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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第二章 エデルニアの雪融け
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2-18 なぎさと雫(1)

 コンコン、コンコン、と叩かれた扉に返事をする。

 顔を出したのは、白と黒のお仕着せに、きっちりと髪を結わえた凜と背筋の通った若い女性だった。先日あの場所に居合わせたもう一人の人物だ。

「アマリア? どうぞ、お入りになって」

 ベッドの中で、軽く開いていた本を閉ざして招き入れる。

 王子の侍女が、何の用だろうか。

「おはようございます、姫様。お加減は如何でしょうか」

「もう大丈夫。貴女にも心配をかけてしまったかしら?」

「はい。ですがお顔の色も良くなられて、宜しゅうございました」

「有難う。それで、御用は?」

「殿下から、お見舞いに参っても良いかとのお伺いを言付かりました」

「……そう」

 すぐに、返答をすることができなかった。

 お見舞い……。一体、どんな顔で。何を話せばいいのか。

 昨夜耳にしたその夜のことを思いながら、どうやって素直にその人に、ご迷惑をおかけしました、だなんて謝罪が出来るだろうか。

 アイラのことも。ドレスのことも。ダンスのことも。倒れたことも。

 全部。何もかもすべて、全部。その人とは少しだって話したくない。

「あの。姫様……」

「あぁ、ごめんなさい。私のことはご心配いりませんと殿下には……」

「姫様がお命じくだされば、私は一部始終をきちんと殿下にお話しいたします」

 ピクリ、と、エイネシアはその手を一瞬奮わせる。

 しかしゆっくりと手を布団の上の置くと、静やかに吐息を吐いた。

「アマリア。昨日のこと、学院内でどのような噂になっているのか、ご存知?」

「男爵令嬢を部屋に引きずり込んだ姫様が、令嬢のドレスを切り刻んで辱めたと」

「そう。それで殿下はその“切り刻まれた”ドレスの令嬢に、何か疑問を持たれた様子はあったのかしら?」

「……いいえ」

 なるほど、と頷く。

 ならきっと、言い訳なんて意味がない。言ったところでどうなるものでもない。

 もしもエイネシアがただアイラのドレスの不適切を窘めたのだと知ったとして、それでアイラとのひそかなワルツが無くなるわけではない。

 ましてや一度でもエイネシアではなくアイラを信じたというそのことを、とても矜持の高いあの人が、その過ちを認めて謝罪するなどということもありはしないし、望んでもいない。

 そう。謝罪など、欲しくないのだ。

 そんなのは余計に惨めになるだけ。

「殿下がお聞きにならないのであれば、言う必要はないわ」

 そう答えたエイネシアに、アマリアは少し言葉を噤んで迷うそぶりを見せたけれど、間もなく、「仰せのままに」と首肯した。

「それで……お見舞いですが……」

 少し言い辛そうにもう一度その話題を出したアマリアに、あぁ、そうか、とエイネシアも納得する。気を使って、“参って良いかのお伺いを”と言ってくれたが、正確にはアマリアは見舞いに来ることを伝えに来た、というべきなのだ。

 もはやすでにヴィンセントの中には、エイネシアに都合を“伺う”ということさえも、存在しなくなっているらしい。

 それは多分、倒れたと聞いて心配をして見舞いに来るからなのではなく、アイラを侮辱したのかというそのことを説い詰めにいらっしゃるつもりだからだ。

 それでアマリアは、自分から話そうか、などと言ってくれたのだろう。

 けれどその必要はない。ヴィンセントが疑うのであれば、人など介さずに自分で伝えるべきだ。

 例え少しも、信じてもらえなかったとしても……。

「お見舞いでしたら、心配いりません、と。ただ何かお尋ねがあるようでしたらお話しを伺います、とお伝えしてちょうだい」

「かしこまりました。エニーを同席させますか?」

「お気遣いを有難う、アマリア。でも大丈夫よ」

 そう感謝を述べたエイネシアに、そう言われてはこれ以上口を挟むものでもないと判断したのか、アマリアはそれ以上何も言わず、一礼だけして部屋を去った。

 だからすぐにでもヴィンセントが訪ねて来るかと身構えていたけれど、しかし思いのほかその人はなかなか現れず、あるいは“お尋ね”が無いから来ないのだろうか、とも思った。

