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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第二章 エデルニアの雪融け
33/192

2-7 始まりの日(2)

 扉を出たぐらいではまだ喧噪の類は聞こえなかったけれど、その先の門をくぐる頃には、どことなくいつもよりも並木道がざわめいているのが分かった。

 その原因は歩き出して程なく分かった。

 というのも、一応隠れ潜んでいるらしい女子生徒たちが、エドワードの姿を見た瞬間に、きゃーっ、と小声で悲鳴をあげながら身を乗り出したからだ。

 これは多分表であった問題とやらの見物客ではなく、星雲寮の外にしょっちゅう出没する、麗しい王子様やら高貴な殿方を拝見しようと群がるただの“出待ち”である。星雲寮前の並木では、むしろデフォルトな光景だ。

 だが流石にエドワードもそのことは知らなかったようで、「随分と見物の生徒が集まっているようですね」と眉をしかめるものだから、思わず笑いそうになるのをこらえるのに必死になった。

 うんうん。そうだね。でもその見物客は、騒ぎじゃなくて貴方を愛でに来ていらっしゃるのだ。


 間もなく、並木道の途中の小さな噴水を中心に四辻になった広間のような場所で、件の現場に遭遇した。

 人だかりは随分と出来ていたけれど、渦中の王子様の許嫁と公爵家の世継が揃って現れると、皆一斉に道を開けて礼をしながら、そわそわとした視線を二人に寄越した。

 その間を通り抜けて、まず目に入ったのは、あの遠目でも目立つようなピンクの髪だった。

 下品な色ではない。むしろ少しくすんだピンクベージュのような淡い色合いはとても清楚にさえ見えるのだが、なぜかそれがテカテカと目に入ってしまうのは、いつも彼女が髪を振り乱して大げさに動いているからだろうか。

 この時もやはり大げさなくらいにスカートの裾や髪を揺らしながら、「まさか王子殿下でいらっしゃったなんて。私、あの時はなんてご無礼をしてしまったの」だなんて驚嘆の声をあげていらっしゃった。

 うむ……どうしようか。いきなり突っ込みたい単語が出てきた。

 まさかもなにも、前回禁苑で遭遇した時に散々殿下とかお兄様とか呼ばれていたはずだが……まさかその単語の意味も理解できていないくらいおバカなことを自己申告なさっているのだろうか。

 現に、黙って話を聞いている律儀なヴィンセントの傍らで、アルフォンスが能面みたいな顔になっていた。あれは相当堪えている顔だ。

 そのアルフォンスが真っ先にエイネシアとエドワードに気が付いて、スッと流れるように礼を取る。

 じっとしていたアルフォンスが動いたせいだろう。ヴィンセントもすぐに気が付いて振り返り、やって来た二人を見やった。

 その刹那、アイラの手がヴィンセントの制服のジャケットを掴んでとんでもなく密接していることに気が付き、咄嗟にぎぅっと拳を握ってしまった。だがすぐにもエドワードの手がエイネシアの肩を宥めるように制したものだから、目を瞬かせて傍らを見た。

 ニコリともしない厳しい横顔は父にそっくりで、ましてや冷徹とさえ言われたゲームでの面差しそのもののようでもあった。だがそのエドワードがエイネシアに触れる手はとても優しく、思わず握りしめていた拳が緩む。


「殿下。このような往来で何事ですか?」

 至極冷静な声色で、さりげなくエイネシアを背後に庇うように立ちながら口にしたエドワードに、「いいところに来た」と、ほっとしたような声色が投げかけられた。

 はて……騒ぎのことを聞いて二人が三階の奥の部屋から出てきて、ビアンナと立ち話をして、それからここへきて。これまでで結構な時間が経っているはずなわけだが、もしかしてその間ずっとこの状況だったのだろうか。

 ましてや今更“王子だったなんて”の話題だなんて、時間配分が変だ。一体ここに至るまで、彼らは何をしていたのだろうか。

 まるで……エイネシアが出てくるのを待っていたかのよう。

「彼女の落とし物を拾って声をかけたのだが、驚かせたようで、怪我をさせてしまった。歩くのが辛いというので、今薬室の者を呼びに行かせている」

 なるほど。それが今この場所で、“その”状況で止まっている理由なのだ。

「エド。確か医学の知識があったな。彼女の怪我を見てやってくれないか」

 そう促したヴィンセントに、「私は姉から教わったことくらいしか……」と、チラリと背後のエイネシアを見やったけれど、そのエイネシアが頷くのを見ると、「わかりました」とそちらに歩み寄った。

