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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第三章 幸せな結末を探して(上)
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3-3 春祭り(1)

「若様、お嬢様! 寄っていっておくれ。とれたてのリンゴだよ」

「いやいや、まずは飯だろう。ほら、うちの揚げジャガイモにはチーズがたっぷりだぜ!」

「そんな無骨なものお嬢様に食べさせてるんじゃないよ! 若様、若様! お姉さまにはうちのジャムがたっぷりの蒸しパンを振舞っておくれ!」


 アーデルハイド領の南部は、海沿いは開けた漁業港、内陸は駿馬も育つ広々とした平地として栄えているが、対する北部の高地にある領都には年中冷たい風が吹き、屋外での仕事は多くない。特に冬の間は皆暖炉を焚いて家の中でゆっくりのんびりと過ごすため、賑わいや騒ぎとは無縁な、物静かで穏やかな気質の民が多い。

 だがその静けさがどこへやら。例年より早く次々と寒空の下に屋台を出して賑わう喧噪には、エイネシアもエドワードも圧倒されてしまった。

 というか……一応町娘風と商家のお坊ちゃん風に変装してきたつもりなのだが、一瞬でばれた。

 何故だ。

 だが知られたからといって活気づく街の皆が遠慮をすることは無い。二人にどんどんと色々な物を押しつけて来て、「もうお二人とも限界ですから!」とネリーとジェシカが皆を制する頃には、すっかり二人とも荷物だらけになっていた。

 領都を出てからは、エドワードの手を借りて彼の愛馬に横乗りし、当初の目的であった郊外を目指した。だが何しろ立派な軍馬がすっかり荷馬のようになってしまっているものだから、想像していたのとは随分と違う穏やかな光景に、くすくすと笑い声が零れてしまった。

「姉上、怖くありませんか?」

「ええ、ちっとも。リリーはこんなに沢山荷物を載せられているというのに、本当にお利口さんね」

 そう馬上から目の前の綺麗な真っ白な鬣を撫でてやると、ブヒヒとわなないて偉そうに首をもたげてみせるのがちょっと可愛い。

 昔アーデルハイド家のタウンハウスにやって来た時はまだ小さなポニーだったこの馬も、今ではすっかりと大人馬になって、こうして二人乗りをして沢山の荷物を積まれていても、まだまだ余裕といった様子だった。

 エイネシアが馬に乗るのは久しぶりで、いつもはどうしようもなく緊張して身を堅くして鞍にしがみついていたが、不思議と今はリラックスして乗れていた。

 エドワードが上手なのか。それとも単純に、一緒に乗っているのがヴィンセントではないから……ただそれだけなのか。

 まだ少しだけ切なさはある。

 けれどこうして八歳の頃に姉弟で約束をした“エドが姉を遠乗りに連れてゆく”というそれは、婚約を破棄したからこそ、今、現実のものとすることができた。今では誰かに憚る必要もないのだ。

