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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第六章 七人の少女とたった一つじゃないその結末
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6-6 不自然な空白

 書類は朝を待たずに、優秀な近衛の護衛を伴った少数精鋭で、直ちに王都へと送り届けられた。

 相手が補足できぬよう、風魔法を最大にかけた単騎で、立ち止まることなく夜通し王都まで走るという。

 ゆえにそれが無事に王都の近衛本部へ届いたのは、わずか二日後の早朝のことだったようで、エイネシアの元にも直ちに、父からの『よくやった』との短い風手紙が届けられた。

 あの父が人を褒めるだなんて珍しい。

 だからむしろその言葉が怖くて、『私、何かやらかしたかしら……』なんて身をすくめていたら、ジェシカがクスクスと笑いながら、『旦那様なりに、お嬢様をご心配なさってのお言葉ではありませんか?』と言われた。

 要するに、書類を届けた近衛によって、エイネシアの身にも危険が付きまとっていることが報告されてしまったのだろう。

 それで帰ってこいと言わない父は流石だったが……母とか、アレクシスとか、エドワードとか、アンナマリアとか……なんだか色々と、王都に残してきた皆の怖い顔が想像されて、逆に怖かった。

 暗殺のような類の手は、それからも何度かあった。

 むしろ何度もありすぎて、段々と麻痺してきた。

 あの日以来、少しだって近衛がエイネシアの傍を離れないようにと徹底してあったため、エイネシアが気が付く前に対処されることがほとんどだったが、それでも次々と送り込まれてくる暗殺者は後を絶たなかった。

 今や毎晩、ジェシカが同じベッドで寝てくれる始末である。


「書類はもう手元に残していないのに、未だに暗殺の手が止まないということは、私自身を厭うて排除したい勢力があるという事ね」

 そう冷静に分析をしながら、最早すっかりと板についた平民と変わらぬ恰好に、乱雑に髪を括ったエイネシアが自ら炊き出しの大鍋をかき混ぜるその様子には、傍らでジャガイモの皮むきをするジェシカが深い深いため息を吐いた。

 もはやお嬢様のこの格好についてあれこれ言うことは諦めたのだ。本日分の報告を行なっていたリカルドの方も、もはやこの状況に突っ込むことはない。

 できれば今は町中で呑気に炊き出しの手伝いなんてせずに、きちんと政庁内で守られていて欲しいのだが……絶対に、聞き届けてはもらえないだろとの確信がある。

 流石は、あの放蕩王子の恋人である。

「そうと分かっておられるなら、こんなところで呑気に炊き出しなんてやってらっしゃるのは不味いのではありませんか?」

 ただ一人呆れた顔でそう突っ込んだのは、唯一良識があるらしいヴィヴィ司祭で、しかしながらその司祭様という教会の高位にあるはずの御仁もまた、何故か手ずから鍋の下にしゃがみ込んで火を熾していらっしゃる。

 突っ込みどころが多すぎて、もはや突っ込む気にもなれない。

「バーズレック伯がこの夏に収穫できたばかりの備蓄用の小麦を沢山分けて下さったの。今日はこれですいとん汁にしましょう」

 ヴィヴィの言葉を敢えてスルーすることにしたらしいエイネシアは、そう言ってさっさと麦袋に向かう。

 その小さな体躯で麦袋を抱える様子は何とも覚束なくて、なんだかんだ言いつつも、リカルドも思わず手を差し伸べてしまった。

 この手は麦袋を抱えるためではなく、このお姫様を護衛するためにあるはずなのだが。

「有難う、リック」

 うむ……もう、慣れてきた。

「それで。姫様のお命を脅かす者として、姫様はそれを何処の手の者とお考えになりますか?」

 エイネシアの指示通り、小麦粉の袋を開けて大きなボールに注いでやりながら話を続ける。

「フレデリカ派であることは間違いないとして。初めは書類が狙われたのを見ても、イースニック伯関連。特に書類に名の上がっていた貴族か商人関連だと思っていたけれど、書類を手放して……むしろあれ以来、私をメインに標的にしてきたというのは、私がここにいることが王都の誰かに知られたせいね。私に王都に帰ってほしくない誰かがいるんだわ」

 あくまでエイネシアは、王都では未だに“行方不明”であるはずなのだ。

 まぁ、宰相府の動き諸々から、とっくにその噂が古くなっていることは皆認識しているであろうが、それでもエイネシアの居場所はあの狂言誘拐以来、皆見失った状態にあるはずである。

