られたエイネシアは思わずハッとして、「ええ、そうね」と微笑んで見せた。上手くフォローしてもらえた。


 その内馬車が町中に入り、思わずエイネシアはカーテンを軽く掻き分けると、ぱっと顔をほころばせる。本当なら感嘆の声の一つもあげたいが、目の前に見知らぬ女性がいる以上、それはぐっとこらえた。町出身なはずなのに、王都の町並みに感動していては訝しがられる。

 でもそわそわとしているのがばれているのか、クス、と小さく笑ったシロンが、「お嬢様はこちらの方に来ることは滅多にないのではありませんか?」と言ってくれたから、すぐにも「そう。そうなの!」と声を弾ませた。

「カーテンを開けても良い? 教会ってどのあたりかしら?」

 コクリと頷くシロンに、そっと手でカーテンを掻き分ける。

「もう見えているはずですよ。大きな建物なので、すぐにわかると思います」

「わかったわ。あの一つ突き抜けた屋根のところね。大きな教会だわ」

 まだもう少し先だが、ひときわ目立つ高い屋根はすぐにも分かった。

 そうはしゃいでいたら、「あの……」と、再び目の前で女性が声をかける。

「お別れの前に、どうかお詫びの品を受け取ってはもらえないでしょうか」

 そう言って彼女が取り出したのは、腰に下げていた小さな皮袋だった。

「お詫び?」

 そんなこと、気になさらないで、と言うエイネシアに、「ですがどうか」と、女性が皮袋を差し出す。

「でも……」

「大したものではないのです。ただ……私は菜園で働いていまして。ハーブなどを育てているのです。そこで取れたもので……本当に、大したものではないのですが。今はこのくらいしかお礼を出来るものがなく」

 なるほど。ハーブくらいならば高価なものでもない。貰ってもいいだろうか。そうチラリとシロンを伺ったところで、「私が」と、シロンが手を差し伸べた。そのシロンに手渡された皮袋を、すぐにシロンが開く。

 現れたのはハーブというよりは少し淡い薄黄色の花をつけた植物で、見たことのないハーブだから、エイネシアはすぐに首を傾けた。

 草花についてはそこそこ詳しいはずだが、はて、そんなハーブなんてあっただろうか。

 いや。だがその花は、何となく、どこかで見たことがあるような。

 そう首を傾げている内にも、ガタン、と目の前で女性が窓を閉めたからふと顔を向ける。

「心を落ち着けてくれる花なんです。軸の部分を指先ですり潰すと特に香りがたって」

 女性の青白い細腕が、皮袋の花に伸びてゆく。


「スースラという花なのですが……」


 そう聞いた瞬間、みるみるエイネシアは目を見開いた。

 スースラ? 聞いたことがある。いや、その名前は昔習った。小さな頃に家の薬室に通い詰めていた頃、お抱えの薬師だったバーニーが教えてくれたのだ。


『お嬢様は将来お王宮にお入りになるんですから。“身を守る為”の知識は必要ですよ』


 そう。たしかそう言って、この花のことも。

「ッ、シロン!」

 声を上げて、あわててシロンの手を叩く。

 けれど落ちてゆく皮袋の中の花は、すでに女性がごっそりとその手に取っていて。ただ目の前でどうしようもなく申し訳なさそうな顔をした彼女は、唇を引き結んで花の軸を握りつぶした。

 その瞬間、パンッッ、と花の種がはじけ飛ぶ。

「ッ、姫さまッ!?」

 何か起こったのだと、シロンが警戒してエイネシアを庇うように身を挺したが、それよりも早く、ガクンッと膝を負ったシロンが馬車の床に足をつく。

 それに間髪を入れず、エイネシアもまた頭がクラリとして眉をしかめた。


 スースラ……。それは根を切って一日他の薬水につけた後、はじけさせないように丁寧に種を取り除いて、炒ってすり潰すことでとても強い睡眠薬になるという花だ。精神的に不安定な人に処方をしたり、重度の不眠症の患者などに処方される強い薬でもある。

 だが扱いにはとても気を付けなければならない劇薬で、特にこの花は軸を握りつぶすと外敵から身を守るためにと種を弾き飛ばす習性があり、その未熟な種は硬い物にあたると忽ち皮が破れて中の粉末が飛散する。

 それはひと吸いしただけでも意識を奪う非常に強い睡眠効果を齎し、過剰摂取すれば中毒性も発症して幻覚作用をも見せる。一度吸ったぐらいでは心配はないが、免疫力のない体は特に即効性で眠気を催すことになり、それは馬車のような狭い場所ならばなおさら効果的だ。


『誰かを貶めたり貶められたりというのが宮中ですから、くれぐれも気を付けないと。私も旦那様に言われて、耐性を付けられる類の薬に関しては免疫をつけさせるお手伝いをさせていただいていますが、しかしスースラは中毒性の方が怖いんです。なので少しずつ慣らして耐性をつける、というわけにはまいりません』


 簡単な毒物の類には、小さな頃からある程度の免疫をつけてきた。身を削るようなやり方ではなく、木精霊士の力を借りた安全なやり方で、である。だがそれでも、免疫をつけられない植物もある、と、バーニーが教えてくれたのだ。スースラはその一つ。

 なのにどうして忘れていたのだろう。

 もう王太子妃候補ではないからと、油断していたのだ。

 命を狙われる理由なんてもうない。自分はただの公爵令嬢、と。



 目の前で、苦悩の涙を流しながら同じように眠気に誘われて倒れてゆく女性を見ながら。

 ポテン、と馬車の座席に倒れ込んだエイネシアは、ただただ後悔をしながら目を閉ざした。


 まったく。

 どうしてこんな目に合ってばかりなのか。

 一体誰が。どんな意図でこんなことをしでかしたのか。


 ガラガラ、ガコン、と、いつの間にか馬車が停まって、その外で喧噪が巻き起こったことにも気が付かず。

 エイネシアはそのままぷっつりと、意識を途絶えさせた。






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