表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第六章 七人の少女とたった一つじゃないその結末
159/192

6-4 祭の準備

「姫様。倉庫の探索、すべて終了いたしました」

 薄暗い地下のシャンデリアは落ち、荒らされた形跡に鬱蒼と嫌な雰囲気が漂いながらも煌々と松明の焚かれた部屋の中で、かき集めたテーブル一面に書類を広げてシロンと一緒に覗き込んでいたエイネシアは、かけられた声に顔を上げて振り返る。

 この町に滞在する近衛のほとんどを率いておこなった商会の隠し倉庫の探索は、頑丈な鍵やカモフラージュのほどされた部屋などが多く、思いのほか難攻した。

 しかしそんな捜索にも、リカルドの傍らにいる数人の町の男達が大きな貢献を果たしてくれることになった。

 彼らはこの廃棄された隠れ家から物資を盗み出していた犯人なわけだが、先んじてこの倉庫内を物色していたおかげか、仕掛けのパターンみたいなものを理解していたようで、困惑していたエイネシア達に色々と力を貸してくれたのだ。

 お陰で少しは調査も順調に進んだ。

 そうして三日とたたずにすべての調査を終えたリカルドが、最後の沢山の紙やら本やらの束を抱えてやって来たかと思うと、テーブルにどっさりとおろした。

「随分と集まったわね。これだけの書類と本が出て来るとは」

 そう整理済みの束をまとめたエイネシアは、未だ後ろめたさからおどおどとしている町の男達に、「本当に助かったわ」と声をかけた。

「しかし行方不明の女性達については、やはり影も形もありませんでしたね。おしろいの匂い一つ感じられません」

 そう言うリカルドの言葉の通り、期待したところの、連れ去られた女性達については、未だ一切の手がかりが見つかっていない。

 やはりもうこの町にはいないのだろうか。

「先に集まった書類に目を通してみたけれど、やっぱりここは商家と領主や役人側が裏取引などをする際に用いていた場所のようね。仰々しいホールみたいなものもないから、行政側の人間を“もてなす”という意図の場所ではなかったのだと思うわ」

 ただ一つ気になるのは、この地下の一室に、奇妙な鉄格子の嵌められた一角があったことだ。

 何処からどう考えてもまず良い予感なんて微塵もしないその部屋にも、やはり女の影など一つとして見辺りはしなかったものの、あるいはそこから女性が外へと運び出されたことは想像できた。

 それゆえに、行方不明の女性達が見つからなかったことがさらに口惜しい。

「隠し扉の類がないかなどは、今しばらく調査を続けます。重要な書類の類がすべて回収できたようでしたら、すぐにでも上の建物を取り壊して、調査を」

「そうね。今日の内にもこれらはすべて政庁に移動させましょう。私も、なんだか余りここにはいたくないわ」

 そううすら寒い地下の部屋に身をすくめて見せたところで、何気なくシロンが厚手のショールをエイネシアの肩にかけてくれた。

 寒いわけではなかったけれど、その心遣いがほっとする。流石は王宮侍従様だ。

「姫様。ここは、あとは私が。姫様は先にお戻りください」

 さらにそう声をかけたシロンに、今しばらく、うーん、と考えふけったけれど、階段の上の方から、「姫様、こちらにいらっしゃいますか?」と言うヴィヴィの声がしたのを耳に入れると、「ではお願いするわね、シロン」と託して、階段の方へ向かった。

「ヴィヴィ司祭。何かありましたか?」

 そう階段に向かうと、床板にカモフラージュされた小さな出入り口からひょっこりと、ますます司祭様とは思えないほどにくたびれた格好になっているヴィヴィが顔をのぞかせた。

「これは……また。随分と巧妙な隠し扉ですね。本当に地下があるなんて」

 そう思わず目を瞬かせるヴィヴィに、「あんまりコチラに関わっては、またいらない心労を背負うことになりますよ」と苦笑する。

 政治やら貴族のあれこれやらきな臭いこととは一切遠ざかっていなければならない聖職者様を、こんな行政調査の手の入っている場所に案内した痴れ者は一体どこの誰であろうか。

 そう思ったのだけれど、「え、そんな不味いところなんですか?」と慌てて飛び下がったヴィヴィの周りにいるのがこの町の人達であるのを見て、なるほど、とエイネシアも肩をすくめてしまった。

