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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第六章 七人の少女とたった一つじゃないその結末
158/192

6-3 サンクリクの町

「リック。兵庫の様子はどう?」

 戦闘の形跡が残るイースニック領北方サンクリクの町の政庁にいたのは、ほんの数名の近衛と二人の政務官だけで、未だまともな調査も行われていない建物の内部の探索が、この町に入領したエイネシアの最初の仕事になった。

 父からはあれこれと指示は飛んでこなかったが、エイネシアが、イースニックに拠点を移したい、ついては政庁内での行動の自由が欲しい、との手紙を送ったら、『ならばイースニックの件はすべて任せる』というとんでもない返信があった。

 これを見た時には流石に誰もが言葉を失ってしまった。

 とはいえひとまず好きに動けるお墨付きはいただけたということで、イースニック伯の不正に関する書類が残っていないかを探すのが目下の急務となったのである。

「やはりこちらも、ほとんど空です。近衛との攻防があった際にすべて焼いたんでしょう。せめて納品書の類だけも有ればと思いましたが、やはり駄目ですね」

 近衛とは思えぬくらいにラフな格好で、この寒空の中腕まくりまでして煤けた小屋を漁っていたリカルドの言葉に、やはりかとエイネシアも肩を落とす。

 そのエイネシアも今はジェシカが見たら卒倒しそうな簡素な服を煤や瓦礫の埃で汚して、髪も乱雑に一つに結い上げていた。

「そちらはいかがでしたか? 姫様」

「書庫や記録所関連は同じく全部駄目ね。部屋自体は多少荒れている程度だったけれど、重要な書類は一つも見つからなかったわ。多分これもまとめて焼いたのね」

 あとは、どうやら次々と隠し部屋が発見されて大混乱をきたしているらしい領都の本城に何か残っていることを期待するしかない。そちらはエイネシアも面識のある、宰相府から遣わされてきた役人に差配を任せてある。

「もう少し深い部分まで入念に探してみましょう。フレデリカ派への公金横流しはイースニック伯にとっても大事な証拠よ。それを使って宰相府に恩を売り罪を免ぜられるか。それを楯にフレデリカ派を脅すか。どちらにしても、そう簡単にすべて焼き捨てるはずがないわ」

 まぁ、それを思いつけるだけの策謀ができる人物であれば、であるが。

「見取り図では政庁の地下にもいくつかの部屋があるようですから、私はそちらを引き続き探ってみます」

「こういう城の地下は外への抜け道やら何やらで何かと物騒よ。私も……」

 一緒に、と言おうとしたのだが、それは最後まで口にする前に、「絶対にダメです」と否定された。

「それよりも姫様はすぐにお召し替えを。使いに出ているジェシカさんが戻る前に」

「あー……」

 確かに。それもそうかもしれない、と、まるで下働きみたいな恰好をしている自分を見下ろしたところで、エイネシアの後ろに付き従っていたシロンがクスクスと肩を揺らした。

 エイネシアがどこからか見つけてきたその服に、シロンも何度も『ジェシカさんが見たら大変なことになるのでは』と忠告したのだ。

「分かったわ。でも貴方だって、怪我も癒えたばかりなのだから無茶はしないで。必ず二時間ごとに報告に戻ること」

「かしこまりました。巡回の近衛を一人連れて行きます」

 そうリカルドがキチンと警戒する様子を見せたことに、エイネシアもほっと安堵の吐息を溢した。

 ではまた後で、と手を上げてから、兵庫を出る。

 リカルドの指示なのか、こちらに滞在を始めてからずっとエイネシアの傍には常に近衛が二人以上付き添っていて、その厳重ぶりには少々堅苦しい思いがしないでもなかったが、それが必要な場所であるということはもう重々承知していた。

 実際にエイネシア達が政庁に入ったその日、政庁を放火しようとした男が捕まっており、命が脅かされる危険性が存在する場所なのだということはすぐにも実感できたのだ。

 今ばかりは、リカルドの忠告も素直に聞くしかない。

「一度部屋に戻るわ。それからかろうじて残っていた書類の整理をしに、長官室に行きます。今日は一日、そこに籠ることにするわ」

 だからこれからの行動についての報告もきちんとしてから、ひとまず、ここでの滞在居室となっている長官室横の部屋を目指すことにする。

 ここにはジェシカの他に侍女の手も無いから、何かと不便も多い。

 幸いにして上王陛下がご自分の侍従であるシロンを寄越して下さったおかげで、日常の業務を分担できるようになった。今もエイネシアのことをシロンにまかせたジェシカは、この荒廃した町中で、なんとかエイネシアの滞在を快適にするための物資を探しに出ている。