 それならそれでいいが、今度は何処からともなく何か女性の金切声のような声が聞こえてきたものだから、驚いて視線をあげた。

 三階の、廊下の向こうから聞こえる怒鳴り声。このフロアで声を張り上げる女性になんて皆目見当はつかないけれど、侍女であるはずはないから、あり得るとしたらアンナマリアだけだ。

 だから一体どうしたのかしらと心配になり、ベッドから足をおろして布の靴に足を通した。


 今日は少しゆったりと一日過ごすつもりだったので、ドレスも編み上げやリボンのないゆったりとしたものを着ていたが、それでは流石に少々部屋着感があるので上品なショールを肩に纏って、部屋を出る。

 扉を開けると益々喧騒は大きくなり、間違いないアンナマリアの声と、それからもう一人……ヴィンセントの声がして、一瞬足がすくんだ。

「何をそんなに腹を立てている」

「何?! ご自分の胸に手を当てて良くお考えになって、お兄様!」

「言いたいことがあるならはっきりと言え」

「私、ちっとも忘れておりませんわ。お兄様が学院に入学する前のパーティーの時。少し休憩にと席を外されたエイネシア様に、とても冷たい目をなさってお叱りになったこと!」

「私が昨日、アンを会場に残して先に帰ったことを怒っているのか?」

「怒っている? 怒られているとしか思っていらっしゃらないの!?」

「あまり騒ぐな。みっともない」

「みっともなくて結構ですわ。私、お兄様はもっと自分に厳しい方だと思っておりましたのに、私の見込み違いでしたのね!」

「言葉が過ぎるぞアンナマリア!」

「そうではありませんか。中座は礼に反するのでしょう? でしたらどうして昨夜は私を置いていなくなられたの? どこへ行ってらしたの!?」

「母上が私のために開いた王宮での正式な祝宴と、学院のお遊びは違うだろうッ」

「お遊びですって?! お兄様は国政であれば貧民の救助に心をお砕きになるけれど、通りすがりの飢えて死にそうな子供には目も止められないということね!」

「そんな話はしていない!」

「同じことです!」

 段々と大事になってゆく喧噪に、何がどうなっているのかとエイネシアも困惑した。

 何を揉めているのかは分かるが、けれどアンナマリアがそんなにも食い掛かるなんて尋常ではない。

「あぁ、うるさい。ようは置いて行かれたことに怒っているだけだろう。もう謝罪はした。それ以外に何だというんだ」

「私の知っているお兄様は、もっと責任感がある御方でした!」

「お前は妹だろう! 仮のパートナーの退出が別々であることなど大したことじゃない!」

「私は妹である前に王女です!」

 キッとした物言いが、一瞬ヴィンセントの口を噤ませる。

「人の目もあります。矜持もあります。お兄様ほどでなくとも、皆は私を王女として見ております! なのにアルフォンスがいなかったら、私は舞踏会でたった一度のダンスも踊れず、たった一人で惨めに逃げるように退出せねばならなかったのですよ?!」

