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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第六章 七人の少女とたった一つじゃないその結末
163/192

6-8 解放の日(1)

 その日の朝、一通の眠り鹿の封蝋の飾りを付けた小さな手紙鳩が、エイネシアの枕元に降りたって、頬を突いた。

 何事かしらと薄ぼんやりと開いた視線の先で、シュルシュルと手紙の形を成したその封筒に、肌寒さに小さく丸まっていた体を伸ばして、冷えた指先で封を解く。

 開いた手紙の中には、相も変わらぬ流れるような書体で、エイネシアを心配する言葉が一つ二つと。必ず怪我の一つも無く帰ってくるように、という言葉がもう一つ。それから、今日この日の催しが幸運をもたらすようにと願う、祈りの言葉が綴ってあった。

 便箋一枚の短い手紙だったけれど、わざわざそれを書いて寄越してくれたことに、思わずふわりと顔がほころぶ。

 たったこれだけ。紙面一枚。だけどそれが、どうしようもなく頼もしい。

 でも、貴重な風手紙をこんな私用にだけ使うだなんて、と肩を竦めて、手紙を封筒に戻そうとしたところで、何やらもう一枚、便箋とは違う小さな紙が入っているのを見て、何だろう、と首を傾げながら身を起こした。

 体から滑り落ちた毛布に、一段と冷え込む朝の空気がぶるりと肩を震わせ、すぐにも昨夜ジェシカが置いていってくれたストールにくるまった。

 相も変わらず、北部は冬が早い。

 そんなことを思いながら、もう一枚の紙を取り出して、二つ折りの小さな紙を開く。


『おねがい』


 目に飛び込んできたのは、子供の落書きみたいに下手な文字だった。

 一瞬では文字かどうかも判別できないような、インクの痕跡。

 でも確かに読み取れた短いそのひと単語に、唐突にエイネシアは息を呑んでその紙を握りしめた。

 あぁ、わかった。どうしてアレクシスが、わざわざこんな意味のない短い手紙を送りつけて来たのか。

 この手紙は、アレクシスの便箋の方ではなく、この一言をエイネシアに届けるためのものだったのだろう。

 かつて心無い貴族によって奴隷として貶められ、顔を焼かれ、言葉を失った一人の少女の、初めての“言葉”を伝えるために。

「ノラ……」

 目が合うと飛び去るように逃げてしまう、ブラットワイス大公家の小さな小さな侍女。

 きっとどこかしらで、アレクシスが誰かと、このイースニックでエイネシアがやっていることの話をしていたのを聞いてしまったのだろう。

 そこに、もしかしたら自分と同じような女性達がいるのかもしれないことも。

「ええ。安心して、ノラ。きっと、見つけ出すわ」

 だからそう、ぎゅっと粗末なメモを握りしめたところで、カチャリ、と静かに扉を開いたジェシカが顔を出し、エイネシアが起きているのを見るとすぐに顔をほころばせた。

「お嬢様。お目覚めでしたか?」

「ええ。つい今。今朝は冷えるわね」

「どうやら夜の間に、少し雪が降ったようですよ。外の土が濡れていました」

 そういうジェシカの手には、外の井戸から汲んできた水を温めたであろう盥が持たれていて、すぐにもタオルを浸して、エイネシアに手渡してくれた。

「あら? もしかして、また大公殿下からお手紙がありましたか?」

 クスクスと少し冷やかすように言うジェシカに、タオルから顔を上げたエイネシアは、ちょっと肩を竦めて、傍らに置いた手紙を見る。

「そうだけれど。でも違うわ」

「違う?」

「とっても可愛い女の子から、お願いをされたの」

「王女殿下ですか?」

 そう首を傾げたジェシカには、つい、ふふっ、と声を上げて笑ってしまった。

 可愛い女の子と聞いて、どうやらジェシカは真っ先に、エイネシアの一番の友でもあるアンナマリアを思い浮かべたらしい。

