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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第一章 定められた配役
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1-12 緩やかな変化

 その日から時折、エイネシアの日常には、友人とのお茶会という行事が加わった。

 寒くなる前には、念願だったイリア離宮でのピクニックという夢も適った。

 いつの間にかすっかりと馬を乗りこなすエドワードに関心をしたり、颯爽とかけるアルフォンスの技量に驚いたり。

 ヴィンセントに乗せてもらって歩いた離宮の畔の湖畔の道は、その景色も、その痛いほどの胸の高鳴りも。きっと二度と忘れられないだろうと思う。

 それから念願の、アルフォンスを同じ机につかせて食事をとる、という密かな目標も叶った。

 離宮という人目のない場所であることもあってか、たっぷり焼いた香ばしい紅茶のクッキーや、甘さを抑えて甘酸っぱく仕上げたドライフルーツのパウンドケーキなどを広げると、案外すんなりと席についてくれた。

 小麦好きのアルフォンスには、この世界ではお目にかからない小麦ぎっしりのパウンドケーキが魅力的だったらしい。ものすごい勢いで消費してくれた。

 あまりにもいい勢いで食べるものだから、物珍しい幼馴染の姿に、ヴィンセントが肩を揺らし、声をあげて笑った。

 始めて見る、まったくの飾り気もない笑顔が、胸をきゅんとさせた。

 寒くなると遠駈けすることは無くなったけれど、四人と、それから時折アンナマリア王女が一緒になって、イリア離宮での時間を過ごした。

 冬には暖炉を焚いて、湖が少しずつ凍ってゆくのを見ながら暖かいココアを飲んだ。

 氷が張ると離宮の中は底冷えするような寒さになったけれど、寒い寒いと言いながら皆で肩を寄せ合って暖炉の前に固まるのは、子供だけに許された特別な時間であり、幸せな時間だった。

 だから春になって暖かくなるのが少し寂しくもあったけれど、春は春で、また湖の畔に大きな布を広げてピクニックをする楽しみがあった。

 公爵家のシェフお手製のハムやベーコンを使ってサンドイッチを拵えて、それからイチゴをたっぷり入れた春らしいパウンドケーキも作った。

 どうやらアルフォンスだけでなくヴィンセントもパウンドケーキという食べやすくて甘さも抑えやすい焼き菓子が気に入ってくれたようで、時折、何々のパウンドケーキが食べたい、なんて注文を付けられるほどになった。今ではもうすっかり、シェフの手を借りなくてもオーブンを扱える。


 そんな離宮通いが、月に二度。

 その他は基本的に、今までと変わらぬ図書館通いをした。

 そこに行けば、相も変わらず図書館に住んでいるのではないだろうかというようなアレクシスに遭遇し、また沢山の本を積み上げるアレクシスに怒鳴り声をあげているハインツリッヒからも、様々な教えを授けてもらった。

 なんでもハインツリッヒは二十歳そこそこであっという間に大学を出てしまい、正式に王立薬学研究所に入り、瞬く間に主任研究員にまで上り詰めたという。

 エイネシアもそんなハインツリッヒの教え子という権限を利用して、王立研究所の薬草園に通わせてもらい、薬学への造形も深めた。

 それは思いのほか性に合っていたようで、政治や経済の話も好きだけれど、それ以上に熱心に勉強をするものだから、ハインツリッヒにはすっかりと“我が弟子”扱いされるようになった。


 ◇◇◇



 そうして過ごすこと数年。記憶が戻って、もうすぐ四年。

 最近めっきり寒くなり出した透き通った青い空を見上げて、ホゥと白い息をはく。

 今年は冷え込みがきつい。

 西方国境を治めるアーデルハイド公爵領は、北部ほどではないとはいえ高地で山間という土地柄、その居城は氷の城と称されるような極寒地帯になる。

 エイネシアは年に一度、貴族がこぞって所領で一年の決済をする春の時期にわずかに戻るだけなので冬のアーデルハイド領のことはあまり知らないのだけれど、幼い頃に見た氷の城はとても綺麗だったのを覚えている。