 司祭様を連れてきたのはどうやら彼らだったらしい。

「不味かったかい、お嬢様。司祭様がお嬢様をお探しだったからよ」

「いいえ。司祭様をご案内下さってありがとうございます。でも明日からこの辺を取り壊して、本格的な調査をはじめますから。あまり近づかないように、皆さんにも触れておいてくださいね。子供なんかが近づいたら危ないですから」

「分かったよ。人手が必要なら言っておくれ。あたしらはお嬢様にはなんだって協力するからさ」

 そうにこりと笑ったおばさまに引き続いて、建物の外で待っていた男達が、「お、来た来た!」と顔を跳ね上げる。

「お嬢様! 西側の町の地図を探してただろ? ちょっと古いが、良いのが出て来たんだ。見てくれないか!」

「おい、待てッ。こっちが先だぞ! お嬢さん! 中央通の再建の話なんだが!」

「待て待てッ! 最初に待っていたのはこっちだぞ!」

 わーわーっ、と一気に群がってきたそのあまりの人手には、思わずエイネシアも、わっ、とのけぞってしまう。

 いつの間にこんなに集まっていたのやら。

「待ってください、待ってください。順番に!」

 そう促すけれど、我先にと声を上げる皆が、いつの間にやら取っ組み合いで先を争う。

 これを収拾するにはどうしたらよいのやら。

 そうエイネシアがオロオロしていたら。

「皆様、ご静粛に!」

 キンッ! と張り上げた甲高い女性の声色が、一気に彼らを鎮静化させた。

「そんなに一気に言われたら、お嬢様が困ってしまうでしょう! ほら、整列して! お嬢様への取次はすべてまず私を通してくださいませ!」

 そう腰に手を当てて大の男たちを恫喝する頼もしい、白と黒のお仕着せの淑女……ジェシカさんに、思わずヴィヴィ司祭が、おぉ……と感嘆の声をあげた。その姿には、エイネシアもついクスリと笑ってしまう。

 ジェシカがこんな秘書みたいな仕事をするようになったのは、つい二日前からである。

 北方大教会から物資と共にやって来たヴィヴィが炊き出しを始めると、人々もその温かい汁物に心をほだされ、ましてや一緒になって汁物を啜りながら民衆に溶け込んだエイネシアにも段々と心を許すようになっていった。

 気が付いた時にはもう、無遠慮に誰もかれもがエイネシアに寄ってたかるようになっており、それを見たジェシカが、その孤高なる“西方公の姫君”への無礼三昧な状況に絶句して、『うちのお嬢様に何をしてらっしゃるんですかー!』と、たちまち民衆を蹴散らして下さったのだ。

 まぁ、彼らの情報が必要であることは理解しているので、こうして何もかも無下に追い払うというわけではないのだけれど、おかげでエイネシアも色々と情報の整理ができて助かっている。

 意外なところでジェシカの才能が開花してしまったようである。

「それで。ヴィヴィ司祭のご用件は何でしたか?」

「姫様が待っていた、王都からの風手紙が教会宛てで届きましたよ。それをお届けに。それから例の“祭り”の件で、二、三、お聞きしたいことがあったのですが……」

 ひとまず丁重に持ってきた、相変わらずカモフラージュに用いられている“眠り鹿”の封蝋の施された手紙を差し出したヴィヴィに、思わずふわりと顔をほころばせながらそれを受け取る。

 宰相府から、イースニック領都の政庁経由ではない教会経由の風手紙ということは、間違いない。アレクシスからの報告だろう。

 でもそれを嬉々としてこの場所で読みふけるわけにはいかないから、「確かに受け取りました」といってポケットにしまった。

「それで、祭りの件とは?」

「あー……いえ。それはまた後ほどに致します。先にお話しては、順番待ちをしている皆様に恨まれてしまいそうですから」

 そう笑ったヴィヴィの目の前で、民衆たちがはっとした顔で、「いやいやっ、司祭様にそんなことをいわれちゃあ」と困った顔で頬を掻いた。

 教会の聖職者という肩書は伊達ではなく、ヴィヴィはほんの三日前、ぼろぼろに朽ちていた教会にやって来たその日から、あっという間に民衆の中へと溶け込んだ。

 すでに教会は町の人達が毎日寄せ集まってくる町の中心になっており、ヴィヴィはそんな彼らの支柱的な存在になっているのである。

 それにはきっとヴィヴィの人柄も無関係ではないはずで、上品な物腰ながらどことなくや柔らかな雰囲気と、大教会を渡り歩いてきただけあって、にじみ出る聖職者としての清廉さが、民衆の信頼を勝ち取ったのだろう。

