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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第二章 エデルニアの雪融け
48/192

2-18 なぎさと雫(2)

「シア様……」

「“フィー”は……私に、何をさせたかったんでしょうね」

「っ……」

「これでも、前世では結構酷い死に方をしたんですよ。そんな私がこんな役回りって。一体、何を求められているのか、ちっともわからないんです」

 長らく封印してきたその話題に、アンナマリアは思わずキュッと拳を握った。

「ちゃんと死ねなかった。心残りを残すような死に方をしてしまった。そのせいで、試練を課されたんだ、って。だから……だから一生懸命に、自分の役割を果そうとしたんです。ヴィンセント様を王に。どんなに裏切られても、それは全部、生前の私への“罰”なんだ、って……」

「罰だなんて!」

「だったらどうして……? あんなに酷い人生で、あんな死に方をしても、まだ試練を課されるのよ。だったらもっと……もっと、“ちゃんと”しないとっ」

 本当はアンナマリアも、薄々感じていたのだ。エイネシア・フィオレ・アーデルハイドとして育った彼女とは別の、何かどこか怯えたような生き様を。どうしようもなく“お行儀のいい”、その違和感を。

 だから少し意を決して。

 覚悟をして。


「私は、母に殺されたの」


 しっかりと顔をあげて口にした言葉に、エイネシアが見る見る目を見開いてアンナマリアを見た。

「父親は知らない。今時漫画みたいな安アパートで、母と二人暮らし。別に死ぬほど貧乏なわけではなかったし、あんまりお金はないけどそこそこ普通に暮らしてた。母は介護士で、私もバイトをしたり、沢山友達もいて、普通の女子高生だった。まぁ、母が働いていたから、代わりに家事をやったりとか、ちょっと所帯じみてはいたけど」

「アン……」

「静川なぎさ。それが昔の、私の名前」

「なぎさ……」

「段々とね。母が疲れてきているなって。それも分かっていたの。だから学校から帰ってきた時、仕事だったはずの母が何故か家にいて、窓や扉にガムテープを張って。私のバイト代の入った封筒を机の上に投げ出して練炭を用意して待っていた時にもね。あぁ、そうなんだ。もう疲れたんだ、って。何か妙に納得して。母が私に大量の睡眠薬を飲ませても、私の手を縛って練炭に火をつけている時も、何も言わなかった。ごめんね、ごめんね、って必死に謝っている母の姿が段々と見えなくなって。でも少しも抵抗なんてしなかった。多分ずっと、いつかこうなると思っていたから」

「……」

 初めて聞いた。誰かが死ぬ瞬間の話。

 そしてその……後悔の話。

「もっと話をすればよかったと、そう思うの。もしかしたら母は、こんな生活をさせている私のことを可哀想に思っていたのかもしれない、って。でも私、そうでもなかった。母とは仲が良かったし、高校も、アルバイトも、それなりに楽しかった。でもそうは思われてなかったんだって。それに母の話も聞かなかった。疲れてるな、とは思っていたけれど、でもそういうものだと思っていたし、聞くのが面倒だとも思っていたから。でも母の最期の謝罪を聞きながら、あぁ、私馬鹿だったなって後悔したわ。だから記憶が戻って、今人生をやり直しているんだと実感した時、今のシアと同じようなことを考えたの。フィーは。神さまは、一体私に何をさせるために、人生をやり直させているのだろう、って」


 与えられた役回りは、重要じゃない。

 そんなの、何だって良かった。

 ただそこに、その人に相応しい課題さえあればそれで。


「神様が私に言いたいことって何だろう。私の人生に必要な“デスケア”って、何だろう。それは良い意味でも。それから、悪い意味でも。それで自分の人生を、ちゃんと思い返してみて、気が付いた。“なぎさ”も“アンナマリア”も。どちらも、ちっとも家族に恵まれていない」

 アンナマリアには、父がいて、母がいる。でも母が欲しているのは、王子である兄だけ。一人ポツンと忘れ去られたような毎日で、すべてが周りの言うがまま、流れるがままに日々を暮すしかない王女様。

