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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第一章 定められた配役
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1-3 許嫁

 未来を考えるという益のない思考をやめてベッドにもぐったエイネシアは、もう限界とばかりにあっという間に眠りに落ちた。

 ある程度記憶の混乱が落ち着いて、状況を把握できたことが多少の安心に繋がったのだろう。

 悪夢の一つも見ずにぐっすりと眠りこけた。



 だがあまりにもぐっすりと眠りすぎた。


 何か近くで人の話し声がするような気がして、もうお昼前なのかしら、とぽやーっと目を開いた瞬間、見事な金髪と淡いブルーの瞳の、まるで王子様みたいな麗しの少年が視界に飛び込んできた。

 大きな窓から差し込む陽射しを背に受けて、微かにさえぎられたカーテンに影を落とし、凛としたたたずまいで椅子に腰かけた王子様。

 そのあまりにも美しい、まるで御伽話の一幕みたいな光景に、ついポカンと口を開けた間抜けな顔を晒したのは、仕方のないことだ。

 そしてエイネシアの記憶が正しければ、それは事実、王子様であったはず。

 そう。昼前に目を覚ましたエイネシアが、きちんと身支度を整えて出迎えるはずであった許嫁殿と、まるで瓜二つな造形の……。

 あれ。これ、夢じゃない?

 それに気が付いた瞬間、わっっ、と、寝間着姿で髪もぼさぼさな自分の身を恥じて、布団の中に潜り込んでしまった。


 そんな木の根に飛び込むリスみたいな少女の所作には、声を掛けようとしていたヴィンセントが驚いたように目を見開き、すぐにも、くすりと笑い声をあげた。

 まさかあの澄ました顔で氷のような人形面をしていたエイネシア嬢が、こんな仕草を見せるだなんて思わなかった。

 本音を言えば、予定より早くアーデルハイド家を訪ねてきたヴィンセントは、それなりの時間、怪我の様子だけ聞いて暫く居座り、見舞いという体裁を調えたら、あとは彼女の目が覚める前に、『起こさなくて良い』とかそれらしいことを言ってさっさと城へ帰ればいいと思っていたのだ。

 まさか彼女が目を覚ますとは思っていなかったし、取り乱すとも思わなかった。

 案外……可愛い所のある人なのだろうか。


 そんなヴィンセントの笑い声に気が付いたのか、カァと顔を赤くして益々閉じこもってしまったエイネシアに、慌てたネリーが、「お嬢様ッ」と、声をかけながら布団の上から揺さぶった。

 失礼ですよ、という事だろう。

 そのことは理解できるから、ソロソロ、と布団を下げて目元だけを布団から出す。

 歯も磨いていないし顔も洗っていない。髪にブラシも入れていないし、身支度だって整えていない。昨昼からずっとご飯も食べてないからお腹が鳴るかもしれない。

 これはもう充分に逃げ出したくなる辱めだ。

 それが仮にも婚約者相手となればなおさらに。

「も、申し訳、ありません……殿下。私……」

 布団の下からくぐもった声色で恐る恐ると言葉を紡ぐが、すべてを言い切る前に、小さな少年の手がそれを諌めるように、ポンと布団の上から触れた。

 体に伝わった僅かな重みが、まるで“落ち着きなさい”と、そう言われているかのようだった。

 今世ではエイネシアより一つ年上とはいえ、かつて十八歳まで生きた記憶がある立場としては、子供に随分と大人な態度を取られてしまったことが、むしろ恥ずかしい。

「侍女に君を起こさないように言ったのは私だ。眠っているのであれば、様子だけ見てすぐに立ち去ろうとしていたのだが、起こしてしまったようだ。驚かせてしまってすまない」

 そう謝る王子様は、なんだか前回お会いした時と印象が違う気がする。

 柔らかな物言いと、優しげに緩んだ大きな瞳と。

 労わるようにして体に重みを伝えるその掌に、何やらポゥと頬が熱くなるようだった。


 ゲームでは、この人が日頃見せる温厚な顔は王子としての体裁の上で取りつくろわれたものであり、その裏で心は冷めきっているかのように描かれていた。

 前回お会いした時も、ただ他人行儀なやり取りと、少しも笑っていない眼差しに、まぁそんなもんよね、と、ちっとも感慨を覚えることなく、まったく同様の態度でエイネシアも受け答えたはずだった。

 だがどうしたことか。

 今のその柔和に口元を緩めた面差しに、含みがあるようには感じられない。

 ポン、ポン、とあやすようなゆったりとした掌の重みが、驚きに心臓をあわただしくさせたエイネシアの心を急速に宥めて行く。

 この暖かな感覚は何なのだろうか?

 その優しさを本物だと思うのは、勘違いなのだろうか?