 そのついでに町の様子も見てくるようお願いしてあるから、そうすぐには帰って来ないとは思うのだが、やはりこの格好では不味いだろう。

 娘を淑女にと手塩にかけて育てた母に『すっかりおいたわしいことに』などと密告されては大変だ。

「えーっと……ここが政庁の西の端だから。中央南の三階の長官私室は……」

「少し遠回りですが、一度北に回って正門側から建物に入った方が安全で近道になりますよ。西側は戦闘の痕跡が色濃いですから、避けてまいりましょう」

 そうさりげなく指示してくれるシロンに、思わずほうっと感心してしまう。

 元々導線のややこしい建物で、その上戦闘の痕跡がいたるところに残っており、今この政庁はなにかと面倒くさい構造になっている。

 痕跡というのは、ただ壊れて導線が途絶えているという意味だけではなく、実際に人と人が争った痕跡があるという意味でもあり、こちらに入ってからこの方、皆がエイネシアをそちらに近付けないようにと何かと気を使ってくれているのだ。

 流石に血糊がべったりと残っている、みたいな場所は無いようだが、確かに、命のやり取りの有った場所というのは遠目でもぞくぞくとするもので、その配慮は有難く思っている。

「シロンったら、よく一日でここの構造を把握できたわね。私はまだちっともだわ」

 よくよく周囲を見渡しながら歩いていても、そう簡単には覚えきれないものである。それを容易くこなすシロンに心から嘆息したところで、「主君を円滑に目的地にご案内するのも、私の職務の内ですから」と、シロンは誇ることも無く答えて見せた。

「しかしそれでも完璧ではありません。この建物は理解しかねる導線が多いですから。例えば、西側に一ヶ所しか階段が無いかと思えば、三階は西側と東側が壁で隔てられて通じていなかったり、明らかに部屋の大きさと建物の間合いがずれていたり……」

「間合いが、ずれてる?」

「はい。王宮や上王陛下がお住まいの離宮などでもそういう仕掛けの隠し部屋は多々ありますが、こちらの場合は隠し部屋を作れるほどに大きな間合いがあるというわけでもないおかしなずれがあったり、はたまた外から見ると平地の上の政庁ですのに、西と東で、何故か階段の数が一段ずれていたり、おかしな構造が目立ちます。我々侍従は陛下の身の安全を守るためにも方向感覚や距離感覚などは徹底して身に覚え込ませてありますが、そんな私でも手を焼く構造なのは確かです」

「意図して作ったズレではなく、増改築のせいでおかしな構造になる場合もあるわよね?」

「はい。こちらの建物も、それが大きいのではないかと思います。私は建築には詳しくありませんが、おそらく西側は最低二度以上の増改築が行なわれているのでしょう。そのため、色々と齟齬を解消するための無駄な空間や、耐震上壊せない壁を何とかするための複雑な導線になっているのではないかと」

「こういう時にエドやミケがいてくれるといいのだけれど……」

 結構な建築オタクな弟エドワードにかかれば、見ただけで建物の構造年代を言い当ててくれるし、大図書館の司書であり建築史を専門とするミケなら、この複雑な構造も瞬く間に図面に起こしてくれるだろう。

 ボロボロの古い図面しかないこの建物を是非とも二人にどうにかしてもらいたいという気がしてしまうのも、仕方がないというものだ。

「ミケというのは、大図書館の司書殿でしょうか?」

「そうよ。シロンも知ってる?」

「いえ。侍従は大図書館へは立ち入れませんから。ただ一度、姫様が、その……」

「あっ」

 言葉を濁して苦笑したシロンに、エイネシアはすぐに顔を跳ね上げて、シロンを振り返った。

 そうだった。このシロン青年に初めて出会ったのは、確か、二度目に大図書館に行った時。まだ見習いだったシロン少年が道すがらエイネシアの荷物を持ってくれて、そのシロンに荷物を大図書館に届けるようお願したエイネシアが、そのまま女王の庭で“迷子”になるという騒動を起こしたのだった。

 いつまでたっても大図書館に現れないエイネシアに、シロンも、司書のミケも、一緒になってハラハラとしていたのだったか。

 思い出すと、たちまち頬に朱が差してしまった。

 八歳の頃の、いたいげな思い出というやつだ。

「もし姫様にご一筆を頂けるようでしたら、私の分かる範囲で図面を起こしますので、それを大図書館に送ってみてはいかがでしょうか。かの大図書館の司書殿なら、ありとあらゆる時代の様々な仕掛けにもお詳しいはず。不明瞭な図面からでも、何か思いついて下さるかもしれません」

「それは願っても無いことだわ。ジェシカが戻り次第仕事を替わって、すぐにそちらに取りかかって頂戴。それとシロン。貴方も、明らかにおかしいと思う部屋などがあったら、隠し部屋などが無いか探してみて。あぁ、必ず、近衛を護衛に」

