2-20 ビアンナのお茶会
「なんだか……私が想像していたのとは遥かに違う方向に向かっている気がするわ」
わいわいと賑やかなお茶会会場。
綺麗に設えられた会場の中、秋らしい銀杏色のシフォンにシルバーの大きなリボンをあしらったドレスを纏ったアンナマリアが、そう、昨日の教師との議論の有意義さを語っていたエイネシアにぼやいた。
はた、と気が付いて口を噤んだエイネシアに向けられた呆れた顔に、ちょっとヒートアップしすぎたかしら、なんて恥ずかしくなる。
「私は羨ましいです。まさか最近よくいなくなる姉上が、そんな面白そうなことをなさっていたなんて」
そう本当に羨ましそうに言う隣の席のエドワードには、「本当に、この姉弟って……」と、アンナマリアが再び呆れた顔をした。
後期最初の十五日の茶会。
前期の一番最初の十五日が星雲寮の寮長と副寮長によって催されるのと同じく、後期も一番最初の十五日の茶会は、星雲寮の寮長と副寮長が主催する。
なので星雲寮の寮生は皆もれなく参加しており、エイネシアもまた秋らしいクリーム色に、紅葉した落ち葉を模したレースをふんだんに縫い付けた落ち着いたドレスを纏っている。
傍らのエドワードが同じクリーム色の正装で、髪を結わえるリボンやスカーフのブローチをエイネシアのレースと同じ色にしているから、会場に現れた時には目を引いた。
これは夏休み、どうやらエドワードから学院での様子を聞いたらしい母が、「姉弟で支え合って逞しく乗り切りなさい!」という叱咤激励と共に送ってきたドレスで、流石にこの年で姉弟でペアルックって恥ずかしくない? とエドワードとは二人困惑したのだが、取りあえず着ないと母ががっかりした顔をしそうだったので、着ることにしたものだ。
実際、どことなく周りの視線が鋭い中、エドワードの装いはエイネシアにとって心強い味方になってくれている。
「私が言いたかったのは、もっと有意義に教師と議論を交わして楽しみなさい、ってことではなくて、“ああいうの”にもっと遠慮なく文句を言ったらどうかしら? という意味だったのだけれど」
そうしらっとした目でアンナマリアが見やったのは、この貴賓席の外で貴族達と会話を楽しむヴィンセント王子と、その腕を掴んで楽しげにしているピンクにブラウンレースのふわっふわしたドレスを纏ったお嬢さんだ。
言わずと知れた、アイラ・キャロライン嬢である。
最早そんな光景は見慣れたものだが、アンナマリアが何を言いたいかといえば、それは、“アイラ・キャロラインは招待客ではないのにここにいる”ということだ。
「あら。勿論、暗に言いましたわよ。“ここは招かれた人達がもてなされる場所です”と」
「あらそう。で?」
ことは数時間前にさかのぼる。
ヴィンセント……ではなく、エドワードにエスコートしてもらって、ビアンナが主催するお茶会にやって来たエイネシアたちは、ビアンナに歓待されてこの貴賓席へ案内された。
この時ヴィンセントも妹であるアンナマリアをエスコートしており、一緒に席についた。
けれどそれから間もなく、がやがやと近くのテラスの方から数人の集団がやって来てお茶会会場に紛れ込み、いつも同様、『ごめんなさい、お茶会があっていたなんて知らなくて』と、アイラさんが足早に踵を返そうとしたところ、颯爽と立ち上がったヴィンセントがそちらへ出向いた。
そのアイラの取り巻きには、件のシンドリー候の孫息子であるダリッド・バレル・シンドリー侯爵令孫がおり、直接の血縁関係ではないとはいえ遠縁にあたるヴィンセントがその挨拶へと立った、という意味では、大きな問題ではなかった。
だが当然、挨拶だけですむはずはない。
