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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(上)
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3-9 上王陛下の催し(3)

「どう思っているのかについては、もう結論が出ているのでは?」

 そこに随分と不穏なことを低い声色で言いながら顔を出した人物に、「あら、聞いていたの?」と上王陛下が顔をほころばせる。

「遅くなってすみません、上王陛下」

「いいえ、よく来てくれたわ。紅茶を淹れるから座って頂戴」

 そう促す上王に一礼したその人は、先客を見るや、「やぁ」と気楽に声をかけた。

「アレク様もお呼ばれしていたのですね」

 そう席を立って礼を尽くそうとしたエイネシアに、そのままで、と手で制す。同じようにエリザベートにも、「そのままでいいですからね」と言って、アレクシスはエイネシアの隣に腰を下ろした。

 上王が自ら紅茶を入れていても不思議に思っている様子はなく、もしかしたらよくこうして上王を訪ねていたのだろうか、という雰囲気が見て取れた。

 一応は、義理の母と義理の息子なのだ。おかしなことではないが……。

「先日ぶりだね。リジー、シア。所領での休暇は楽しかったかい?」

「ええ、とっても。お母様なんて、気に入りすぎて帰りたくないと言って聞かなかったんですよ」

「あら、だって本当に楽しかったのだもの。貴方もそうでしょう? アレクシス殿下」

「ええ。楽しかったですね。シアに追い出されなかったら、私はまだあそこにいたと思います」

 その言葉にはエイネシアも思わず肩をすくめた。

「何を言っているの、アレクシス! まったく、貴方ときたら。早く帰ってきてシアの様子を教えて欲しいと思っているのに、ちっとも帰ってこないのだから。何かあったんじゃないかと心配したでしょう? リカルドからは“また行方不明です”だなんて手紙も来るし」

 そう重々しいため息を吐いた上王陛下には、おっとっ、と、同じくアレクシスも肩をすくめた。

「すみません、陛下。そのかわり沢山土産話を持って帰って来たでしょう?」

「それに関しては褒めてあげます。それから、ガラス細工の素敵なティーカップもね。私もアーデルハイド領に行きたくなったわ」

 そう言って紅茶を差し出した上王陛下の手元に、「あっ!」と、思わずエイネシアも自分のカップを見た。良く見ればそれはアーデルハイド領特産のガラス細工で作られたティーカップで、エイネシアとしては日頃から見慣れているせいでちっとも変に思っていなかったのだが、言われてみたら変だ。

 その反応に、ふふっと上王陛下は一つ微笑んでから、「アレクが買ってきてくれたのよ」と言った。

「いやだわ、私。見慣れているせいで、ちっとも気が付かなくて」

「羨ましいわ。私はもうすっかりと、このガラス細工というのに夢中よ」

 そう折角会話の雰囲気が明るくなったのだが、「で……」と、すぐにも話は元の話題へと戻ってゆく。


「報告して頂戴、アレク。東方はどうだったのかしら?」

「ダグリア公と懇意にしている所領では、概ね寛容的でした。先のオズワルド王の手厚い誠意をまだ覚えている、といった様子ですね。懐疑的な様子は見受けられませんでしたが、しかしいつそれが豹変するかは、何とも言えません」

「ダグリア公には会えたのかしら?」

「いえ、今回は公爵領までは入れませんでした。ただリードスにはメイルバレス領で会えました。彼も、国庫の消耗は先王のダグリアへの手厚い施しのためであり、公爵家も責任の一端を共に背負っている、と言ってくれましたよ」

「よかったわ……いえ。こんなことに安堵していてはいけないのだけれど」

「ただし、“シア”のこと次第ではそのような恩義も露と消えよう、とも」

 そうチラリとエイネシアを見たアレクシスの視線に、エイネシアはぎょっとしてしまった。

「何……ですか? その話……」

「ねぇ、シア。君は一体、リードスに何をしたんだい? リードスは随分と君を気に入っているようで、私は正直、嫉妬しそうになったよ……」

 そう茶化すように言ったアレクシスに、エイネシアはポカンとする。

 ダグリア公爵令息リードスとは、実の所、直接的の面識はあまりない。四公爵会議などで会えば親しくするし、時折手紙をやり交わしたり、贈り物をいただくこともあったから、親しいといっても間違いはないと思っているけれど、何しろそうそう会える人物ではないから、せいぜい遠くに住んでいてなかなか会えない親戚、くらいのポジションだ。つまり、そんな大それたことの引き合いに出される心当たりは微塵もない。

