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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第一章 定められた配役
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1-4 弟

 どうやら許嫁の殿下との関係は、ほんのちょっとのイレギュラーで変化するようなものではないらしい。

 だが一方の弟エドワードとの関係に関して言えば、どうやら随分と違う方向へと向かったようだ。

 それを自覚したのは、怪我をしてから一週間もたたない頃だった。


 王子が帰って暫くした頃、勉強の時間の最中に抜け出してエイネシアの寝室を訪ねてきたエドワードは、まだ少し遠慮がちに、けれど勇気を振り絞る、といった様子で、「お加減はいかがですか?」と子供らしからぬ口調でお見舞いをしてくれた。

 昔のエイネシアならば、きっときつい物言いで、『私の事は良いから、きちんとお勉強をなさい』と無下に追い返したことだろう。

 正論と言えば正論で、見方さえ変えれば、将来重責を担うであろう弟を心配した言葉でもある。エイネシアにとってはそれが彼女なりの優しさだったのだが、それでは弟の心が離れることは間違いない。

 だが幸いにして今のエイネシアには前世で培った柔軟性というものがあるため、(たしな)めるだけではなく喜んでみせることも器用にこなすことができた。

 いわく、「お見舞いに来てくれて有難う。エドワードのお顔を見たら元気が出たわ」。「でもあんまり抜け出していると先生に怒られてしまうわ。どうぞお勉強に戻って」。ただ出来る事なら「また顔を見せに来てくれたら嬉しいわ」と。

 そう言えばエドワードはとても愛らしい笑顔を見せて、必ずまた来ますね、と、嬉々として自分の部屋へと帰って行った。




 そんなことがあったからか、それから毎日エドワードはお見舞いにやってきた。

 二日目には庭で摘んだお花をプレゼントしてくれた。

 三日目にはエイネシアが普通に家の中を歩いていたら、「まだ安静にしていないと駄目ですっ」と、可愛らしい顔をさらに可愛らしくしながらあわあわと追いかけてきてくれた。

 四日目には時間が取れたからと、一緒に庭を散策した。

 五日目には、どうやら最近姉弟が仲睦まじくしているらしいという話を聞いた母が驚いたように二人のところへやって来て、「姉弟が仲良くなってくれて嬉しいわ」と、その大変美しい面差しをほころばせて、三人でお茶をした。

 さらに六日目には、傷を覆っていたガーゼが剥がされるのを見ていたエドワードが、すっかり安心したせいなのか、そのままエイネシアの部屋の居間のソファーですやすやと眠ってしまって、一緒にお昼寝をするに至った。

 そして七日目。夜も更けた頃。

 そろそろ眠ろうかと、ベッドの中で何となく捲っていた本を枕元に置いたところで、コンコンという控え目なノック音と共に、あろうことかエドワード少年が、大きな枕をギュッと抱えた状態で顔を出したのだ。

 何度でも繰り返そう。

 我が弟ながら、可愛すぎる……。


「どうしたの? エド。眠れないの?」

 こちらにお出で、と手招きすると、ほっとした顔で歩み寄ってきたエドワードが、チョコンとベッドサイドに身を乗り出した。そんな弟に、ポンポン、と自分の隣を叩いて見せたら、パッと顔を明るくして、エイネシアの隣に枕を並べて布団の中へと入ってくる。

 冷えないようにと肩まで布団をかけてあげて、同じく隣に横になると、すぐにもエドワードが腕の中にごろごろと甘きた。

 ほんの一週間ほど前までは、緊張して遠慮がちに小さくなっていたはずが、なんという代わり様だろうか。慕ってくれるのはとても嬉しいが、流石にこれにはびっくりした。

「私のベッドに潜り込んでくるだなんて。お父様に叱られてしまうわよ?」

 まぁ、ついこの間その弟を自分のベッドに引き止めたエイネシアが言えることではない。今日のエドワードの行動の発端は間違いなく前例を作った自分だ。

 あるいはエイネシアがまだ婚約前の身であったならば、周りも微笑ましい姉弟の姿として見てくれたかもしれない。しかし傷も癒え、すでに婚約者のいる身であるエイネシアの寝室に、未だ七歳の弟とはいえ異性が訪ねてくるというのは、憚られるのが普通である。なのにこうも堂々と姉のベッドに、しかも枕持参でやって来るというのはどうだろう。父が知ったら、きっと公爵家の跡取りがなんと情けない、と、エドワードをきつく叱り飛ばすだろう。

