2-7 始まりの日(1)
春四月。
再びめぐってきた、入学の季節。
「姉上」
パッと掴まれた手と、はたと見上げた背丈と。
それから少年の音色の消え去った声音には、まぁ、と目を瞬かせた。
「エド。驚いたわ。なんて大きくなったの。夏には所領で会ったから……半年? 半年で一体どれだけ伸びたの?」
春の休みは煩わしいもののすべてから逃げ隠れするかのように、この寮に引き籠っていた。だからその日、先んじて寮で弟の到来を待っていたエイネシアは、弟が自分の荷のことも蔑ろにすぐさま訪ねて来てくれたことが本当に嬉しかった。
彼が“開始時期”になったにもかかわらず、突然姉と疎遠になることもなく、これまで通りにしてくれることにも、安堵した。
「それよりも姉上。薄情ではありませんか。この一年、一度も家に戻らないだなんて」
そう言いながらもエドワードの目元は柔らかで、クスクスと笑って答えたエイネシアは、「ごめんなさい」だなんて軽い声色で口にしながら、彼を自室のソファーへと誘った。
本来ならば立派な紳士に育った青年に、たとえ姉弟であろうとも寝室を兼ねた自室に招くことは憚られることだったけれど、今ならまだギリギリセーフだ。
この国の成人は十八歳。お互いにまだ成人ではないし、それに何しろもう何年も二人で過ごすことはこの姉弟の日常だったから、少しの躊躇いも無かった。
一応エドワードは「宜しいのですか?」と遠慮するそぶりを見せたけれど、「今日だけ特別という事に致しましょう」とエイネシアが再会を喜んでいる様子を見せたなら、彼もそれ以上は言わずに勧められるままにエイネシアの部屋に立ち入った。
それからすぐに、「あぁ、なるほど。どうして姉上が白百合の部屋にいらっしゃらなかったのか分かりましたよ」と、本棚がぎっしりと詰まったその部屋に苦笑した。
「そういえば、エドのお部屋はどこ?」
慣例通りなら白百合だろうか。あるいは、今は黒弓の部屋をアルフォンスが。紅薔薇の部屋をヴィンセントが使っているから、その間にある獅子の部屋あたりが妥当だろうか。
従兄のアーウィンも確か、片翼より日当たりがいいからと、獅子の部屋を使っていたと言っていた。
「殿下には獅子を勧めていただいて、アーウィンからも色々と残しているから使って良いと言われましたが、実際に部屋を見てやはり白百合に」
「けれど白百合はヴィンセント様のお部屋から一番遠いでしょう?」
「公爵家と城の距離を考えれば大した距離ではありませんよ」
そう苦笑するエドワードには、まぁそうだけれど、と同じく苦笑を返した。
「私は近侍を拝命はしましたが、その前に、エドワード・フィオレ・アーデルハイドですから」
ただそう付け足したエドワードの冴え冴えとした表情がヒヤリとするほど頼もしくて、驚いた。
エイネシアの知らない一年。彼はたった一人で、あの家と、そしてきっとあの図書館で、学び続けたのだろう。
エイネシアにはなんだかんだ言って城へ行くたびに助けてくれる人が傍に居たけれど、エドワードにとってのこの一年は、事実“たった一人”での登城だ。
すれ違う貴族達とも少しの揉め事も起こしていないことは、噂早い貴族達の口に上っていないことからも明らかで、それは小さな頃にうっかりと思ったままを口にしてシンドリー侯爵を憤慨させた頃とは大違いである。
それどころか、時折交わしていた手紙では、父の宰相府にまで出入りしていると言っていたから、一体この一年でどれ程に成長しているのかと期待もすれば不安にもなる。
「姉上。この部屋の蔵書を見てもいいですか?」
「ええ。必要なものが有ったらいつでも持って行ってくれて構わないわ。そのようにエニーにも……あぁ、エニーには会ったかしら?」
「ええ。黒髪の侍女ですね」
「そう。彼女に言っておくから。彼女はこの部屋の蔵書はもうすべて覚えているから、本の名前を言っただけでちゃんと持ってきてくれると思うわ」
「なるほど。姉上仕込みですか」
そう笑って見せながら、この部屋の一角の書棚のスペースに向かい、熱心に背表紙を追い出した。
だがその反応は、エイネシアがこの部屋に初めて入った時と同じ。
一段目をなぞっていたかと思うと、途端に目を瞬かせ、それからパッ、パッ、と慌ただしくその隣、また隣と本棚を移動して行って。