「私、リードスに何かしたかしら……?」

 なのでそう訳も分からず首を傾げたエイネシアに、代わりに、ほほほっと隣で母が笑った。

「シアは小さかったから覚えていないのね」

「え?」

「初めて四公爵会議でシアを東方に連れて行った時に、貴女は随分とあの一風変わった仕掛けだらけの城を気に入ってね。大人たちが面白がって、『リードスに嫁げばこのお城に住めるぞ』と言ったら、貴女、『嫁ぐ!』と即答だったのよ」

「ッ……」

 まったく記憶にない。というか、一体幾つの時の話だろう。

「まぁ、その後すぐにヴィンセント殿下とのお話があったから誰も本気にはしなかったけれど。あの時の真っ赤になったリードスは可愛かったわね」

「そんなことがあったなんて……」

「あぁ、道理で……根掘り葉掘り、ヴィンセントの人柄を聞かれたわけだ……」

 そう息を吐くアレクシスは、それで、と、再び上王陛下を見やる。


「東方はともかく、北方はかなり懐疑的です。中央系の貴族はまだ良いですが、やはり従来の北部族系の貴族からは、元々シルヴェスト公爵家との事があって以来良い感情を抱かれていませんし、すでに王国からは離れた独特の雰囲気が出来つつあります。今のところ表だってことを起こしそうな様子はありませんが、先のイースニック伯爵領での伯爵の怠慢を見逃した王国の対応以来、反王国派のような集まりは増加傾向にあると。未だにイースニック周辺地方での小麦の生産がかつての状況に追いついていないことも大きなくすぶりの種になっています」

「イースニック領内の様子はどうだったの? もう少し細かく教えて頂戴」

「領内は今や内部に入ることすら難しい状況です。見聞きした限り、北部は概ね町としての体裁が機能していると耳にしましたが、どうでしょう。治安はかなり悪いようです。南部は畑の復旧という話以前の状況のようです。水の問題は当時上王陛下がお取りなしになった水道橋の早期復旧で解決したはずですが、領主は相変わらず南部を放棄した状態です。餓える者も多く、周辺領への難民も絶えません。国がかなりの復興支援をしているはずですが、それが還元されているとも到底思えませんね。この辺のイースニックの内政についての報告は、もう少し時間を下さい。近衛に調べさせています」

「イースニック伯も……メイフィールドの縁戚だったわね?」

「はい。しかし収益が減り国へ治める税収も滞っているはずなのに、なぜか伯爵自身の羽振りは良さそうですよ。毎晩絢爛な宴を開いて、最近は四人目の妻を娶ったとか」

「なんてこと……。国王は何と?」

「頭を抱えてはいましたが、あまり刺激したくない、と」

「……」

 深く思案するように押し黙った上王に、アレクシスは続けてポケットから抜き出した粗末な紙面をテーブルに置く。

「これは?」

「イースニック地方を練り歩いている時に、私の顔を見知っていた王宮の元侍女という女性に遭遇しました。飢饉の後、地元のイースニック伯爵領に戻り教会に奉仕していたそうですが、治安の悪化で、司祭様方に連れられて領地を逃げ出したと。その女性から預かりました。陛下に訴えて欲しいと懇願されたのですが、国王陛下には受け取っていただける様子ではありませんでしたので……」

 ぐっと口を引き結んで頷いた上王陛下は、『私が受けとります』と言わんばかりに、粗末な紙面に手を添えた。

「内容は、イースニック伯の悪逆と民の困窮を訴えるものです。イースニック領にはまだ家族もいて、心配をしている様子でした。北部では他にも数か所で似たような訴えが張り出されているのを見かけました」

