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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第二章 エデルニアの雪融け
56/192

2-24 最後の日(1)

「さぁ、張り切って行きますわよ!」

 おー! と拳を握りしめて振り上げたサーモンピンクのドレスのお姫様に。

「……」

 キョトンと、エイネシアは椅子に腰かけたまま目を瞬かせた。

 目の前で真剣な顔をしたエニーが、動かないでくださいませ! と、一生懸命丁寧に爪紅を塗っている。

 その鬼気迫る顔もさっきから怖いのだが、突然エイネシアの部屋を電撃訪問してきて拳を振り上げたお姫様というのもどうなのだろうか。

「アン王女。張り切るも何も……まだパーティーは始まっていませんわよ?」

 そう苦笑したところで、「始まる前から勝負なのですわ」とエイネシアの後ろに回って、手ずから髪にブラシをかけ始めた。

 今宵のドレスは瞳に合わせた薄紫。ひざ下あたりを軽くしぼったマーメイドスカートに、腰から尾を引いて広がる銀糸の縫い込まれたレースが上品で、上からギュッと締めたコルセットがきっちりと体のラインを出してくれる、少し大人っぽいデザイン。少しの勇気と自信を得るための、背伸びしたドレスだ。

 それに百合の首飾りとピアス。ドレスに合わせた色の爪紅。

 やがてアンナマリアと楽しげに話をするエニーが編み込みを入れながら髪をハーフアップにして、おろした髪に沢山の真珠をあしらってくれた。

 それだけでも目の前でアンナマリアがうっとりと嘆息を溢す。

 けれどそんな装いは、エイネシアにとって些細なことでしかなかった。

 今日。この“卒業パーティー”という日。エイネシアが身に着けたいと思うものはたったの一つ。

「お嬢様。こちらの髪飾りで宜しいのですよね?」

 そうエニーが机の上から持ってきたのは、とても綺麗なオルモルの宝箱だった。

 淡い金色に、ブルーグリーンの唐草と薄紫の薔薇の装飾が施された綺麗な箱には、「なんですの?」とアンナマリアが目を瞬かせた。

 そんなアンナマリアの傍らで、エイネシアが自らそっと箱を開ける。

 途端に、まぁ! とアンナマリアが声をあげた。

「なんて素敵な髪飾り。このとっても繊細な銀細工に、瞳の色と同じ薄紫の小薔薇。それにこの百合は貝細工ね?!」

 そう見抜いたアンナマリアは、しかしその“貝細工”というダグリア領の伝統工芸に、少し顔色を濁してエイネシアを見やった。

「これはもしかして……壊れてしまった簪の代わり……に?」

 そう心配そうに言うアンナマリアに、「違うんですよ」とエイネシアは微笑んでみせる。

「あの簪が壊れた時に、本当に何もかも嫌にならなかったのは、これがあったからなんです。アン王女から見ても素敵ですか?」

「ええ、うっとりするくらい素敵だわ。とっても腕のいい職人さんの作品ね。やっぱりダグリア公爵家が仕立てて下さったものなの?」

 そう言うなり、傍らでエニーがクスクスクスッと肩を揺らして笑い始めたものだから、「あらなぁに?」とアンナマリアも首を傾げる。

「アンナマリア殿下。ふふっ。この簪。リードス卿と、アレクシス大公殿下がお作りになったそうですよ。ふふふっ。本当に。どこの一流職人の仕事かと思いますわよね」

「えぇっ!?」

 案の定素っ頓狂な声をあげたアンナマリアは、嘘みたい! と、今一度髪飾りをまじまじと見た。

「ダグリア領は細工が有名とは聞いているけれど……どうして公爵家の子息が? というか、どうしてアレクお義兄様が!?」

「本当ですよね。あの方は一体何を目指していらっしゃるのかしら」

「呆れたわ。そういえば去年の終わり頃から、また行方不明になっているというお話でしたけれど……」

「え……」

「もしかしたらまたどこかでこんなことをなさっているのかもしれませんわね」

「ま、待って、アン王女。行方不明って……」

 ぎょっとした。

 いや、それは今までも、何処で何をしているのやら、だなんて言われてはいたが……。

「なんでもお父様が密かにつけていらっしゃった護衛を()()()、逃げたそうですわ。それ以来行方知れずだとか」

 今までは行方不明といっても供をしていた人もいたようで、それに大公殿下とあって一応ゆく先々での報告がもたらされていたことは、国王や宰相である父が放任していることからも分かっていたが、しかしその国王が付けた護衛を“まく”元王子とは一体何なのだろうか。