 何ならこの調子で、一人でも乗れるようになりたい。そしたらエイネシアの世界は、もっともっと広くなることだろう。


 やがてたどり着いたのは、広々とした湖畔だった。

 アーデルハイド家の夏の別荘がある界隈で、対岸には放牧とチーズ作りが盛んな小さな町がある。

 別荘は白とブルーの小さなつくりで、湖に乗り出すように建っている。この周辺もすべてアーデルハイド家の敷地なので、周りの目を気にせずに寛ぐことができるのが良い。

 そんな別荘の畔、湖の側の緑地で馬を降りると、ネリーやジェシカたちが用意してくれた厚めの絨毯の上に腰を下ろした。

 こんなに遠くまで馬で来たのは初めてだから、少し足がガクガクとしたけれど、気分はとんでもなくすがすがしかった。

「やりたかったことがまず一つ。これで叶ったわ」

 そうネリーの差し出してくれたバスケットを受け取って、絨毯の上に広げてゆく。

 今朝から手作りをした沢山のサンドイッチやスコーン。甘い甘い焼き菓子たち。だがその周りにはもっと沢山のもらい物の食べ物が並んだ。

「これは流石に食べきれませんね。リンゴは母上へのお土産にしましょう」

 そうエドワードが一層呆れた顔をしたのは、籠一杯の姫リンゴだった。

 何しろアーデルハイド領はリンゴが名産……むしろこの季節にはリンゴくらいしか果物が無いものだから、何処の店でもこれでもかというほどにリンゴが詰まれる。

 そして行く先々で、「うちのリンゴも!」「うちの方が甘いよ!」と押し付けてくるものだから、すっかりと馬車はリンゴだらけになってしまった。

 エイネシアも元々郊外に出たらすぐにエドワードの馬に乗せてもらう約束をしていたけれど、正直、リンゴで押しつぶされそうな馬車から解放された時は本当にほっとした。

 他にも、エイネシアが用意してきた“王都風”のサンドイッチなどとは別に、ソーセージやサラミ、ハムなどがぎっしりと詰まったバゲットなどが沢山並んだ。

 アーデルハイド領の中でもこのあたりは冬の冷え込みが厳しく、産業も乏しい。夏場はともかく、冬はほとんど、雪が降る前に所領南部から入ってきた食料だけで暮しを成り立たせる。そのためか、食品の保存加工技術がとても発展しており、肉類だけでなく、ドライフルーツなどの乾燥食品、ピクルスなどの酢漬け野菜なんかも沢山並んだ。

 王都とは明らかに違う文化の食べ物で、どちらかというと所領より王都で過ごすことの多かった姉弟にとっては馴染みの薄い物なのだが、やはりどこか“懐かしい”という気がする。

「でもうちの領のピクルスはさすがにどれも浸かりすぎよね。本当に皆こんなに漬け込むのが好きなのかしら」

 そう酸っぱいピクルスを摘まんできゅっと肩をすくめるエイネシアに、「確かに」とエドワードもそれに手を伸ばす。

 王都の人間が食べたら間違いなく『腐ってる!』とか叫び出しそうなくらいに酸っぱい。でもローズマリーなどの沢山の香草と一緒に付け込まれたそれは、食べている内に段々と病み付きになってくる。

「お嬢様、お寒くありませんか? ブランケットをもう一枚。それとも火鉢をもっと焚きましょうか?」

 そう気にするジェシカに、「今日は日差しが温かいから大丈夫よ」と断って、のんびりと湖畔を見やった。


 湖の北側。南を向く日当たりのよい場所にはアーデルハイド家の別荘があるが、対岸には町が広がっていて、遠くには洗濯物であろうか。白い布がはためいていた。

 湖畔に建つ青い屋根の別荘という意味ではかつてよく行ったイリア離宮にも似ているけれど、ここはその離宮よりも簡素で開放的な造りになっており、目にする光景もどこか長閑でわびしくもある。

 王都の喧騒とは少しも似ても似つかない様子と、ちょっと肌寒いくらいの冷たい空気が、今のエイネシアにはほどよく心地よかった。

 そこで、決して賑やかではないけれどポツリポツリと所領での思い出なんかを話しながら、小一時間ほど滞在して、エイネシアの用意してきたバスケットがすっかりと空になり、もらい物の山も半分くらいが何とか消費出来た頃になって、わいわい、と賑やかな船の行列が湖の真ん中を通過してゆくのを見た。

 はて。あれは何だろう? と、思わずエイネシアもすっかりくつろいでいた身を起こして興味を示す。

「春祭りの一環でしょうか。花冠の少女と……白と赤のガウンは、教会の司祭の装いですね」

 エイネシアよりはるかに目が良いのか。そう船に乗っている人物の様子まで語ってくれたエドワードにはちょっと驚いた。

 けれど言われてみれば確かに。船が出た西側の湖畔には、そこそこ大きな教会があったように記憶している。船は、南の山裾の町の方へと向かっているようだった。

 エドワードの言う“花冠の少女”は、この領内で一斉に催される春祭りで、その主役を務める女の子の事だ。昔からの伝承に従い、春の精霊“エッタ”の装束を身にまとい、教会で春の花を受けとり、これを町に持ち返って配る役を務める。

