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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第二章 エデルニアの雪融け
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2-15 虚勢

「あ……姫さ……」

「あら。おはよう、アル。相変わらず早いのね」

 朝の鍛練を終えて戻って来たらしいアルフォンスと玄関ですれ違う。

 えっ、と目を瞬かせて硬直した幼馴染の隣を、颯爽と歩む。

「あ、いえ、待ってくださいッ」

「はい?」

 何かしら? と振り返って微笑んで。

「え? あ、いえ……その」

「どうなさったの? 私、何かついてるかしら?」

 くる、くるとスカートを翻してみて見せる。

「い、いえ。あの。昨日はケーキを……有難うございました」

「どういたしまして。あっ。そうだわ。私ったらアルにぶつかってしまって、お詫びもまだだったわ。大丈夫でした?」

「え、ええ。私は何とも。姫こそ……」

「ごめんなさいね。ちょっと急いでいたものだから。ふふっ。アン王女にケーキをお口に詰め込まれたというのは本当?」

「え……ええ。お手ずから。その……丸ごと……。大変おいしかったです……」

 アンナマリア王女よ……詰め込んだって、まさか本当にそういう意味での詰め込んだだったの……? 丸ごと?

「アン王女と一緒に作ったの。また焼いた時は、是非味見をしてくださいね」

 では急ぎますから、と手を振って見せて、とんっ、とんっ、と軽やかに玄関を飛び出す。

 未だに背後でアルフォンスがきょとんとしているのは分かっていたけれど、そんな必要はもうない。

 ちっともない。

 もう、傷ついて机の下に籠るのはやめだ。

 こんなのではいつまでたってもあの人の掌の上。転がされてばかり。子供扱いされてばかり。

 そんなものが無くたって、ちゃんとしないと。

 だって私は、エイネシア・フィオレ・アーデルハイドだもの、と。

 時間的にいつもよりはまだ少ない木陰の出待ちの生徒達に、「ごきげんよう」と声をかける。

 驚いたように一瞬顔を出した少女たちが、「ご、ごきげんよう」と困惑気に言葉を返す。

 背筋を伸ばして凛として。何一つ恥じることなんてない。真っ直ぐと道の真ん中を歩いて、図書館へ。

 ハインツリッヒ先生の課題は思った以上に大変で、十日で仕上げろだなんて本当に、“悪い魔法使い”さんだ。

 だから少しだって時間は無駄にできない、と、人気のない早朝の図書館で、一つ二つと本を選ぶ。

 医療関係の基本的な本と、人体に直接影響を及ぼす精霊魔法に関する分厚い論文集と。

 あぁ、こういう時にニカがいないのがとても不便だ。

 そうだ。今日は部屋に帰ったら、手紙を書こう。大図書館のニカに宛てた手紙。それでいい本が有れば紹介してもらおう。

 そうひとまずめぼしいものだけを手に取って貸し出しをした。


 始業に間に合う時間帯まで、取りあえずその内の一つを図書館で読んで、それから余裕を以て教室へ。

 昨日の事がどう噂になったのかは知らないが、なにやらザワリといつも以上にざわめくクラスメイトや、色々なところから飛んでくる視線にも、もう今更動じたりなんてしない。

 何を恥じることがあるのか。何を躊躇うことがあるのか。

 エイネシアは何一つだって悪いことなんてしていない。

 後ろ暗いこともない。


「お怪我は、もう宜しいのですか?」

 そんなエイネシアに、少し躊躇いがちに声をかけたのはシシリアだった。

 おどおどと、どこか彼女らしくも無く視線を逸らしている彼女が不安そうな理由は、本当はもうずっと前から知っている。

 見て見ぬふりをして、素知らぬふりをして。

 でも現実を見ると決めた今では、これまでが嘘のように物事がはっきりと見えた。

 シシー。シシリア・ノー・セイロン。てっきりエイネシアの味方なのだと思っていた。

 でも違う。

 日曜日。久しぶりにアンナマリアに誘われて焼いたケーキは、小分けにして寮の皆におすそ分けした。

 それはこのシシリアにも。

 その後シシリアはどこかへ出かけたらしく、門限の少し前に慌ただしく帰ってきたことを、何気ない会話の中で耳にしていた。

 彼女は一体、どこへ行っていたのだろう。

 翌日。まるで見計らったかのようにアイラが菓子を拵えてきたのは何故で。またサロンの中でもとりわけ身分の高い人たちが使うテラスで、何をどうやったらあのような光景に至る状況が生まれたのだろう。