 そんなことを考えたせいか、少しきつい声色になってしまった。

 けれどその声色にも少しも怯えた様子のないエドワードは、逆にクスクスとエイネシアの胸元で肩を揺らして微笑んだ。

 はて。微笑む要素があっただろうか。

「すみません、笑ったりして。嬉しくて」

「嬉しい?」

 一体何がどう嬉しかったのだろうかと首を傾げる。

 嫌だわ……まさかこの子、マゾっ気に目覚めたんじゃ……。

「僕、姉様はもっと厳しい方だと思っていました」

「……えっと。それで間違っていないわ」

 少なくとも七日前より以前は、エドワードには若干ビクビクされていたように記憶している。

 いつも正論を口にして、しかも物言いが簡潔なせいでいささかきつく聞こえる。ましてやエドワードは生まれえこの方、姉を“姉”ではなく“未来の王妃”としてみるよう、臣下として教育されている。

 ただでさえ甘えたい盛りにまともに親に甘えられなかった幼い少年にとって、甘えてはならない原因でもあるピリピリとした姉は、さぞかし怖い人の印象を与えていた事だろう。

 多少柔軟な対応ができるようになったとはいえ、その根本は変わっていないように思うのだが。

「この数日、姉様と色々なお話をさせていただいて……それで、気が付いたんです。姉様のお言葉はいつも厳しいけれどいつも正しくて、それはいつも“僕のため”だったんだなって」

「エド……」

 なんて聡明な七歳児……。エイネシアのきつい声音から、そんな慈悲も無い優しさをくみ取れるだなんて。

 お姉ちゃんはちょっと感動したよ。

「貴方は公爵家の跡取りよ。責任を押し付けるのは心苦しいけれど……お父様のように立派に育ってもらわないと、困るのはエドワードだもの。だからお父様もお母様も。私も。貴方に厳しくしてしまうのね」

「分かっています。今も、姉様は僕のために、僕の子供っぽい所や、許嫁のいる姉様の寝室に潜り込むような非礼をお咎めになって下さったんですよね。ですがそう言いながらも、姉様は僕をベッドに招き入れてくれました」

「……私ったら。この間の件以来、ちょっと気弱になっているのね。貴方に甘い顔をしないようにと、お父様からもきつく言われているのに」

「それは駄目です!」

 途端に、きゅるんと、大きな瞳が一生懸命にエイネシアを見上げた。

「お約束しますッ。父様が恥じない、立派な公爵家の跡取りになって見せます。いずれ王妃となられる姉様を支える、立派な宰相になって見せます! お勉強も、嫌いな教科も、苦手な武術も、もっともっと頑張ります! だから姉様は今の姉様でいてください!」

 ぎゅむむ、とすり寄るエドワードのふわふわのプラチナの髪が、容赦なくエイネシアの胸元をくすぐる。

 これはこれで至福だが、遠慮が無さすぎてちょっと痛い。

 だから思わず、「分かった、分かったわっ」とそれを止めるべく口を開いた。

 するとパッとした、なんとも愛らしい笑顔が持ち上がる。

 これは……計算……ではないよな? ないで欲しい。

「仕方がないわね。本当は私も、もっと沢山エドと仲良くしたかったの。でもベッドに潜り込むのはこれが最後よ?」

「どうしてもですか?」

「どうしても。エドの事は可愛いけれど、貞淑を重んじるエーデルワイスの王子妃候補として、殿下に申し訳がないわ」

 そう言うと少しばかりむっと頬を膨らませたけれど、すぐにキュルンと愛らしい顔に戻ると、「お昼寝なら構いませんか?」と言われた。

 むむむ……それは。どうなのだろう。

 そもそも、お昼寝はもう卒業する年頃だ。

「お昼寝ではなく、今度は一緒にティータイムを過ごしましょう。一緒に書庫でお勉強するのもいいわね。苦手な教科も、二人で一緒に勉強したら楽しいかもしれないわ」

 懐かしい。昔は勉強の苦手な妹が、姉の傍なら勉強できる気がする、と、試験前のたびに教材を一杯に抱えて部屋を訪ねて来ていた。隣で姉が一生懸命受験勉強していたから、それにつられて集中力が増すのか、実際に勉強ははかどっていたらしい。