 それって大丈夫なの? と不安そうな顔をしていたら、アンナマリアがちょっと眉尻を下げて笑ってみせた。

「大丈夫ですわ。宮中ではのたれ死んだのではなんて噂になっていますけれど、お父様は、『多分庶民にまぎれてしまって発見できないだけだ』だなんて笑っていらっしゃいましたから」

「……」

 なるほど。庶民にまぎれて、こういう細工職人の真似事をしたり……しているわけか。

 まったく本当に呆れた人で。

 でもなんだか少しだけ……。

「羨ましい、ですわね」

「ちょっ。駄目よ、シア様! 気合を入れましょうって言ったばかりなのに!」

 そう訴えるアンナマリアには、エイネシアも苦笑を浮かべた。

「大丈夫です。泣き寝入りなんて致しませんわ。どんな裁可が下ろうとも、言いたいことだけはちゃんと言ってから去るつもりです」

「お義姉様……」

 そんなことを言わないで。

 去ることを前提に、お話なんてしないで、と。

 そうアンナマリアが眉尻を下げたけれど、しかしそればかりはエイネシアも安直に「大丈夫」とは言えなかった。

 まず間違いなく、この日アイラは何かを仕掛けてくる。

 そして多分ヴィンセントも、これを機にエイネシアを責めてくるだろう。

 学内で広まってしまったエイネシアの有らぬ噂は今なお収束を見ることは無く、今日この日を以てエイネシア・フィオレ・アーデルハイドは、長年課せられてきた王太子の許嫁という立場を失くすのだ。

 もし万に一つもそうならず、ヴィンセントに“家名だけは必要だ”と言われたならば、その時は自らその立場をかなぐり捨てようと思う。

 先んじて両親にも、『この先少々騒動があると思いますが、その責任は私個人にあり、その結果を先んじてお詫び申し上げます』と手紙を差し上げた。

 未だに返事がないのが少し怖いのだが、両親も学院での噂は聞いているであろうし、ヴィンセントが一人の男爵令嬢を厚遇していることだって、とっくに耳に入っているだろう。

 即ち、エイネシアが言うところの騒動の結果とやらにも推測が及んでいるはずだ。

 それで何も言ってこないのだから、要するに()()いうことだ。

 願わくば、これを機にアーデルハイドがヴィンセントを見捨てない事だが……。

 もしこれでエイネシアが王都追放処分になったなら、何も憂うことなんてない。まず最初にマッサカナ街道を歩きに行こうと思う。それでずっと気になっていたマリー湖の淡水魚を食して、ハインツリッヒが不味いと吐き捨てたその味を確かめてみよう。

 それからダグリア公爵領にも行きたい。あそこは領内の半分が要塞になっていて、出入りが非常に厳しいことでも有名だが、アーデルハイド家ないしダグリア公と縁戚にあたるシルヴェスト家の一筆さえもらえれば入れると思う。それでリードスに会って直接簪のお詫びとこの髪飾りのお礼を言おう。もしかしたらアレクシスの話も聞けるかもしれない。