 だがイースニックでの調査が芳しく進行する中で、これを危惧した誰かの手がイースニックへと延び、そして偶然にも、ここに行方不明中のエイネシア・フィオレ・アーデルハイドが滞在中であることを知ってしまった。

「お嬢様が王都に戻ったら困る勢力が犯人、ということですか?」

 首を傾げるジェシカに、そうよ、とエイネシアは頷いて見せる。

「多分、フレデリカ妃本人でしょう」

「そんなっ」

 ジェシカは目を瞬かせて顔を青くしたけれど、エイネシアにしてみればそれが一番しっくりとした、自然な解答だ。

 元よりフレデリカにとってエイネシアは何よりも邪魔な存在に他ならない。

 エイネシアがヴィンセントに付けばよし。そうならないのであれば、居ない方がいい。

「ここで私が命を落とせば、北部にもくろみ通りのクーデターを起こさせる契機にもなる。アレク様から私の血筋と公爵家の後ろ盾を奪うこともできる。怒った宰相府もボロを出すかもしれない……まぁ、お父様に限ってこれはないと思うけれど。でも逸って失策をとる保守派の貴族が現れる可能性はあるわね」

 フレデリカには、良いことしかない。

 元よりエイネシアはフレデリカにとって、我が子ヴィンセントの王位のために利用しうる存在であり、だがそれもエイネシアの意思によって悉くそれが反故にされ、むしろ追い詰められることになってしまった経緯がある。エイネシアを快く思わない理由なんてそれ一つでも十分であるし、それ以外にも、あげ出したらきりがないほどに有る。

「ですが……私はやはり、信じたくありません。王太子殿下が……あの殿下が、お嬢様を……そんなの」

 そうぐっと唇を強く噛み締めたジェシカの面差しには、エイネシアも眉尻を下げて、苦々しい笑みを浮かべた。

 ジェシカは、知っている。小さな頃、エイネシアとエドワードと本当に親しかった、ただ幼馴染であった頃のヴィンセントのことを。

 お菓子の包み紙を返しに、ヴィンセント自身がアーデルハイド家に来てくれたこともあった。そこでエイネシアの手作りのお菓子を振舞いながら、親しく言葉を交わしていたエイネシアとヴィンセントのことも、ジェシカはずっと見ていた。

 たとえその関係が壊れてしまって、今や相容れない関係になったとしても……それでもあのヴィンセントがエイネシアの命を狙うだなんて考えられない。いや、考えたくないのだろう。