 町によっては他にも色々な役目の少年少女がいて、彼らは皆精霊の装いと言われる仮装をして、皆に花を配って回る。その花を身に着けて、領民たちは五日間、沢山の食事を並べて夜通し灯をともし、春を歓び祝うのだ。

「春祭りは明日からなのに、この町では一日早いのかしら」

「そうかもしれません。領都も、もうすっかりと春祭りの賑わいでしたからね」

 そう笑うエドワードには、確かに、とエイネシアも肩をすくめた。

 どうやら領地の大半、特に北部では、領主一家が全員そろって所領に戻っているらしいとの噂がすでに飛び回っており、いつも以上の活気になっているようなのだ。

「エド。あの……もしも。もしも……宜しければなのだけれど……」

 そうすこしうずうずと頬を上気させて言いずらそうにするエイネシアに、一度首を傾けたエドワードは、すぐにも姉の言いたいことを察した。

 ちらちら、ちらちら、と気になる素振りで船を見やる好奇心にあふれた目。その生気のある面差しが、どうしようもなくエドワードを安堵させる。

「町へ行ってみますか?」

「いいの!?」

 ぱっと跳ね上がった、少女のような顔。その顔を見ると嬉しいような。でも少し、切なくもなる。

 今までエイネシアは、王都にいてもほとんど屋敷を出たことが無く、領地に戻ってもあまり所領を渡り歩く、ということは無かった。

 父から領地の運営を任されていた数年間は、その関係で町を視察して回っていたそうだが、それはすべて“公務”であり、当然だが遊びに出かけたことなどないはずだ。

 普通なら貴族であっても王都の街を散策することは珍しいことではなく、皆多少偽装をして出歩き、周りも気付いていても気付かないふりをする。それが暗黙の了解というやつで、エドワードも何度もアルフォンスと共に王都の街を出歩いている。

 だがエイネシアに限って言えば、それは困難なことであった。

 エイネシアが背負っていた王太子の許嫁という立場は、それを良からず思う革新派の格好の標的であり、対する保守派にとっても王家に権門の威儀を示す旗頭であった。そんなエイネシアがむやみに街中を歩いて威儀を損なうことは許されず、また護衛という意味でも軽々しくなど歩けやしない。歩いたところで、物々しくて自由なんてない。それでもしも万に一つでもあろうものなら、王家を巻き込む問題にもなってしまう。

 だからエイネシアは自らの好奇心を飲み込んで屋敷の中に引きこもり、沢山の本や物語の中で、街中というものを想像して、ただ憧れることしかできなかったのだ。

 けれどそれももう必要ない。

 王都を公爵令嬢が一人散策するというのは流石に王子の許嫁でなくとも勧められはしないが、しかしこの治安の安定しているアーデルハイド領では、そこまで神経質にならなくても良い。

 それに、今ではエドワードがこうやって人目を憚らずに一緒に歩くことができる。

 エイネシアは十七歳にして、初めて自由に好きな場所を歩くことの権利を得たのだ。

 だから多少護衛は心もとないものの、出来る限り叶えてあげたいと思ってしまう。

「その代り、私から離れないでくださいよ」

「ええ、分かっているわ。エド。早く行きましょう」

 そうそわそわとして促す姉に一つ苦笑を浮かべつつ、さっと立ち上がったエドワードはエイネシアにエスコートの手を差し出した。

 少し前まではそれにも少し戸惑うそぶりを見せていたエイネシアだったけれど、今回はそれが嘘のようにパッと手を取って素直に立ち上がる。

 それほどに楽しみなのかと思うと、ついクスクスと笑みが零れ落ちてしまった。






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