 夏になったら北方のシルヴェスト領まで避暑に行くのもいい。あそこは夏場も気候が穏やかで、避暑にもってこいだと聞いている。

 秋には平地一杯の小麦畑を見に行きたい。絶対に気持ちがいいはずだ。

 冬になったら、所領の城に帰ろう。氷の張った城は本当に美しく、厳しい寒さの中で懸命に日々を営む領民の姿は、きっとエイネシアにも強い活力を与えてくれるに違いない。

「ほら。結構楽しそうではありませんか?」

 そう言ったエイネシアに、アンナマリアは一つ悲しげな顔をして。

「ええ……そうね。もしかしたら……もう、ずっと。シア様はそうやって、旅をしたかったのかもしれないわね。お兄様の許嫁だなんていう重たい責務、全部捨てて」

「小さな頃の私にとって、その責務を忘れられる旅先が、大図書館でした」

 己を偽る必要もなく、ただ思うがままに問い、思うがままに教わって、そうして得た新しい知識は、まるで旅先で見る真新しい世界のように新鮮で、楽しかった。

 でももうそこには行けなくなるだろうから。

 今度はもっと広く、旅をしよう。

「今日……お兄様のエスコートは?」

 もう分かっているだろうけれど、一応そう問うたアンナマリアに、エイネシアは首を横に振る。

「“何も”。エスコート“できない”というお話も、聞かされていません」

 ならば通常なら当たり前のようにエスコートされるはずなのだが、今日に限ってはそれはないのだろうと言い切れる。

 何しろ、すでにこの寮にはヴィンセントはいないのだ。

 昼下がりにさっさと寮を出て行ったところをアニタが目撃しており、最近はずっと寮に在中しているアマリアからも、『会場には直接行く』という旨の伝言が寮に伝えられた。

 要するに、貴賓のための控室にも立ち寄らず。パーティー会場に、直接。

「ええ、ええ、いいですわ。私も今日はエスコートなしで、一人で出席することに致します!」

「え? でもアン王女。王女殿下にはうちの弟が……」

「シア様だけお一人で出席だなんて、させるわけないわ! 良いじゃない。たまには女の子二人で。二年の首席と一年の次席ですもの。ちっとも恥ずかしくなんてないわ。何憂うことなく学年末のパーティーを謳歌してさしあげましょう!」

 そう殊更に明るく言ってくれるアンナマリアには、相変わらず助けられる。

「あぁ、それから騒動の前に、卒業なさるビアンナやエブリルにおめでとうと言わないといけませんわね。何よりビアンナには、婚約のお祝いも」

 そう笑うエイネシアに、「本当よ。まったく。驚いたわ」とアンナマリアも息を吐く。

 年が明けて早々寮に戻ってきたビアンナはどこかげっそりとした顔をしていて、両親に急いで戻ってこいと言われた理由が“お見合い”だったことを明かしてくれた。

 貴族の見合いだ。当然、“いかがでしょうか?”という意味での見合いではなく、“今日から貴女達は許嫁ですよ”という意味での見合い。むしろ、顔合わせだ。

「しかも相手、アーウィンですってっ。ふふっ。私、笑ってしまったわ」

「私もです。あのアーウィンが結婚だなんてちっとも信じられないですし。でもこれで名実ともに、ビアンナは私達の“お義姉様”になってくださるわけね」

 アーウィン・ダレン・ラングフォードはエイネシアにとっては母方の。アンナマリアにとっては父方の従兄だ。栄えある公爵家の嫡男として、あるいはアンナマリアの降嫁先にもなりうることから長らく許嫁も持たずにいたが、昨今のラングフォード家の反フレデリカの風潮から、権門貴族の令嬢との婚約を成立させた。この婚約によってフレデリカの子であるアンナマリア王女の降嫁を“拒絶”したことにもなる。

 アンナマリアとしてはちっとも痛くもかゆくもない、というかむしろアーウィンと許嫁なんてことにならずにほっとしたのだが、くしくもこれによって頼れる寮長であったビアンナが、二人の義理の従姉になることが決定したわけだ。

 これは少しばかり、嬉しいニュースだった。

 学院内でも、いかに建国以来の歴史と大権門と言われる家格とはいえ、侯爵家の令嬢が四公爵家の嫡男に嫁ぐとの話は激震を走らせ、お祝いという名目でビアンナにお近づきになろうとする生徒が寮にまで押しかけてくるほどで、すっかりとビアンナも辟易してしまっている。

 どこから噂が漏れたのか、だなんて忌々しそうにしていたが、しかし“親戚”になることになったエイネシアやアンナマリアからの祝福なら、ちょっと眉を垂れながらも受け取ってもらえると思う。

