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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第二章 エデルニアの雪融け
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2-12 パウンドケーキ

 学校がお休みの日曜日。

 出来るだけシンプルなドレスに、長い髪を首後ろで結って、二階の給仕用の小さな扉を叩いた。

 ここから先は使用人の領域。普通ならば屋敷の主人たちが立ち入ることのない場所だが、今日ばかりは先んじてエニーを通して、シェフに立ち入りの許可を貰っていた。

 最初はシェフも随分驚いた顔をしていたけれど、アンナマリアが「シア様のお菓子はアルが人目も忘れて齧りつくほどに人気なのですよ」というと、シェフも笑って許可を出してくれた。


 この星雲寮には食堂が二つあるのと同じくキッチンも二つあって、一階に主な作業場となる広々としたものが。二階には、それより少し小さめの、三階用のキッチンがある。

 二階のキッチンは主に下から運んできた料理を温め直したり、熱いまま出す料理を作ったりするために用いられている、いわばサブキッチンであるため、朝食が済んだばかりの時間でも一階と違って後片付けや昼食の準備、夕飯の仕込みなどをする一階の作業の邪魔にならずに使うことができる。

 エイネシアがキッチンに顔を出すと、すでに調理補佐と給仕の仕事についているメリッサとオルガという二人の使用人が色々と準備をしてくれていて、「お待ちしておりました」と出迎えてくれた。

 間も無くアンナマリアもやって来て、二人そろって侍女のエプロンをお借りして、広い作業台の前に立つ。

 揃えてもらった材料はとても単純で、小麦粉と卵とバターに砂糖だけ。これに紅茶の葉や旬の果物、いくつかのリキュール、クルミやアーモンドのようなものが少しずつ集められていた。

「材料って、これだけでいいの?」

 そう首を傾げたアンナマリアに、「パウンドケーキならこれで十分ですよ」と、まずは紅茶の缶を手に取った。

 どれも流石は星雲寮という一流の銘柄で、正直ケーキに入れてしまうには勿体ないものばかりだったのだが、アンナマリアと少しずつ茶葉を摘まみながら、とても香りが良くて上品なものを選ばせていただいた。

 果物には折よくオレンジが有ったので、例の紅茶とオレンジのパウンドケーキはどうやら再現できそうだ。

「お兄様がお好きなのはどんなの?」

 そう問うアンナマリアには、少し頬を染めながら。

「レモンや……柑橘系がお好きです」

 そう答えたところで、「流石、よくご存じだわ」とからかわれた。

 だからあまり言いたくなかったのだけれど。

「シア様は?」

「うーん……紅茶とか。クルミや生の果物が沢山入っているのも」

「じゃあエドワードは?」

「あの子はああ見えてとっても甘いのが好きなんですよ。木の実のケーキや蜂蜜がたっぷりなのも好きで……あ、今日は折角イチゴが沢山あるから、ジャムにして、生のイチゴと一緒にたっぷりと入れたものにクリームを添えて。あ、シュトレンみたいに粉砂糖で包んでも……」

「シア様、シア様。なんで弟好みのケーキが一番凝ってるのかしら?」

 そう突っ込まれて、ハッとしてしまった。

 いかん。そうだった。

「ア、アン王女は何がお好きですか?」

「私は……以前食べた輪切りのオレンジがどっさりのったのとか。あと、梨ジャムがひったひたに塗られたやつ美味しかったわ。でもココアがたっぷり入った香ばしいショコラ風味も捨てがたくって」

 そう女の子の顔をしてふわふわと言うアンナマリアに、目の前でメリッサ達までうっとりとした顔をした。

 やっぱり甘いものは人を幸せにする効果が絶大だ。

「では小さ目で、四本……いえ、思い切って五本焼きましょうか。紅茶とオレンジを二本。イチゴを二本と、ココアを一本。ココアにはオレンジのしぼり汁をいれてショコラオランジュ風にして」

「素敵だわ! では先生。まずは何をしたらよいですか?」

 そう声を弾ませるアンナマリアに、「では小麦粉を五百、ふるって下さいませ」とお願いする。

 その間に使用人達にはオーブンと、型の準備をお願いした。

 エイネシアはまず紅茶とオレンジ用に、オレンジの皮を削ぎ落して砂糖とブランデーとで煮詰めて下準備をする。その隣でイチゴと甘酸っぱいラズベリーも一緒に砂糖で煮て、粗めのジャムも作っておいた。