「だから……すまなかったと言っている。アルにも感謝を伝えただろう」

「王子としての責務より大事な用とは何だったのです! 息も絶え絶えにお倒れになったというシア様を見舞うよりももっと大切な何の用があったのですか!」

「それはッ」


「殿下は、泣き去られたというアイラさんをお気遣い下さっただけよ、アン王女。どうかそのようにお責めにならないで」

 自分の名前が出てきたところで、エイネシアはパッと廊下の壁を出ると、向き合う二人の方を見やる。

 一歩出てみれば、左手の廊下の先にはエドワードが。正面の廊下の角にはアルフォンスもいて、皆この騒動に顔を出したものの立ちすくんでいたことが見て取れた。

「シア様! もうお加減は良いの?」

 すぐにはっと顔を向けたアンナマリアが、そう駆け寄ってきてエイネシアに手を差し伸べる。

「ご心配をおかけしました、アン王女。殿下も。昨夜は突然仕事を放り出すような形になってしまい、申し訳ありませんでした」

「……いや」

 どこか顔色を濁してエイネシアを見ようともしないその視線の意味は、何だろうか。

 噂の事か。アイラの事か。あるいは妹との喧嘩を聞かれたことか。

「アイラさんを気遣ったって……どういう事ですの? お兄様は、まさかあのようにお義姉様を悪く言うあの子を追って?」

「アン! 彼女を悪く言うのは止めなさい」

「なっ」

「エイネシア。君もそんな憶測で……」

「昨夜診察に来て下さったハインツリッヒ卿が、御覧になっておいででしたよ」

「ッ」

 言葉を濁そうとしたヴィンセントに、エイネシアはすかさず言葉を重ねた。

 もしも恥じることが無かったと言うのであれば、隠さないでほしい。

 そんなことをされたら、余計に疑ってしまうだけだ。

「殿下とは許嫁の間柄とはいえ、そこに個人の自由を拘束する力など何もありません。案じずとも、私がかつて殿下の交友関係をお咎めするようなことを申したことがありましたでしょうか」

「……いや」

「ただ一つ、許嫁ではなく、いち公爵家の者として申し上げるとしましたら、殿下。どうか、アイラさんのためにも、彼女の非礼であるところは非礼として、きちんとお咎め下さいませ」

「それは要するに、私に彼女と口を聞くなと。そう言っているのか?」

 ヴィンセントの返答に、エイネシアは眉尻を下げて小さく息を吐いた。

 言葉を紡げば紡ぐほどに、どんどんと思いとは逆の方向へ突き進んでしまう。その人にはもう、エイネシアの言葉は何一つ届かないのではないかと思うほどに、次から次へとすれ違う。

「この国に、男爵令嬢だからと言って、王族とお言葉を交わすことが非礼である、などという仕来りはございませんよ……」

「だがお前が言いたいのはそういうことだろう? 私と言葉を交わす令嬢は皆非礼で、気に入らないのだからな」

 あぁ、まさか、と、エイネシアは一つ目を瞬かせ、それからゆっくりと目を瞑り、吐息にすらならないかすれた息を溢した。

「そんな噂を、お信じになっておられるのですか?」

「信じるも何も、事実だろう。所詮は私はお飾り。お前が“王”になるための道具。どうせそう思っているのだろう? だからお前は、気に入らない者はすべて私の傍から引き離したいんだ!」

「っ……」

「その傲慢が、いつまでも続くとは思うなよ」

 あぁ……。あぁ。

 この人は本気で。真剣に、そんなことを言っているのだろうか……?

 私が、王になる? ヴィンセントが道具? 私の傲慢?

 誰かがそういったのだろうか。それとも彼が、そう思っているのだろうか。

 どうして?

 そんなこと、一度も思ったことなんてない。

 むしろ自分こそが、ヴィンセントが王となるための道具であり駒であると。そう割り切って、それこそが自分の存在価値なのだと思ってきたのに。

 貴方はそれが、傲慢であるというの?

 この懇親は、何もかもが無駄だったということなの?