 確かにアンナマリアはとっても可愛い女の子だが、どちらかというと、とってもたくましい姉御、という方が正しい気がする。

「違うわ。でも、『おねがい』って言われてしまったから。今日は頑張らないと」

「頑張るのは結構ですが、まだ時間は早いですから。もう少し気を抜いておいてくださいませ」

 そう言いながら、いつもの通りにコポコポと暖かい目覚めの紅茶を淹れるジェシカから、ティーカップを受け取った。

 少しばかり花の香りがする、すっきりとした口当たりの紅茶だった。

 さぁ。今日は忙しくなる。

 今日こそは。

 今日こそはきっと、見つけ出して見せる――。


 ◇◇◇



「長い間、この土地は苦しく困難な冬の時代で有り続けました。しかし最早貴方達を支配した領主はおらず、その不正は今着々と暴かれ、正されようとしています」

 サンクリクの町だけではない。そこら中、あるいは領都からさえも集まった沢山の民が、打ち壊されて瓦礫と化した政庁の外塀の中に設けられた壇上で声を張るエイネシアを見上げる。

「けれど本当の意味での解放は、とても困難なことです。領主の非道は罪です。しかし、被害者だからと言って私は皆さんを甘やかしは致しません。今まで貴方達は抗うこともできず、領主の言うがままに、自ら思考することも無く流され生きてきた。それは仕方がないことであったのかもしれません。しかしその領主がいなくなった今、皆さんは自ら思考し、自ら行動し、自ら、今までとは違った苦労を背負わねばならないのです」

 サンクリクの民には何度もそんな話をしたから、壇上の近くに集まった見慣れた顔の民達は、とても良い顔をしてエイネシアを見上げてくれた。

 ただ遠方から集まったらしい民の中には、やはりザワザワとざわめきながら、眉をしかめるものが見受けられた。

 だがそれでも、これだけは言っておかねばならない。

「圧政は苦しみを与えますが、苦しみの責任を他人に擦り付け、加えられる圧力に流されるだけで、考える必要性がありません。しかしその圧政が解き放たれた今、貴方達は自ら何をするのかを考え、何かを為してゆかねばなりません。けれど自分で自分がどうするのかを考えることは、今貴方がたが想像しているよりもはるかに労力がいることです。道が見つからず、不安になることもあるでしょう。何をしたらいいのか分からず、戸惑う方もいるでしょう。我々は、それを少しでも助けてあげられるように努力をします。けれどこれだけは忘れないで下さい。“自由”の対価は、とても大きい。とても、大変なんです。皆さん一人ひとりの労力なくして、自由は訪れません」

 なんとも陳腐な言葉だとは思うが、実際、領主の言うがままに機械のように動き続けてきた彼らにとって、それは多大な困難を伴うであろうことだけは、伝えたかった。

 それで諦めて労働を投げ出してしまえば、いつまでもこの領地は良くはならない。

 自由の対価には、きっとこれまで以上の努力が必要になる。

 それが、強要されず、虐げられないことへの見返りだ。

「だからその活力として。私は皆さんに、自らの力で、自由を選んだのだ、という確信を得て欲しいと思っています」

 どういうことだ? とざわめく彼らに、エイネシアは極力彼らの不安を解きほぐせるようにと、緩やかに微笑んで見せた。

「かつてこの国には、ジュロー伯爵という非道な領主が治めた土地が有りました。領地に入ってきた者を外へ出さぬようにと莫大な関税をかけ、領地を逃げ出そうとした民の命を一方的に奪い続けた、許されざる領主でした。けれど民達は自らの力でこれに刃向い、自らの手で策を練り、領主を討ち取り、自由を勝ち得ました。彼らは自分達の住まう土地を愛し、取り戻したいと望み、領主を断罪し、自らの手で自らの土地を復活させようと努力したのです。その土地は今も、新たな領主と民たちがその教訓を胸に刻み、領主は民に尽くし、民は努力して活気を生み出し、豊かな土地を築いています」

