2-11 週末晩餐会
初めての、五人での晩餐会がやって来た。
今まではヴィンセントと二人、事務連絡のような会話だけをして、頑なに突っ立っているアルフォンスに申し訳ない思いをしながら黙々とこなされていた“義務”だったが、それは一転して、賑やかな席へと変わった。
簡易なドレスに着替え、食堂に向かう途中でエドワードと一緒になり、共に食堂に入る。
一番上座はヴィンセントの席。その斜め前がエイネシアの席で、向かいは今日からアンナマリアの席。エイネシアの隣が、エドワードの席だ。
だから二人で並んで席に着いたところで、すぐにアンナマリアがやって来て席についた。
間も無くヴィンセントがやって来たところで席を立ち、一礼してから、許可を頂き再び席に着く。
そしてすぐに前菜が運ばれてくる……のだが。
「まぁ。アルは?」
そのアンナマリアの一言に、給仕の侍女と一緒になって配膳室から出てきたアルフォンスが、ぎょっ、と足を止めて立ちすくんだ。
そちらに皆の視線が向いて。
「何をしていらっしゃるの?」
実に純粋なアンナマリアの問いに、「いや、あの」とアルフォンスも言葉にたじろぐ。
本当に。是非もっと言ってあげて欲しい。ただ突っ立って護衛に徹するならまだしも、いつの頃からか、なぜか“給仕”の真似事まで始めたアルフォンス。そんな彼にぜひとも、「え、侯爵令息だよね?! 騎士様なんだよね?!」と突っ込んでほしい。
エイネシアはすでにもうあきらめた。
「ふっ、ふふっ。ふっ……アルッ……貴方。ふはっ」
アンナマリアだけでなく、隣でエドワードが笑いをこらえて粗放を向いている。
いや……その反応もどうなのかと思うのだが。
「驚いた。貴方ったら、なんだかどんどんと騎士様から離れて来ていらっしゃるわよ? お兄様。どうしてアルにこんなことをさせていらっしゃるの?」
そう妹に言われては、流石にヴィンセントもうっと言葉に詰まって困惑気な顔をした。
「いや……席に着くようにとは言ったのだが」
「アルは私と殿下二人の席に同席することは絶対にできないのだそうなの。でもだからと言って……侯爵閣下のご令息に給仕されるこちらの心境というのも……」
ふぅ、とため息付いて見せるエイネシアに、「いや、それは、あのっ」とアルフォンスがますます困った顔をする。
「貴方って本当に頑固ね。もうお兄様とお義姉様のお二人ではないのだから、お座りなさいよ。あぁ、壁際に立ってるなんていうのもやめて頂戴ね。居心地が悪くて食事が進まないわ」
「アン王女……」
「諦めた方が良いですよ、アル。アン王女はこうなったら頑固だから。君が席に着くまで食事を始めないつもりだ」
そうようやく笑いを潜めて口にしたエドワードに、アルフォンスは一つ重々しいため息をついた。
「殿下……」
そう助けを求めるかのように、一縷の望みをかけて見やったのは、呑気に食前酒に手を付けていた王子様だったが、当の主君にまで「だそうだ。座れ」と言われてはもはや言葉も無く、最後にチラリとエイネシアを見やった視線にも、当然エイネシアはニコリと微笑んで頷いて見せた。
その様子に、仕方なく手にしていたデキャンタを傍らのテーブルに置くと、長いテーブルの一番下座の隅にまで行って、「それでは恐れながら、末席につかせていただきます」と、恭しい礼をしてから席についた。
その距離には思わず『遠ッ!』と三人そろって声を挙げそうになったが、それを何とかこらえつつ、「良かった」なんて言葉で笑ってみせた。
そうしてしょっぱなから賑やかに始まった晩餐は、これまでと違った楽しげなものになった。
相変わらずマナーは多くて大変なのだが、一年もやっていればエイネシアも慣れたもので、元々王子の側で近侍として同じ食卓に着くことの多かったエドワードなども、さも軽々とこなして見せた。
また、これまではヴィンセントのペースに合わせて必死にあくせく口を動かして懸命におかずを飲み込んでいたエイネシアだが、目の前のアンナマリアが少しも兄を気にせず実にゆっくりと食事をするものだから、ようやく落ち着いて食事をすることができた。
食事の間も、取分けアンナマリアが、「この寮のシェフはとっても腕がよいわね」とか、「一つちっとも意味の分からない授業があるの」とか話題を振ってくれて、とても賑やかに進んだ。
そんな食事を終えた後、アンナマリアと二人搭屋のサロンでお茶をいただいていた際に、そういったこと諸々への感謝を述べたなら、アンナマリアは少しほっとした顔で、「実は私も緊張していたの」というから驚いた。
「緊張? 何にですか?」
「昔からこのメンバーでお茶をすることはあっても、晩餐会なんて初めてだったし。それにお兄様と食事中に会話するのなんて、初めてではないかしら」
「え……」
いや。それはそれでどうなのだ、と驚いたのだけれど、しかし言われてみればそうなのかもしれない。
王家の食卓ともなると、王が同席することは少なく、おそらくは母フレデリカとヴィンセントとアンナマリアの三人が食卓に着くのだろう。
あの側妃様が食事中に楽しい話題を振るようには思えないし、日頃から私語の少ないヴィンセントも義務のように無言でもくもくとナイフとフォークを動かすことはエイネシアもよく存じている。そんな中で、少女が一人どんな食事をしていたのかなんて……想像に難くない。
「シア様やエドがいて下さったから、気楽に話ができたのね。それからアルも」