 それはエイネシアも同じ。

 にわかに信じられないという思いもある。

 だけど。

「今私は間違いなく、ヴィンセント様の命を狙うにも等しい行いをしているのよ。その逆だって、あり得ないことはないわ」

「お嬢様……」

「でも、そうね……私も、何となくだけれど。この件に、ヴィンセント様は関係がない気がしてならないわ。そう、期待しているだけかもしれないけれど」

 でも何となく。ヴィンセントが自ら、エイネシアの命を奪うようなことを命じる様子というのは想像ができなかった。

 むしろ、『そこまでする必要はない』と、庇ってくれそうな気がする。

 それは勝手な期待であり、勝手な推論でしかないと分かっているけれど。

 そうであったらいい、と……そう、思ってしまう。

 あぁ。なんて身勝手なことか。

「でも私はたとえそうであっても、後悔するつもりもおもねるつもりもないわ。分かっていて始めたことだもの。受けて立って見せるわ」

 最初から分かっていたことだ。

 ヴィンセントから恨まれる覚悟――それが、エイネシアがアレクシスに誓った覚悟だ。

 彼が義兄に恨まれる覚悟をしたのと同様に、エイネシアもまたそうであることを選んだ。

 だからちっとも後悔なんてしていない。

 しては、ならない。

 それに最近は、自分が行なっていることが決して罪ではないのだという意識も芽生えつつあった。

 それは、このイースニックの現状一つとってもそうである。

 少なくともフレデリカ派は、絶対にあってはならないことを黙認していた。

 国を転覆させるのに、イースニックの現状は、それだけでも充分に理由づけられるものであったのだ。

 私たちは間違っていない――。

 それを、くしくもこのイースニックで、知ることになった。

 あとはただ……行方知れずになったままの女性や工人達が見つかってくれさえすれば、何の愁えもなくなるというのに。

 そう、一つ吐息を溢しながら、水を混ぜた小麦粉生地を、がしゃがしゃと混ぜていたら。

「申し上げます!」

 駆け寄ってきた近衛が一人。恭しく膝をつき、エイネシアに一通の書状を差し出す。

「ただいま王都の“エドワード・フィオレ・アーデルハイド卿”より、こちらが」

 その大きくて分厚い束が、この煮詰った状況を、大きく転換させることになるだなんて。

 どうして、想像したであろうか。


 ◇◇◇



「エドが指摘してきた不審な点は、主に三つ。どれも、西側の増築棟よ」

 政庁の会議室に広げた幾つもの大きな紙に、リカルドをはじめとする幾人かの近衛と、オーブやジェシカ、ヴィヴィにシロン。それに町の代表として呼ばれた数人が、一緒になってそれを覗き込む。

 先んじてシロンが記した素人図面を大図書館の司書であり建築史を専門とするミケに送ったのが五日前の事。この日エドワードから送られてきたのは、それに対する返書であった。

 ミケの手によって詳細に検討され作成された図面は、建築を生業としている町人が見ても感嘆する出来だったようで、さらに図面には幾つものミケとエドワードの弖による指摘が書き込まれていた。

 加えてミケからは、建築年代に合わせた隠し扉の用途や特徴に関してまとめた論文が数冊。エドワードからも、増築箇所の装飾がどの時代を模したものであるのか。従ってどの時代の隠し建築に対比しうるのかなどが要約されて記されており、大いに示唆を与えるものとなった。

 それら論証の類はまずはさておき、そんな二人が検討を加えた結果、怪しいと指摘されていた箇所は三つ。

 図面に直接記された見慣れた大図書館のブルーインキに、少し古びた古書の香りが、自然とエイネシアの思考を冴えわたらせてくれる。

「地下室の可能性ばかりに目を奪われていたけれど……二人の推論だと、二階と三階の増改築の方が不自然なようね。一緒に送られてきた手紙によると、ミケはとりわけ、不自然な天井高の違いを気にしているようだわ」

 以前シロンが、外から見たら屋根の高さは同じなのに、西棟と東棟では階段の段数が違っていることに疑問を抱いている、と言っていた。

 ミケが気にしたのもその点だったようで、不自然な天井部の“空白”が指摘してあった。

 それを含め、最も不自然な箇所を三つ、エドワードがチェックを付けてくれていたが、それがくしくも二階と三階に集中していたことは、皆が驚いたところである。

「ミケやエドワード卿のご指摘だと、屋根裏などに隠し部屋が存在する、ということになるのでしょうか?」

 そう首を傾げたリカルドには、「いえ、それは無理です」と、シロンが答える。

「確かに屋根裏に不自然な空間があることは確かですが、いくらなんでも狭すぎます。人が立って歩ける高さがあるかどうかという程度です」

 最も、そんな高さもない場所に誰かを幽閉しているとなれば話は別だが……。

 そう懸念するシロンには、「いえ、それはないでしょう」と、エイネシアが頷く。

「女性たちはともかく、武器の密造に関してはそれなりの環境が必要なはずよ。快適な作業場であるとは限らないけれど、少なくとも鍛冶には火を使うわ。密閉された空間でないことは勿論、ある程度天井に高さが確保されていなければ、いかに火精霊魔法士がいたとしても……」

「不可能……ですね」

 それにはリカルドも頷いた。

「あとは“音”ね。いくらなんでも政庁の真上でそんな作業が行なわれていたら、皆気が付くわ」

 確かに、と、皆が頷く。

「ではエドワード卿のご指摘する箇所の意味とは何でしょうか?」

「これは、隠し通路に関する指摘ね。エド達に図面を送った時は、まだ工人が捕らわれている可能性なんかは分かっていなかったから、単純に、政庁内に隠し部屋がある可能性だけを述べて分かる限りの図面をシロンに書いてもらって送ったの。だからエドとミケが指摘してくれたのは、建物の構造的に不自然な“空白”に関する指摘よ。ミケはそれを実に的確に図面に起こしてくれたことになるわね」