『殿下のいらっしゃるお茶会は華やかですわね。私も一度でもこんなところでお茶を……あ。いえっ。私、お誘いいただこうだなんて思っているわけではなくてっ』
そうパッと恥ずかしそうに俯いて見せたアイラに、『夢を見るくらい自由さ』という、どこか演技がかったダリッドが、チラリとこの日の主催者であるビアンナを見た。
ビアンナの方は、“さぁ、あまり騒がれては皆様の迷惑になりますから”と追い出したい気持ちでいっぱいだったようだが、『まぁ、堪えて下さい……』と一応今日の主催者側という事になっている副寮長(今年度が始まってひと月もしない内にビアンナから副寮長降格を言い渡されたアルフォンスさんのことだ)がこれを諌めた。
だがそれに気を良くしたのか、ダリッドが声高らかに『しかしおどろいた。殿下のお茶会には身分格差というものがあるのか。侯爵家の人間として嘆かわしい』などと続けたものだから、ついにビアンナの眉間に青筋が立ってしまい、いてもたってもいられずエイネシアが席を立った。
流石にこのまま放っておいて、我らが寮長に不名誉な称号を付けさせるわけにはいかない。
『ダリッド卿。今日は“星雲寮”主催のお茶会。招待客は皆星雲寮にご縁の深い御方をお招きいたしております。しかし、殿下のご遠縁でいらっしゃる候のご令孫をお招きしなかったのは、不手際でございましたね。ヴィンセント様。宜しければ皆様にもお席をご用意してはいかがでしょうか』
そう助け舟を出したところで、ビアンナも仕方なさそうに、席を用意させた。
それで穏便に事が丸く収まれば良かったのだが。
『では……私たちはこれで。ダリッド様と違って、殿下のおられるお茶会にご同席できるような身分ではありませんものね』
と、しおらしくアイラが引き下がろうとしたものだから、その手を思わずヴィンセントがつかみ止めた。
それはもう……許嫁の目の前で、堂々と。
これには流石のエイネシアも、えーーーっ、と叫びそうになったが、それを何とかこらえながら、ぐっと笑顔で押し留めて見せた。
本当に……よく頑張ったと思う。
だというのに。
『エイネシア。君は爵位で招待客を選ぶのか?』
そう非難の目を向けたヴィンセントに、今まさにダリッドだけではなく全員分の席を用意しようとしていたビアンナが、がこんっ、と、思わず椅子を取り落とした。
それもそうだろう。一体全体、何をどうしてそうなったのか、エイネシアにだって意味が解らなかったくらいだ。
『誤解ですわ、ヴィンセント様。ビアンナが今ちょうど“皆様”の席を用意して下さっているところです』
だが取りあえずなんとか表情は取り繕ってそう席を見せたところで、『まぁ。恐れ多いですわ、スカーレット様』と、アイラが恐縮して見せた。
さもありなん。本来ならば遠慮するのが当然だ。
ここは主催者が招待客をもてなす場。飛び入り参加なんて無礼千万。そんなこと、貴族なら誰でも知っている。ここにヴィンセントさえいなければ、皆それで納得した。
『構わない。座りなさい。君が以前に気に入ったと言っていたレディグラムの紅茶がある』
『まぁ! 嬉しい。私、あれが大好きですの!』
そう優しくアイラを席に誘導しようとしたヴィンセントに、これには流石にエイネシアが、パッとアイラの手を取るヴィンセントの腕を制するように止めた。
それに、キッとヴィンセントの視線が向いたけれど、それは流石にエイネシアも引き下がらなかった。
『“殿下”……お慎みを。お心の寛大であることは宜しいですが、衆目がございます』
そう小声で促したエイネシアに、眉をしかめていたヴィンセントも、僅かにハッと周りを見た。
それはそうだ。許嫁の前だろうがそうでなかろうが、婚約もしていない令嬢の手を引いて席に促すような行為は、ヴィンセントを貶めるどころかアイラにも不貞や不作法のレッテルを貼り付けることになる。