「レディ。まずは手を」

 歩み寄ってそうスッと白くて長い綺麗な指先を差し出したエドワードには、ぽぅっ、とアイラがあからさまに頬を染めてヴィンセントから手を浮かせた。

 その瞬間にハッとアイラは思わず離してしまった手を戻そうとしたけれど、それよりも早くパシリとその手を取ったエドワードがフワリとアイラをお姫様抱っこにしたものだから、そこら中から……ついでにアイラからも、「えぇぇぇ!!!」という悲鳴が上がった。

 それはもう。一部からは、悲痛とも受け取れるような声が。

 だがそんなのは一瞬の事で、エドワードはすぐさま、噴水の傍らにアイラを下ろした。

 このまさに“王子様より王子様”というかつての妹の言葉のままに大胆な行動をとってくれたエドワード様に、アイラは完全にポカンと魂を抜かれたような顔をしていたけれど、それを見やるエドワードの顔は凄まじく冴え冴えとしていて、「痛むのならさっさと座りなさい」と告げた言葉が届いていないかのような少女に、大変あからさまな溜息を吐いた。

 その溜息が、ハッとアイラの意識を引き戻させる。

「あ……ご、ごめんなさい。驚いてしまって」

「驚いたのは私の方です。まさかこの国の貴族に、王族を柱のように扱う令嬢がいたとは」

 その辛辣なほどの真っ直ぐな皮肉に、一瞬にしてその場の空気が凍りついた。

 うむ。そうだよな。まずはそれだよな。いや、まったくその通りなのだが。

 何だろう。この王子様みたいな行動の直後のこの爆弾投下は。狙っているのか? わざとなのか? そうなのか?

「いいから早く座りなさい。怪我を見ます」

 一体全体、優しいのか、手厳しいのか……皆も困惑気にチラチラと視線をさまよわせている。

 うん。姉もね、君の事がちょっとよく分からない。

 でも取りあえず為すすべなく噴水に座らされたアイラがポカンとしている間にも、エイネシアはヴィンセント達の方へと歩み寄り、略式の礼を取った。

「ヴィンセント様」

「お前まで野次馬ではないだろうな」

 早速厳しいお言葉をいただいたけれど、それには少しの難も無く、「違いますわ」と否定した。

「そうではなくて、アン王女がまだいらっしゃらないのです」

 野次馬……というか、ヴィンセントに何かあってはと心が急いて出てきてしまったのも本音なのだが、今この場に相応しいのは“男爵令嬢がどうしたこうしたなんてことには微塵も興味がない公爵令嬢”であり、様子を見に来た、なんて言える空気でないことはもうはっきりと理解していた。

 なのでもう一つの方の、寮の外に出て来てもちっともおかしくない理由を口にする。

 そうすれば案の定二人ともすぐに、「何?」と眉をしかめた。

「ビアンナによれば先に寮へ向かったと。同じように先に来たエドは、自分より先に行ってしまわれて、一緒ではなかったと。なのにまだ寮にはいらしていないものだから、何かあったのではと、エドと探しに行く所でしたの」

「まったく……あいつは昔からふらふら、ふらふらと……」

 そうため息をつく王子様の気持ちも分からないではなかったが、兄としてはまず妹のことを心配してあげて欲しかった。

 まぁ、片や王太子、片やいち王女として育てられた二人が普通の兄妹とは全く違った関係の兄妹であることは知っているから、そんなことは言わないけれど。

「影はついているはずだ。何かあったらすぐに報せが来る」

 そうヴィンセントが言った瞬間、「駄目ですわ!」と勢いよく立ちあがったアイラに視線が集まる。

 えーっと。ただいま足か何かを怪我してエドワードに見てもらっていたのでは、と思ったところで、「いたって健康でした」という何の抑揚もないエドワードの声音が、エイネシアの口を噤ませた。