 彼らがエイネシアに心を開いてくれたのだって、そんなヴィヴィがエイネシアととても親しく言葉を交わし、協力関係にあることを明確にしてくれたおかげだと思っている。

 やはり教会というのは偉大だった。

 そんなヴィヴィに、『解放祭をやろうと思う』と持ちかけたのは、彼がこちらにきてすぐの事だった。

 初めは首を傾げていたけれど、いくつかのかつての圧政からの脱却に関する例をあげながら祭りの意義を説明したエイネシアには、町の人達もすぐに興味を持ってくれた。

 何か一つ。区切りを付けよう――。

 その提案が、皆の中でも少しずつ、“一つの時代が終わったのだ”という実感を与えたのだろう。

 町の中に段々と戻ってきた活気は、それだけでもエイネシアを安心させてくれる。

 できれば……もう二度と、彼らにかつてのような顔をさせたくはない。

「それで、ジェシカ。私はどのお話から聞けばいいのかしら?」

 そう促したところで、民衆の情報整理に徹していたジェシカが、「まずはエルキンさんとトーマスさんからです。お二人とも、今日周辺の村からこの町の様子を聞いて流れてきた難民たちの件で、危急のご相談があるそうです」と、一番優先度が高いであろうものからふってくれた。

 うむ。なんという的確さなのか。本当に頼りになる。

「お嬢様、取りあえず場所を移動しましょう。この辺りはまだ治安が悪いですから、教会の方にお出でになりませんか?」

 そう促したヴィヴィに、それもそうね、とチラリと振り返った先で、張り付いていた近衛が二人、『そうした方がいい』とでもいうように頷いたのを見て、エイネシアも首肯した。

「歩きながら話を聞くわね。まずは、その難民の話から聞かせて頂戴。えっと? エルキンさんとトーマスさんはどちら?」

 そう促すエイネシアに、「自分達です」と、男性が二人歩み寄ってきた。

 その話に耳を傾け、傍らのジェシカにあれやこれやと指示を出しながらテキパキと歩いてゆく後ろ姿はとても軽快で、三歩歩けばまた別の民が列に加わり、十歩歩けば人垣を為す。

 そんな様子を後ろからついて見やりながら、ヴィヴィは思わず、宮中でこっそりと覗き見た、宰相ジルフォード公への謁見予約をもぎ取ろうと群がる官僚たちの姿を思いだし、くくっ、と声を上げて笑ってしまった。

 やはりあの方は、いまや宮中で猛烈な粛清と容赦のない裁定を行なっている宰相閣下のお嬢様なのだな、と、再確認してしまった。


 ◇◇◇



「それで、お祭りの件だったわね」

 教会にたどり着いて、それでもまだあれは、これは、と群がる民衆たちの言葉に一つ一つ耳を傾けていたエイネシアがようやく腰を落ち着けることができたのは、随分と日も傾き、夜の炊き出しの準備を終えた頃だった。

 今では炊き出しも町の奥様達がほとんど取り仕切ってやってくれているから、ヴィヴィもすることはあまりない。

 もはやほとんど財産というものを持たない町の人達も、つい先日までは互いを互いに疑心暗鬼に見て協力なんてものも忘れていたが、今では細々と家の畑で実ったものなどを皆が持ち寄って、こうやって教会に集まって皆で分け合うような、暖かい協力関係が出来上がっている。

 それもこれも、エイネシアという人柄に引き寄せられた皆が、彼女の心に感化されての事なのだろう……とヴィヴィが言ったなら、当の本人はちっともそれを自覚した様子も無く、『それを言うなら、ヴィヴィ司祭のお陰では?』などと、首を傾げた。