 自分の意志なんてものはそこには無くて、多分母に死ねと言われたら死ぬしかなかない。何ら昔と変わらない人生。

「だからこれはきっと、“あらがえ”と。そう言われているんだと思った。私は自分が死んだのを“不幸だ”と思っていたけれど、神様は多分、“それはお前の自業自得だ”と言っているんだわ。私は、自分の不幸に胡坐をかいて、自分で、自分という人間の人生をきちんと歩んでいなかったんだって。母に抵抗して、死にたくない、と。そう言わなければいけなかったの。今聞いたらそんなの当たり前だと言われるかもしれないけれど、でも本当に。ちっともそんなことが思いつかないのが、私の以前の人生だったの」

 全部。何もかもが、母の言うがまま。為すがまま。それは死ぬ時でさえも。

 自分の人生が、“母の子供”という人生でしかなく、その役回りを当たり前のように受け入れていた。

 でもそうではない。静川なぎさには、静川なぎさの人生があることを、少しも理解していなかった。

「だから私はアンナマリアの人生を、いつも母に振り回されてちっとも自由じゃなかった私への神様からの祝福であって、そして同時に試練なのだと思っているわ。下手をすればまた振り回されるだけの役回りで、でもちゃんと自分で、自分の好きな方を選んで、自分の人生を歩む。それが私の“正解”なんだ、って」

 だから私は、アイラ・キャロラインを択ばなかった。

 今ここで、本来の役回りとは違う、エイネシア・フィオレ・アーデルハイドの友となり、そしてゲームではいつも粛々と控え目で兄に遠慮していた王女様とは真逆の自分を構築している。

「自分の意志を持つこと。それが私への課題だもの。思ったことは全部口にするわ。家族であろうと、気に入らないならちゃんとそれを口にするわ。良くないと思ったことにはそう言うわ。それでもしもお兄様が私に死ねと言ったなら、その時はちゃんと反論して。それでも死なねばならなくなったとして、今度は声高らかに、私の人生はちっとも間違ってなかった! と叫んで死ねるわ。そう思って、アンナマリアは生きているの」

 じんわりと、言葉の熱と一緒に強く熱を孕んだアンナマリアの手が、エイネシアの掌をきつく握りしめる。

 その力強さは、彼女の意思の強さと比例しているかのようだった。

 彼女の人生はエイネシアの人生とはまたまったく別のものだったけれど、エイネシアにも彼女の言いたいことはよく分かった。

 自分はどうして、ここにいるのか。

 神様が与えた試練とは何か。

 デスケアとは……要するに、かつてのエイネシアの……“小宮雫”の、何を咎め、何を憐れんで、そしてどんな試練が課されているのか。

「エイネシア。私は貴女のこと、本当に尊敬してきた。いつもこそこそ見ていたのよ。貴女はいつも正しかった。いつもお兄様を立て、時には弟をも窘め、何度も涙をのみ込んで見せて、アーデルハイドの娘として少しも恥じることなく振舞っていた。でも私、そんな貴女が腹立たしくもあったの」

「……ええ」

 分かっている。それはこの学院で最初にアンナマリアと再会した時、思わずこぼれた彼女の本音に集約されていた。

 その言葉は、本当はもうずっと、エイネシアの心に引っかかっていた。

「あぁ。なんて“いい子ちゃん”なんだろう、って」

「……人目ばかり気にして。誰かに嫌われるのが怖くて。相応しくないと言われるのが一番怖くて。皆にいい顔をして。笑顔で誤魔化して……」

「ええ。でもそれは貴女がアーデルハイド家の娘だったから。背負うものがあるからだと、そう思ってきた。それで悪いとも思わない。貴女の矜持を、私はとってもかっこいいと思っているわ。でも、貴女は誰? 貴女の本音は、何処にあるの? 泣きそうな顔で、お兄様を“慕っている”と口にした貴女は、本当に、本当に、素敵だったわ」

 いい子でないと……駄目なのだ。

 何もかもちゃんとできて。完璧でないと、駄目なのだ。

 だってそうしないと。

 いい子でないと。

 必要な子でないと。

 また“怖いことが”、起きてしまう――。


「八歳の時にね……」

 エイネシアではない。小宮雫が、八歳の時。

「両親と弟を……殺されたの」

 今でもそれを口にすると、手が震える。

 思い返すだけでも恐ろしい。

 いや、恐ろしいなんて言葉では足りない。

 足が震えて。声が震える。

「強盗だった。両親が刺されて。私は頭を殴られて、意識がもうろうとして。それで死んだと思われたのね……。すぐ隣で弟が殺されるのを、助けることもできずに、見ていることしかできなかった。それで一人だけ、生き残ってしまったの」