「それほどまでに深刻なの?」

「イースニック内の状況は特に深刻ですが、周辺地帯でも、どこか空気は澱んで、皆打ち沈んだ顔をしています。アーデルハイド領を回った後だったので特に感じたのですが、教会の数がとんでもなく少ない。ヴィヴィという西方教区の司祭が言うには、司祭でも北部への赴任は嫌がられるそうです。今はことに治安が悪く、捨て子どころか、痩せ細った子供が教会の前で飢え死んでいることも珍しくはない、と」

「国ができることはあるかしら?」

「教会については先に教会庁に依頼を出しましたが、やはり司祭達の身の安全が確保されることが先決だと返答がありました。全体的な治安の悪化は、生産性の低下も大きな要因で、これは一朝一夕にはどうにもなりません。ただここに来る前に宰相府に寄ってきたんですが、すでにジルが幾つかの支援策を練ってくれていましたよ。私が報告書を出してからまだ二日とたっていないはずですが」

 相変わらずアーデルハイド家の当主は優秀すぎて怖いね、とエイネシアとエリザベートをみたアレクシスに、「あら嬉しいわ」とエリザベートが微笑んだ。

「けれどジルも、根本的な解決にはまずイースニック自体をどうにかすること。それと周辺の穀倉地帯については、農業法や生産性の根本的な見直し、精霊魔法士による長期的な援助の検討が必要だと言っていました。その辺は、シアが詳しいからシアに聞け、と言われたのだけれど……」

 そうチラリとエイネシアを見たアレクシスに、このアレクシスの言葉の数々に呆気にとられていたエイネシアは、「えっ、私?」と驚きに目を瞬かせた。

 正直、“放蕩王子”だなんて呼ばれているアレクシスが、よもや色々な場所を巡り歩く傍ら、そんな情報収集をしたり、貴族との駆け引きを行なったり、それを上王に報告していたり。そんなことをしているだなんてちっとも知らなかった。その人の、エイネシアが知っている姿とはまた別の政治家としての姿に呆気にとられていたせいか、突然話を振られて驚いてしまったのだ。


「ジルは、シアがアーデルハイド領で精霊魔法を用いた生産性と品質に関する実験をやっている、と言っていたけれど」

「あ、ええ。そうです。正確には私が提言をしただけで、実際に実験を行っているのは領官達ですが」

「簡単に言うと、どういうものなのかな? これまでの研究では、精霊魔法が与える影響は軽微で、魔法士を配備する手間賃の方が収益よりも膨大になる、という類の結論がほとんどだったように記憶しているけれど」

「それは、魔法士の使い方の問題です」

「使い方?」

 興味を抱いたのか、上王陛下もその話に首を傾げて聞き入る。

「これまでの研究では、例えばジャガイモを実らせるとして、土魔法士に土を耕してもらい、木魔法士がジャガイモの芽に早く実るようにと肥料に該当する魔法をかけ、水魔法士が常に水量管理をする、といったような、いわゆる“人力でできる事を魔法に頼って軽減化する方法”だったんです」

 手で耕すよりも、魔法でやれば一瞬ですむ。魔法で肥料を蒔けば一人で事足りる。水量を魔法で管理しておけば、長雨や旱魃にもある程度対応できる。そういう研究が、今までなされてきた研究だ。

「けれど私が試みたのはそういうものではなくて、例えばハイン様が薬室で、薬効の研究をなさっているでしょう?」

「ああ。薬草同士の勾配や管理状態を変えて薬効の変化を調べたり」

「それと同じです。土魔法士には土を耕してもらうのではなくて、土の品質管理をしてもらうんです。例えば多くの野菜畑には石灰が含まれる土壌が好まれますが、ジャガイモは石灰を多く含んでいると表面にでこぼことした細菌性の病気ができて、品質を損ないます。人力でも経験である程度管理できますが、精霊魔法を用いることで、より正確に管理できます。それに瞬間魔法ではなく永続魔法として土壌に直接魔法陣を刻む実験もしていて、これにより一度の魔法で安定的に土の状態を維持することができ、またその良い状態を記録し続ければ、後に人力でそれを行なう上での指標にもなります」

「なるほど」

「他にも、作物ごとにかける魔法を変えてみて、どの魔法が有効なのかとか。あるいは生産性に有効なのか、品質に有効なのか。そのバランスはどこが最適なのか。今やっているのはそういう調整実験ですね」