『アイラさんも。本来ならばご招待のないものは遠慮するのが仕来り。殿下がお許し下さったとしても、まずは本日の主催者であるビアンナとアルフォンスに、丁重なお礼とお詫びを申し上げて、ご招待に預かっても良いかをおうかがいするのが筋ですよ』
そう言葉を慎重に選びながら促したところで、えっ?! という驚嘆の顔が返ってきた。
『私、ちゃんとご遠慮申し上げましたわ。お礼とお詫びも!』
いや、言っていない。
そんなことは明らかだったのに、アイラを取り巻くダリッドやメアリスが、『エイネシア様がお聞き損ないになられたのでは?』『まさか男爵令嬢はお礼も言えないと思っておられるのかしら』なんてクスクス笑うから、エイネシアも思わず口を噤んだ。
二人、三人とそう口にすれば、周りも皆自然と、あれ、そうだったっけ? そうなんだ、と、そういう空気になってゆく。
集団心理とは怖いもので、一度そう信じると皆そういう目になってしまうのである。
そうしてエイネシアを突き刺すような剣呑な視線が集まり出したところで、『いいえ、まだお聞きしてませんわ!』とビアンナが笑顔を張り付けて口にしたけれど、それに憮然とした顔をしたアイラは、まるで困ったかのように悲しげな顔をして見せて、『スカーレット様がそうおっしゃるのでしたら……ごめんなさい。改めて、皆様にお騒がせをした謝罪と。それからスカーレット様。突然のご招待をお許しいただけますでしょうか……』なんてしおらしくしてみせたものだから、ビアンナもと言葉に詰まってしまった。
そうされては、すでにヴィンセントがこれを認めている以上、ビアンナも彼女を招かないわけにはいかない。
『勿論、ですわ。さぁ、皆様。此方へいらして。でも次からはきちんとご招待のあったところへいらっしゃるようにお気をつけなさって』
『ビアンナ。あまり厳しく言うな。私が“いい”と言っている』
そうやんわりとビアンナを制したヴィンセントの物言いには、ぎょっ、ビアンナも目を瞬かせて硬直した。
その間にも、早々とエイネシアの手を振り払ったヴィンセントが、一応アイラに触れないようには気を付けながらも、優しく席へと誘う。
取り残されたエイネシアもまた、『放っておいて、私たちは席に戻りましょう』とアンナマリアが背中を押してくれなければ、あまりのヴィンセントの変わりっぷりに、呆然と立ちすくんでしまったかもしれない。
それから数刻。
いつのまにかヴィンセントはアイラ達の席に腰をおろして共にお茶を飲むという“異例”な状況を作り出しており、その様子を三人は遠巻きに見ている、というわけである。
他の招待客も最初はヴィンセントの行動に動揺していたけれど、ヴィンセントが他の席にも同じように腰をおろして皆と会話を交わしたことで、それはヴィンセント王子の非常識という認識から、“ヴィンセント王子は歴代の王族と違って非常に気さくで、同じ学院に学ぶ者達を特別に思ってくださっているだけなのだ”、という認識へと変わった。
あれがかつて、ヴィンセントとエイネシアの二人が座っていた貴賓席に腰をおろしてお茶をいただいたビアンナに対して、ポカンと呆気にとられて硬直していた王子様と同一人物だなんて、信じられない。
人は一年で、こうも変わるのだ。
「こんな空気の悪いお茶会なんて初めてですわ。ビアンナには悪いけれど、早めに切り上げてもよろしいかしら」
そうため息をつくアンナマリアに、「あら、そんなこともなくてよ」と、エイネシアはチラリと別の方向に視線を寄越す。
そこにはビアンナに背中を叩かれながら、似合わない作り笑いを浮かべて一生懸命ホスト役を務めるアルフォンスがいて、それを見た瞬間、エドワードが容赦なく、くふっ、と笑い声を溢した。