 いや。そこはほら。なんというのか。色々な手前、嘘でも『支障はない程度です』とかさ。あると思うのだよ。配慮が、と。

 そう思うのだけれど、当のアイラさんが全く耳にも入れた様子も無く、「アン王女が心配ですわ!」なんて言っているから、なんかもう、これで良いのだと思う。

「私もお探ししていたのですがお会いできなくて」

 そう切なそうな目で俯くアイラさんは、ちょっと演技力が高まったんじゃないかと思わされるくらい真に迫っていた。

 だが如何せん。どうして男爵令嬢が王女様を探していたのかというあたりの理由がまったくもって欠如している。

「とりあえず。このような往来で固まっているものではありませんわね。皆様も。どうか解散なさって。幸いお怪我は無かったそうだから。ご心配いらないわ」

 エイネシアがまずはそう皆を散らそうと辺りを見やりながら言った所で、皆は、え、え、と戸惑いながら顔を見合わせた。

 そう言われてしまえば、気にはなるがここを立ち去らないわけにはいかなくなる。

 だから、それもそうだな、と立ち去る様子を見せたわけだけれど。

「駄目よ!」

 そう咄嗟に叫んだアイラの言葉に、ええ? とまた皆の動き出しそうだった足が止まる。

「駄目、とは?」

 それにはついヴィンセントも首を傾げたものだから、アイラも、え、えっと、とどこか困った素振りで視線を彷徨わせて、やがてチラッと目についたエイネシアを見るや否や、そのままパチリと目を瞬かせた。

 その顔を見た瞬間から、あ、不味い、という気はしていた。

 だがエイネシアが何かを言うよりも早く。

「そう! 私、エイネシア様に言われてアン王女をお探ししていますの!」

 ほら巻き込まれた! と、思わず頭を抱えたくなった。

 当たり前だが、その後ろでエドワードがとんでもなく呆れた顔をしたことに彼女は気が付かない。

 エイネシアが、アンナマリアがまだ寮に来ていないという話を聞いたのはつい先ほどの事で、それはここでの騒ぎが始まるよりも遥かに後の話であるわけだが、その辺の時系列は頭にないのだろうか。

 それを保証するエドワードという証人の存在も、当然視野に入っていないわけだ。

「エイネシア?」

「私はつい先ほど、その話を知ったばかりですわ」

 なんだかまったく馬鹿みたいだ、と、溜息でも突きそうな様子でそう答えたところで、「そんな!」という絶望的な声色がかぶせられた。

 わなわなと、震えるようなか細い声色。一歩、二歩、とわずかに引き下がって困惑の様相をあらわにした上に、裏切りに有ったかのような絶望の表情。

 なんて見事な演技力、なんて笑い飛ばすのは簡単なはずなのに、何だろう……この違和感と、言い知れぬ恐怖は。

「どうして? どうしてそのような嘘をッ。私、確かにエイネシア様に呼び出されて……ッ。あっ。いえ。いえ、何でもありませんわっ。私、こんな貶めるようなことを言ってッ」

 パッと口を噤んで見せて背中を見せる小さな後ろ姿。

 その様子に、ざわざわ、とギャラリーがざわめきだす。

 少し前までは王子に突然の不敬を働いた謎の少女、と、非難的な目が集まっていたはずなのに、今はどうか。疑いの目でチラチラとエイネシアを伺う彼らの視線は、『まさかエイネシア姫が何か?』『どうしてそんなことを?』と、懐疑心を孕みはじめていた。

 ようやくわかった。アイラがギャラリーを引き止めさせた理由。まずは“バグってしまった”悪役令嬢を、悪役にしたてあげようというわけだ。

 さてどうしたものか。

 別にエイネシアが王女殿下とクラスメイトになった令嬢に、王女を見かけなかったかと問うて探すのを手伝ってもらうこと自体は大した話ではないと思うのだが、かといってそれを認める嘘をついてしまっては、彼女のペースに乗せられてしまう。

 言葉は慎重でなければならない。

「私……今日貴女にお会いしたのは初めてなのですが。まぁ宜しいですわ。では王女殿下をお探しくださっていたのね。有難う」

 そう丁寧に答えたところで、「貴女が……そんなことを仰るだなんて」と驚いたような目をされたから、むしろこっちが驚いた。

 何を驚かれる要素があったのだろうか。一応アンナマリアもエイネシアとは幼馴染で、しかも未来の義妹。心配するのは当たり前であるし、探してくれていたと主張する令嬢にお礼を言うのも変じゃないはずなのだが、その言い方ではまるで、エイネシアがアンナマリアに何かしでかそうとしていた裏があるみたいではないか。