 それから精霊魔法で熱を取りつつ、ボールにそれぞれ柔らかく戻されたバターをペースト状にして、三つには砂糖をドバドバと入れ、白っぽくなるまで丹念に混ぜる。これに卵黄と、軽く凍らせた卵白をメレンゲ状に泡立てたものを加える。

 しっかりふんわり混ぜることで、ベーキングパウダーがなくても充分に膨らんだ良いケーキになってくれる。

 手の空いたアンナマリアには、残り二つの方の溶かしたバターに、たっぷりの蜂蜜を入れ、同じく卵と混ぜる作業をお願いした。イチゴの方は蜂蜜の風味との相性が抜群だから、こちらは蜂蜜仕様にすることにしたのだ。大ぶりに刻んだイチゴをこれに混ぜ合わせてしっかりと蜂蜜と絡め、さらに作りたてのジャムを投入することで甘味も立ち、ジャムに混ぜたラズベリーの風味が、薄くなりがちなイチゴケーキの味わいをぐっと濃くしてくれる。

 三つの方も、更に一対二にわけると、一の方には粗く刻んだオレンジとしぼり汁に、ココアの粉を混ぜた小麦粉を混ぜてさっくりと混ぜ、二の方には粗く潰した紅茶の葉と、しっかり冷めた甘く煮たオレンジの皮。それに小麦粉をさっくりと混ぜ合わせた。

 混ぜ合わせる時は手早く簡単に。でも生地が少しつやっとするくらいに混ぜて、硬さの調節がてらに、イチゴの方にはラムを少々。オレンジとココアの方にはブランデーを少々混ぜ合わせる。

 これを油を塗った型に流し込んで、トントンと軽く落として空気を抜いたらオーブンへ。

 たったこれだけの作業で出来てしまうから、後はオーブンに手慣れているメリッサに火加減の調節をお任せしたら、もはや待つだけ。

「こんなに簡単なの?」

 だからあっという間に手の空いたアンナマリアは、そうキョトンとしてオーブンを見やった。

「ええ。とても簡単でしょう?」

「驚いた。ケーキって、もっと大変なものだとばかり」

「ケーキにもよりますけど、何なら寝かしたり型を調えたりしないといけないクッキーなんかよりもよほど手軽で簡単ですよ。アレンジも簡単ですし」

「これなら私にもできそうだわ」

 そううきうきとオーブンを見るアンナマリアには、ハハ、と苦笑いしてしまった。

 エイネシアが言えることではないのだが、王女様が台所というのは……どうなのだろうか。なんだかいけないことを教えてしまった気がする。

 あとは軽く後片付けを手伝って、途中表面に火の通ったケーキの真ん中に割れ目となる切れ込みを入れる作業をしたら、ただ待つだけ。良い香りをかぎながら、のんびりとお茶をした。

 ケーキに選んだ紅茶を試飲がてらに淹れてもらって、余った煮詰めたオレンジの皮を溶かしてみたら、とっても良いお味だった。


「パウンドケーキの日持ちはどのくらい?」

「木の実やドライフルーツだと長く日持ちしますけど、今回は生の果物も使っていますから、早めが宜しいですね。一日、二日寝かせた方が美味しくなるとも言いますが、私は出来立ても好きです」