「でもこれでジュスタスの失恋は確実になってしまったわね」

「えっっ」

 驚嘆の声をあげたエイネシアに、「え、って。もしかして気が付いていなかったの?」と、アンナマリアが一つ呆れた顔をした。

「婚約を聞いてからのジュスタスの抜け殻具合ときたら、寮内では皆さわらぬ神にたたりなし状態だったじゃないの」

「ちっとも……えぇっ。そんな。まさか」

「まぁ……シアお義姉様はそれどころではなかったわよね」

 卒業パーティーが目前に迫っていたのだから……という意味が半分。

 もう半分は、この年もやはり非常に煌びやかな成績で、学年一位の座を射止めたエイネシアが、部屋に閉じこもって黙々と課題をこなしていたことを言っているのだろう。

 ちなみに今年の三年の首席卒業は案の定ヴィンセントで、一年の首席も考えるまでも無くエドワードが取った。

 アンナマリアはなんだかんだとコツコツ勉強していたようで、学年二位の成績に輝いたのだが、一位との差にとんでもない点差があるのを見て溜息をついていた。

 『本当に、貴女達姉弟は化け物ね』、と。



 そんな雑談をしている内にも、エニーがすっかりと綺麗に髪飾りを飾り、化粧を施し、靴を置いて、とかいがいしく準備をしてくれており、「さぁ完璧ですわ」の声と共に、雑談を切り上げてエイネシアも席を立った。

 そうすればエニーが殊更満足そうに、ほぅ、と息を吐いた。

「これならきっと殿下も惚れ直しますわ」

「有難う、エニー。でも殿下がそんな単純な男なら、私はちっとも苦労していないわ」

 そう眉尻を下げたエイネシアには、「それはそうですね」とエニーがあっさりと頷いた。

 エイネシア自身がどう思っているのかは知らないが、こんな絶世の美人、許嫁と言われたらそれだけで舞い上がってしまいそうなものだ。同じほどに煌びやかな王子様と並べばことさらで、なんて素敵なお二人だろう、と思っていたエニーも、去年までの自分を窘めたい気持ちでいっぱいである。

 あの頃はあんなにも仲が良く見えていたのに。たった一年で、どうしてこんなにも変わってしまったのか。

「もう控室の方へお移りになりますか?」

 そう馬車を用意すべきかを前提にエニーが問うたけれど、そうね……と一つ考えたエイネシアは、やがて首を横に振った。

 半年前の舞踏会では、その控室で時間を潰していたせいでえらい目にあったのだ。

「アン王女。私、ギリギリまでここに居ようかと思うのですけれど」

「では私もそうするわ。あ。談話室でお茶にしましょう。ビアンナと。エブリルも誘って!」

「それは宜しゅうございますね。私がお声掛けしてまいりましょうか?」

 エニーもまた、半年前の舞踏会の事が頭をよぎっていたのだろう。エイネシアが何か答えるよりも早くアンナマリアの言葉に賛同して、そうまくしたてた。

 そんな二人の優しさが嬉しい。

「そうね。二人の準備が済んでいるようなら。そうだわ。実家から送られてきた薔薇の砂糖漬けがあるから、一緒に振舞いましょう」

「まぁ。懐かしい! またお祖母様からかしら?」

「ええ。先日お会いした母が、上王陛下から沢山もらってきて下さったらしいの。エドワードが届けてくれたわ」

 そう言って机の上に並んでいた小瓶を一つ取ると、「お茶と一緒にお持ちしますよ」とエニーがそれを受け取った。


 それからしばらく。日が傾きはじめる時間まで。

 いつもより一段と美しく装ったビアンナやエブリル達と、一階でささやかな学院生活最後のお茶会を楽しんだ。

 ビアンナは何度も「アーウィン卿と婚約して唯一嬉しいのは、貴女方の親戚になって、大手を振ってお二人と親しくできることですわね」と言って二人を笑わせた。

 おっとりとしたエブリルなんかは、寮での思い出話をしている間にも早くも涙ぐんで泣き出してしまって、皆で笑いながらその涙を拭ってお化粧を直してあげた。

 同じ学院生活を過ごしたというより、同じ寮で、同じ屋根の下で暮らしていたからだろうか。寂しさも一層で、エブリルには何度も何度も、「絶対にまた皆様でお茶会を致しましょう!」と約束させられた。

 勿論。エイネシアも、それに「喜んで」と答えながら。

 でももしかしたらそれは叶わないかもしれない、と。

 そう拳を握りしめた。


 あと数時間。

 あと数時間で、エイネシアの運命は決まるのだ――。






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