本当に……幼馴染に容赦のない弟で申し訳がない。
「はぁ……あんなアル、見たくありませんわ。昔は本当に、孤高の騎士様みたいで素敵でしたのに」
「あら、アン王女はケーキを丸かじりにするようなアルが、一番お気に召しているのではなかったの?」
そう言ったところで、「私の悪口で盛り上がっているのですか……?」と、疲れた顔のアルフォンスが貴賓席に足を踏み込んだ。
どうやらここが、彼の“逃げ場”になったらしい。
クスクス笑っているエドワードに一つため息を漏らしたものの、ようやく落ち着いた様子で柱に背を預けた様子は、なんだかいつものアルフォンスだった。
「お疲れ様、アル。ビアンナはそんなに怖いのかしら?」
「鬼ですね。“今日のお前は私の召使い”という呪いの言葉を七回聞かされました。今まで寮の運営をさぼった私にも責任はありますが……」
「その自覚はあったんですね」
うっ、と口を噤むアルフォンスに、なんだかんだと言いながらも、アンナマリアが一杯の紅茶を手ずから注いで、「お座りなさいな」と促した。
アルフォンスは慣例通り辞退したけれど、「もう紅茶を注いでしまったわ」と言われると、「それでは一杯だけ」と、席にはつかず、立ったままカップを受け取った。
本当に、律儀だ。
今そこで堂々と殿下と同席してお茶を楽しんでいる侯爵令孫以下男爵令嬢の皆様にも見習ってほしい。
「ビアンナは年々男前になってゆくわね。とっても頼もしいわ」
「私、ビアンナが男だったらきっと惚れていましたわ」
そううんうん、と頷く女の子たちに、「ビアンナが女で良かったな、エドワード」と、アルフォンスがエドワードに話題を振った。
下手したらアレが、お前の兄になっていたぞ、という意味だろう。
だが如何せん、エドワードは大層落ち着いた面差しで、「殿下が兄になるより安心して姉上を任せられたかもしれませんね」と冷ややかな声色で言ったから、一瞬にしてエイネシアの顔は冷めあがった。
「エドッ」
口を慎みなさい、という意味で、思わず厳しい声色が窘める。
しかしそれに微塵も動じないエドワードは、紅茶を片手に、「ただの冗談ですよ」と口元を緩めて見せた。
だがその顔は氷の宰相と言われる父にそっくりで、どうにもエイネシアには落ち着かなかった。
「……エド。貴方は、そろそろ殿下の所へ」
そうぐっと表情を硬くしてそう口にしたエイネシアに、ふっとエドワードの視線が向く。
「姉上……」
「ごめんなさい。でもお願い、エド。アイラさんが気に入らないなら、そちらはお相手しなくていいわ。ええ、むしろその方がすがすがしいわ」
「……姉上」
「でもあのお席に、殿下がずっと一人きりなのは良くないわ。“政局”として」
そう付け足したエイネシアに、エドワードも仕方なさそうに首肯した。
エドワードにも、姉が言わんとしていることの意味は分かっているのだ。
今ここで、この学園の最も高貴な家格の者達の子女子息が集まる中で、明らかにエイネシアに背を向けてシンドリーというメイフィールド家の後見を優先したヴィンセントの態度は、優しい言い方をしたとしても“挑発的”だ。
正直エイネシアもエドワードがここにいてくれたら心強いと思って引き止めていたけれど、本来ならばすぐにでも、エドワードにはヴィンセントの側に行ってもらい、ヴィンセントの行動の意味を書き換えてもらわねばならなかった。
ヴィンセントの側に、“アーデルハイド”はいまなお健在である、と。
それはヴィンセントのためというだけでなく、“アーデルハイド”のため。エイネシアのためにもだ。