それからすっかりと綺麗に整頓されて木戸の中にしまわれたハインツリッヒのレポートを見つけたところで、何とも複雑そうな視線が振り返ったものだから、エイネシアも困ったように苦笑を浮かべた。
きっと彼も、ここが元々誰の部屋であったのかを察したのだろう。
「姉上……」
「ヴィンセント様は何もご存知ないわ。私も、ただこの部屋が気に入ったから使っているだけよ。それだけだわ」
そう先んじて答えたエイネシアに、エドワードはまだ少し何か言いたそうにしたけれど、やがてただ一つコクリと頷いてくれた。
エイネシアの意志を尊重してくれたのだろう。
弟として。それから多分、アーデルハイド家の次期当主としても。
そこに、コンコンッ、と少し慌ただしいノック音が響いて、ふと二人の視線がドアを見やった。
はて。恒例の入寮者歓迎パーティーにはまだ早い時間だが、誰だろうかと思いつつ、「どうぞ」とエイネシアが声をかける。
顔を出したのはエニーで、「ご歓談中申し訳ありません……」と、久方ぶりの姉弟の再会を邪魔したことを、心から申し訳なさそうにしながら顔をのぞかせた。
「そんなに遠慮しなくて大丈夫よ、エニー。弟とはこれから、いくらでも話せるのだもの」
そう笑って見せたところで、「どうかしたか?」と穏やかに問うたエドワードの言葉も後押しし、ほっとした顔でエニーは扉をくぐった。
「それが……お伝えしようかどうか迷ったのですが……その。寮の前の並木の広間で、何やら殿下を囲んで騒動があったようで」
「騒動?」
エニーの視線が、チラリとエドワードを見やる。
それからすぐに、この話題がどうやらエイネシアには面白くない類のものであり、出来れば耳に入れたくないと思っていたこと。だが“殿下の近侍”であるエドワードには知らせた方が良い類のものであり、仕方なく伝えに来たのだということが察せられた。
そしてそんな騒動を起こしそうなイベントには、すでに心当たりがある。
殿下というのがヴィンセントを指しているとするのであれば、少し“イベント”と違っている気がするのだが、しかし入学式に起こる騒動とやらは間違いなく、アイラ・キャロライン絡みの騒動だろう。
「エド。そういえば、アンナマリア王女は?」
ふと、そういえばまだ気配のない御方のことを思い出してエドワードに問う。
確か彼らは同じクラスだったはずだが。
「式が終わるなり、先に行くからと早々と飛び出してしまいましたよ。先に寮へ着いているのかと思っていましたが、その様子はないですね」
そういうエドワードも、その騒動とやらにアンナマリアが巻き込まれている可能性に思い当たったのか、すぐにドアの方を目指した。
「姉上はここに……」
「いえ、私も行くわ。騒動に少し、心当たりがあるの」
本音を言えば、部屋に引き籠っていたかった。
ゲームでアイラが宛がわれた部屋は星雲寮二階の一角。その気になればエイネシアとは少しもすれ違わずに過ごせる可能性もある。
だがここでエドワード一人行かせるのも、何があったのだろうとそわそわして気が休まらない気がして、気が付いたらもうそう言っていた。
エドワードもすでに幼い子供ではないと分かってはいるのだけれど、姉というのはやはりいつまでたっても姉なのだ。
そんな様子を理解しているのかいないのか。僅かに苦笑を浮かべたエドワードに、「ではせめて私の傍を離れないでください」と促されたものだから、すぐに彼を子供扱いしたことを反省した。
そうして揃って階段を降りたところで、玄関の方から入ってきたビアンナと行き会った。
どこか少し顰め面をしていて、それは今日彼女が新副寮長(実質的にはもはや寮長)としてお手伝いしたマダムスミスのパーティーに問題が生じたせい……でないことだけは確かだった。
何しろ、やってくる方向が逆だ。
「ビアンナ。どうなさったの?」
分かってはいるけれど一応聞いてみたところで、ふと階段から下りてくる二人の男女を見たビアンナは、「あら」と言って一度目を瞬かせた。
それから二人が完全に階段を降りると、おもむろに顰めていた顔をほころばせて、恭しく礼を尽くす。
「ごきげんよう、エイネシア姫。エドワード卿」
