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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(上)
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3-3 春祭り(2)

 そうして湖畔でのんびり水を飲んでいた馬を連れてくると、荷物は全部降ろして身軽にしてから二人乗りし、少し小走りさせて町を目指した。

 走らせたら怖くはないだろうかと少し姉を心配したけれど、たなびく髪を抑えて目を輝かせる姉は案外楽しそうで、町の手前で馬を止める頃には、「次はもっと早く走らせて」と我儘を言ってくれるくらいだった。

 主を捨て置いてエイネシアの髪に鼻頭を突きつけて撫でて欲しいアピールをするリリーも、いつの間にかすっかりとエイネシアに懐いてしまっていて、慌てふためくジェシカやネリーを余所に、エイネシアもとても嬉しそうにその頭を撫でている。

 あぁ。もしかしたら姉は、本当はずっとこうやって、自分の手、自分の足で色々なところを駆け回りたかったのだろうか。今更ながらに、そんなことを思った。

「さぁ、姉上。はぐれないでくださいよ」

 そう促したところで、「ではリリー、大人しく待っていてね」と留守番の護衛に馬を預け、エドワードの腕に抱き着いて、少し緊張した様子で町の中に立ち入る。

 町の外周は閑散としていたが、湖の方に近付くに従って段々と賑やかになってゆく。

 小ぶりな木造の家の幾つかからは慌ただしく夫人が出入りをしていて、籠いっぱいの蒸しパンやリンゴを抱えながら、次々と湖の方へと運んでいた。

 その流れに倣って歩んでいくと、広々とした噴水広間があって、そこにとても華やかな沢山の飾りつけがなされた祭壇が設けられ、司祭様に促された小さな少女がやってくる村人たちに可愛らしい白い百合の花を渡していた。

 春に花を咲かせるこの土地特有のその百合は、春告げ花とも言われる花で、王都のアーデルハイド家でも沢山栽培されている。王都ではもっと早い時期から長い間楽しめるが、この辺りでは暖かくなり始める三月の中頃から四月の頭頃が旬で、他の百合より格段に早く咲き、すぐにしぼんでしまうのだ。

 春祭りに開花が間に合った年には、今年の夏はあたたかくなる、と喜ばれる。

「おや、見ない顔だね」

 そんな様子を見ていたら、リンゴをいっぱいに抱えた奥様が声をかけてきた。

「こんにちわ。領都から弟と遠乗りにきたの。この町ではもう春祭りを?」

「あぁ。うちの町の近くの教会は、神父さんがいつでもいてくれるわけではないからね。いつも一日早く、祭りを始めてもらうんだよ。それに今年は最終日にご領主さんがお祝いをして下さるそうだから!」

 取りあえずこっちにお出でな、と手招きする奥さんに誘われて、賑わう町の人達の中へと入ってゆく。

 そんなに大きな町ではないけれど、流石に人はごった返していて、ほろ酔いになった紳士達が賑やかに音楽を奏で、すっかりとできあがっていた。

「さぁ。春祭りに参加するなら、まずは百合を貰っておいでなさいな」

「余所者がよいのですか?」

 ここもアーデルハイド領だし、この町にはアーデルハイド家の別荘もあるわけだから、正確には余所者ではないのだが、一応そう問うて見たところで、別の奥様が「人は多い方が良いに決まってるわ」と促してくれた。

 なので花配りの祭壇に向かったところ、すぐにも折よくこちらを見た司祭様が目を瞬かせるのを見てしまった。

 エイネシア達は見知らぬ司祭だったけれど、“プラチナブロンド”で“薄紫の瞳”で、なんかちょっと小奇麗な格好をした“そっくりな姉弟”。しかも侍女や護衛っぽい人もつれているというこの情報だけでも、彼が目を瞬かせるには十分だったようだ。