「良い香りがしているもの。できたらすぐに食べたくなってしまうわ」

 そう言うアンナマリアの感想には、エイネシアもよくその気持ちが分かった。

「随分と沢山焼いたけれど。どうします?」

「一種類ずつ、三本はお茶用に。残りの紅茶とイチゴはそれぞれ私達の試食用として。それから小分けに包んで、皆に配るのはどうですか?」

「そうね、良いわね。手伝ってくれたメリッサとオルガにも」

「まぁ。宜しいのですか!」

「私たちがいただいても!?」

 そう目を輝かせる二人には、勿論、とエイネシアも微笑んだ。

「お台所を借りたお礼に、シェフにも差し上げましょう」

「じゃあ日頃お世話になっているエニーやアニタにも。イザベルにもあげていいかしら?」

「勿論。あぁ、でしたらこの間のパーティーのお礼に、ビアンナたちにも差し上げたいですわ」

「まだ余るようなら、寮母のスミス夫人や、他の寮生やメイドさんたちに配る?」

「アン王女がそれで宜しければ、そう致しましょう」

 でもそのためには、まずちゃんと焼けるかですけれど、といった側で、メリッサがさっさっと慣れた様子で中の鉄板をひっくりかえし、焼き加減を調節する。

 本当に手慣れていて、良い香りは益々良い香りになり、ついふらふらと匂いにつられたエニーが、「良い香りですね」と内階段から上がっていた。

 そこにエイネシアたちがいるのを見ると、「調子はどうですか?」と声をかけながら、新しい紅茶を入れてくれた。

 そうして二十分ほど時間を経たところで、「そろそろ如何でしょうか?」と、メリッサがテーブルに鉄板を取り出してゆく。

 ふんわりと良い感じに膨らんだ生地と、ホクホクと焼き立ての良い香り。

 竹串なんてものは存在しないので、代わりに串焼き用の串を突き刺していって、生地が完全に焼けているのを確認してゆく。

 本当ならすぐに型から出してラップで包んで余熱取りをしたいところだが、勿論ラップなんてものはないので、乾燥しないよう洋酒のシロップをたっぷり塗って、油紙で包んだ。

 あとは熱が取れたら箱に入れて、箱の中にエイネシアが手ずから精霊魔法をかけ、春の日中よりは少し低めの温度の、お手軽版冷蔵庫を作る。

 試食用の二本は粗熱が取れると、アンナマリアとエイネシア。それに折角だからと、集まったメリッサとオルガとエニーの三人にもそれぞれ切り分けて食べてみた。

 洋酒を利かせたから少し大人向きの味に仕上がっていたけれど、それが()()な使用人たちにはちょうど良かったようで、「おーいしーっ」と思わずほっぺたを抑える様子が、見ていて幸せだった。

「お嬢様、お嬢様ッ。これは一体何という菓子ですか? 初めて食べました」

「ふわふわのしっとり。蒸しパンとも違いますし、とっても甘くておいしいです」

「これ、お料理にも応用できそうですわ」

 すりおろした人参や、ベーコンとほうれん草とか、と盛り上がる彼女達に、ついアンナマリアと二人でクスクスと笑ってしまった。

 こういうのを、転生チートというのだろうか。

「作り方は覚えましたわ。これからは私もお茶菓子にお作りしますわね」

 そう気合を入れるメリッサには、「では今度は是非クッキーの焼き方も教えますわね」と約束した。

 お茶菓子といえばやはりクッキーだ。この国ではビスケットやスコーンのようなものが主流で、それも悪くないのだけれど、やはりたまにはあのバタークッキーが恋しくなる。

 そうしてしばし歓談に花を咲かせてから、ではそろそろお台所を返しましょうか、と、アンナマリアと二人、三階へと戻った。


 ◇◇◇



 二人ともすっかりと甘い匂いになってしまっていたので、ひとまず着替えですわね、と、一度部屋に戻る。

 それから日頃の服として恥ずかしくない程度のドレスに着替えたところで、もう一度アンナマリアが部屋を訪ねてきた。

 いわく、折角焼いたお菓子を振舞うお茶会を、明日のお昼にでも致しませんか、と。

「早速お兄様を誘いに行きましょうよ」

 そうエイネシアを促すアンナマリアには、ドキリとして足がすくんだ。

 過去に一度だって、自分からお茶会に誘ったことなんてない。

 いや、会話の流れで、『ではアルのお誕生日にはケーキを焼いて来ます』みたいな話になったことはあったけれど、間違っても自分から『一緒にお茶をしませんか』なんて言ったことは無い。

 そんなの恥ずかしいし、『何故?』とか言われたら地の底まで落ち込む。そしてその可能性がものすごく高い……、と、そう落ち込むエイネシアには、「どうしてお兄様に関してだけはそんなにネガティブなの?」とアンナマリアに首を傾げられた。