 だがサンクリクに来てすぐに、彼らは違う、と感じた。

 彼らは自分達の土地を愛してはいない。

 この場所から逃げ出し、捨ててしまいたい。むしろ、忘れてしまいたいとさえ思っている。

 だがどうか、見捨てないでほしい。

 この土地が生まれ変わることを、信じて欲しい。

「旧イースニック領は、本来はとても豊かな土地です。北部穀倉地帯の真ん中に横たわり、飢饉に見舞われようとも、これまでも何度も立ち直ってきました。そしてこの領地が長い間外界から遮断されていた間にも、私は隣のバーズレック伯爵領に対し、北部の気候にも適した新たな麦の種をもたらしました。飢饉に怯えなくても良いように、沢山の人の手を貸して生みだした新たな品種です。それだけではありません。貴方達の周りでは、災害に苦しんだすべての人を救うため、沢山の人達が考え、手を尽くそうとしていたんです。残念ながら旧領主のせいでそれは皆さんに届くことが出来ずにいましたが、その圧政は解かれました。今、皆が貴方達に手を差し伸べようとしています。どうかそれを、無下にしないで下さい」

 とはいえ、じゃあ明日からはりきって頑張りましょう、だなんて、言えるはずもない。

 心の傷を癒し、自ら活力を見出していくには、きっと長い時間が必要になるだろう。

 だからその手助けを、したい。

「今皆さんに欠けているもの。それはきっと、“実感”です。古い時代が終わった。これからは今までとは違った、新しい時代が始まる。その実感を、貴方達に与えたい。環境が変わってしまうのは不安でしょう。けれどこの土地は、変わらざるを得ない状況にあります。だからそれを受け入れるための努力をしてください」

 だけど、後ろ暗さの中でいやいやながら領主に背を叩かれて始めた未来なんて、ちっともハッピーじゃない。

「そしてどうせなら。新しい物語は、やっぱり“笑顔”で始まらないと、駄目だと思うんです」

 そうニコッと微笑んだエイネシアには、皆もおもわずキョトンと顔を跳ね上げた。

 小難しいことを言っているかと思いきや、唐突に年相応なことを言い出して、驚いたのだろう。

 だがエイネシアはいたって真剣なのであって、決してそれを軽い気持ちで口にしているのではない。心から、皆に笑顔を取り戻させたいと思って、言っている。

 それが自ずと伝わっているのか。誰も、その言葉に野次を飛ばしたり、笑う者はいなかった。

「だから今日は無理やりにでも笑って、圧政からの脱却を自分達の意思で、祝って下さい。といっても、相変わらず北部は今全体的にも物資が乏しくて貧しい状況ですから、かき集めた食料はちっとも御馳走じゃありませんし、ワインは水で薄めて提供します!」

 そう胸を張ったエイネシアには、先程、たった一つしかないワイン樽に水を注いでかさを増やしてみせたサンクリクの男達が、ワハハハハ! と声を上げて笑った。

「でもきっと五年後。十年後には、美味しい御馳走と、芳醇なワインが提供されることでしょう。どうか、そんなこれからの豊穣を願って、夜通し祝い、騒いでください。今日この日を以て、この土地は生まれ変わります」

 いつの間にやらすべての民に行きわたった、色の薄い、ほとんど水のようなワイン。

 そのあまりの薄さには、皆が肩を竦め、「こりゃ酷い」と、思わず笑ってしまう。

 でもこれ以上薄めようもないそのワインが、今のこの土地であるならば、あとはもう、良くなるしかない。

 この土地の未来は、どうしようもなく明るいものしかない。


「未だ名のないこの土地の、これからの未来。新しい未来に!」


 エイネシアが掲げた盃に、皆が唱和してくれるのか。

 そんな不安を抱えていたのは、最初だけだった。

 見やった先で、サンクリクの民達が。それにつられるようにして、集まった皆が盃を掲げ、「新しい未来に!」と唱和する。

 そして一斉に口に含んだそのワインに。

「まずッ!」

「うっすっ!!」

 いたるところで上がった非難の言葉が、次いで、誰からともない大きな笑い声を生みだした。

 その賑やかな様子が、たちまちにエイネシアをほっと安堵させた。

 だからエイネシアもまた、祝い酒のつもりで、手にしたグラスの中身をちょぴりと舐めて。

「……まっずっ」

 思わず同じ言葉を呟いたなら、先程そのワインを神殿に捧げる祭礼を行なって下さった、立派な赤のガウンを纏ったヴィヴィ司祭が、大笑いをして下さった。

 こんなものを供えられたんじゃあ、神様も眉をしかめているに違いない。

 ただ将来この土地では、解放祭と名付けられたこの日の祝祭のたびに、何故か誰もが水で薄めた不味いワインばかりを飲んでそれを祝うようになるのだが……それはまだ、エイネシアの知らぬ話である。