「どういうことだ、エイネシア」

「どうもこうも……話がよく、見えないのですが」

 そう心から困惑気に言ったつもりだが、「おとぼけになるのですか?!」と言葉を続けるアイラに、ざわざわとギャラリーがざわめく。

 とぼけるも何も。一体アイラが何を考えているのかちっともわからない。

 ただこの場の空気が徐々に澱んできはじめているのは確かで、そんな渦中にいつまでもいるものではない。どうにか切り抜けねばならない。

 でもどうしたらいいのか。

 何を聞いてもアイラはその怯えた兎みたいな態度でビクビクとはぐらかすのだろうし、ここで話にならないからとエイネシアが去ろうものならば憶測に憶測を呼びかねない。

 どうしよう、と困惑している内にも、怪我という設定はどうした、と突っ込みたいくらいの堂々とした足取りで、ツカツカとエイネシアの前までやって来たアイラに、小首を傾ける。

 今度は何だというのか。

「どういうことですか、“王太子妃様”。この学院で平穏に過ごしたいなら貴女のいう事を聞くようにと仰ったのは“殿下”ではありませんか。なので私王女様をお探しして、お知らせしないとと急いでいて……」

「王太子妃? 殿下? あの。私はまだ結婚はしていなくてよ?」

 取りあえずそう突っ込んでみるが、それはまたも絶望の顔のアイラに、「ですがそうお呼びするようにと、貴女が」と言うから、益々頭を抱えたくなった。

 この子……頭はちっとも成長していないのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。下手な悪知恵方面に、無駄に知識をつけてきた。

 何をすればエイネシアにとって痛手であるのか。何があれば、王子の心がエイネシアから離れるのか……。

「では今ここで、皆様がおられる前できっぱりと申し上げますわ。私は先の女王陛下のお計らいと四公家の決定により殿下と許嫁としての契りを交わしましたが、それが私に対する特別な地位や権力を付加するものだとの解釈は一切しておりません。無論、王国の臣、王家を支える一人として、それを矜持とは致しておりますが、よもや神前に成婚を誓ったわけでもないのに王太子妃などと称したり、身に余る権力を振りかざすような恐れ多い行動をとったり、ましてや皆様をその力に従わせるような真似は決して致しませんわ。どうか皆様も、そうお知り置きくださいませ」

 皆を見回しながらそうはっきりと述べたところで、不信そうな皆の目も困惑気なものになる。

 何を信じればいいのか計りかねているといった様子だろうか。

 取りあえず、このとんでもない不敬な出来事はこれで少しは何とかなっただろう。

 それから次は何だったか。言う事を聞くように言った?

「それから王女様をお探ししているのは確かだけれど、貴女にそれをお願いした覚えはないわ。先ほども申しあげたように、今日貴女にお会いしたのは今が初めてですし、そもそも貴女にお会いする機会もタイミングも、ついでに理由も、私にはありませんよ」

 在校生は入学式前に教室でオリエンテーションを受けると、先んじて寮へ帰る。一部、三年の生徒の代表などが入学式に出席するが、他は皆帰寮して新入生を迎える準備などを始めるのだ。エイネシアも教室からはシシリア達と真っ直ぐ寮に帰ったし、その証人は沢山いる。

 入学式が終わる前には寮へ帰りつき、それからずっと部屋にいたことは、お茶を持ってきたエニーが見ており、扉の開け閉めの仕事に加えて寮内への人の出入りをチェックしている守衛だって証明してくれるだろう。

 なにより、入学式終了後いち早く寮への直線距離をやって来たであろうエドワードが真っ先にエイネシアを訪ねている。どう考えても、エイネシアがアイラに会いにゆく時間などないし、アイラがエイネシアを訪ねてくる時間だってない。

 ましてやアンナマリアが行方不明との騒ぎになってからこの間、エイネシアには完璧なアリバイがあり、ずっとエドワードが一緒であったことは言わずと知れている。

「伝言をされましたわ! 貴女の取り巻……ご友人という方に!」

「友人……? それは、変ね」

 エイネシアは頬に手を当てると、困った顔をして見せる。

「残念ながら、私にはご友人と呼べるお方があんまりいないの。ずっと寮にいらっしゃった副寮長や、一緒に寮に帰ったシシリアやセシリーのことなのかしら。でもおかしいわね。皆、一緒に寮へ戻ってからずっと出ておりませんし。一体“どなた”が、私の友人を騙ったのかしら」