「お互いもう少し大きくなったら、一緒に遠乗りに出かけるのもいいわ。エドが立派な男の子に育ってくれたら、きっとお父様も、エドが一緒ならと、私の外出を認めてくれると思うの」

 そしたら行ってみたいところが沢山あるのよ、というゆったりとした声色が、エドワードをうとうとと微睡(まどろみ)へと誘う。

「僕が必ず……姉様を色々なところにお連れします。きっと立派な……姉様を守れるような、騎士に……」

「素敵ね、エド。では約束よ。私にも馬の乗り方を教えてね。それでとっても素敵な場所に連れていってちょうだい。私はエドのためにお弁当を作るわね。それでお互い少しだけ責務を忘れて、ゆったり、のんびりと過ごしましょう。きっととても楽しいわ」

「僕が……必ず」

 必ず、必ず、と。

 そう繰り返しながらあっという間にすやすやと眠りに落ちたまだまだ子供な少年に、これはこれで可愛い、と、口元を緩めた。


 本当ならば……いつもこんな顔で。穏やかに、安らかに過ごさせてあげたい。

 でもそれはできない。

 この子はまだ小さな少年で、ちょっと頑張り屋過ぎる気はするが、温かみと優しさも持った子だ。

 だがゲーム中では、“冷たくて傲慢で誇り高く、非常に聡明”と称されていた。

 妹曰く、“王子様ルートよりよほど王子様”、との評だったか。

 与えられなかった世間一般の愛情に、彼が姉同様、冷ややかな人柄に育ったことは今の状況からも見て取れた。

 傲慢に見えたのは、本来なら子供らしく遊んだり楽しいことをしたりして過ごしたはずの時間のすべてを、跡取りとしての勉学に励んできた結果だ。

 あたかもゲーム中で天才の如く描かれているエドワードの“聡明”という評価だって、天才だから聡明と称されたわけではない。こうして幼い頃から毎日毎日休むことなく負わされてきた教育のすべてが、彼の知識と見識を培い、彼を聡明にしたのだ。

 皆が遊んでいる間も一人ひたすらに高みを目指し続けた。それは彼の慢心ではなく、彼の“矜持”であったのではないだろうか。

 だから自分ほどに努力をしたことも無い周りの者達が皆、取るに足らない矮小(わいしょう)な物に思えたのだろう。

 エイネシアも小さな頃から礼儀作法や仕来りは厳しく躾けられ、いずれは高貴な方の妻として……おそらくかなり早い段階から、王妃となることを想定して、教養を授けられてきた。

 本来女性が学ぶ必要のない政治や経済、民政、法制、ありとあらゆる周辺国の言語に、歴史や文化。はては帝王学まで。それでもまだ年々課題は増える一方だ。

 これもいずれは公爵家の家名と伝統を背負って、それに恥じることなく玉座の傍らに並び立つためである。

 高慢な我儘が許されているのだって、甘やかされているからではない。いずれは人を使う側に立つ娘に、王妃としての威厳や品格を備えさせるための教養の一端だ。

 今ではそれも、良く理解できる。

 家族仲が悪いわけではなく、むしろ厳しいながらもかなり良好な家族関係だとは思っているが、しかしそれでも普通の愛情とはかけ離れて育てられていることは間違いなく、なんだかんだ言ってエイネシアも、人肌に飢えていたのだと思う。

 素直に弟という身内が甘えてくれることを、人一倍に喜んでいるのはその反動。逆にエドワードが少々度が過ぎるほどに姉を慕うようになったのも、同じ理由だろう。


 これがいいのか悪いのかはまだわからない。

 けれど姉弟仲が悪いよりは良い方が、絶対に良いに決まっている。

 お互い、為すべきことはちゃんと理解できているわけだし。

 もうちょっとくらい……この超絶可愛い弟を愛でてもいいよね、と。

 そのポカポカと温かい少年を抱きながら、微睡に誘われていった。



 今日も、怖い夢は見なかった。







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