「……シア……」

「それ自体は酷い話だけれど。でも、私を引き取ってくれた叔父夫婦はとてもいい人達だったの。妹もできた。とっても懐いてくれて、本当の姉妹みたいに仲が良かった」

「妹さん……従妹だったのね……」

「でもずっと怖かった。部屋には二つも三つも鍵をかけていないと安心できないの。しばらくは一人で留守番もできなかったわ。大きな硝子窓も怖くて、木板で覆って、カーテンもいつも閉め切ってた。それでも不安で……いい子にしてないと。大人しくして、誰の目にも止まらず、誰にも見つからないように。あの時の犯人が私を見つけないように、息をひそめていないと……また怖いことが起きる」

「……」

「勉強も、家のことも。全部頑張った。頑張れば頑張るだけ、妹は私を“自慢の姉だ”と慕ってくれて、それがとても嬉しかった。皆が私を褒めてくれると、安心した。いい子ね、と言われるたびに、ほっとした。私、いい子だもの。いい子の所には……もう、死神はやってこない」

 なのにそれでもまた――死神は、やって来た。

 まだ足りない。

 もっと……。もっと、いい子じゃないと、また殺される。


 ヴィンセントを失ったら、エイネシアは“殺される”。


 その震える体に、アンナマリアがぎゅっ、とさらに力強く掌を握り返してくれた。

 もういい。もう話さなくていいから、と。そう言ってくれているかのように。

「フィーは……そんな私を窘めているの? いい子なのがそんなに駄目なの? だって、怖いのよ。嫌われたくないの。死にたくない。好きなの。好きなのよ。当たり前だわ」

「ええ……」

「捨てられたくない。見捨てられたら……私は……」

「ええ。そうね……」

 アンナマリアはエイネシアではないから。彼女のすべてがわかるわけではない。

 でもどこか怖いほどに完璧であった彼女の内側が、とんでもなく脆いことを知った。

 多分それはもう彼女の性格で、彼女の虚勢も彼女を守る大切な武器の一つなのだ。

 だからその上で、一体彼女は何を克服するべきなのか。

「シア。私は貴女に叱られたって、文句を言われたって。たとえちっともいい子じゃなくたって。きっと嫌いになんてならないわ」

「……アン」

「だから怖がらないで、大丈夫。私も、エドも、アルも、皆貴女を守る、貴女の味方よ。他の何者でもない。アーデルハイドでも、お兄様の許嫁でもない。私たちはみんな、“エイネシア”が好きなの。だから貴女が何者になろうとも、私たちは誰も貴女を傷つけないし、傷つけさせたりもしない」

 傷ついてばかりの彼女が二度目の人生で選んだのも、また自分を傷つける人だった。

 でもどうか、もう傷ついてばかりは止めて欲しい。

 いい子でなくていいから。

 本当の言葉で、話をしてほしい。

「貴女、自分の試練を“いい子でいること”だと思っていない?」

「……?」

「それは違う。貴女に与えられた試練は、きっと“自由”なのよ」

「え?」

「貴女って本当に昔から、我慢ばっかり。私、本当は貴女が人参が嫌いだなんて子供っぽいところがあること、知っているのよ。貴女自身は無自覚だろうけれど、“嫌い”だから、いつも無理して他より沢山手をつけるの。気付いてなかったでしょう?」

「っ……」

 気付いてなかった。

「本当は本が大好きなのに、大図書館から遠ざかった。薬学に興味があるのに、薬園には近づかない。本当は女王の庭が大好きなのに、いつも仏頂面で花を愛でるの。他にも沢山あるわ」

「私は……そんなに、無理をしているように見えていた?」

「ええ。それを知っていたから。だから……」

 だからいつも貴女の傍には、“彼”がいた――。

 貴女の虚勢を、知っていたから。それを優しく解きほぐしてくれる、あの人がいた。

 あの人の傍に居る時だけは、貴女はいつも素直に泣けた。

 そのことに彼女はきっと、まだ気が付いていない。

「お願いよ、シア。言いたいことは言うべきよ。もっと自由になっていいの。私はアイラ・キャロラインに腹が立っているわ。お兄様にもよ。何なら痛い目を見ればいいと思っているわ。シアはそんな私が、地獄に行くと思う?」

「アン……」

 何だ少し気がまぎれて、苦笑が零れてしまう。

 アンナマリアなら……なぎさなら、地獄でも天国に変えてしまいそうだ。


「それでも貴女はまだ、お兄様がお好き?」


「……」

 分からない。

 もう少しだって、分からない。

 そもそもこれがどういう気持ちだったのか。

 嫌われたくないと思ってきたそれが、どうしてだったのかも。

 もうちっとも分からない。

 微睡むような思い出の中に、今も変わらない愛おしさがある。

 冷たい視線にさらされる中に、嫌われたくないという恐怖がある。

 それは好きだからなのか?