「顔を上げてください、寮長」
そう促したエドワードは、どうやらビアンナを見知っているらしい。
まぁ、つい先日エイネシアが欠席した大茶会に、この二人はきちんと出席していたはずだから当然だろうか。あるいはそれ以外の場所の茶会で知り合った可能性もある。
エイネシアと知り合ったこの物怖じしないビアンナが、そこでエドワードに挨拶をする可能性もとても高い。
現に顔をあげたビアンナはカラリと明るい笑みを象ってみせる。
「先日エドワード卿をお見かけした時も、お姉君とよく似ていらっしゃると思いましたけど、ご一緒に並ばれると本当にそっくりですのね。とても絵になっておられたから、なんだか感激してしまって、元気が出ましたわ」
相変わらずちっとも飾らない率直な言葉でコロコロと笑うビアンナには、エイネシアも僅かに肩をすくめて微笑した。
男女であるから、実際に顔が似ている、というのとは違うのだと思うが、しかし同じ色合いで同じ癖のあるプラチナの髪や紫の瞳、目尻の泣き黒子までお揃いな上に、今は似たデザインのこの学院の制服を着ているから、殊更そっくりに見えるのだろう。
いつの間にやら肩を越したエドワードの長い髪が、彼を中性的にしているのも一因だろうか。
「ところで卿。私は寮長ではなくて副寮長ですわ。寮長は一応、アルフォンス卿ですのよ」
そうビアンナは付け足したけれど、エドワードはことも無く「知っていますよ」と言う。
「ですが先にご忠告を。アルはとても真面目で気が利きますが、真面目すぎて融通が利かないので、王子に“寮長に専念しろ”とでも命じられない限りは使い物になりませんよ」
「エド……」
なんとも救いようのない実に的確かつ遠慮のない評価をした弟に、エイネシアは思わず乾いた笑みを浮かべてしまった。
何だか折角の天使だった弟が、いつの間にかすっかり父に似てきた気がする。
この遠慮ない毒舌と厳しい物言いなんかは間違いなく父で、だが無表情やらあからさまに眉間に皺を刻んで毒を吐く父と違い、この天使は笑顔で毒を吐くのがちょっと怖い。
姉的には色々と弟のケアを頑張ったつもりだったのだが、一体どこで間違えたのだろうか。
「……まぁ、この件は取りあえずいいですわ。それで、外の騒ぎでしたね」
突っ込みがたいエドワードの言葉をスルーする方向に決めたらしいビアンナは、そうチラリと背後を振り返って見せた。
重厚な扉の向こうは静かだけれど、入ってきた時のビアンナの顔を見れば、何かがあったことは確かだ。
まぁ寮長代理なわけだから、さしずめ例のゲームイベントの、『アンナマリアが入学早々いじめられていたアイラを庇って、王族が持つこの寮への入寮の推薦枠を使ってアイラを星雲寮の住人にする』というその流れに呼応して、男爵令嬢という本来この寮への入寮基準を一ミリも満たさない少女の入寮を寮監に掛け合わねばならない事への顰め面か何かなのだろう、とあたりを付けた。
だがどうやら話はまだそこまで進んでいなかったようで、ビアンナが口にしたのは「礼儀知らずの男爵令嬢が突然王太子殿下に突進して親しげに……いえ、一方的に? かしら? 随分と驚嘆するようなご挨拶をなさったそうですわ」との言葉だった。
それはちっとも予想していなかった内容で、「あれっ?」と思わず首を傾げてしまった。
ゲームでの内容とは大分違う。
ゲームではこの時点ではまだルート分岐していないから、とにかくチュートリアル的に次から次へと攻略対象達が出てくるのだ。
まずは、アイラが学院の門をくぐるところからゲームは始まる。
そこで母が持たせてくれたハンカチを落として探していたら、素敵な上級生がそれを拾ってくれるというベタな展開に始まり(そしてそれはアルフォンスの役目だ)、慣れない雰囲気の中恐る恐ると教室に入ったら、顔見知りの伯爵令嬢と子爵令嬢(エイネシアの取り巻きの二人)に、『泥臭いと思ったら庶民混じりがいらっしゃるわ』との嫌がらせを受ける。
この言葉攻めに堪えていたら、クラスの一番後ろにいた男子がおもむろに机を蹴って令嬢たちを怯えさせ、さりげなくアイラを救うんだったか(そしてこの時救ったのが、今のところエイネシアとは一度の面識もない攻略対象、大将軍の息子、マクレス・シグノーラ子爵令息だ)。