そうクスクスと笑ったアンナマリアには、エイネシアも肩をすくめた。
アルフォンスときたら、一応席に着いたものの、食事中ほとんどしゃべらなかった。それはもう、給仕に徹してくれていた頃の方がよくしゃべってくれていたほどに。
皆が運ばれてきたものに一口ずつ手を付けるのを律儀に待ってから最後に手を付け始めたかと思うと、『アルはどう思う?』だなんて会話がてらに振り返った時には、もうカラッとお皿が綺麗に空いていて、『え、ちょ、いつの間に食べたの?!』と思わず突っ込まなかった自分は、本当によく耐えたと思う。
それはエイネシアだけでなくアンナマリアも同じ感想を抱いていたようで、「きっと噛まずに丸のみにしているのね」「どういう構造をしているのかしら」などと盛り上がってしまった。
「昔はね、もう少し可愛げがあったと思うの。ほら。シア様が作っていらしたパウンドケーキを丸かじりにしたことがあったでしょう?」
昔を思い出しながら肩を揺らして笑うアンナマリアに、「ありましたね」とエイネシアも思わず思い出し笑いする。
あれはいつだったか。イリア離宮での出来事だったと思う。
まだ何の憂えも知らず、当たり前のように笑いあえていた、愛おしい日々。あの大人の目がない湖畔の離宮で、密かなお茶会を楽しむのが楽しみだった、幼い頃。
エイネシアの手作りパウンドケーキは少年少女たちのささやかな流行になっていて、いつものようにそれが振舞われた際、紅茶の葉と甘く煮詰めたオレンジの皮を刻んで入れたものがどうやら大層気に入ったらしいアルフォンスが、珍しく目を輝かせて、『とても美味しいです』とはっきりと好き嫌いを口にしたことがあった。
そのあまりの珍しさに皆驚いてしまって、『では残りはすべて食べていいぞ』と、ヴィンセントが丸ごと残りをアルフォンスのお皿に移したのだ。
当然皆は、まだかなり残っていたそのケーキに、『いやいや王子様』と突っ込みたいのをぐっとこらえたのだが、あろうことかきょとんとしたアルフォンスは、『よろしいのですか?』などと言って嬉々としてケーキを持ち上げて、ぱくぱくぱくとなんとも幸せそうな顔でペロリとそれを平らげてくれたのだ。
あの時は本当に驚いた。
それを見たヴィンセントが思わず爆笑したのも、忘れられない思い出だ。
あんな顔を見たのは、あれが最初で最後かもしれない。
でもその気持ちも分かるほどに、あれは面白かった。
「懐かしいわ。あの頃は……とても、楽しかったですから」
「もうケーキは焼いておられないの?」
「ええ、そういえばもう随分と。学院に入る前は、時折エドに請われて作っていましたけれど」
「お菓子作り、お上手だったわよね。今更だけれど、あの味で貴女が転移者である可能性にちっとも気が付かなかったことを、今では不思議に思っているわ」
そう言われてみればその通りで、ショートケーキやチーズケーキ、あるいはパウンドケーキさえも、この国には無かったものだ。
この国でケーキといえばパイやタルト、あとはクレープ生地のようなものにフルーツやクリームを盛ったもので、“スポンジ”という概念もなかった。
なんといってもベーキングパウダーがそもそも存在していない。エイネシアも流石にこれを発明できるほどの能力はないので、最初は小麦粉とメレンゲだけで頑張ってみたり、重曹を使ってみたりと悪戦苦闘したものだ。
今なおいわゆる美味しいスポンジケーキを作るには至っていないけれど、パウンドケーキやフィナンシェくらいならすっかり手慣れた。
「宜しければまた焼いてください。もうずっと洋菓子不足なの」
そう言うアンナマリアには、それは確かに、とエイネシアも頷いた。
前世では、ちょっとコンビニに行けば売っていたようなものが、ここではその一つを手に入れるのがとても大変だ。メレンゲ一つだって、ハンドミキサーがないものだから、シェフの剛腕が無ければ絶対に挫折していた。
「むしろ、私にも焼き方を教えてください。私、料理はしたことがあったけれど、お菓子作りってそういえばチョコレートくらいしかしたことが無くて」
それは多分、前世での話だろう。勿論、と頷いたエイネシアは、「そういえば私はチョコレート不足です」だなんて、この国には存在していない食材にため息をついた。
ココアは南方の大貿易港を備えるラングフォード公爵領から、結構な貴重品として輸入されたものが流れてくるのだが、すでに粉末状になったものでしか仕入れられておらず、いわゆる“カカオ豆”の状態では輸入されない。おそらく原産国が種が流れるのを厭うて、加工品だけを提供しているのだろう。
そもそもカカオ豆自体が手に入ったところで、それをどうやって加工し、調整して、いわゆるあの固形チョコレートの状態にすればいいのかも分からない。
昔はあんなに手軽に手に入っていたものが手に入らないのは悔しいものである。
それからしばらくは、この世界の何が不便かとか、食べたいもの談義で盛り上がった。
アンナマリアが王女様の姿で、「納豆が恋しい」だなんて言った時には、「流石にそれはキャラ的に駄目ですよ」と慌ててしまった。
でも「お米が恋しい」なら同感だ。
そんな話に花を咲かせたのも何かのご縁と。
「そうよ。思い立ったら吉日というものね。早速近日中にでも、お菓子作りしましょうよ。それでまた、お茶会を致しましょう」
そう提案したアンナマリアの言葉がきっかけになり、エイネシアは久しぶりのお菓子作りをすることになったのである。