「ようは魔法士の魔法により、一番生産に適した土壌を研究している、ということになるのかな?」

「はい。ただこれは品質の向上と土壌研究に主眼を置いていたものなので、生産性に主眼を置き、かつより結果を求めるとなると、もっと別の方法を講じるべきかと思います」

「ところで、その方法はすべて、これまで提唱されてきたどの“魔法陣型”でもないように思うのだけれど」

 魔法といっても、万能ではない。精霊と契約していたとして、人ひとりが使えるのはせいぜいその現象を指先で起こせる程度のものであり、またそれを起こすに当たっては、何をしてほしいのかを正確に精霊に伝える必要がある。

 その伝達手段や魔法力の拡張として用いられるのが魔法陣であり、それは筆記型のものと、言葉にして用いる詠唱型とがある。人によって得手不得手があるが、詠唱型はいわば筆記型のものを読み上げる、という形だと思ってもらえたらいい。

 しかし精霊との交信手段はまだまだ不明確なところが大きく、人間と精霊が疎通できる魔法陣は限られている。それを幾つも組み合わせて精霊に指示を出すわけだが、決まった魔法陣はともかく、新しい魔法陣型を作ることは、とんでもない労力を要する。

 にもかかわらず、どの魔法陣型でもない魔法実験をしていたというのは、即ち、誰かがその新しい魔法陣型を編み出した、ということだ。

 なのでエイネシアがアレクシスの疑問に対し、「私が所領の魔法士達と一緒に新たに考案いたしました」と言うと、それには上王陛下が、「なんてこと……」と、思わず感嘆の声をあげた。

「シア……貴女はその若さで、新しい魔法陣型を作り出せるというの?」

「幸い、陛下に大図書館への出入りをご許可いただいていたおかげで、ハインツリッヒ卿に法陣論の基礎は叩き込まれているんです。それにハイン様の薬室での研究を参考に思いついたものが多く、必ずしも私の手柄ではないのです。ただこの知識がお役にたてるようでしたら、生産性を主眼に置く方法も幾つか考えて見ます」

「是非頼みたい!」

 そう目を輝かせたアレクシスは、それからすぐにまろやかな笑みを浮かべると、ゆっくりと息を吐いた。


「あぁ……まったく。本当に君という人は。王妃になんてするのが勿体無いな」

「ふふっ。ご心配なさらずとも、もうその予定はありませんから。卒業したら、大学でも目指してみましょうか」

「ハインに言ったら、そんな必要はない、と、即日付けで薬室の研究員にさせられると思うよ」

 そう言うアレクシスには、それはいいかもしれない、とエイネシアも顔をほころばせたのだけれど、すぐに「やめて頂戴!」と、真っ青な顔の母に咎められてしまった。

「まったく! なんていう悪魔の囁きをするのかしら! うちの可愛いシアちゃんを、ハインツのような薬室の(カビ)にさせるつもり!?」

 そう叫ぶ母には、「カビって!」と、アレクシスがすかさず笑い転げる。相変わらずこの人は、ハインツリッヒの悪口に敏感だ。

 これには隣で上王陛下までカラカラと笑い声をあげ、「ええ、ええ、それは駄目ね」とエリザベートに賛同した。

「研究も政治も宜しいけれど、貴方達はまだ若いのだもの。ちゃんと若者らしいこともなさい。特にアレクシス。貴方は放っておくとすぐに難しい方へ、難しい方へと行くのだから。情勢を探らせている私が言えることではないけれど。観光でも何でもいいから、そうやってちゃんと息抜きをしないと駄目よ」

「ええ。そう陛下に言われてからは、ちゃんと楽しむようにしていますよ」

 そう困ったように頬を掻くアレクシスに、あぁ、そうか、とエイネシアも納得した。

 この人が時折行方不明になるのは、息抜きなのかもしれない。

 この国の色々な物を見て、憂えて。それで難しい方へ、難しい方へと憂えを深めて。

 それを忘れるための、息抜き。

 アーデルハイド領にいる時、アレクシスは何度も何度も、『あぁ、ここはいいな』と、うっとりするような声を漏らしていた。それはもしかしたら、そうではなかった土地を思い出しての事だったのかもしれない。