そして諸々の入学の式典が行われる講堂へ向かう途中、やはりクラスメイトに嘘の方向を教えられて迷ったアイラに、『ここで何をしている?』と声をかけたのが、新入生なはずなのにいきなりオリエンテーションをさぼって早朝から学院の図書館に行っていたという意味不明な設定のエドワードで、そして彼は始めて来たはずの場所なのにさも当然のようにアイラを連れて講堂まで案内し、そこで堂々と新入生代表のご挨拶をなさるのだ。
式が終わって講堂を出ると、今度は入寮先の“美園寮”への案内を呼びかける先輩方の元へ赴く。
すると同じ入寮先の男爵令嬢から『男爵家の恥ですわ』とののしられ、『このような礼儀知らずと同じ寮だなんて、格が下がりますわ』だなんて周りの子達まで乗ってきて、またも言葉攻めが始まる。
そこに颯爽と現れたのが、アーデルハイド公爵令息と共に今年度最大の噂の的となっておられる、最高身分のお姫様。それはもう本当に言葉通りのお姫様。アンナマリア・ルチル・エーデルワイス王女殿下であり、『はしたない真似はおやめなさい』と彼女たちを一喝するのだ。
そしてどうやら礼儀を知らぬ自分を恥じている上に、もはや美園寮に安住の地を失っている憐れな少女に手を差し伸べて、『私の寮へいらっしゃいな』と優しくその手を引いて、この星雲寮へとやってくる……わけだが。
しかしこの話。現時点ですでに色々とおかしくなっている。
というのも、まずそもそも早朝武芸の鍛練に出てアイラのハンカチを拾わなければならないアルフォンスについてだが、これは新入生諸君よりゆっくり目の登校でよかったエイネシアが、今朝間違いなく当人と廊下で行き合って朝の挨拶を交わしている。
今日は鍛練には行っていないのかを問うたところ、「王女殿下に、誤って送った荷物に今日の式典の式辞を入れてしまったようなので、急いでとって来て欲しいと頼まれました」と、その手にもつ紙面を見せて、それを寮の扉の前で待っていたお使いの侍女に手渡すのを見届けた。
別にアルフォンスがしなくても良い仕事ではと思ったのだが、少なくともゲームにはないアンナマリアの行動で、今朝のハンカチ拾いイベントは露と消えたのである。
アルフォンスはすでに以前のパーティーの際に禁苑でアイラと遭遇してしまっているから、あるいは補正が働いたのかもしれない。
次の大将軍のご子息とやらの事は、正直わからない。
エイネシアはゲームでの自分の取り巻き三人組の内の一人がシシリアであることを知っていたが、後の二人についてはよく存じていないし、そもそも他に親しい人物に全く心当たりがない。
あるいは起らなかった可能性だってあるし、エイネシアと関係なく起こった可能性もあるかもしれない。
そして次。エドワードとの遭遇に関しては、この弟が朝から図書館に行っていないことはすでに確認済みだ。
階段を降りてくる途中、「もう図書館には行ったかしら?」と聞いたら、「まだ入学したばかりですよ」と笑ってから、「王宮図書館に出入りしていた身からすれば、物足りないものだと分かり切っていますしね」と言われ、大変に納得した。
そもそものゲームのエドワードに、王宮の図書館に出入りしていた記述はないのであって、もしかしたらそれはエイネシアが通っている=姉がいるから近寄らない、の図式であったのが、エイネシアが通っている=姉がいるから自分も行く、の図式に変わったのではなかろうかと解釈した。
というわけで次々と遭遇イベントが潰えたところで、最後がアンナマリア王女だ。
だがエドワードはそのアンナマリアが、式後早々といなくなったという。それではアイラを助けられないではないか。
そしてやはり、本来この時が初対面のはずのアイラとアンナマリアは、すでにパーティーの時に禁苑で遭遇してしまっている。
しかもアイラは思いがけないほどの無礼をアンナマリアに働いてしまっており、アンナマリアが予想外の行動をとった理由に思い当たることがあるとすれば、それだろう。
要するにこれら一連のことを総括するなら、前もって皆に色々と遭遇してしまっていたせいで、悉く入学式の遭遇イベントがすっぽかされ、まったく違う話になったということだ(まぁエドワードは少し違うが)。