「なっ」

 アイラの顔がビクンと硬直するのを見て、ひとまず安堵した。

 アイラは、エイネシアにもう二人の取り巻きがいると思いこんでいて、そしてそれが今年入学してアイラと同じクラスになったという、“ゲーム”の内容を鵜呑みにしている。

 だがお生憎様。ゲームと違って社交をさぼりまくっていたエイネシアは、その二人の取り巻き一年生とやらに、ちっとも心当たりがないのだ。

 そして今年の茶会をさぼったため、“三人の取り巻きを連れてアイラと遭遇する”というそのイベントをこなしていない。取り巻きとやらの二人がアイラとの面識を作るきっかけも、その彼女達がエイネシアと親しいという事実も、なにもかも不成立なのだ。

「嘘を仰らないで! 私、確かに伝言をッ。先に迷っておられる王女様をお見つけして、ヴィンセント様に手柄を報告したいからとっ」

 いやいやいやっ、と、思わず顔が引きつりかけた。手柄って何だ?

 というか、またもこの子は王子殿下をお名前で呼んでいらっしゃるが、それについてはもう突っ込む気力さえわかない。

「ですから、何かの間違いですわ。それにまだ迷子と決まったわけではなく……」

 不敬ですわよ、と窘めるその言葉に続けるように、「迷子ではありませんわ」と響いた機嫌の悪そうな声色に、たちまち皆の目がパッとそちらを向いた。

 だがそれは、学校の方向からではない。なんと、“星雲寮”の方角から聞こえた声で、そしてそこにはビアンナに連れられたアンナマリア王女がいらっしゃり、え、え!? と、あからさまにギャラリーに動揺が走った。

 それはそうだ。行方不明とやらの王女様が、何故か寮の方からやって来たのだから。

「アン。何処にいた」

 すぐにもそう問うたヴィンセントに、ハァ、と一つため息をついて見せたアンナマリアは、おっとりとこの場の中央に進み出ると、まずはエイネシアの方を向いて「ご心配をおかけしてごめんなさい」との謝罪を口にした。

 エイネシアも、何が何だかわからなくて小首を傾ける。

 はて。もしかして王女は、寮にいたのだろうか。

「すぐに寮へは来たのだけれど、脇目に見えたお庭が素敵だったから、玄関をくぐらずに少し散策をしていたの。まさか行方不明だなんて騒がれているだなんて思わなくて。ビアンナ嬢が呼びにいらして、驚きましたわ」

 チラ、とビアンナを見たエイネシアに、彼女は一つ頷いて見せた。お庭で花を愛でていらっしゃったわ、と。

「貴女も。私を探して下さっていたの? それはどうも有難う」

 そうチラとアイラを見やったアンナマリアの視線に、「当然のことですわ」と、アイラが満面の笑みを浮かべる。

 だが彼女は未だ、やってきた王女様へ礼を尽くしていないことに、やはり気が付いていない。

「それに私、別の理由でもアン王女をお探ししていましたの!」

 そして一体この子はいつまで、王女殿下のことを愛称で呼び続けるのだろうか。

 それにアンナマリアが顔色を濁していることにも気が付かず。

「私に何か御用?」

「先ほど教室では庇っていただき、有難うございました。私、とても嬉しくて」

 そう顔をほころばせて言うとても無邪気な面差し。

 庇う? と首を傾けたエイネシアの視線に、エドワードも俄かに首を傾げていたが、間もなく、あぁそういえば、とでもいうように頷いた。

 何やら教室で、イベントとは違う一悶着があったようだ。

「庇うなどというものではありませんわ。ただお行儀の悪い令嬢を窘めただけのこと」

「けれど私、アン王女の公平なお言葉がとても嬉しかったのですもの」

「そう」

 何やら淡泊な返答が続いているが、はて。ここからどうやって、アイラを星雲寮へと誘う展開になるのだろうか。

 そうエイネシアが首を傾げていたら。

「さぁ。これで事態は収まりましたわよね? 皆様、解散してくださいませ。私も寮へ戻りますわ。寮の皆に謝罪をしないと」

 そうアンナマリアが踵を返すものだから、「えっ!?」と、思わずアイラと声が被ってしまった。

 いやいやいや。今ここで、寮へ誘う系のイベントが発生するのではないのか? いや、普通に考えたらそういう流れになりそうな点はまるでないけれど……それでは色々と食い違ってきてしまうのではなかろうか?