それが理解できているのだろう。仕方なさそうに席を立ったエドワードは、しかしすぐにはヴィンセントの元には向かわず、自分のポケットに納まっていた白百合を抜き取ると、ニコリと笑みを浮かべて、それをエイネシアの髪に飾る。
「席を立つ私の代わりに、私の白百合をお傍に置いてください」
そのまるで物語のような一幕に、きゃーっ、と、周りの席から令嬢達の黄色い悲鳴が上がった。
その声に、何だ何だ? と、アイラ達の視線も向く。
「エド……貴方……っ」
「頬がリンゴのようですよ、姉上」
「っ……」
「ふふっ。すみません。可愛い弟を無下に追い払う姉への、ちょっとした仕返しです」
そんなことを言いながら、軽やかに貴賓席を出てゆくエドワード。
もう本当に……なんというのか。
「王子様より王子様よね……エドは」
そう呟いたアンナマリアに、そう、それ! と言いそうになった。
かつての妹と同じ感想を、アンナマリアも抱いていたらしい。
「顔が……あげられない」
「弟でなければ惚れていたかしら?」
「馬鹿なことを言わないで、アン王女。エドは可愛い弟よ。今も昔も。いや……可愛かった、弟よ……」
あぁ、本当に。あの子はちょっと目を離すと、ビックリするくらい大人になるのだから、恐ろしい。
今もなんだかんだ言って実にスマートにヴィンセントに歩み寄ると、幼馴染の腹心として何等遜色ない様子で笑みを携えて会話をし、公爵令息らしい堂々たる振る舞いで殿下の隣の席に腰を下ろした。
同じ席に着く令嬢達が思わず頬を染めて口ごもってしまうほどに、エドワードには何とも言えない気品と、有無を言わさぬ威圧感がある。そういうところが、本当に父にそっくりだ。
「でもなんだか年々お父様にそっくりになってゆくものだから……惚れそうで怖いわ」
そう冗談めいた物言いで言ったところで、アンナマリアが、「えっ」とあからさまに顔を引きつらせた。
「ジル様にそっくりになってゆくから……恐ろしい、とかではなく?」
「あら。多分私の初恋はお父様だもの。怖いけれど、素敵なのよ」
「初めて聞いたわ。まぁ……造形的にかっこいいとは思うけれど。年齢不詳の魔性の紳士よね、ジル様は。確かに、あんな人が父親だったら、男を見る目は厳しくなりそうだわ」
「年齢不詳はね。たまに混乱しそうになるわ。お母様もだけれど」
「エリザベート様はジル様以上に年齢不詳だわ。本当に、ちっともお年を召されないのだもの。そういう意味では、アンナベティ王女も」
「ベティお祖母様も少女みたいよね。血筋かしら?」
だったらアンナベティの姉の孫であるアンナマリアも、同じ血を引いている。きっとアンナマリアもそうであるに違いない。
「まったく。この状況下で、なんて呑気な話題を交わしていらっしゃるのかしら。お姫様方は」
そう呆れたように言いながら貴賓席に足を踏み入れたのはビアンナで、その姿を見た瞬間、びくっと肩を揺らしたアルフォンスが、大慌ててポットを手にして飛び出して行ったのが面白かった。
これには思わず、二人そろって笑い声をあげてしまった。
「ちょっ。何ですの、今のアルフォンス卿のおばけでも見たような態度ッ」
「ふふっ。すっかりビアンナの尻に敷かれたようですわね」
「あぁ。私の憧れの騎士様はどこへやら……」
アンナマリアの呟きが、一層エイネシアの笑みを深めてしまった。
彼女の言う“憧れの騎士様”は、多分、前世でプレイしたゲームの中でのアルフォンスの事なのだろう。確かに、それとはかなりの別人になっている気がする。
「ですから、そのお二人の落ち着きようはなんですの? こっちはもうずっとハラハラギスギスしっぱなしで、今にもあのピンクの髪をつかんで振り回したい気持ちですのに」
思いのほか過激なことを言ったビアンナには、エイネシアも思わず笑顔を引っ込めてしまった。