「ごきげんよう、司祭様。私達も参加しても?」

 なのでそう敢えて取り繕わずにそう問うたところで、「勿論ですとも」と、取り繕わずに祭壇に促された。

「若様もお嬢様も。この町には春祭りをご覧になりにいらしたのですか?」

 そう問うた司祭様の言葉に、おっと、と一瞬肩をすくめたけれど、ばれているならいるでもいい。

「いえ。少し遠乗りに。でも湖に賑やかな船が見えたものですから、弟に無理を言って連れて来てもらったの」

「それは良い所に遭遇しましたね。この町のリンゴパイはシナモンがきいていて絶品ですよ」

 正直もうリンゴはこりごり! と思ったのだけれど、ここでもまたリンゴなのがおかしくて、「食べて行きますね」と答えた。

 そのうち順番が来て、花配りの真っ白なドレスに身を包んだ少女の前に、二人並んで膝をつく。

「皆様に春の祝福がありますように」

 そう言って差し出された百合を受け取って、どこかしらに身に着けるのが一般的……なのだけれど、少女はエドワードに一輪。そしてエイネシアに一輪渡そうとして、ピタ、と手を止めた。

 はて。どうしたのかしら、と顔を挙げたところで、「お嬢様」とジェシカがこっそりと声をかける。

 何か礼を失してしまったかしら、と不安になるのはもはや身に沁みついた習慣というやつで、不安そうにしたエイネシアに対して、クスリと笑った傍らのエドワードは、おもむろにエイネシアの髪に手を伸ばした。

 そのエドワードの手が、髪飾りにしていた花を摘み取る。

 そこでようやく、今朝ネリーが編み込んでくれた髪飾りが、その“春の百合”だったことを思い出した。

「あら。私ったら。もう持っていたのね」

「それだけではありませんよ」

 そう笑うエドワードが見せてくれた花には、一匹の小さな黄色い蝶がとまっていた。

 蝶は衆目の中、堂々と花の蜜を吸うと、満足そうに飛び立って行く。

 それを花配りの少女が、わぁっ、と目を輝かせて見送った。

「姉上。蝶の止まった春の花は、幸福の花といって特別なんですよ」

「まぁ」

 思わず目を瞬かせて。それからおもむろにその百合をエドワードから受け取ると、ニコリと笑みを浮かべて、花配りの少女の花冠に手ずから編み込んだ。

 それにキョトンと目を瞬かせた少女が、頬を赤くして頭の花冠に触れる。

「花配りの精霊さんに、春の幸せがありますように。皆さんにもこの幸福を分けてあげてね」

 そういえば、「ずるい!」「私も!」と沢山の女の子たちが群がってしまって、すっかりともみくちゃになってしまった。

 そんな中を何とか百合を貰って祭壇を降りたところで、ほぅと息を吐く。

「驚いたわ。この町の子供達はとても人懐っこいわね」

「ふふっ。髪が乱れてしまいましたね」

 そう差しのべられた手が軽くエイネシアの髪を撫でつけて、次いでにエドワードは自分が受け取った百合を髪に挿してくれたものだから驚いた。

「有難う、エド」

「いいえ。百合を飾るのに、アーデルハイドの姫ほど相応しい方はいないはずですから」

「まぁ。では私の百合は、アーデルハイドの世継ぎの君に捧げるわね」

 そうエイネシアも、手にしていた百合をエドワードの上着のポケットに差し入れた。

 百合を飾るのにこれ以上相応しい人がいない、というのは、エドワードも同じ。

 いいや……本当なら、エドワードだけがそうであるはずだったのだ。

 王家に輿入れすれば、エイネシアが飾るべきは百合ではなく薔薇。エイネシアは、薔薇の人になるはずだった。

 でももう、それは過去の話。

 髪に挿された百合はその現実を知らしめているようで、少し切なく、でも少し嬉しかった。

「まぁまぁ。なんだい。見せつけてくれるねェ」

「あたしもあと二十若けりゃ、いい男捕まえて髪に挿してもらったんだけどね」

 そう嘆息する奥様方が、無造作にエプロンのポケットに突っ込んだ百合を見ながら嘆息する。

 だから何だかちょっぴりと恥ずかしくて肩をすくめたのだけれど、ちっとも動じていないエドワードと来たら、「ようやく口説き落とせたばかりで、初めてのデートなんです」なんて言っていた。

 勿論、「一体いつ“姉”を口説いたんですって?」と背中を引っ張ったのだけれど、なんだか妙におかしくて笑ってしまった。


 そうして暖かく出迎えられた町で、外からの客を珍しがった子供達に取り巻かれ、いつの間にやら決まりも何もない無造作なダンスに巻き込まれて、戸惑いながらもエドワードと適当なワルツを踊った。