「あ、あのっ、ですが私ッ。あの方たちと同じ寮でなんて……」

 アイラが急ぎ自ら申告したところで、チラ、とアンナマリアが視線を寄越す。

 それに脈を感じたのか、ほっとした顔をしたアイラは、「きっとあの寮に私の居場所なんて……」と涙ぐんで見せるが。

「ではそうなるよう、努力なさってはいかが? 貴女が努力なされば、きっと認めて下さる方も現れますわ」

 なんてことを言うから、またしても「えっ!?」というアイラの声が飛び出した。

 今度はエイネシアは何とかその言葉を飲み込んだが、しかし困った顔でチラ、チラ、と二人を見やってしまった。

 何やら大きく展開が変わってきた気がする。

 これは、どうするのだろうか。

 そうきょろきょろとしていたら。

「い、嫌です!」

 今度はそんな風に声を張り上げたアイラに、もはや言葉どころか感嘆詞の一つも思いつかない。

 嫌です。嫌です、って……。

「私も星雲寮へ連れていって下さい、アン王女! 私たち、お友達になりましょう!」

 なるほど。強引にそういう設定に持って行ったか。

 だが如何せん。それはいくらなんでも無理だ。

「お友達?」

 ゆっくりと。サラサラとした金の髪を揺らして振り返った王女様に、ゴクリと、見物客たちが息をのむのが分かった。

 それほどに。その少女は恐ろしいことを口にした。

「私、初対面で腕を引っ張られ、挨拶もろくにできず、勝手に愛称で呼び続けられるような礼儀知らずのお友達を持つつもりはありませんわよ。どうして私が未だに礼を尽くしてさえ下さらない貴女を、最も礼と作法を重んじる星雲寮に推薦しなければなりませんの?」

 恐ろしいほどに冴え冴えと。これがあの内気で、前回口ごもってポカンとしていた王女様だろうかというくらいキビキビと辛辣な言葉を吐いたアンナマリアに、今回ポカンとするのはアイラの方だった。

 さもありなん。

 まったくもって、王女様の言う通りだ。

「“お義姉(ねえ)様”、行きましょう。ご心配をかけたお詫びに、お城から持ってきた薔薇の花びらの砂糖漬けを一緒に召しあがりましょう。お好きでしたよね?」

 ましてやそうアンナマリアがエイネシアにニコリと微笑んでそんなことを言うものだから、「え、えぇ、そうですわねっ」と、エイネシアの声も上ずってしまった。

 お義姉様だなんて……初めて呼ばれた。

 更にはアンナマリアがスルリとエイネシアの腕に腕を絡めて促すものだから、歩き出さぬわけにもいかず、チラとアイラを振り返る。

 その真っ赤になってわなわなとふるえる少女がなんだか少し憐れで。

 でも同情の余地はないわけで。

 だけど……。


「アイラさん」

 そっとアンナマリアを制して、少しだけ振り返る。

 精神的にとても幼いアイラ。

 彼女は一体いくつで、どんな風に亡くなって、どんな過去を抱えて、アイラという人物に転生したのだろうか。

 何故そんなにも未熟で、そんなにも浅はかなのだろうか。

「どうかもっと、貴女の……“アイラ・キャロライン”の人生を、きちんとお見据えになって。そうすれば、おのずと貴女の周りにある貴女の味方が、ちゃんと見えるはずだから」

 その人生に誠実になって、アイラという自分を受け入れて欲しかった。

 そしたら周りがもっとよく見えるはず。

 この状況がもっとよく、見えるはず、と。

 そんな忠告のつもりの言葉を残して、「寮に戻ろう」と歩き出したヴィンセントの後を追うように、アンナマリアに腕を引かれて歩き出す。


 もう後ろからはわめき声はせず。

 ただ静かに歩くその道すがらで。



「貴女ってほんと、いい子ちゃんね」




 そう囁くように呟いたアンナマリアの声が、ドキリ、と、エイネシアの胸を突き刺した。

 ふわふわ。おっとりと。どこか優しげな女の子。

 その少女の、予想だにしない鋭い言葉が。

 何だろう。

 激しい違和感と共に、エイネシアを動揺させる。


 アンナマリア・ルチル・エーデルワイス。


 彼女は一体。

 何者なのか――。






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