2-9 最大の味方
「ごきげんよう、お義姉様」
ふわりと綻ぶような愛らしい微笑み。
翌朝、廊下を出たところで遭遇したアンナマリアの晴れ晴れとした顔に、ポッとわずかに頬を赤くしたエイネシアは、「ごきげんよう、アン王女」と、頼りない声を溢した。
昨夜思わず泣いてしまったのが恥ずかしくて今にも走り去りたい思いだったのだけれど、当たり前ながらアンナマリアはエイネシアの傍らに並ぶと一緒に歩き出した。
これは間違いなく、一緒に学校に登校するパターンだ。
そんなエイネシアの気まずさが分かっているのか、ふふっ、と肩を揺らして笑ったアンナアマリアは、「忘れてなんてあげませんわよ」と茶化した。
それがますますエイネシアの耳を赤くするのだけれど、逆に居心地を良くもしてくれた。
「私、お兄様とのこと、応援することに致しましたの」
「アン王女ッ?」
なんてことを言うんです、と、慌てて辺りをキョロキョロと見渡す。
こんな寮の中で。誰かに聞かれたらどうするんだ、と。
でもそうしたらとても呆れた顔で、「何を言ってるんです、今更。エドにもアルにもバレバレですわよ」と言われてしまった。
うん、まぁ……うん。
「アン王女……本当はこういう性格でしたのね」
「あら、お嫌い?」
そう言われて、思わず声を溢して笑うと、「いええ、ちっとも」と答えた。
むしろとても心強い味方を得た気分で、嬉しい。
「私も……本当はとっても嬉しいの。ずっと一人で転移者の悩みを抱えていて、不安だったから。でもその想いを共有できて、本音で話せて。つかえていたものが、すっとしたようで、とても良い心地がしているの」
あぁ、そうだ。アンナマリアは、あの王宮という右も左も囲まれたような場所で、しかもたった一人で、混乱と困惑の日々を過ごしていたのだ。
それはどれ程に恐ろしいことだっただろうか。
エイネシアにはまだ、厳しいけれど優しい両親と、弟もいた。ジェシカやネリー。頼れる者達がいた。
けれどアンナマリアはあの場所で、正式な夫婦ではない関係の難しい父と母と、それを取り巻く沢山の思惑の中で。そして兄と普通の兄妹の関係でさえいられない中で、一人、逃げ惑ってひっそりとするしかなかったのだ。
それはどんなにか不安なことだろうか。
ましてや近くには悪役大公や悪役令嬢まで現れるのだから尚更に。
「でも話してよかった。すっきりとしましたわ」
「有難うございます、アン王女。私も、貴女にとても救われました」
「ではお互い様ですわね」
そう立ち止ったアンナマリアが、ニコリとエイネシアを見やって。
「では私達、今からお友達になりましょう? エイネシア姫」
そう差しのべられた手に、はた、と顔を向ける。
星雲寮の主階段の一番上。
その場所でこうしてアンナマリアのその言葉を聞き、差しのべられた手を取るのは、アイラ・キャロラインの役目だったはず。
「アン王女。これ……」
「ふふっ。ゲームの真似」
そう笑うアンナマリアに、同じく口元をほころばせたエイネシアは、なんだか少し恥ずかしがりながら、その手を握り返した。
「光栄ですわ、アン王女」
そうゲームの台詞を吐くと、どちらからともなく、ふふっ、と肩を揺らして笑ってしまった。
「朝から賑やかですね。アン王女。姉上」
そんな二人に首を傾げながら声をかけたのはエドワードで、あっ、と慌てて手を解くと、エイネシアは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「おはよう、エド。恥ずかしいわ。見ていらしたの?」
「申し訳ありません、姉上。なんとも仲睦まじく、お邪魔できなかったものですから」
そう言うエドワードに、もう、と肩をすくめながら、行きましょう、とアンナマリアを促し、三人そろって階段を降りた。
「エド、殿下とご一緒でなくて良いの?」
「ええ。図書館によろうかと。先に行くとアルに伝えてあります」
なるほど。初日に行かなかったかと思いきや、早速二日目の早朝から行くわけか。相変わらず。
本の虫とは彼のような人のことを言うのだ。
「勉強熱心なのも良いけれど。折角また同じ屋根の下で過ごせるのですもの。たまにはお茶やランチに付き合ってちょうだいね、エド」
そう微笑むエイネシアに、おや、とエドワードが目を瞬かせたものだから、「何かしら?」とエイネシアは首を傾けた。
そんな変なことを言っただろうか、と。
けれどすぐにエドワードはその顔をくしゃりと柔らかく緩めるものだから、そのどこか懐かしい小さな頃見たような顔に驚いた。
「エド?」
「すみません。少し、嬉しくて」
「嬉しい?」
「姉上が久しぶりに、笑っていらっしゃるものですから」
はて? と首を傾けた。
笑う? それならいつも笑っている。
しかしエドワードはそれ以上何かを言うことは無く、「アン王女のお陰ですかね」とか言っている。
「感謝して下さってもよろしくてよ、エドワード」
さらにアンナマリアまでそう肩を揺らして笑うものだから、益々よく分からなかった。
というか、いつの間にか二人が結構親しい雰囲気になっていることに驚いた。
エイネシアが王宮を離れている間に一体何があったのやら。
そうやって何気ない話をしながらのんびりと歩いた登校の道は、これまでで初めて感じる、楽しい道のりだった。
あの建物は何かしら? と問うアンナマリアに色々と教えながら、時折口を挟むエドワードに、「どうして知っているの?」なんて目を瞬かせたりして。
思えばエイネシアには昔妹もいたのであって、なんだかアンナマリアのその様子は懐かしくさえあり、愛おしくさえもあった。
ではまたね、と別の教室へ行くことはとても惜しいほどで、しかし自然と教室へ行く足取りも軽くなる。
表情も少し柔らかくなっていたのだろうか。
いつもなら遠巻きにしているクラスメイト達が、「ごきげんよう」とちょっと緊張気味に声をかけてきたから、「ごきげんよう、皆様」と快く返事を返した。
まさか、絶望の始まりと思っていたその日が。
こんなにも明るい始まりの日になるなんて思っていなくて。
そしてそのことに少しだけ――油断、していたのだと思う。