 決まったステップもなく、気分で曲調の替わる音楽に合わせたダンスは逆にとっても難しくて、二人そろって「王宮古バラッドのワルツより難しい!」と笑った。

 そうして一通り楽しんで、奥様たちのリンゴ攻めを何とか逃げ回って回避しながら、結局押し付けられた焼きリンゴをかじりながら司祭様の勧めて下さったベンチに腰を下ろす。

 なんだかもう焼きリンゴはこりごりだったけれど、沢山踊って沢山歩き回った後の甘いものはやっぱり美味しかった。

「もうリンゴは一生分食べたわ」

「ええ、同感です。蜂蜜とシナモンも」

 そういう二人に、「よろしければどうぞ」と、司祭様が手ずから入れたハーブティーを出して下さった。

「お心遣い有難うございます」

「いえいえ。町の人達の無礼もあったでしょう。お詫びがてらですよ」

「無礼だなんてちっとも。こんなに良くしてもらって、驚いているくらいです」

「お嬢様のお陰ですよ」

 突如そんな言葉が返ってきたから、ん?? と首を傾ける。

「三年ほど前、お嬢様が自ら指揮を取られて、領内の小路整備をなさったことをお覚えですか? この先の山間にある古い集落にも街道を通され、この辺りの町や村とも物資がやり取りできるようにとご整備なさいました」

「えぇ。あったわね」

 確かに、提案した。

 正確に言えば、所領の北部と南部を横断する街道を整備せよ、という父の命を受けて、南北を分断する険しい山間の確認調査を行なわせたことがあった。その時、戸籍への記載すらまちまちな多くの領民が、山間の貧しい土地に孤立して住んでいることを知り、孤立集落を片っ端から調べ、領地内のおざなりだった戸民調査や集落調査などを実施させたのだ。その傍ら、領官が集落に出向くためという理由をつけておこなったのが、集落までの小路の整備だった。

 特に山の多いこの北部には、冬に雪が深くなると完全に外界から遮断されてしまう集落が沢山あった。それら村では、雪が溶けるまで蓄えた食料だけで細々と暮さねばならず、春祭りとも無縁だったという。

 だが道が通っていれば、多少不便はあるとはいえ、雪が治まっている間に町へ出ることができる。そうして町までいけば、医者や薬、南部から入ってきた物資もある。なんなら冬の間だけでも町に滞在できるようにと支援できないか、なんて動きもある。

「この町も、かつては孤立していた集落から度々人が出入りするようになりました。人が増えたので南部から旅商人も来るようになって、活気が出てきました。必ずしも活気が出るのが良いとは限りませんが、この町ではそれが合っていたようで、本当に上手くやっていると思いますよ」

 実際この春祭りにも、色々なところから遠出客が来ています、と言う。

「大変不躾ながらここでお会いできたのも春の精霊のくれた幸運と思い、おひとつ、聞いていただきたいこともありまして……その下心のハーブティーなのですが……」

 そう大変恐縮そうに頬を掻いた司祭様には、「ちっとも不躾なんかではありませんよ」と言う。

「領地のことです。何でも仰ってください」

「有難うございます。それで……その、人の行き交いが増えたことは良いのですが、そのせいでしょうか。集落を捨てて、丸ごと町へ移動してくるような村も中にはありまして」

「まぁ……」

「やはり山の深いところでは冬の事故や飢えもひどく、孤児や……とても残念なことに、捨て子も多いようです。働き手を失って母一人子一人のところや、老人がただ一人死を待っていることも。そうした人たちが町に出てくるための手段が出来ましたので、集落で暮らし続けるよりは良いのではとやってくるのです。しかし何より元手もなく、住む場所もなければ仕事もないわけです」

「そうした人達がまず頼るのは、教会ですわね……」

 エーデルワイスの教会は精霊信仰を主軸とした国教を説く宗教機関である以上に、貧民救済や福祉事業が行なわれる慈善施設としての役割が大きく、国の大々的な保護は勿論、貴族や大商人達の喜捨によって運営されている。

 領地によって教会の量や質も様々だが、アーデルハイド領では王国公爵家としての歴史が始まる以前から元々精霊信仰が盛んだったこともあり、大きな町だけでなく小さな町にさえもお社を立てるほどで、それに従事する人口も比較的多い。