 この人はエイネシアが思っているよりもずっと、ずっと、国を憂えていて。

 放蕩王子なんかじゃない。れっきとした、この国の王子様で。

 ゲームで言われていたような、王位を簒奪する“悪役”ではない。この国を助けるためにと仕方なく王位についた、そういう人だったのではないのか。



「貴方の見ているこの国の未来とは、どんな未来なのですか?」


 だからだろうか。おもむろに、思わず問うてしまった問いだった。

 それに、アレクシスはとても静やかで、少し切ないような面差しをして。

「アーデルハイド領やラングフォード領は豊かだ。物がという意味ではなく、心がね。そこに住んでいる人達の顔が、とてもいい」

「……はい」

「アーデルハイド領は工芸や特産で潤ってはいるけれど、寒冷な土地柄、生産性という意味では豊かではないはずだ。それはシルヴェスト領をはじめとする北部の多くの土地でも同じはず。なのに住んでいる人たちの表情が違うんだ。北部には、あの柔らかな空気がない」

「……ええ」

「私はね。そういう、気持ちの格差を少しでも減らしたいんだよ。人がごく普通に前を向いて生活できて、賑やかな声の飛び交う町を増やしたい。苦難を笑って乗り越えられるような安心を増やしたい。シアがアーデルハイド領の孤立した集落を助けるために街道を築き、孤児院の増設を決めたのと同じだ。生まれた場所が貧しかったからと諦めなくていい。そう思える国であってほしい」


 それは……アレクシス自身の経験によるものなのだろうか?

 親兄弟を失い、伯母に引き取られ、親子ほども年の離れた兄と、自分を王家の者と認めてくれない甥と。そんな中で一人で大図書館に引き籠って過ごしていたアレクシスの幼少期とは、どんなものだったのだろうか。

 エイネシアが知っているのは、図書館で司書やハインツリッヒなどと賑やかに議論しているアレクシスの姿だ。けれど彼はそうやっていつもニコニコと微笑んで、笑顔を振りまいて。その内側で、どんな孤独を持っていたのだろうか。

 本当はあの学院の星雲寮の古薔薇の部屋に入った時から、思っていたのだ。

 大図書館に良く似た設えで。なのにどこかどうしようもなく寂しい。ポカンと孤立した部屋。

 大図書館の賑やかな時間があって、誰かの気配を感じられる部屋で。でもそうであるがゆえに、どこか孤独な部屋。

 それを感じるようになってからずっと、気になっていた。アレクシス・ルチル・エーデルワイスという名前であった頃の元王子は、一体どんな幼少期を過ごしたのだろう、と。

 それが今、彼が口にしているその言葉に表れているのではないのだろうか。

 誰もが上を向いて生活し、笑い声のある国――。

 きっとアレクシスがあの図書館で出会った、ハインツリッヒ達のような。

 そういう存在になりたいのだ、と。


「いつも殿下に咎められることを恐れて課題を隠していた私は、図書館でアレク様にお会いしている間だけは、顔を上げることが出来ました。自分の好きな課題をアレク様やハイン様と好きに議論し、好きに考える。きっと他のどこで過ごした時間よりも沢山笑っていました」

 そしてそれが、アレクシスのやりたいこと。

「アレク様は、もっと沢山の私を、作りたいんですね? 好きなことをやって、好きに笑える。心に豊かさが生まれれば、人に優しくなれる。人が優しくなれば、悲しむ人が減る。皆がそうなれば、きっともっとこの国は賑やかな国になる」

「ふふっ。少し理想主義的過ぎるかな? ジルが聞いたら鼻で笑いそうだ」

「いいえ」

 そんなことはない。

 ちっともない。


「だって私は、そうやってアレク様に救っていただきましたもの」


 だからきっと、大丈夫。

 その言葉にアレクシスは少し目を瞬かせて。

 それからフワリと顔をほころばせた。

 あぁ、確かに。

 彼女を見ていると、出来そうな気がする。

 出来そうな気がしてしまうから。

 それが、困るんだ――。


 ◇◇◇



「もう。ちっとも戻ってこないのだもの。何をそんなに話し込んでいたの?」

 長い時間色々な話をして、ようやく、「そろそろお客様をお待たせしすぎね」と上王陛下が席を立ったのをきっかけに、皆もまた会場へと戻った。

 アデリーン王女が見事に場を取り仕切ってくれていたおかげで、皆ちっとも時間の事なんて気にした様子はなかったけれど、どうやらエイネシアを心配してくれていたらしいアンナマリアには、ほっとした顔をされた。

