3-5 紫の薔薇(1)
意外なことに、好奇心旺盛な元王子様は、滞在期間中とても大人しかった。
最初に城内を案内した時も実に楽しそうにこのとても古い建築の城を面白そうに見て回ったけれど、やはりどこか仕草はおっとりとしていて、これまで賑やかしくしていたのは、もしかしたらエイネシアのためだったのだろうか、なんてことを思うほどだった。
翌日には朝から行方不明だ、とネリーが走り回っていて、もしかして、と赴いた書庫で発見した。
どうやら昨晩からずっとそこにいたようで、「この城は下手をしたら王宮図書館より古い本が普通に置かれているかもしれない」と、興味深そうに教えてくれた。
その言葉にすっかりと気を取られて、エイネシアもついつい一緒になって本にのめり込んでしまい、夕方に母が「貴方達まだそんなところにいたの!?」と仰天するまで、一心不乱に本を捲っていた。
三日目には、ヴィヴィ司祭が訪ねてきた。
元々、近いうちに一度訪ねて欲しいとお願いをしていたこともあって、仕事で領都に来るのにあわせて来ていただいた。
エイネシアとエドワード。それに興味を示したらしいアレクシスもこのヴィヴィとの面会には立ち会って、先に掻い摘んでエイネシアが半官半民の孤児院のことを話すと、大層興味を持ってくれた。
「やはり問題は財源だね」
ふむ、と唸るアレクシスに、エイネシアも頷く。
「人材の確保の方は、すでにうちの領官が当たってくれています。当面は教会の付属施設ということで別荘地の空いた建物を使っていただくことにして、そこに民間から人を派遣するという形にしようかと」
「あぁ。それがまずは当面の処置としても良いだろう。けれど民間に委託するならやはりそれ相応の財源が確保出来ておかないと辛い。今後のその“法人化”というやつの模範にするつもりなら尚更、まとまった元手と、資金確保の継続性が証明できる根拠を作っておくべきだ。それから領官への意見具申書や領官内での監査基準。書類手続きの詳細も、今後の模範となるようにある程度マニュアル化させて進めて行くべきだと思う」
エイネシアの言った説明をいともたやすく理解して、非常にシステマティックに筋道を立ててアドバイスを出したアレクシスの言葉には、エイネシアも感心に目を瞬かせた。
案を出したり物を考えることは出来るが、未だに公人としては未熟なエイネシアには失念していた指摘であったし、まさかこの放蕩王子と称されるアレクシスから出た一番最初の指摘が、こんなにも行政的であるとは思わなかった。
「資金面については宛てがあるのかい?」
「後々の模範……という点を考慮していなかったことで、今再考の余地を感じています」
「緊急性ということから、多少はイレギュラーな手法であっても構わないと思う。だが元手や資金調達については、やはり今後の厳しい精査の基準になるくらいの宛ては欲しいな。後々になって、“あの時は良かったのに”なんていう言いがかりを付けられると面倒だ」
「なるほど……」
「それで、どういったことを考えていたんだい?」
「幸い、別荘の管理費がかなり積み立てられていましたので、元手は公爵家からの私費負担ということにして、お母様のお名前を借りて『公爵家の慈善活動』という切り口で行こうと思っていました」
「うん。公爵家主導という特別性を全面に押し出すのはいいね。後々にも、これが例外的なものだったことを証明する後ろ盾にもなる。定期的な収入の目途は?」
「ヴィヴィ司祭からのご意見を参考に、アゼッタでは託児保育や子供の預かりが有効だと判断しました。うちの引退した元乳母などにも相談してみたところ、仲間内に声をかけて下さるとのご返答を頂けましたので、人材の確保にも目途が立っています。しかしこれだけではまだ不安なので、何か安定的な収入源が欲しいと考えているところです」
「収入とは少し違うけれど、公爵家の土地を借りられるなら、ある程度の自給自足が出来る畑はあった方がいいね。私の経験上、本当に困ることがあっても食べるものさえ目の前にあれば、絶望はしなくて済む」
「……」
「……」
うん。この殿下に何があったのかものすごく気になるけれど。