 とりわけ貧しい者達にとって教会とは“助けてくれる場所”であり、アーデルハイド領のちょっと大きな教会になれば、必ずと言っていいほど孤児院か救護施設を併設している。

「このアゼッタの町は元々別荘地で町人も多くありませんでしたから、教会は湖の向かいの一つだけ。ここはおそれながら歴代の公爵閣下の喜捨で運営されているもので、三代前までは公爵家の別荘地の敷地内にあった私的な教会でした」

「そう聞いています。けれど町が発展して人が増えてきたため、当時の領主が敷地から切り離して、南側の土地一体を移住者に提供し、教会も町の教会にしたとか」

 昔はこの湖の周りはすべて、アーデルハイド家の別荘地だったのだ。今ではその土地も三分の一ほどになっていて、しかし町の人たちもその歴史を知っているからなのか、あるいはご領主様に慮ってなのか、公爵家の近くにはあまり賑やかしい町を広げず、放牧地などにしていて、別荘地からの湖の景観などにもとても気を使ってくれている。

「そういえば司祭様は、どこかと掛け持ちなのだとかおっしゃっておられましたわね……」

 はた、と気が付いたことを口にすると、「そうなのです」と、司祭様が眉尻を下げた。

「道が通ったことで、これまで聖職者が在中していなかったような集落にまで行くことができるようになってしまった……こんな言い方をしては何ですが、ようするに“人手不足”になっていまして、私も今はこのアゼッタと、その周辺の三つほどの町を巡回しています。教えのためも勿論ですが、それよりやはり病人を診てもらいたいというものが多く、本来ならば助手の一人も連れて行きたいところですが、しかし孤児院を併設しているアゼッタの教会を無人にすることもできませんし……」

「アゼッタの教会には、司祭様と、他には?」

「シスターが一人。アゼッタの孤児院出身の、まだ十代の若いシスターです。私が留守の間は、彼女が二十人近い子供や老人の世話をすべて」

「まぁ……」

 それは問題だ。

「幸い町の人達が時折助けには来てくれますが、教会は町とは対岸ですし、中々。それにもかかわらず、教会を訪ねてくる困窮者は日々増えるばかりです」

「西方大教会や王都の教会本部には、人材の要請などはもう?」

 何とかしてあげたくはあるが、教会の管轄は教会であり、アーデルハイド領であろうが何であろうが、少々別の系統の管理下になる。なのでまずは領主ではなく、教会に掛け合ってもらわねばならない。

「ええ。致しまして、今年の内にも大きな教会へは多少なりとも人材が入ってきましたが、しかしやはりこのようなところまでは」

「そうですわね……。それで、司祭様が領主にお望みになることとはどんなことでしょうか?」

「とても恐れ多いことではあるのですが、全体的に教会の数と人員に対し、孤児や救護を求める人達が多すぎるのです」

 孤児が多いのは寒冷な土地柄仕方のないところもあり、またそういう孤児をすぐに受け入れる下地がこの地方の教会には出来ているという事でもある。そうして孤児を救済しているからこそ、アーデルハイド領は全体的にも治安が良く、所謂ダウンタウンや貧民街のようなものがほとんど存在しない。

 だがそれにも限界はある。

 何よりそうした孤児達を育てるのも、ただではないのだ。

「公爵家からの喜捨をお望みですか?」

 そうはっきりと言えば、司祭様は慌てて、「いえいえ、それはもう十分すぎるほどにいただいております!」と否定した。その一言だけで、この司祭様の人柄がうかがえるというものだ。

「簡単なことで良いのです。教会の人材だけでは足りないので、町の人達にご領主様から教会への手伝いを呼びかけていただいたり。もしもお許しいただけるなら、教会が貴領の領民の医療の心得のある人や、子守の出来る者を雇うことを認めていただきたいのです」

「なるほど……」

 確かに。それは出来そうで出来ない、難しい相談だ。

「エド。どう思うかしら?」

 そうチラリと隣で同じように難しそうな顔をしているエドワードに聞いてみる。

 ここですぐにエイネシアの意見を述べてもいいのだが、やはりまずは次期領主の見解を聞くべきだろう。

「教会への奉仕は基本的に“無償奉仕”であることが前提です。しかしただでさえ数が少なく高取得者階級である医療従事者などはそう簡単に技術を無償提供はしませんし、子守の件も、我が領では女性の就業に寛容ですから、どの家でも子守はプロとして厚く遇され、今の時点でも人材不足なくらいです」