 けれどエイネシアの方は、諸事情あって頬が上気しており、上手く言葉を見つけ出せず、「え、ええ、まぁ、色々と」と言葉を濁してしまった。

 というのも……国王陛下に報告があるので、とお茶会には参加しないことを表明したアレクシスが、去り際、「そうだ、デートをしよう」と言い出したのだ。

 その突然のことには、思わず頬を染めて硬直した。

 だがまぁ、デートと言うのは言葉のあやだ。それはすぐに理解した。

 いわく、「シアは王都を歩いたことはないでしょう? 王国誕生祭の間の王都は本当に賑やかで、学ばされることが多いんだ」と。

 なるほど、そういう意味かとほっとしながら、「それは是非行ってみたいですが……」と母を伺ったところ、「アレクシス殿下がご一緒なら大丈夫ね。お父様はどうせ今日も帰って見えないだろうし、何とかなるわ」なんて悪魔の言葉をお囁きになった。

 そんなこんなで、大茶会を欠席して、明日、一緒に祭りを見て回ろう、だなんていう話になったのは、まぁ良い。エイネシアを真っ赤にして口ごもらせたのは、その後の母の、「あ、でも朝帰りは駄目よ! アレクシス殿下。そういうのは結婚してからにしてちょうだい」だなんて言葉のせいだ。

 アレクシスは、「そんなことしたらジルに殺されるからしませんよ」とカラカラ笑っていたけれど、エイネシアにしてみればそれどころではなく、大人達の他愛のない冗談にまったくついていけず、真っ赤になってしまったのだ。

 おかげでそのまま「また明日ね」と微笑むアレクシスの顔さえまったくまともに見ることが出来なくなってしまい、慌てて逃げるようにして会場へ戻った。

 そんなことがあったせいで、アンナマリアの言葉にもちっとも普通に答えられなかった。


「まぁまぁ。どうしたの? 耳まで真っ赤。一体何があったの?」

 そう首を傾げるアンナマリアに、思い出してはまた真っ赤になる。

「姉上……今そこでアレクシス殿下を見かけたんですが……」

 はてはそうむっと怖い顔をしたエドワードが名前を出すものだから益々頬が上気してしまった。

 その様子に、エドワードが益々眉を吊り上げる。

「さては……あの人はまた姉上に何かしたんですか?」

「エド。何かって?」

「先日アーデルハイド領にいらしていた時にも散々姉上をからかって行かれたんですよ。私を置き去りに二人で領都を散策したり、手ずから花冠を編んで姉上の髪に飾ったり、夜祭では姉上を連れ回して踊ったり、それからもことあるたびに……」

「や、やめて頂戴、エド。思い出したら益々恥ずかしいわ……」

 そう言うエイネシアに、まぁ、とアンナマリアが目を瞬かせた。

「驚いたわ。ずっとヴィンセントお兄様とのことを見ていたからかしら。シア様がそんな乙女な反応をするなんて……」

 そう言ったアンナマリアには、エイネシアも肩をすくめた。

 やりたくてこんな反応になっているのではない。ちなみにこうなっているのは、アレクシスというより母のせいだ。

「もうっ……何故皆最近、こぞって私を苛めるのかしらっ」

 そう顔を隠したところで、二人にカラカラと笑われてしまった。

 その意味はよく分からなかったけれど。

 でも何となく楽しくて。

 何となく、優しくて。

 この何処までも平和な、軽く冗談を言い合えるような時間に。



 そうか。

 これが、アレクシスの願い描く未来なのだなと思うと、胸の内が温かくなった。


 エイネシアを受牢する冷たい無感情なその顔とはちっとも似ても似つかない。

 とても優しい夢だった。






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