そうすべて思い返したところで、やはり二度目の「あれ?」という声が出た。
そういえばこの入学式イベントでは、その“王子”が出てこない。
確か王子との遭遇は入学式の翌日。朝から寮でばったり遭遇し、『まさか王子様だったなんて!』という展開と共に、かつて王宮で道に迷っていたところを助けてもらった回想シーンが入ることになるはずだ。
当然、この回想シーンとやらもかなり違った内容の過去になっているわけだが、それでも王子との遭遇は翌日なはずで、ビアンナが言っていた“礼儀知らずの男爵令嬢”(そんな令嬢は間違いなくアイラ・キャロラインしかいない)が王太子殿下に突進して驚嘆するようなご挨拶をなさったイベントはイレギュラーな展開だ。
何がどうなってそうなったのか分からないが、だが何しろこの世界で最も異質なもの。それが、転移者版アイラ・キャロラインである。悉く起こらなかったイベントに対し、自ら補正すべくイベントを起こすくらいのことはやりかねない。
ましてやあのピンクちゃんなら、少しも学習せず王子に突然突進する、もとい、転びかけたのを抱き留めてもらうシチュエーションを演出するくらいやるだろう。
うむ。絶対にやっただろう。
一度そう思い到ると、もう絶対にそうとしか思えなくなった。
驚嘆するようなご挨拶については、もはや詳細に述べる必要もない。
かつてアンナマリア王女への挨拶の何が無礼かをちゃんと説明したはずだが、やはり一つも理解してくれなかったようである。
この様子だと、教室でも何か色々とやらかしているのではなかろうか。
「その人物に一人……心当たりがありますね」
更に思いがけなかったのは、エイネシアが思っていたことをそのまま、隣でエドワードが口にしたことだった。
「新入生かしら?」
「ええ。以前二度も禁苑に侵入して近衛に厳重注意を受けた……姉上もご存じでしょう」
はぐらかすんですか? と言われてすぐに、なるほど、とエイネシアも息を吐いた。
王宮内の出来事だ。当然すぐに貴族達の噂になるし、それを王宮に出入りするエドワードが知らないはずがない。ましてやヴィンセントやアルフォンスに近しいエドワードが、彼らから何か聞いている可能性も非常に高い。
ヴィンセントはともかく、明らかにエイネシアの様子がおかしかったのを見た弟がアルフォンスに何があったのかを問うことは普通に有り得て、それについてアルフォンスならば、おそらくすべてそのままエドワードに話しているに違いなかった。
自分としたことが……うっかりとしていた。てっきりエドワードは何も知らないとばかり思っていたのに。
「まったく……まるでお父様を相手にしているようだわ」
そう苦笑したエイネシアには、「それは褒め言葉なのでしょうか?」とエドワードが困った顔をしてみせた。
まぁこの場合は……褒め言葉という事でいいのだと思う。
「ビアンナ。一つお聞きしたのですが、その場にアンナマリア王女はいらっしゃいました?」
ことが整理できたところで、なんとものんびりと会話をしている姉弟に首を傾げていたビアンナは、エイネシアの質問にすぐに首を横に振った。
「そういえばまだいらしていないわ。お迎えに行った時にもいらっしゃらなくて、先に向かったと聞いたので、てっきりエドワード卿とご一緒に行かれたのかと」
うむ。やはりエドワードは超人だった。案内も無しに先んじて寮まで来たらしい。
学院内の寮の場所は非公開のはずだが、どうやって経路を入手したのだろうか。アルフォンスから聞いたのだろうか。だがそれで迷わず一発でやって来た彼は何者だろうか。
「ご一緒はしていませんよ。困ったな……」
一応、王族にはこっそりと“影”と呼ばれる隠密活動を生業とする護衛が付いているので万に一つということは無いと思うが、誰もアンナマリア王女の行方を存じていないというのは確かに問題だ。
「エド、行きましょう。表の騒動も気になるけれど、それよりも王女殿下をお探しする方が先なようだわ。私も探します」
そう促したところでエドワードもすぐに首肯した。
同じようにビアンナも、「私も寮生に声をかけてお探しするわ」と、寮生がすでに集まっているであろう中庭の方へ行くのを見て、逆方向の扉を出た。