 だがいかんせん、それが現実なのだ。

「良いわ。私が誘いますから。それなら断られてもちっとも痛くないでしょう?」

 その時はざまーみろですわ。二人でお茶にしましょう、と笑うアンナマリアには、本当に救われてばかりだ。

 これではどちらが年上かわからない。

 でも今回ばかりはお願いすることにして、「でも一緒に行きますわよ!」と強引にエイネシアを連れ出したアンナマリアにひきずられ、南棟の廊下を行く。

 アンナマリアの部屋である白薔薇の扉を通り過ぎ、隣の剣の扉を通り過ぎる。

 その先、右手に曲がる行きどまりの廊下にある扉が、紅薔薇の部屋。

 エイネシアも始めて目の前まで来た扉に、ドキリドキリと心臓が脈を打つ。

 だがいざ扉を叩いたところで、「やっぱりやめておきますっ」と慌てて逃げ出して壁の向こうに隠れたものだから、「え、あっ、シア様!?」と手を宙に浮かせたアンナマリアが目を瞬かせる。

 ましてやその声が聞こえたのか、「何だ?」と扉が開いてしまったから、エイネシアは慌てて壁の向こうに引っ込んだ。

 その俊敏な動きに思わずふふっ、と笑ったアンナマリアは、出てきてしまった兄に仕方なく一人で対応することにする。

「なんだ、アン」

「ふふっ。ごめんなさい、お兄様。今ちょっと面白いことがあって。あぁ、でも扉はお閉めにならないでね。お兄様を訪ねてきたの」

「何を言っている?」

 首を傾げるヴィンセントに、「まぁそんなことはどうでも良いのよ」と強引に続ける。

「それよりも、明日のお昼をご一緒致しましょう、と、お誘いに来ましたの」

「お前が? 私に?」

 そう首を傾げるヴィンセントに、「ええ。私が。お兄様に」と繰り返す。

 それを再度確認せねばならないくらいに珍しい出来事なのは確かで、繰り返してなお、「一体どういう風の吹き回しだ」と、ヴィンセントは訝しげな顔をした。

「失礼ね。裏なんてありませんわ。ただとうっても素敵なものが有るので、皆でお茶をしましょうよ、というだけのお話しですわ。勿論、エドやアルにもお声掛けして頂戴ね」

「あぁ……そういうことか」

 何が納得のきっかけになったのかわからないが、取りあえず納得してくれたらしいことを見て取ったアンナマリアは、一つほっと安堵する。

 ほら、平気だったじゃない、と。

「では明日のお昼。サロンで。必ずいらして下さいね」

 そう言ってぱぱっと踵を返してゆくアンナマリアにヴィンセントは今一度首を傾げたようだったけれど、すぐにも壁の向こうへ曲がったアンナマリアは見えなくなった。


 そのアンナマリアはぴったりと壁に背中を張り付けているエイネシアを見ると、またもふふっと笑って、氷の令嬢やら何やらと呼ばれているはずのその人を見やった。

 少し恥ずかしそうに俯く様子は、なんてことない、十七歳の女の子で、なんだか少しくすぐったい。

「明日、時間の頃にエニーにお茶とケーキを持ってきていただきましょう。そうですわ。紅茶の銘柄は何に致します? 折角ですから、軽食も作りましょうか」

 そうエイネシアの手を取って促すアンナマリアに、エイネシアもつい顔をほころばせて眉尻を下げた。

 なんだか。

「なんだかアン王女って……」

「ん?」

「とっても強引なのにとっても頼もしくって――男前かも」

 その感想には、一度キョトンッとアンナマリアも目を瞬かせたけれど、間もなく「なぁに、それ」と笑って、頼もし気にエイネシアの手を引いた。


 多分お互いにお互いを、ようやく出来た本当に本音で話せる友人のように思っていて。

 何もかもうまくいってばかりだから、もう少しだって何も起こらない気がしてしまっていた。


 何も苦しいことも怖いことも起らなくて。

 これからもこうやって五人で楽しく過ごす日々が続いて。

 そしていつか……アンナマリアを本当に、義妹と呼べる日が来るのではないのかと。

 そんな淡い期待が胸を疼かせて。



 その夜はなんだかそわそわと、遠足前の子供の用に寝付けなかった。






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