 不安だからなのか?

 ただわかるのは。

「ヴィンセント様の不幸は、見たくないわ」

「……わかった」

「婚約破棄は……もう、覚悟してる」

「ええ……」

「でもエドに刺し殺されるなんて絶対に嫌」

「それは当然ね。ふふっ。というか、エドワードにそんなこと、絶対にできないわ」

「アルに冷たい目をされるのも嫌よ。味方をしてほしい」

「ええ。アルが貴女を傷つけるようなら、私がひっぱたいて差し上げるわ」

 ふんっ、と胸を張るアンナマリアに、何だか気持ちが軽くなってゆく。

「二人には殿下を追ってと言ったけど、本音が半分。もう半分は、いかないで、って、そう思った」

「当たり前よ! むしろ半分、お兄様を追ってと思うその心境って何なの?!」

「だって……あんなヴィンセント様をお一人にしておくのは……」

「あぁ、もうっ、分かったっ。あなたのいい子ちゃんは、デフォルトなのね! いや、いい子ちゃんというか。貴女、本当に心から“お人よし”なのね!」

 ようやくわかったわ! と納得するアンナマリアに、ちょっと困った顔をした。

 お人よし……だろうか。

「シシリアのことはどうなの?」

「実は本当に、何とも思ってない……」

「あぁ、そうね。ソッチなのね」

「そもそも、友達だと思ったことがないわ。昔から殿下やアン王女たちの次に会う機会が多かったから、親しい方だとは思っていたけれど。寮に推薦したのも、お父様のご提案の他に、誰も思いつかなかったからで……」

「アイラ・キャロラインのことは?」

「正直、迷ってる。憎いとか嫌いとか、そういうのとは少し違っていて、なんだか“可哀想”だと思ってる」

「あぁ……頭がね」

 そうじゃないわ、と言いながらも、思わず肩を揺らして笑ってしまった。

 まぁ、思っていないことも……ない。

「この世界が本当に、フィーが与えた私達への試練と祝福なのだとしたら。私に与えられた家族と身分は、祝福。殿下との事が、試練なのね。ではアイラの場合はどうなのかしら。ヒロインという大きな可能性を秘めた役回りが、祝福。では試練って?」

「そこまで考えてあげる必要なんてないわ。というか、一目瞭然だわ。あの世界が自分を中心に回っていると思い込んでいるような性格。傲慢、我儘、無知蒙昧」

「ええ。だからそうではないと自覚することが、あの子の試練なのよね」

「無理よ。もう貴女は充分に言葉を尽くしたわ。自分が不利益を被ってまで、あの子を助けて来たわ」

「でもアンは私を助けてくれたわ」

 それと何が関係があるの? と首を傾げる。

「こうやって。アンはいつも私を、助けてくれる。今も、すべてを投げ出しそうな私に、それでは駄目だと言ってくれたわ」

「それは……」

「出来る限りの言葉は、尽くし続けたい。そうすべきなのよ。きっと、本当はもっと、そうすることができたはずなのよ。でもそうしなかったのは、彼女を快く思っているヴィンセント様に嫌われるから。それが、怖かったからだわ」

「えっと……シア?」

「でもそうね……いい子ちゃんのフリはやめないと。頭を下げて、言いたいことも言えないでお利口な解答ばかりして。こんなの、きっと、間違ってるんだわ。言いたいことも言いにくいことも、何でもちゃんと言わないと駄目だったんだわ」

「えーっと……」

「アン。私、出来るだけ、自分に正直になれるよう努力します」

「え、ええ。そうね」

「有難う、アン王女。目の前がとても、明るくなった気がするわ」

 ニコリとお綺麗な微笑みを浮かべて。

 もう一度、有難う、とその手をきゅっと握って。


 これまでと変わらずお綺麗な後ろ姿で去ってゆくその人を見送りながら。



 あれ。なんか……。

 あれ?

 思っていたのと、違う? と。


 アンナマリアは、しばし呆然と立ちすくんだ。






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