 実に的確に国の制度と領の状況を理解できている弟に、エイネシアも一つ頷く。

「ましてや元々教会が多い土地柄。教会からの人手もすでに他領より多いくらいに入っていて、これ以上の人員増強を渋られるのも分かります」

「そうよね……」

 エイネシアが頷くのと同じく、司祭様も残念な顔で一つ首肯した。

「領政機関から町へのボランティアを呼びかけるくらいは大したことではありませんから、勿論すぐに対応させていただきますが、根本的な解決にはやはり孤児院や救護施設が教会に頼りきりのこの状況の打破を考えるべきでしょう」

 エイネシアとの同じ見解に、思わずエイネシアも顔をほころばせた。

 その顔に、エドワードも少しほっとした顔を見せる。

「姉上もご賛同いただけますか?」

「そうね。元々、官営の医療機関はもっとあるべきだと思っていたの。アーデルハイド領は昔から薬学研究は盛んだもの。まずはそこに併設させてはどうか、とか。例えば王立の薬学研究室みたいにね」

「なるほど。研究従事者の知識を一般提供する場所を作るわけですね」

「勿論、研究者は研究者だから……根本的に医療従事者を増やすことも前提になるわ。だからそうした人材を育てるための学術機関の併設も視野に入れて、お父様に提案したことがあるの」

「そうでしたか」

「でも残念なことにまだ完全には軌道には乗っていなくて、教師の手配も十分ではないし、医療に対する関心も領民の中に浸透していない状況ね。それに一人の医療術士を育てるにも五年は見なければならないと思っているわ。だからこの案は一朝一夕にはどうにかなる物ではなくて、とても長い時間がかかるものなの」

「確かに……。今すぐに状況を打開するためには、他の策も打たねばなりません」

「大きな孤児院を官営で、というのは良い案ね。いえ……官営ではなく、“法人”経営が一番望ましいのだけれど」

「法人?」

 そう首を傾げたエドワードに、おっとっ、と肩をすくめた。

 ここでエイネシアが言うところの法人とは、いわゆるNPO法人や社会福祉法人と言われるような非営利法人を想定したものだが、そもそもこの国には、法人……いわゆる個人ではなく団体を権利義務主体者とする制度というものが存在していないのだ。

 それはこの国ではすべて“教会”に集約されている。

「えっと……個人経営ではなく、組織が主体となって運営するという意味で、公的な機関に近いわ。でも官営ではなく民が経営して、でも個人じゃなくて組織が法の権利義務主体になる……」

「例えば今官営で行っている薬学研究院をその法人にしたとすると、管理責任が公爵家の行政機関から研究院自体に移り、上がった成果も研究院のものになるわけですよね。その代わり経営費などの捻出も研究院が自力で賄うことになるわけですが……」

「公益な研究や行政が推奨する事業への参入には助成金を出したり税の免除を行なったりする制度があるべきね。成果に対する褒賞も用意しておけば、これも財源になると思うわ」

 そして官営ではなく民営に任せたいと思う理由はまだある。

「それにね、そもそも現行法では薬学は毒物をも扱うことから公的機関での研究しか認められていないけれど、何もかもただでさえ手の足りない領政だけではまかなえないし、領官達が思いつくものだけがすべてとは限らないでしょう? 孤児院のことも。私達はてっきり“領には教会が沢山あるから大丈夫”と思っていたけれど、実際はそうではなかった。こういうのを実際に町に暮らしている民達が思いついて、それを自発的、主体的にどうにかしようと立ち上がってくれたら、私達領主側はとても助かると思うの」

「ええ。その通りです」

「だから国民が自ら考えて、法的に制限されているものでも自らの手で研究したい、運営したい、というようなものを認める制度を作りたい、と言ったらいいのかしら。勿論、それら行政の認める特例が不透明な存在では困るから官による精査や厳しい監視は必要になると思うけれど」

「確かに、医療や薬学に関しては慎重にしたいところですね。しかし孤児院ならどうでしょう。孤児院は今のところ教会に一手に任されていますが、そうではない組織を領民の手で自ら作って運営してもらって、それを官が援助金や税の免除などで助成する。そういうことですよね?」