 絶対にそれだけではないことは確かなのだが。そういうのを計算ではなく素で、しかも無自覚に出来るというのは、この人の美徳なのだろう。

 しかし如何せん。ジェシカが目くじらを立てたくなるのも分かるくらいに、お人よしが過ぎる気がしないでもない。

 とても心配になってしまう。

「取りあえず座って。ゆっくりとお茶でも飲んでください、姫様。ジェシカさんがいつも言っているように、姫様は少々働き過ぎですよ」

 そう言いながら手ずから、北方から持ってきた高価な紅茶を淹れるヴィヴィに、「そんな贅沢は……」とエイネシアが肩をすくめた。

 だがそれについては、「そんなところまで民衆に合わせる必要はありませんよ、“姫様”」と、問答無用に紅茶を差し出した。

 これでも飲んで、自分がお姫様であることを思い出していただけたらと思う。

「おいしい……。ほんのりと……生姜、かしら? いい香りがするわ」

「走り回ってほてっておられるので気がつかないのでしょうが、今日は随分と冷えますから。体を温めて下さい。大事な御身なのですから」

「ふふっ。ジェシカみたいなことを仰るのね、司祭様」

「もうすっかりと、ジェシカさんの気持ちが分かるようになりましたよ。まったく貴女ときたら、ご自分の事は二の次、三の次なのですから。『周りが世話を焼いてあげないと駄目だ』などと言っておられた大公殿下のお言葉の意味も、今ではよくよく理解できます」

「……そ、そう。アレク様が、そんなことを?」

「ええ。貴女は決して自分で自分を甘やかしたりなさらないので、心配なのだそうです」

「ちっとも心配なんてありませんよ。楽しんでやっていますから」

 そうエイネシアは苦笑を溢したけれど、だからといって自分自身をおろそかにして良いはずがない。

 すっかりと一杯の紅茶を飲みほしてくれたことには安堵したけれど、今少し寛いでいただこうと、すかさずもう一杯、今度はたっぷりのミルクと、蜂蜜を加えた。

「有難うございます、ヴィヴィ司祭。それで? ご遠慮なさらないで、本題をお話しになって」

 ゆったりと紅茶を頂きながらそう促す様子は、確かにひと心地つくことができた様子で、頬にも少し赤味が差して、肩の力も抜けて見えた。

 そろそろ、良いだろうか。

「まずは祭の件について、北方大教会からも全面的に教会が主催として祭祀を行う旨の了解が取れました。生憎と教会内でも北方は物資があまり潤沢ではありませんので、援助は期待できませんが……教区長様から、私がこちらで祈りを捧げ祭祀を行う許可も出ました」

「良かったわ。大教会がお墨付きをくれて行うとなれば、皆の安心感が違うもの。良いお祭りになりそうだわ」

「それで、その……少々、お聞きしたいことがあったのですが」

「何でもお聞きになって」

 協力は惜しみません、と目を輝かせるエイネシアに、ヴィヴィは少し言い辛そうに肩をすくめてから。

「祭祀の次第に……その。“政庁破壊”とあったのは……何かの、間違いですか?」

 一体誰がそんな書き間違えをしたのだろう、と、クスクスと笑いながら問うたヴィヴィに。

「え?」

 何故か目の前でキョトンと無垢に首を傾げたお姫様。

 その顔に、ん? と、ヴィヴィも首を傾げて。

 一つ、二つ、と沈黙が続いて。

「え。あ、えっ?!」

「えーっと。何も間違いではないわよ? メインイベントに、政庁の打ちこわしを皆でやってもらおうかと……」

「姫様ッ?!」

 本気ですか?! と言う言葉に、キョトンとしたエイネシアに代わって、ハァァ、と深いため息を吐いたのは、ちょうど教会の扉を入ってきたリカルドだった。

「リカルド卿……。その。これは?」

「ええ。姫様は本気でいらっしゃいますよ。あぁ、ご安心を。民衆の安全面や今後の町の運営の事等も考慮して、取り壊すのは政庁の、おそらくこの八年の間に行なわれた増改築箇所である西側のみ、との算段を取り付けてあります。解体も、建築関連の仕事をしていた民を中心に近衛が指示を出しながら、極力“大人しく”執り行う予定です」

「私はもっとこう、ド派手にやりたかったのだけれど……」

「姫様」

 怖い声を出したリカルドには、「分かってますッ。安全第一ね」と、エイネシアもすぐに肩をすくめて口を噤んだ。

「は、はぁ……いえ。しかし……」

 安全第一はともかく……いや、そもそも、これは一体全体、どういうことなのだろうか。

 エイネシアが語ったところの、『圧政からの脱却を自覚するには、民衆が自らそれを形にして理解する必要がある』との言葉には説得力があったし、そのために教会が中心となって、これまでひもじい思いをしてきた民衆が食事を囲んで夜通し賑わうのは、とても良い手段だと賛同もした。