目の前でヴィヴィ司祭が呆気にとられた顔をしているから、ここでは詳しく聞かないであげることにする。
「できれば安定性が高くて収穫の容易な作物がいいけれど」
「ならジャガイモですね。この寒いアーデルハイド領でも安定的によく採れますし栽培も簡単です。春と秋と年に二度取れて一年中食べられますし、アゼッタは放牧地帯なので堆肥も簡単に手に入りますよ」
そうこの土地を良く知るヴィヴィが助言をくれる。
確かに、領都のあたりでもジャガイモは主食の部類に含まれており、一般的によく食べられるものだ。
「あとは何かアゼッタの土産物になりそうなものを恒常的に生産できたら良いと思っているのですが」
「公爵家の別荘地にあることを生かして、百合の刻印にちなんだものは? あまり大層な物ではなくて、簡単な。子供の教養にもなる物だとなお良いね。女の子ならレースを編ませたり裁縫をさせたり、男の子なら裏手の山の倒木で彫刻などをさせてもいい。小さな頃から手先をまめにさせておくと、その後自立する時も手に職を付ける仕事で重用される」
「なるほど。編み物や縫い物の心得があれば服飾店や装飾店にも重宝されますわね」
「ラングフォード領の港町では漁に出る大人達のために、子供がお小遣い稼ぎがてらにロープを結んだり網を編んだりしていたよ。ダグリア領の職人街では貧しい家の子が十歳にも満たない年の頃から徒弟として出入りして下積みをしたりもしていた」
孤児が普通の子供達と最も異なる点は、そこそこの年齢に成ったら孤児院を出ねばならず、戻る家や援助してもらえる実家が無いことであり、なによりその“不安”が常に存在し続けることだ。独り立ちして、一人で稼ぎ、一人で生きて行かねばならない。それはどんなにか心細いことだろう。
だがそういう時、身につけた技術というのは大きな助けになる。実際にそれを売買する経験もしておけば、自信にもなるだろう。
孤児院での収益は、ただ収入のためではなく、なにかしら子供達のその後を支えられるものであるのが良い。その見解には大いに賛同した。
「あとは……何か新しい子供でも作れそうな消耗品……菓子とか。あぁ。あの辺りは春百合がとても沢山自生していたから、きちんと管理して育てて、春の季節にはこの花を売るのも良いな。荷馬車で少し遠くまで卸しに行くのもいいし、何なら領都に往復もできなくはない距離だ」
「それも良いですね。うちの別荘地内にもかなりの広さの自生地がありますし。毎年愛でる人もいないまま枯れるのが勿体無いと思っていました。春百合は祭りの季節にはどんなに有っても困らないほどに領中で捌けますし」
「菓子は、ジャガイモの生産が安定するようなら、ジャガイモの菓子にしては如何ですか? ほら。先日姉上が作って下さった薄く切った揚げジャガイモ。あれは美味しかったですよ」
エドワードの言葉に、あれか、と、エイネシアはちょっぴり肩をすくめる。
揚げジャガイモというのはこの領の辺りでは一般的に食べられる菓子で、ジャガイモをざくぎりにして揚げた『ザ・揚げジャガイモ』みたいなものもあるが、基本的には細かく細切りにした沢山のジャガイモに小麦粉をまぶし、塩と胡椒をかけ、間にチーズなどを挟んで焼いたガレット風の食べ物を指す。
菓子というよりは食事に近く、庶民家庭では朝食や昼食にこれを食するところも多いと聞く。
一方のエイネシアが先日この城で試作してみた揚げジャガイモは、簡単に言えばポテト○ップスだ。薄く輪切りにしたものをたっぷりの油で揚げて塩を振りかけただけという実に簡単なもので、むしろ今まで誰もやっていないことに驚いた。家族にはチップス型よりもスティック状の○ャガビー型のものが食べやすくて良い、と好まれたが、侍女達にはチップス型のほうが“めずらしい”と好評だった。
「でもあれは油を沢山使っていてコストパフォーマンスが良くないから……オーブンで作る方法の方がいいわね。この料理は他にも応用がきいて、かぼちゃとかリンゴとか。同じように揚げると美味しいのよ」
「リンゴですか?」
「リンゴは砂糖水に漬け込んでから揚げるの。サラダにかけても良いし、そのまま食べても。保存食にもなるわ」