 ヴィンセントと話すアイラと。

 その奥で、ランチをしていた“シシリア達”は。

 さて。どんな顔を、していただろう。

「ご心配有難う、シシー。うっかりと付属大学の研究林に入ってしまったようで。でも少し小枝に引っかかれた程度なのよ。エニーが大げさにするものだから」

 そう微笑んで見せて、もう包帯も巻いていない手をひらひらと、少し回して見せる。

 出血は止まっていたし、それに今朝図書館で試しがてら、試作の凝結魔法を使ってみたら、案外うまくいって傷口も目立たなくなっている。

 ちゃんと薬を使わなかったことについては……後で、ハインツリッヒに眉をしかめられるかもしれないけれど。

「あの……昨日は……その。テラスに」

「テラス? 何かありましたの?」

 何事もないかのように。ニコリと微笑んで問うてみせた様子に、思わずシシリアは口を噤んだ。

「いえ……テラスで殿下をお見かけしましたが、ご一緒ではなかったのですか、とだけ」

「ええ。アン王女とお約束がありましたもの」

 貴女も、ご覧になったでしょう? と。

 その言葉の通り。昨日は昼休みが始まるなり駆けてきたアンナマリアがエイネシアを連れ出したことは、クラスメイトの皆が知っている。

 でもそれで、アンナマリアとエイネシアがどこへ向かったのか。何を約束していたのかを知っている人はいない。“いないはず”なのだ。

 日曜日の。三階でのあのことを……誰も覗き見ていない限りは。

「そうですか……」

「ええ」

 そう答えてから。まだ言葉を躊躇うように立ちすくむシシリアに、「まだ何か?」と問うたところで、ちょうど始業の鐘が鳴り始めた。

 それにほっと息を吐き、一礼をしたシシリアがそそくさと遠く離れた席へと駆けてゆく。

 思えばこの距離も、いつの間にかとんでもなく離れていたことに気が付いた。

 本当に。自分は何も見えてなかったのだわ、と、教科書を開く。


『バースレイ先生の移動式方陣学は三十年前の理論だから役に立たない。授業中は本棚のドアから三番目。上から二段目のクリンクス博士の『移動式方陣と固定式方陣の相違と対比』を読むことをお勧めする』


 昨日見つけた走り書きの一つにあったメモを参考に持ってきた本を開き、授業の内容を頭半分。もう半分に本の内容を入れてゆく。

 あぁ、なるほど。元々この先生の話にある移動式とやらは、なんとも頼りない薄っぺらな技術だな、と思っていたが、まったくそれを裏付ける実に良い論文だ。

 とはいえ、試験で良い成績を取るのと、優秀な論文を書くことでは別問題。クリンクス博士の実に有意義な問題指摘を二つ三つ掻い摘みつつ、バースレイ先生の言う内容を全く批判するわけでもない論理的な再構築に、新たな見解と手法の提案という形で話をまとめてゆく。

 こうして論点を抑えたメモさえ取っておけば、試験期間前になって出された問題にあたふたとすることもないだろう。



 そうして午前の授業をそつなくこなし、やがてお昼の鐘がなる。

 今日はアンナマリアとも約束はしていない。昨日のお礼にと、残ったケーキを包んできており、薬室に持って行くつもりだからだ。

 なので教科書類をさっさとまとめてしまうと、バスケットを手にして教室の外を目指す。

 だが生憎と教室を出るなり、ざわざわとざわめきが広がっているのを見て、足を止めざるを得なかった。このざわめきは、王子様を取り巻くざわめきだ。視線を巡らせれば、案の定、階段の方からヴィンセントが下りてきているところで、彼はチラリとエイネシアを見るとこちらに向かってきた。

 正直今は……見たくない人――。

 けれど明らかにエイネシアに向かってくるその人に背を向けるわけにはいかず、エイネシアはニコリと微笑みを浮かべると、自らもヴィンセントの方に歩み寄り、「ごきげんよう」とご挨拶する。

「ああ……どこかに、行くところだったのか?」

「手当てをしていただいたお礼に、薬室に。遠いので、少し急がなくてはなりませんの」

 そう急かすような物言いをしたエイネシアには、ヴィンセントが僅かに顔を歪めた。

 そうだろう。エイネシアにそんな態度を取られたことは無いだろうから。

「そうか。では手短にすませるが……アンから、何か聞いていないか?」

「アン王女から? 何をです?」

「昨日、人を呼び出しておきながら来なかった。聞けば、昼にエイネシアを迎えに教室に来ていたというから」

「まぁ。ヴィンセント様とお約束が? 昨日でしたら私もアン王女とご一緒でしたけれど。あぁ、ですがうっかりと私が怪我をしてしまいましたから。申し訳ありません。私のせいで、行けなかったのかもしれませんわ」

「あぁ、そうか。いや、何かあったのでないならいい」

 いいえ、王子様。

 何か、あったのですよ。

 うっかりと“怪我をした”と。そう、主張してみたのですよ。

 けれどそれに気を取られた様子も無く、「時間を取らせたな」と踵を返してゆくその人に、「ではまた」と笑顔で礼を尽くしながら。

 なんだかようやく、滑稽な自分の立場が客観的に見えてきた。

 今までもきっと、こんな風だったのだろうなと思う。

 でもそんなことにもちっとも気が付かずに。もしかしたら、わざわざヴィンセントが自ら訪ねて来てくれたことに喜んでしまっていたかもしれない。

 でもそうではないのがよく分かる。

 ヴィンセントが確かめたかったのは何だろうか。

 昨日のアンナマリアの行方? まだエイネシアの耳には届いていない昨日の“何か”の噂に対する、エイネシアの反応?