 ◇◇◇



「さて。では皆さん。本日のメインイベントに、取りかかりましょう」

 薄いワインで無理やり上機嫌になった民達が、乏しい食事で無理矢理お祝い騒ぎを繰り広げる中、政庁の西の一角にはサンクリクの民と土建関係者が集まっていた。

 エイネシアも祭典用のそこそこきちんとしたドレスから、汚れても良いような粗末なワンピースに着替え、政庁内で見つけた重たい槌を手にしていた。

 重機というものが無いこの世界で一体どうやってこの大きな建物を壊せばいいのかちっとも想像がつかなかったのだが、どうやら魔法の援助をかけつつ、手作業でぶち壊していくのが主流らしい。

「中の備品や装飾はすべて取り外して有ります。目標として、南西の増築棟はすべて解体。いい建材があれば町の再建に使うので、材料集めだと思ってしっかりぶっ壊してあげてください!」

 そんな物言いには、皆ケラケラと笑いながらも、「任せておいてくれ!」と頼もしく胸を叩いてくれた。

「あ、でも安全重視で。ノークさんの指示を守って下さいね」

 そう言った先で、この日の段取りを一緒に詰めてきたサンクリク出身の大工の一人を見やると、彼もまた「任せてください」と言ってくれた。

「北西は少し調べ物をしてからの解体になります。近衛は南西側の解体を魔法で援助。リカルドと、それからもう数人は、私と一緒に北西の方にお願いします。あとは……」

「秘密も守れそうな、腕のいいのを数人揃えています」

 そう進み出たのは、同じくサンクリクの大工のクリットである。

 昨夜の内にもノークとクリットが、エドワードやミケが知らせてくれた西棟の不自然な箇所を丹念に調べてくれたが、やはりすぐに分かるような目ぼしい隠し扉のようなものは出てこなかった。

 三階部分の不自然な空白については、昨夜の内にも天井板を外せそうな場所に目星をつけてくれているが、実際の調査は今日今からになる。

「よし。では始めましょう!」

 まずはその開始の合図がてら、儀式的なものとして、今回の責任者であるエイネシアが壁に最初の一打を加えることになる。

 だから、持ちなれない槌をぎゅっと握りしめると、建物壁に付随した倉庫部分の壁を前に、よいしょ、と槌を振りかぶって。

 ドォンッッ、と思い切り壁に打ち付けたけれど。

「ッッ……っったぁぁぁっ」

 ジィィンッ、と腕を伝って全身に走った凄まじい痺れと衝撃に、思わずボトッ、と、槌が手から転がり落ちる。

 不味い。いくらなんでもこれは縁起が悪いのでは。

 いや。でも取り繕えないくらい、これは痛いッ。

 そう涙目になりながら、パラリとも傷つかなかった壁にビクビクしながら振り返ったら。

「ッ、ハッハッハッハッ!」

「嬢ちゃん、いくらなんでもそりゃ無理だわ!」

「はははっ。そんな全力で叩くだなんて思わなかったぜ!」

 大笑いをする町の人達に、思わず、「えぇっ?!」と呆気にとられてしまった。

 う、うん。まぁ、こんなことで壁が壊れるようじゃあ、三階も支えられないよね、とか……思わなくはないけれど。

 でもそんなに笑われるだなんて。

 それどころか片隅で、近衛達までもが粗放を向いて笑いをこらえているではないか。

 まったく……度し難い。

「よーし、嬢ちゃんが景気づけてくれたところで」

 そんな皆を諌めながら、すっかりいい顔になったノークが、ごそごそと鞄から筒状のものを取り出して。

「火薬、しかけっぞー」

「火薬、あるんじゃない!!」

 思わず突っ込んだエイネシアに、再びその場は賑やかな笑い声に包まれた。




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