そういえばこの領ではリンゴが豊富なわりに、加工のバリエーションは少ないような気がする。ドライフルーツはあるが精々そのくらいで、揚げたものは見かけたことが無い。油が貴重だからというのもあるだろうが、幸いアゼッタはオリーブも沢山茂っているから、加工に用いる量のオリーブオイルくらいなら確保できるかもしれない。あるいは公爵家にはとても大きなオーブンがあるから、それを提供しても良い。
「そうした道具をそろえるためにも、やはりまとまった元手が欲しいな……」
ちなみに揚げリンゴは是非後で作ってほしい、と付け足すアレクシスに一つ首肯をしつつ、元手を作る事業という方にもやはり頷いた。
「夜祭を利用するのは如何でしょう?」
そう提案したのはエドワードで、二日後に迫ったその絶好の機会に、「それはやはり利用しないとよね」とエイネシアも身を乗り出す。
「単純に基金を募るのもいいけれど、揚げ菓子を試作して出してみましょうか。それを宣伝材料にして」
「ええ。皆さんにいただいたリンゴも沢山ありますから、売上を孤児の救済院の設立に充てますよ、と触れこんだ上で土産物として販売するとか」
「なるほど。私達は訪問客に無償で料理やお祭りを提供しているわけだけれど、そんな皆から少しずつ寄付を募る形にするのね。実際に料理を提供して気に入ってくれた方だけ買って帰ってもらえばいいわけだし、押しつけがましくも無くて良いわ」
「ならすぐにどのくらいの量を準備するのか。生産性と物価相場から原価の設定。ある程度の収入見込みも立てて、実際に孤児院で生産するとしての見積もり高も出さないといけないね」
あっという間に現実味を帯びてきた話に、「そうと決まったら!」と、アレクシスが立ち上がる。
「よし。町に行こう」
そう笑顔で仰った殿下に。
キョトンとした目が二つと。
それから一つ、エドワードが呆れた顔で笑った。
「貴方の場合は、町を散策したいだけでは?」
「アンにお土産も頼まれていることだし」
「本音は?」
「領都の春祭りを見物したい」
「ええ、でしょうね」
そうすっかりお見通しのエドワードに、アレクシスもちょっぴり肩をすくめた。
「でも領都での相場を見ておきたいのは私も同じだわ。エド……あの……」
ちょっと不安そうにエイネシアが問うのは、領都のような人が多い場所をエイネシアが散策するのが、あるいは両親に許可されない可能性があるからだ。
先日もアゼッタに行く道すがら少しばかり領都を散策したが、その時もとりわけ母からは『くれぐれも気を付けて。少しだけよ』と念を押された。いかに治安がよくとも、王家との婚約を破棄するなんていう騒動を起こしたばかりだからと、心配されているのだ。
「はぁ……仕方ありませんね。ではリカルドにも同行してもらいましょう。兄弟子はあぁ見えてアルフォンスと引き分けるほどの腕前ですから」
「そうなの? それはすごいわ」
そう頷くエイネシアとは裏腹に、アレクシスはたちまち顔色を濁したけれど、しかしうーんうーんと暫し悩んだ末、「仕方がない……」と納得の顔をした。
アレクシス一人ならともかく、お嬢様を危険な目にはあわせられないとの配慮だろう。
「そうと決まれば早速! ヴィヴィ司祭。そういうことだから、教会まで司祭の馬車に同行しても良いだろうか」
途端、そう言ったアレクシスの言葉に、えっ?! と、エドワードとエイネシア、それにヴィヴィも、揃って声をあげた。
「あの、アレク様? 馬車ならうちの馬車で……」
「ハハっ。そういうところがシアはやっぱりお姫様だね」
どういう事だろう、と首を傾げたエイネシアに。
「公爵家の馬車で行ったら、ひと目で“ばれる”じゃないか。何処から来たのかを悟らせない。何者であるかを悟らせない、が、お忍びの基本だよ」
「……」
うん。ちょっと感心した。感心はしたが。
「あぁ、そうやって貴方はいつも護衛の目をくらませ、行方不明になるんですね……」
扉の前で、タイミングよく現れたリカルドの低い声色が、「きゃひっ」というアレクシスの甲高い声を響かせることになった。