 ご心配なさらずとも、“アーデルハイド”はそんな些細なことで揺らいだりなんてしない。

 気にしたりなんてしない。



 ヴィンセントの去った方向とは逆に足を向け、廊下を進んで階段を降りる。

 一つ降りた階段の半ばには、勝ち誇ったような顔をするピンクの髪の少女が、壁に背を預けていた。

 今度はアイラさんだ。

「ごきげんよう、アイラさん。お昼に行かれないの?」

「私。昨日は、ヴィンセント様とご一緒でしたの」

「あらそう」

 すかさず返ってきた微塵も揺るがない声色に、むっ、と、僅かにアイラの顔が歪んだ。

「王子に、手作りのお菓子を振舞いましたの!」

「まぁ。お菓子作りなされるの? 私も好きなの。あぁ、宜しければおひとついかが?」

 そう手にしていたバスケットの布をまくり、小袋に包まれているパウンドケーキを一つ手に取って差し出したなら。

「馬鹿にしてるの?!」

 パンッ、と、思い切りふり払われた。

 あぁ。勿体ない……だなんて。昨日ケーキを放り出してしまった自分が、言えることではないけれど。

「お気に召さなかったのね。ごめんなさい。でも勿体ないから……今度からは言葉でお断りしてくださいね」

 そう自らかがんでケーキを拾うと、どうしようか、と少し考えた末、布の中のケーキとは分けてバスケットに入れた。

 これで、お世話になった人に、小袋に入っていたとはいえ落とした物を差し上げるだなんて失態は犯さずに済むだろう。

「私! 昨日、ヴィンセント様にお菓子を食べていただきましたの!」

「え? えぇ。今そうお聞きしましたけれど」

 二度も言わなくても、と笑って見せるエイネシアに、カッとアイラの頬に朱がともった。

「おいしいと言っていただきましたの!」

「まぁ。宜しかったですわね。殿下は甘さが控え目で、柑橘系のさっぱりとした菓子など好みますのよ。宜しければ参考になさってね」

 では、私は急ぎますから、と。そうニコリと微笑んで階段を降りて行くエイネシアに、「はぁ?!」と、何やら我も忘れた叫び声がしていたけれど、そんなのちっとも気にしない。

 なんだかとっても、子供みたいな子。いちいち構っているのが馬鹿らしい。

 何でこんなに簡単なことが、今まではできなかったのか不思議なくらい。

 そう軽やかに、西の悪い魔法使いの住む森へと足を踏み入れる。



 仏頂面のハインツリッヒ先生は、薬の塗られていないエイネシアの手に案の定大層眉を吊り上げなさったけれど、代わりに掌にかけている精霊魔法の術式についての話題を振ったら、怒りも忘れて聞き入ってくれた。

 お土産のケーキを差し出せば、パクパクと文句も言わずに食べてくれて、何も言わずにハーブティーを振舞ってくれた(ニコルの薬草入りのにっがいやつだった)。

 机の天板を開けてみたら、前の部屋主が走り書きをたくさん残していて。西の森には“悪い魔法使い”が住んでいると書いてあったことを話すと、ハインツリッヒの顔が面白いくらいに歪んだ。

 そのことにユナンが遠慮なくカラカラと声をあげて笑ったものだから、益々その顔が歪んでしまった。

 そんな賑やかな時間をぎりぎりまで過ごして。

 いつの間にか、避けてあったはずの落としてしまったケーキまで無くなっていたから驚いた。

 誰が食べたのか知らないが、好評なら良かった。

 その時間が、また少しだけ、エイネシアを気丈とさせてくれる。

 もうきっと。何を言われたって、ちっとも傷つかなくて済む。

 教室へ戻る道すがら。


『昨日、とある令嬢が殿下に菓子を差し上げたのを見てひどく嫉妬したらしいエイネシア様が、その子の菓子を奪いとって森に投げ捨てたらしいわよ――』


 そんな噂が耳に入っても。

 ええ。ちっとも、痛みなんてなかった。

 へぇ。投げ捨てられた菓子はどうなったのかしら。

 誰かに食べていただけたのかしら、と。

 そんなことを思いながら。



 ただ黙々と授業をこなし。

 ただ黙々と、課題をこなす。






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