『愚かな夢は、いつか覚めるぞ。覚めなければ、いけないぞ』


 西の森の悪い魔法使いの言葉が、脳裏にこだまする。

 愚かな夢――。

 あぁ。一体いつから私たちの夢は、こんなにも愚かに歪んでしまったのだろうか。



 驚いた顔でわなわなとふるえるアンナマリアが何か口を開こうとしたけれど、それをそっと制したエイネシアは、ただ静かに瞼を持ち上げると、未だに視線も合わないその人を見た。

 彼がエイネシアに向ける叱責は、彼が王たらんとしているからだと思い、受け入れてきた。

 そんな彼を、少しも変わらず賢明で、理性ある人だと思っていた。

 今もどこかで、そのこと信じている。

 でもそれでも今、その心が食い違っていることだけは確かに分かる。

 何を言っても、エイネシアの言葉は一つとして届きはしないだろう。

 エイネシアが口にする“諫言”も、彼にはそれが、エイネシアが自分を操ろうとしている“傲慢”にしか聞こえないのだ。


「そうですか。それが殿下の見ておられる“事実”なのですね。そんなにも……私の知っている“事実”とは、齟齬があるのですね」

 だったら、互いが互いにその事実に聞く耳を持つまで、何を話したって通じるはずはない。

 ここでエイネシアが正論を言ったところで、その食い違いはさらに酷くなるばかりだ。

「では私はもう、何も申しません。殿下は殿下のお信じになるようになされれば宜しいでしょう。ただ一つだけ申し上げさせていただくのであれば……」

 ただ一つだけ。

 どうか彼が道を誤らないように、一つだけ。

「私の事はどう思ってくださっても構いません。信じていただかなくても構いません。しかし“王太子殿下”。どうか、“アーデルハイド”の意味だけは、見失わないでください。私は貴方を利用しようとなんてしていません。アーデルハイドは、貴方のまごうことなき臣下です」

 たとえ私を信じてくれなくても。

 それでも、そのことだけは見失わないでほしい。

「どうか、ご自分が王太子であること。“貴方こそが”王太子であることを。アーデルハイドはそれを支える存在であることを、忘れないでくださいませ――」

 私が言いたいのはそれだけです、と深い一礼をしたエイネシアに、ヴィンセントはひどく忌々しそうに眉をしかめた。

 言葉が通じただろうか。

 言いたいことが、通じただろうか。

 何も言わないと言うのは、ちゃんとその言葉の意味を“思考”しているということ。

 ちゃんと。わかってくれただろうか。

「アーデルハイド家を敵に回すつもりはない」

 やがてそう一言、もたらされた言葉に、ほっと、安堵の吐息が零れた。

 よかった。彼はまだ、自分の立場とそれを支えるものが見えている。王太子としての矜持を、捨ててはいない。

 ちゃんと、王になる未来を見据えている。

「だがお前はせいぜい、そのアーデルハイドに恥じる行いをしていないか、反省をするべきだ」

 そう颯爽としたお姿で踵を返したヴィンセントは、その視線の先に立ち尽くすアルフォンスを目にし。それからまた別の廊下の先に立ち尽くすエドワードを見て。その二人から視線を逸らすと、普段は使わない小階段に足をかけて、足早に去って行った。

 そのどこか物寂しい背中が、エイネシアの胸を痛ませる。


「姉上……」

 困ったように、ゆっくりと近づいてくるエドワードとアルフォンスの眼差しに、何処までも優しいエイネシアへの気遣いが窺える。

 けれど傷む胸元をきゅっと握りしめると、気丈として、二人を見やった。

「エド、アル。何をしていらっしゃるの。早く殿下を追いなさい。貴方方は“殿下の近侍”でしょう? 主にあのようなお顔をさせるなんて、恥ずかしくないのですか?」

 そうきっぱりと厳しい声色で言ったエイネシアに、ビクンと二人は顔色を引き締めた。

「……はい。姉上」

 やがてそう瞼を下ろしたエドワードは、トン、とアルフォンスの肩を叩くと、駆け降りるようにして階段を降りてゆく。

 そうして二人がヴィンセントを追うのを見送ってから。

 その足音が完全に遠ざかるのを耳にしてから。

 それからようやく、ほっと息を吐いて、近くの壁に背を預けた。


 あぁ。なんだかもう。

 すべてに、疲れ果ててしまった――。






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