 そしてその空白を連続的に繋ぎ合わせたエドワードは、特に不自然となる三つの箇所を指摘してきた。

 二階、西と東の不自然な隙間のあいた壁。

 二階、同じく西と東の境にある部屋の、一部屋だけ不自然に小さな間取り。

 三階、奇妙な天井裏の空間。

 この三つだ。

「すぐに取り壊して調べますか?」

 そうリカルドをはじめとする近衛達が、相変わらず血の気の多い様子で名乗りを上げたけれど、「冗談を言っちゃあいけません!」と、それを数人の町人が慌てて引き止めた。

「旦那。建物ってのは、計算されたバランスの上で成り立ってるんですぜ。無作為に壁を壊して穴なんて開けて、もしそれが建物の重要な支えになるような壁だったらどうするんです!」

「隠し部屋の類には、壁を壊すと上まで一気に壊れるような仕掛けが施されていることも少なく有りやせん! 下手すりゃ天井が落ちちまいます!」

 そう力説する彼らは、元々建築を生業としているだけあって、流石に説得力があった。

 これにはリカルドも慌てて、「そ、そうですよね」と引き下がる。

 少し前に、エイネシアが政庁を『ぶっ壊す』と言った時に、それを止めようと彼らを連れてきたのはリカルド自身である。それが今やこの状況なものだから、ついエイネシアも肩を揺らして笑ってしまった。

 でも気持ちは分かる。

「ノークさん、クリットさん。うちの弟の指摘箇所について、お二人はどう思います?」

 そんな町人の二人に、エイネシアはクルリと図面を反転させて、彼らにそれを見せる。

 すぐに仕事の顔をした二人は、うーん、と唸りながらそれを覗き込む。

「しかし……すごい図面ですね。僅かな情報だけで……こんなにも細かく分かるものなのか」

「図面だけで、不自然な空白の導線をここまで繋いで考えられるというのも……」

 うむうむ、と、ひとしきり関心の言葉を述べると、間もなく、「二階のこっちの壁は、壊したら不味いでしょう」と、ノークが先に口を開いた。

「そうですね。耐震的な問題というより、上の空白に何があるのかわからない以上、下手に力を加えるのは怖い」

「三階の屋根裏ってのは、梁に気を付けてりゃ天井板を壊すくらい問題はないですが……」

「その屋根裏に何があるのかわからない以上、安直に手を入れるのはやはり無謀かしら?」

「そうですね。それよりもうちっと堅実に、屋根裏に上がる為の何かしらの手段がないのか、探った方がいい」

 何なら自分達に探させてください、という彼らに、エイネシアも一つ頷いて見せる。

 素人である自分達とは違って、何か気が付いてくれるかもしれない。

「あとは、この二階の不自然に間取りの小さな部屋。ここの壁なら、壊せます」

 そう指を指したのはクリットで、すぐにノークも、「だな」と頷いた。

「ここはいいんですか?」

「安全を重視するなら、多少添え柱をしたりするのがいいだろうが。だが上の階も下の階も、同じ間取りの部屋。ただ二階だけが、東側が不自然に狭くなっているというのを見ても、一メートル強幅の小部屋か何かがあるみたいだ。とはいえ部屋にしちゃあ小さすぎる。塗り固められただけのただの分厚い壁かもしれねぇが……」

「上や下の階の空白と連続している以上、何かしらの空白の空間が出てくる可能性が高い……」

 そう唸ったエイネシアに、彼らも頷く。

 彼らもエドワードの指摘と同じ見解なわけだ。

「分かったわ。ひとまず二人とも、三階の屋根裏の検分をしてみてくれる?」

「了解した」

「嬢ちゃんの頼みなら仕方ねぇな!」

 ニッ、と気のいい顔で胸を叩いて見せる彼らに、「お願いね」と肩を竦める。

「それで何も見つからない、あるいは外れだった場合は……」

 トンッ、と、件の二階の壁を指差して。

「明日の祭りの“打ちこわし”で、ココを破壊箇所に含めましょう」

 チラリと見やった先で、リカルドが引き結んだ顔で頷く。

 今宵はもう暗い。

 本当なら今すぐにでも取り掛かりたかったが、何しろ昨今身の回りの慌ただしいエイネシアの事であるから、自分の安全のために、明日、と口にしたのだ。

 どうやらそれでリカルドも納得してくれたようで、はやる気持ちは抑えつつ、エイネシアもそれで妥協した。

「これで……何か、見つかってくれたら……いいのだけれど」

 この不自然な空白に、果たして何があるのか。

 それが少し怖いような。

 今なおエイネシアの中に、長らくどうしようもなかった自分を責める気持ちが渦巻いたけれど、それをぐっと堪えながら、口を引き結んだ。


 すべては明日。

 明日になれば、分かるはずだ。




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