 この冷え込みだと、領は随分と雪が積もっているだろう。

 息を吐いたところで、チラチラと降ってきた粉雪が頬の上で融けた。

 このまま本降りになるだろうか。そうぼんやりしていると、後ろから延びてきた暖かい感覚がほっぺたを包んだものだから、ひゃっっ、と声を上げて肩を跳ね上げた。

 ほかほかとした掌がじんわりと冷え切った頬を温めて、その寒暖差に、ずずっと鼻を(すす)す。

 まったく。こんなことをしでかす人物の心当たりは一人しかいない。

「アレク様っ。驚かせないでくださいませ」

 そう文句を言ったところで、クスクスと笑うその人の温かい手が離れて行った。

 途端に戻ってきた冷たさに、はて、何だったのだろう、今の暖かさは、と振り返る。

 はじめてお見かけした時よりもはるかに立派になり、今ではもう少年と呼んでいいものかと思うほどに、素敵なお兄さんへと成長したアレクシス。背も伸びて、落ち着きも増したようで、けれどその優しげな面差しでふわふわと微笑む姿は、昔からちっとも変わらない。

「今の暖かいの。何ですか?」

 そう首を傾げたエイネシアに、これかい? と彼が見せたのは、ただのグローブに包まれた掌だった。しかし間もなくその掌に、薄らと蛍のような光が浮かび、その幻想的な光景には、わぁとエイネシアの顔が好奇心に綻んだ。

「精霊魔法?」

「そう。光魔法だよ。光自体にはほとんど熱はないんだけど、こうやって掌の上に溜め続けていると、ほんのりと温かくなることに最近気が付いたんだ。お陰で今年の冬は冷え知らずだよ」

 そんなことを言うこの人は、その才を褒めればいいのか、その才を無駄遣いしていることに呆れればいいのか、よく分からない。

 まぁそういうエイネシアも、何度か夏にこっそり氷魔法で生成した氷を頬張って涼を取ったことが有るのだけれど。

「でもやっぱり外は寒いね。早く中に入ろう」

 そう促すアレクシスに、すでに前方に見えている暖かそうな建物の灯りを見て、コクリと頷いてエイネシアもそちらに歩を進めた。


「今日の課題は何?」

「先日ハイン様が仰っておられたユーグレースの地下資源についてです」

「彼は最近地上では飽き足らず、地下にまで潜るようになったんだね……」

 そういう貴方こそ、今度は何処へ向かって掘り進めているのでしょう。そう苦笑しながら、程よく火鉢の焚かれた図書館に立ち入る。

 本がひしめく場所とあって火鉢も最低限で寒々しいのだが、秋の頃から窓という窓にかけられた分厚い濃紅のカーテンや橙色のシャンデリアの灯りが重厚感をかもしていて、何なら夏の図書館よりも好きなくらいだった。

 いつものようにいつもの定位置に課題をおろして、すっかりと仲良くなったニカと一緒に必要な本を集めてゆく。席に着くと、すぐにニカが足元に火鉢を置いてくれて、それにひざ掛けに、暖かい毛皮の肩掛けとランプをおいて、寒くないようにと気を使ってくれた。

 腰掛ける椅子もたっぷりと綿を詰めたソファへと変わっており、心地よい。もはや図書館ではなく書斎の気分だ。

 そんなエイネシアの目の前で、今日は珍しくじっとしているアレクシスも、ソファに腰を沈めてもくもくと本を消化している。

 その様子がいつもと違うから、一体何の勉強をしているのだろう? と首を傾げて本のタイトルを読み取ろうと覗き込んだところで、「気になるかい?」と苦笑交じりの声が掛けられ、ぽっと頬を染めながら肩をすくめた。