こんな涼しいお顔をして、そんなことを考えていたとは……。
「やっぱり貴女……」
そんなビアンナに、ポツリ、と、アンナマリアが何か思案するような顔をする。
「転移者なんじゃない?」
かしゃんっっ、と、あまりにも驚きすぎて、思わずエイネシアの手からカップが落ちた。
幸いソーサーのすぐ上だったので大きな音にはならなかったが、バッと驚いて見やったアンナマリアの真剣な顔に、続いてバッとビアンナを見やる。
だがそのビアンナは、ただコクンと首を傾けていて、「転移者?」と、聞き慣れない言葉を繰り返していた。
どっちだ。
どっち、なのだ――。
「ゲームのお話しですわ。聞いたことありませんか?」
さらにそう突っ込むアンナマリアに、ちょっとちょっとっ、と慌てたエイネシアだったが、ビアンナは何もおかしな顔をすることも無く、「知りませんわね」と首を傾けた。
これは、“白”だ。
同じ見解に至ったのか、アンナマリアはニコリと微笑んで、「昨夜お義姉様と白熱したんですの」と話をでっち上げた。
「また貴女方は……こんな状況下で、夜な夜なゲームで遊んでいらっしゃるの?」
「あら、面白いんですのよ。簡単なボードゲームなんですけれど。お話をしながらの手慰みにちょうど良いんです」
「転移者、というのは、何か特別なコマか何か?」
「ええ。それまで得たものを全部引き継いでもう一度最初からスタートできる、という、いわゆる“チート”コマですわ」
「ちーと?」
首を傾げたビアンナに、「とってもズルい、ってことですわ」と言った。
これでさらに、ビアンナへの疑いが薄まった。
「昨日私はこれで散々お義姉様に惨敗しましたの……」
ハァ、とため息をついて見せたアンナマリアに、ふふっ、と、ビアンナの顔に笑みがこぼれる。
「まぁ、ゲームを楽しむ余裕があることは良いことですわね。エイネシア様も、最近は以前よりも口数が増えて下さったようで、安心していましたのよ」
ビアンナにそう言われては、エイネシアも己の過去を恥じた。
やはり、なんだかおかしな物のように見られていただろうか。
「気丈としていられるのは皆様のお陰ですわ。ビアンナや、今もそこで何等疑うことなく平然とお茶を楽しんでいらっしゃる寮の皆。エドワードにアルフォンス。そして何よりも、アン王女の」
「光栄だわ、お義姉様」
にこっ、と微笑むアンナマリアに、エイネシアも頬を緩める。
本当に。アンナマリアがいなかったら、どうなっていたのか。
それだけじゃない。アンナマリアのお蔭で、星雲寮にはアイラの手が及ばず、少なからずそこにはエイネシアの味方が出来た。
ビアンナにエブリル。ジュスタスにギリアン、イザベル。エイネシアに不審な眼差しなど一つも投げることなく、今そこで完全にヴィンセントに背中を向けて、何事も無くお茶会をこなしてくれている頼れる友人たちだ。
「私たちはいつでも貴女の味方ですわ、エイネシア様。我々はいついかなる時も王国の臣として殿下に心からお仕えし、己の不利益も省みずに正しいことをなさるアーデルハイド家の姫君に、心からの尊敬と忠誠を抱いております」
そう恭しく腰を折って礼を尽くしたビアンナには、流石にエイネシアもギョッと驚いて、慌てて「お顔をお上げになって!」と手を差し伸べた。
幸い周りには見えない貴賓席のカーテンの内側にはなっていたけれど、下手をすればまたよからぬ噂になるし、それにそんなにまで恭しくしてもらう関係なんて望んでいない。
そのすべてが分かっているのであろう。クスクスと笑うビアンナは、「私がやりたくてやっただけですわ」と、すぐに立ってくれた。
「ビアンナ……気持ちはとても嬉しいけれど……」