「殿下……恐れながら、身支度の時間を、いただけませんか?」

 そう取りあえずこの状況をどうにかしたくて、そう口を開いてみたが、そのまま再び宥めるかのように、ポン、と、ヴィンセントの手が体の上に重みを与える。

「怪我人なのだから、気にすることはない。君が気にするのであれば私はすぐに立ち去るから。このままゆっくりと休んでいなさい」

 まるで大人のような口調でいう少年は、そう言いながらチラリと包帯の巻かれたエイネシアの頭を見やった。

 それに気が付いたエイネシアも、あっ、と、布団から出した指先で頭に触れる。

 元々大した傷ではない。

 場所が場所なだけに沢山血が出たようだが、すでに出血は収まっているし、痛みもほとんどない。

「平気です。薬師も、傷痕は残らないと。お見苦しい物を残して殿下にご迷惑をおかけするようなことにはなりませんので……」

 我ながら、可愛くないことを言った、と思った。

 だがそういう思考というのは大体口にした後に、しまった、と思い至るものであって、既に口から出たものを取り下げることはできない。

 あぁ、と嘆くように益々深く布団の中に顔をうずめたけれど、そんな後悔を知ってか知らずか、返ってきたのは、「気にするな」という、大変心優しい言葉だった。

「多少の傷など問題ない。女王陛下ご鍾愛のエリザベート公爵夫人に瓜二つと言われている貴女の美貌が、この程度の事で損なわれることはないだろうから」

 一体この少年は何歳なのだ。

 そう突っ込みそうになる気持ちを抑えながら、一方で不覚にも頬が真っ赤に染まってしまった。

 そうも真っ直ぐと容貌を褒められるというのは気恥ずかしい。

 まぁ、母エリザベートに瓜二つだから、将来母のように美しくなること間違いなし……という、未来への期待の言葉である点については如何ともしがたいのだが。

 しかしそんなものはただの屁理屈だ。

 ここは素直に、褒められたと受け取っておこうと思う。

「痛み入ります、殿下。あぁ……お見舞いにいらしていただいて、有難うございました。まずはそのお礼から申し上げるべきでした」

「大したことではない。公爵家は城からも目と鼻の先だ」

「そうなのですか? 私はあまり、家を出たことが有りませんので」

 そう何ともなしに答えたところで、ふむ、と、ヴィンセントは俄かに顎に手を添えて何かを考え込む。

「では怪我が良くなったら、城を訪ねて来るといい。快復祝いに、菓子でも振舞おう」

 そう言われたから、きょとんっ、と目を瞬かせてしまった。

 驚いた。まさか王子から直々に城に誘われるとは思ってもみなかった。

 これも、エイネシアが寝過ごしたせいでおきたイレギュラーなのだろうか。

 いや、ゲームでも一応、ヴィンセント王子と、それから幼い頃からヴィンセントに近侍していた騎士アルフォンス。そして王家と近い血縁にあるアーデルハイド家の姉弟は“幼馴染”という設定になっていたはずだから、城に誘われるというのも、幼馴染としての関係性に至るごく自然な流れなのかもしれない。

「私などが登城して宜しいのですか?」

 一応そう謙虚に答えたところで、「勿論」との返答があった。

 しかしその言葉に続いた言葉は……。


「私自身の為にも、エイネシア姫のことはくれぐれも厚く遇するようにと、父上やお祖母様からきつく言われている」


 あぁ、子供ってなんて残酷なのかしら、と。

 ぎゅっと握りしめた布団の下に顔を隠し、硬く奥歯を噛み締めた。

 王子様よ。そこはそんなに素直になるところじゃないのだよ。

 今その少年がいたいげな少女に放った言葉は、『お前は私が王になるために必要な駒だから大切にしてやる』という意味だ。

 この言葉を受け取ったのがただの姫であれば、“貴女を大切にする”と言われたのだと勘違いしたかもしれない。

 きっとゲームのエイネシアは、これに胸をときめかせてこの王子に恋をしたのだ。

 だが今のエイネシアにはその言葉の真意が伝わってしまい、えも言われぬツキツキとした痛みと共に、『あぁ何を浮かれているのかしら。当たり前じゃない』という後悔が重く心に沈んだ。

 いや。むしろエイネシアはここで、自分の存在、もといアーデルハイド公爵家が、女王陛下や次期国王陛下に“厚く遇さねばならない”と思われていることを喜ぶべきなのだろうか。

 少なくともエイネシアの父は、これを聞いたら大層満足したであろう。

「殿下のご将来を盤石(ばんじゃく)なものと出来るよう、私も力を尽くします……」

 だから殿下の言葉に返す言葉は、思いのほかスルスルと詰まることなく零れ落ちた。

 それに殿下が何を思ったのかはわからない。

 表情も、目には入れなかった。

 けれど多分、その返答で正しかったのだ。

 「期待している」という言葉と共にサッと彼が席を立ったことがそれを裏付けているようで、お帰りであることを察した侍女たちが一斉に自然な所作(しょさ)でドアの方へと向かった。

 それを目に入れつつ、せめてお見送りのご挨拶くらいするべきだろうかと身じろぐエイネシアが何かを言う前に、「そのままで構わない」という言葉と、「早く癒えるよう祈っている」という言葉を残して、少しの余韻(よいん)も無く殿下は部屋を出て行った。


 その最後の言葉が。

 彼なりの“優しさ”であった、と、信じたい。


 信じたいけれど。

 でもきっと違う。

 そうするのが当たり前。そう声をかけるのが当たり前。

 彼の自分への感情は、体面的なものでしかないのだと。

 それに酷く落胆していることに気が付いていたけれど、ギュッと布団に閉じこもりながら、落胆を否定した。



 期待なんてしては駄目だ。

 許嫁という言葉に心が躍ってしまっていたことは認めよう。

 その美しい金の髪の王子様に、見惚れたことも認めよう。

 布団越しに触れたわずかな重みに、うっかりほだされかけたことも認めよう。

 だがこれは“政略結婚(不確かな物)”なのだ。

 それを忘れてはならない、と。

 そう何度も自分に言い聞かせた。



 そうすれば幼い少女の心は、ちっとも痛まずに済んだ。







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