 視線に気が付いていたらしい。

「珍しく熱心に読んでおいでだったので。何の本ですか?」

「精霊魔法の基礎をね。今まで魔法にはあまり興味なかったんだけど」

 そう言いながら本の山を軽く掻き分けたアレクシスは、薄目のブルーの表紙にアンティークな絵の描かれた、彼にしては随分と珍しい趣の本を差し出した。

 受け取って開いてみると、今ではもうすっかりと馴染んだ古い装飾的な精霊文字で、『フェアリーブランの物語』と書いてあった。

 その名の通り、一般書に分類される物語書。それも子供向けの御伽噺だ。

「私……これ、知ってます。確か小さな頃、絵本か何かで」

「うん。その原作だね。魔法の基礎関連の本をニカに集めてもらったんだけど。それが混じってた」

 そう苦笑したアレクシスには、エイネシアに暖かいココアを差し入れに来たニカが、「まぁ! これはちっともバカにできない、最高の基礎教本なんですよ!」と口を挟んだ。

 元々作者は精霊魔法の研究者で、その作者が孫に魔法とは何かを教えるにあたって興味を引くために物語調にして説明をしたのが、この物語の元なのだと言う。

「それでアレク様はどうして今になって精霊魔法を?」

 まぁ、学ばないに越したことは無いが、魔法なんてものは、とっくの昔にハインツリッヒに叩き込まれているはずだ。それがどうして今になって、基礎なのだろうか。

 そう思って首を傾げたところで、クスクスと少しおかしそうに肩を揺らしたアレクシスに、はてとエイネシアは益々首を傾げる。

 なんだか、いつもと様子が違う気がする。

「そうか。やっぱり君は、気が付いていなかったんだね」

「何か私は失念していますか?」

「ああ。私が十五なのだということを」

 そう言われてもう一度首を傾げた。

 失念なんてしていない。つい先月の年の瀬に、王宮では王子様の誕生日を祝うささやかな身内の集まりが開かれていたと新聞にもなっていたし、それで彼が十五歳になったことも見知っている。

 エイネシアの四つ年上。ちっとも問題じゃない。


「だからね。次の春から、私は学院に通うことになるんだよ」


 けれどそう付け足されて、途端に、あっ! と目を瞬かせた。

 そうだ。何故だか今のこの生活が永遠に続くのではないかと。そんな気がしていた。

 でも違う。十五歳――それは、この国のすべての貴族の子女子弟が、貴族の特権とも言われる精霊魔法の力を学ぶ為に、王立エデルニア学院へと入学する年の事だ。

 かのゲームの舞台でもあり、エイネシアも勿論十五歳になれば入学することになる。

 アレクシスは今更学校だなんてちっとも似合わないくらい博識で早熟だから、彼が学生をするだなんて事実がスッポリと抜け落ちてしまっていた。

 でも学院の入学に例外はない。

 そして王立エデルニア学院は“全寮制”。時折王家の者には例外もあるが、今の女王陛下は、王家の子も皆同じように学ぶべきと推奨しておられるから、アレクシスも寮に入ることになるはずだ。

「あ……では。もう……」

 そうだ。そしたらもう彼はここには……図書館には、来られない。

「ふふっ。そんな寂しそうな顔をしてもらえるとは思わなかったから、嬉しいね。先日ヴィンセントには、やっといなくなるのかと喜ばれたものだから」

 冗談めいた物言いに、まぁ、と眉尻を下げる。

「ヴィンセント様とは最近あまりお会いできていないんです。とてもお忙しいようで」

 そう言うエイネシアに、「あぁ、そうだろうね」とアレクシスも頷いた。

 というのもこの春、王国誕生祭という年で一番大きなこの国のお祭りの時期に合わせ、間もなく六十歳になられる女王陛下が、ついに王太子ウィルフレッド殿下へと譲位することを宣言なさったのだ。これにより女王陛下は上王として隠居し、ウィルフレッドが国王の座に。そしてたった一人の男児であるヴィンセントがその王太子の座に就くことになる。その準備や勉強で、とんでもなく忙しい。

 譲位式で王太子の近侍という補佐の役割を担うことになるアルフォンスやエドワードもそうであるし、エイネシアだって、最近はことにマナーや儀礼、儀式次第などの勉強ばかりが詰めこまれている。