「そういうこと。官営の孤児院は、やっぱり教会への面目上難しいと思うのよ。我々が出来るのは、救済のための援助金を教会に喜捨することで、援助を代行してもらうこと。これに手を出すことは、教会の領分を犯すことになってしまうもの。けれど民が自ら子供達を救済している慈善団体に行政が援助をするという形であれば、今のエーデルワイスの国法的にかなり“グレー”で、“セーフ”だと思うのよね。何ならそこに教会の方を一人派遣していただいて、指導という立場をとってもらうのもいいわね。それなら教会の管轄下で。でも運営は民が行なうことになるから、教会から借りる人材も最小限で良くなるわ」

「問題は運営費ですね」

 コクリ、と頷く。

「官営であったとしても、すべてを官がまかなえるほどの財源をすぐには出せません。教会には多くの喜捨と、国の祭典や儀礼による決まった収入があり、司祭様方もいってみれば“安定した収入源”があるわけです。しかしその法人というものでは、喜捨に頼るにしてもかなり収入が不安定で、教会ほどの信用がないというのも不安です」

「ええ。だから、法人を運営するための“営利行為”を認めるの。官営ではこれも難しいのだけれど……ようは孤児院を運営するための“商売”を認める、ということね」

「なるほど。官が積極的に営利目的の事業をするのは難しいですからね」

「教会の孤児院なら、子供達が作ったものを売るバザールが一般的かしら? 管理をする者に有識者がいるなら、私塾を開いてもらって、孤児院の子供達と一緒に周辺の村の子供達に勉強をしてもらうのもいいわね。それで少しの授業料を取れたら一番良いのだけれど、これは少し難しいわね」

「教会が行なっていることと基本は同じことを?」

「参考にはなるでしょうね。でも教会より多くの収入を必要とする分、もっと効率のいい方法がいいわ。それに教会が出来ることは教会が制限しているでしょう? バザーはチャリティーに制限されていて、売る物もおメダイや聖書経典類などの宗教関連だけ」

「我々は物を教える際もお金を貰ってはならないという決まりがあります。それに、読み書きはともかく、聖典に関係のないことを教壇に立って教えることも禁じられていますよ」

 そう口を挟んだ司祭様に、エイネシアも一つ頷く。

「なので教会では教わらない、でもあったら有意義な学問……算術や地理、貿易港のある南部では外国語なんかも良いわね。そういうものを教える場があるのは良いわよね。何なら、託児所、託児保育などを兼ねて、共働きの家の子供をお金を貰って預かるのも良いわね。孤児院には子供の面倒を見るのに慣れた大人がいるはずだから、預ける方も安心ではないかしら」

「それはいいですね。この領では女性が意欲的に働くので、時折“どうか今日だけ!”と困った顔で教会にお子様を預けに来る方もいらっしゃいますよ。これも教会の規定上はかなりグレーなので、私達もかろうじて“教会にお祈りに来た子供”という体裁で預かってはいますが……正直、少しヒヤヒヤとしていますね」

 うん、それならこれはいいかもしれない、とインプットする。

「屋敷に戻ったら父上と相談しましょう。私も民営の孤児院の案、とても良いと思います」

「お父様に相談するには、まずその開設資金の確保の目途を立ててからでないと、“で?”で終わってしまうわよ」

 そう肩をすくめたところで、「そうでした」とエドワードも苦笑した。

 父はこうなったらいいな、なんて絵空事、耳には入れてくれないのだ。


「はぁ……しかし……自分でお願いしておいてなんですが、こんなにもすぐにも具体的な対策を立てていただけるなんて。正直、思ってもみませんでした」

 そう頬を掻く司祭様には、「お嬢様と若様はいつもこんな感じですよ」と、傍らでちょっと呆れた顔をしていたジェシカが口を挟んだ。

「いつもですか?」

「それはもう、お小さかった頃から、図書館や書斎入り浸っては大人顔負けの議論を延々と繰り返し、十にもならないお年の頃には旦那様から“もう子供扱いは止める”と言われたようなお子様方でしたから」