「それ以上仰らないでください、姫様。もしも貴女が私の言葉を窘めるのであれば、それは私たちの“目が曇っていた”という侮辱に取りますわよ」
「ビアンナ」
ちょっと困ったように微笑むエイネシアに、ビアンナは一つくすりと笑ってみせた。
「さぁ。私も“あの”状況は主催者として望まぬ光景ですから。今日の茶会は早めに終わらせるつもりです。もう少しだけご辛抱下さいませ、お姫様方」
「ご配慮有難う、ビアンナ。貴女はとっても素敵な主催者ね」
そう褒めるアンナマリアに、「光栄です」と少し大仰な演技ががかった紳士の礼をとってみせたビアンナは、去り際まで二人を楽しませてくれた。
そうしてこの席が二人きりになった瞬間、エイネシアは、ほぅ、と、あからさまに安堵の吐息をついた。
「アン王女……まったく。心臓が飛び出すかと思いましたわ。突然、“あんなこと”をお尋ねになるなんて」
「ごめんなさい。けれど思わなかった? ビアンナが、“そうかも”と」
「……ええ。正直、何度も」
ビアンナが転移者の一人である可能性。それは、エイネシアも何度も思った。
彼女はこの国の貴族の令嬢たちの中では随分と異端だったし、快いほどにサバサバとしていて、斬新な考え方も持っていた。
それにとても公平で、微塵もエイネシアを疑うことなく、終始味方に立ってくれた。
今寮内にエイネシアの味方が多いのも、ビアンナが堂々と彼らに、この状況はおかしくないか、という疑問をぶつけ、その見解を彼らと共有してくれたからに他ならない。少しおかしなくらいに、エイネシアの味方であってくれる。
それが不思議でないはずがない。
「でもあの反応は、きっと違うわ。ビアンナがもしも“そう”なら、嘘をついて隠したりしないはずだもの。むしろとっくに私達も同じだと気が付いて、“やっとお気付きになったの?”くらい言うと思うわ」
「私も同じ意見よ。でもおかげで一つ、分かったこともあったわ」
そう言うアンナマリアに、何が? と首を傾ける。
「公平な人は、公平なのよ。ゲームには描かれていなかっただけで、確かにちゃんと分かっている人はいる。多分学内にも、他にもいるのよ。それは貴女の強い味方になるわ」
「アン王女……」
「お兄様がどうなさるのか知らないけれど。“例のイベント”まで、もう半年ちょっとなのよ。私は絶対に貴女を殺させやしないし、退学にだってさせないわ」
「……ええ。有難う、アン王女」
「まぁ、その前に貴女が単位満了して飛び級卒業、なんてことにならなければだけれど」
そう呆れた顔で笑ってみせたアンナマリアには、ふふっ、と、思わずエイネシアも顔をほころばせた。
そんなつもりはなかったのだが、そういうのも悪くない気がする。
「さぁ、皆様、そろそろ日が暮れて肌寒くなってまいりましたわ。最後に私から一杯の紅茶をお勧めさせていただきます。それを最後のお紅茶といたしましょう」
皆の中で、ビアンナが朗らかにお茶会の最後の決まり文句を口にする。
そろそろ、この時間も終わりだ。
最後の紅茶の合図は、皆を席に促して、主催者が一人一人のカップに最後の紅茶を注いで回るのが慣例で、色々な席にいた皆も、「素敵なお茶会でしたわ」「有難うございました」とお礼を言いながら、最初の席へと戻って行く。
当たり前だが、ヴィンセントも……そうであるはず。
だが戻って来たのは、少し前にギリアンたち星雲寮の皆の席に移っていたエドワードだけで、貴賓席にヴィンセントが戻っていないのを見るなり、チラ、と見やって眉をしかめた。
どうしたらいいか、と、僅かにエイネシアの方に指示を求める顔をしたけれど、「構う事なんてないわ」とアンナマリアが言うものだから、エドワードも困惑した顔をした。