 しかし何故政庁を壊すだなんてことになったのやら。

「それは必要なことなのですか?」

 だからそう問うてみたところで、ゆっくりとティーカップを置いたエイネシアは、静やかに一つ、頷いて見せた。

「この数日で、すっかりと民衆は皆私達を信頼して協力的に接してくれるようになったけれど、でも私はあくまで暫定の代官であって、ヴィヴィ司祭だって、いつまでもここで永遠に炊き出しをし続けて皆を養ってあげられるわけではないわ」

「ええ。それはそうですが」

「圧政からの脱却を祝うのに、誰かから与えられたお祝いでは足りないのよ」

「……というと?」

「自分達で、打開してほしいの。他の誰でもない、自分達こそが圧政に勝った張本人であることの自覚を得て欲しい。それはきっと今ではなくて明日、明後日。一年後。五年後、十年後。これからの彼らにとって、必要なことよ。私達がいなくなった時、彼らが新たな生活を始めるに当たって、私たちに見捨てられたという不安を抱かず、自らの意思で新しい生活を始めるための」

「自らの力で新しい生活を始める……その実感を得るために、圧政の象徴であった政庁を、彼らの手で“占拠”させる。そういうことですか?」

 こくりと頷いたエイネシアに、ヴィヴィも思わず言葉を噤んでしまった。

 今ではなく、明日を考えられること。近い未来ではなく、遠い未来を考えられること。それは為政者にとって最も大切なことだと、そう教わったことがあった。この人はそれを、本当の意味で理解しているのだ。

 これから先。まだこの旧イースニック領がどんな土地になるのかは決まっていない。このまま王国の直轄地であるのか、それとも他のどこかの貴族の領地となるのか。けれどその時、彼らが怯えたり萎縮したりする必要がないように。自分達の力で、自分達を守って行けるように。

 そのための最善の手を、彼女は考えている。

 本当の意味で、民のことを思っている。

 上辺だけの施しなんかじゃない。一人一人の生活の事。これからのことを。

「仕方がありませんね。そうと言われては私も、教会が荒事に関わるわけには、だなんてお行儀のいいことは言っていられません」

「あら、ふふっ。そんなこと、流石に教会にはさせませんよ。政庁の取り壊しはあくまで我々行政が取り仕切ります。教会とは関係のないことですから。そう教区長様にも念を押しておいてくださいね」

「ええ。ですが私も、その取り壊しとやらには参加させていただくことにしますよ」

「え?」

 それは不味いのでは? と目を瞬かせるエイネシアに、ヴィヴィもつい肩をすくめて笑う。

 だって仕方がないではないか。自分も。そんな、きっと歴史に名が残るであろうお姫様の大胆な所業を、この目で見てみたいと思ってしまったのだから。

「ご安心を。こう見えて、結構体力には自信があるんです」

 そういって握り拳を上げて見せたヴィヴィには、今一度エイネシアがキョトンと目を瞬かせてから、やがて、ふふっ、と声をあげて肩を揺らした。

「そう言うのであれば……でもアレク様にご報告なんてしてはいけませんよ?」

 そうエイネシアは念を押したけれど、それについては傍らでリカルドが、「もう報告済みです」なんて言うものだから、「えっ、うそ!?」と、エイネシアも顔色を濁した。

 そんな平和なやり取りが、何となく気を抜かせてくれるけれど。

 でも多分本当は、そんな平和な情勢ではないのだろう、と、そうも思う。

 今ここで、民衆のためにと心を砕いて、民衆に交じっているお姫様だけれど……きっとこの後政庁に戻ったら、また夜通し、見つかった書類のチェックやら対処やらするのだろう。

 それがどうにも心配でならない。


「これでは殿下の、心配で気が休まらない、とのご心痛にも納得せざるを得ませんね」

「え? あのっ。何のお話!?」

 おっかなびっくりと肩をすくめているお姫様に、ヴィヴィは今一度苦笑を溢して、言葉を濁しておいた。


 そんなことはきっと逐一説明しなくても、今なお彼女のドレスのポケットに納まっている報告書という名の手紙に、これでもかというほどに書かれているはずだから。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