 図書館通いはその息抜きだ。


「アレク様がいらっしゃらない図書館だなんて、ちっとも想像ができないです」

「もうここに住んでいたようなものだからね。私も今更授業だなんて、まともにじっとしていられるか不安だ」

 そう茶化すような物言いに、クスクスと笑う。

 確かに。ハインツリッヒの講義の時だって、興味が飛散しまくってどんどん本を増やしてしまっていたような人だ。教養レベルの授業を淡々と行うような学院で、この人がまともに授業を聞いているところなんてまったく想像もできなかった。

「また分からないことがあった時は、これからどうしたらよいのでしょう」

「嬉しいことを言ってくれるね。だったら手紙を書いておくれ。是非退屈しているであろう私に有意義な議題を投げかけてくれることを期待しているよ、シア」

 ふふ、と微睡むような笑顔には、いつもなんだかんだと慰められていた。それが見られなくなるのは少し残念で、それに少し心細い。

 いつでもどんな時でも、図書館に行けば気がまぎれたのは、間違いなくここに彼がいたからだ。

 不安で押しつぶされそうな時も。叱責されて落ち込んでいる時も。いつもいつも彼がそこにいた。

 それはエイネシアがどこかで小さく丸まっていても。奥深い茂みの中で涙をこらえている時も。いつも必ずそこにいて、頭を撫でてくれていた。

 それももう、なくなってしまう。

 こうやって時間と共に日常というのは、変わってしまうものなのだ。


「譲位式の日。私、入学のお祝いを持って行きます。何が宜しいですか?」

 本、はもう充分だろうし。でもそれ以外にこの人が好みそうなものなんて想像がつかないし、と首を傾げたら、「本当に? 本当に何でもいい?!」と珍しく目を輝かせて食いついたから、「私に用意できる物であれば」と、一応上限のラインは引いておいた。何かものすごい貴重書とか言われたら流石に無理だ。

 だがそんな心配はちっとも無用だったようで。


「チェリーパイを」


 余りにも思いがけなかった可愛らしい注文に、キョトンと目が瞬いた。

「チェリー、パイ? ですか?」

「いつもヴィンセントたちと楽しそうにお茶会をしているだろう? 少し羨ましかったんだ」

 そう恥ずかしそうに肩をすくめて言う年相応な少年の顔に、パチパチと目を瞬かせた。

 なんだかとっても予想外で。

 でもなんだかとっても、彼らしい。

 やがてふふ、と零れ落ちた微笑みに、そういえば初めて出会った日、チェリーパイをごっそり丸ごとお持ち帰りしたんだったな、と思い出した。

「ですがチェリーにはまだ時期が早すぎます」

「温室に早咲きの桜がもう咲いている。四月なら実が生っているはずだから、ハインに言って分けてもらおう」

 くすくす、くすくす、と笑い声が止まない。

 この世界での温室はとても貴重で高価な設備だ。そんな王立薬学研究室の温室は薬学と植物学の研究のためにあるのであって、間違ってもケーキの材料にするためではないから、分けて欲しいと言ったら間違いなくハインツリッヒが鬼のような顔をすると思う。

 でもなんだかんだ言って、沢山分けてくれると思う。

「ではたっぷりのブラックチェリーと、野イチゴのジャムを加えて。パイ生地の中にたっぷりと入れるのは、チェリームースとカスタードのどちらがいいですか?」

「カスタード。うんと甘くしておくれ」

 どうやらこちらの王子様は甘い物がお好きらしい。

 わかりました、と頷きながら……手にしたお伽噺の表紙を、そっと撫でた。

 そういえばフェアリーブランの物語は、ブランという火の精霊が、少女と一緒にケーキを焼く物語だったか。

 自分はこの少女よろしく、王子様のためにせっせとケーキを焼くわけだ。


「これ。読んでもいいですか?」

 だからなんだか気になって。


 そう声をかけたエイネシアにも、勿論だとも、と、またいつものようにゆったりとソファーに身を沈めて本を捲り出したその人の静かな空気にさらされながら。



 ポカポカと温かい微睡の中で、昔懐かしいお伽噺をめくった。






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