「いかがなさいます? お紅茶を、注いでも宜しい? 待った方が宜しい?」
そう問うたのは、先ず一番最初に貴賓席へと最後の紅茶を注ぎに来たビアンナで、そんな彼女にはアンナマリアがすぐに、「三人分で良いわ」と答えた。
なのでエドワードも、主催者への礼を失しないようにと元の席に着く。
「アン王女。宜しいの?」
今日この日。この茶会でアンナマリアのエスコート役を行なっているのはヴィンセントだ。
兄妹の間柄とはいえ、パートナーを連れて茶会に挑んだ以上は、退出する時もそうであるのが作法。当然だが、最後の紅茶もパートナーと共にいただくべきだ。
「構いませんわ。勿論、お兄様には後ほど痛い目に合っていただきますけれど」
そうニコリと微笑むアンナマリアのお顔はとても怖くて、思わずエイネシアもエドワードも口を噤んだ。
そして案の定、最後の紅茶をすっかりと飲み干したアンナマリアは、今まさにそこでアイラに手を差し伸べて共に退出しよう、とでもいうような仕草をしたヴィンセントを見た瞬間、実に俊敏に貴賓席を下りて行って、さっ! と、立ち上がったアイラの目の前に滑り込むと、ニコニコとヴィンセントを見やった。
その笑顔に、おもわずびくっとヴィンセントが肩を揺らす。
「お・に・い・さ・ま」
ニコニコ。ニコニコと。実に愛らしい顔で笑う妹に、どきどきとたじろいだ王子様は、それからすぐにも、少し前にエスコートを途中でやめて妹を激怒させたことを思い出したのであろう。何事も無かったかのように、妹へ手を差し伸べた。
それにアンナマリアが、満足そうに手を重ねる。
「ごめんなさい、アイラさん。今日のお兄様は、私のエスコート役なの。退席のパートナーは、私に譲って下さいな。まぁ……“舞踏会の時のように”、それを私からお奪いになりたいと仰るのであれば、身を引くことも考えますけれど……」
そう困ったように言ってみせたアンナマリアに、サッとアイラが顔を引きつらせた。
「とんでもありませんわ、王女様! 舞踏会……が何の事かは分かりませんが。私が殿下にエスコートいただこうだなんて、恐れ多いですわ! そんなこと、夢にしか見たことはありません」
「そう。では夢でご満足なさってね」
ニコリ、と、それはもう壮絶な毒を吐いたお姫様に、「おい」とヴィンセントが厳しい声を上げたけれど、それさえもアンナマリアはニコリと笑顔で黙らせると、「さぁ、早く帰りましょう、お兄様」と、可愛い妹の顔をしてヴィンセントを引っ張って行った。
それをいささか呆気にとられながら見送るエイネシアに、クスクスと肩を揺らしながら、エドワードが手を差し伸べる。
「アンナマリア王女は、学院に入ってから随分と逞しくなりましたね」
「ええ……少し、呆気にとられるほどに」
そうポカンとするエイネシアに、エドワードはもう一度クスリと笑うと、宙に浮いているエイネシアの手を、手ずから自分の腕に重ねさせた。
その様子に、はた、とエイネシアも我に返る。
「あぁ、ごめんなさい。なんだか呆然としてしまったわ」
「いえ。何なら私もアン王女を見習って、強引に姉上を引っ張ってゆきましょうか?」
「まぁ。逞しいことを言ってくれるのね、エド」
「姉上がお望みならいくらでも」
そんなことを言ってエドワードは歩き出したけれど、その足取りはちっとも強引ではなくて、むしろとんでもなく紳士で頼りがいがあるものだから、本当に、いつの間にかしっかりしてしまったのだな、と感心した。
そんな睦まじい姉弟の様子は、見る者をホゥと嘆息させるのだけれど、そんなことには気が付かず。
そしてまたそんな様子を……アイラが忌々しそうに見ていたことにも。気が付かず。
そうして最初のお茶会は、穏やかに過ぎ去ったのである。