「あれは……えぇ。懐かしいわね」

「懐かしいですね……。あれからというものの、父上は本当に容赦なく……」

 うっ、と口元を抑えて粗放を向く若様には、ジェシカが一つ憐みの眼差しを向けた。

 あれ以来本当にジルフォードは遠慮が無くなり、ほぼ毎日のように領の運営や、ある時は国の政治に関してまで、子供達に意見を出させた。

 それはもう、夕飯の席が議場と化すほどの物々しさで、その度に母が目くじらを立てて父を叱責するのだが、それでもとまらない父の“日常会話”は、子供達にとっては楽しい家族の食卓という名の試練であった。

 当然、十やそこらの子供には分からない議題も数多いわけで、スムーズに答えられなかったり的外れなことを言ってしまうと、「こんなことも分からないのか」とため息を吐かれ、夕飯の席がとんでもないブリザードの晩餐会場と化す。こうなると碌に食事も喉を通らないため、本当に気が抜けないのだ。

 実際にエイネシアも十二歳やそこらで領の運営の一部を実験的に担わされたわけで、そんなことを平然とやっているアーデルハイド家は、やっぱりかなりおかしいのだと思う。

「とはいえこれも時間はかかるし、実験的なものであって、すぐには司祭様方の負担も減らないわ。まずは積極的な教会ボランティアへの呼びかけ。公爵家主導のチャリティで資金を募って、それをささやかなお礼金にすることで、官が雇った手伝い人を教会に派遣する、といったような、堅実な方法もとるべきね」

 確かに、とエドワードも頷く。

「ただ基本がボランティアの教会が、こうした官から礼金を受け取って派遣される人材を認めるのかどうか……といった点は、懸念されます。司祭様にはそのあたりの教会との交渉や、認められるラインの見極めのお手伝いなどをお願いしたいのですね」

「ええ、そうね。司祭様とパイプが持てたことは幸いだわ」

 そう頷く姉弟に、「勿論です!」と、司祭様は身を乗り出した。

「協力は惜しみません。いえ、むしろ協力させてください。そして宜しければその長期の試みについても、まずはこのアゼッタで試していただけたらと思います」

 そういう司祭様に、どうかしら? とエドワードを見やる。

「それは願ってもないことだと思いますよ。ここなら領都からもさほど時間をかけずに来ることができますし、幸いにして土地もあります。適度に都会から離れているのも良いですし、湖や周りの山のお蔭で一年中安定した食料も確保できますから、飢える心配がありません」

「そうね。織物が盛んで女性の働き手も多いから、託児所も重宝されるだろうし。旅商人も出入りするようになったということは、通商も期待できるわ」

「うちの別荘地内には我々が全く立ち寄らない離れなんかもあります。暫定的にそこを使っても良いですね。うちとしてもその分の管理費が浮きますし」

「その管理費をひとまずの財源にもできるわね」

 うんうん、と考え込み下を向きだしたお嬢様と若様には、「もうお二人とも!」と、ジェシカが慌てて二人を制した。

「あくまでも“ご休息”にいらしたんですから。根を詰め過ぎはほどほどになさってくださいませ! また奥様に叱られますわよ」

 そう言われては、ハッと二人も顔色を引き締めた。

 そうだった。あまり小難しい話ばかりしていると、また母が怖い顔をする。

「はぁ。仕方ないわ。もう性分なのよ。考え出したら止まらないの。中途半端にしておくと落ち着かなくて」

「父上の教育の賜物ですね。成功した……と言ってよいのか」

 そうため息をつく二人には、ハハハ、と司祭様も笑い声をあげた。

「これから、うちの教会の子供達が聖歌隊として聖歌を歌うんですよ。このお話はひとまず置いておいて、祭りを楽しんで行ってください……と。まぁ、話を持ちかけた私が言えることではないのですが……」

「まぁ。聖歌隊をやっていらっしゃるのね。楽しみだわ」

 そう話に乗ったところで、司祭様もほっとした顔をした。

「あぁ。そうだ。そう言えば名乗りもしていませんでした」

 そう司祭様は思い出したように言って、二人の前で一度とても丁寧な礼を尽くす。


「エーデルワイス国教会西方教区の正司祭で、ヴィヴィと申します。以後お見知りおきを」

「エイネシアですわ。それから弟の」

「エドワードです」


 そう二人も名乗ったけれど、そんなことは勿論すでにヴィヴィも承知の上で、「お二人のお名前を知らぬ方はこの領にはおりませんよ」と笑った。

 この領では、領主一族が本当に愛されているのだ。






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