 そう念を押すエイネシアにクスクスと笑って肩をすくめたシロンは、「過分なご配慮を頂戴できる身分ではございませんが、今ばかりは仰る通りに致しておきます」と答えた。

 日頃エイネシアがジェシカやらリカルドからうるさくそう言われているのを見ているシロンだから、逆にエイネシアがそんな念を押すのが可笑しかったのだろう。それはエイネシアも自覚するところで、「他人のことだと、どうも心配になるのよね」と肩をすくめて見せた。


 そうして諸々の必要な仕事の話などをしながら、ようやく政庁の表の方まで戻ってきたところで、すっかり壊されて開けっ放しになっている門の傍らにがやがやと数人の人々がたむろしているのが目に入った。

 チラチラと物陰から中を覗いているようなその様子に、すぐにエイネシアに付き従っている近衛が警戒の色を濃くしたけれど、「ただの町の人達よ」とそれを窘めたエイネシアは何事だろうかと観察する。

 ボロボロと汚れた粗末な衣服に、栄養が足りていないであろう土気色の肌と、痩せこけた手足。

 だが数人固まって中の様子を窺う視線には、エイネシアがこの町を訪れた時に見かけたような、絶望や鬱々とした雰囲気は感じられない。

 生気があるかと言われれば怪しいが、少なくとも、賑やかになり出した政庁に対し、何かしらの感情を見出してやって来たことは確かだった。

 警戒を見せることも無くそちらに向かって歩き出したエイネシアに、流石にシロンが窘める声をあげたけれど、「大丈夫」と警戒を忘れていないことを示すと、ちゃんとシロンの傍を離れないように気を付けた速度で近づいた。

 それに気が付いた町の人達の視線が、チラリとエイネシアを見て、その傍らの随分と小綺麗な青年を見て。しかしすぐにその後ろの近衛を見た瞬間、どこか怯えたように胡乱な目で後退りをしたものだから、たちまちエイネシアも足を止めて近衛を振り返った。

 一応彼らは皆略装を着していて物々しい雰囲気にならないように気を付けているが、それでも剣を帯びた武人だ。それが警戒心を与えるのだろう。

「少し離れていてくれる?」

「しかし……」

「武器も持たない町人相手よ。それに私も、自分の身を守る程度の魔法は扱えるわ」

 そう町人達に見えないように、内に向けた掌にピシピシと氷を纏わせて見せたなら、今少し躊躇いながらも、「我々の目の届く距離にいて下さるのであれば」と、納得していただけた。

 なので政庁の入り口の方にいるように指示すると、シロンだけを伴って門の方へと歩み寄る。

 近づいてくるエイネシアに今しばらく彼らは警戒の色を見せていたけれど、しかしおそらくは、武器を持たない若い女性であること。それから今のエイネシアの随分とラフで庶民的な格好が彼らを安心させたのであろう。目の前まで行って「こんにちわ」と声をかけたところで、逃げ出されることはなかった。

「サンクリクの町の方達ですか?」

 武器を持っていないことをアピールするかのように両手を広げて、ある程度の距離を残して立ち止まったエイネシアの柔らかい物言いに、チラチラと今少し顔を見合わせていた町の人達が、おずおずと首を縦に振った。

「あたしはこの町の。あとは、他の町からきた連中と」

 か細い声色ながら、先頭の、中年くらいの女性が口を開いたのを皮切りに、「北の農村からだ」「俺は領都の西から逃げてきた」などと、皆がポツポツと言葉を溢し始めた。

「私はエイネシア……“シア”といいます。えーっと……」

 何とか彼らに警戒を指せない自己紹介をしたいのだが、咄嗟にいい案が思いつかない。

 適当なことを言ってもいいが、ある程度信用に足る後見もあった方がいいであろうし、かといって貴族だといえば、彼らが逃げてしまうことは間違いない。

 そう困惑していたら、「私は上王陛下の侍従を務めております、シロンと申します」と丁寧に頭を下げた穏やかな物腰のシロンに、「まぁ」「上王陛下って。前の女王様?」と、皆が目を瞬かせてくらいついた。

 うむ……なるほど。シロンの少年じみた風貌や物腰が警戒心を抱かせないというのも有るのだろうが、上王陛下の名前は強い。イースニックが飢饉に見舞われた際、いち早く王都から水道橋復旧のための工人や、王立薬室から薬や人手を遣わし、諸々の配慮を行なったのも上王陛下だ。今のイースニックの荒廃は、その上王陛下の退位後に悪化したのであって、おそらく彼らにとって上王陛下は、『あの頃は良かった』という印象を抱かせている存在なのであろう。

 ましてやその侍従という、身分としてはそんなに高くなく、けれど陛下の側近中の側近である人物がここにいると言われれば、警戒心が解ける一方で、上王陛下が気にかけて下さっているのだという安心感にもなる。

 民にとっては、実態がよく分からない宰相府なんて政治組織より、ずっと信頼にたる存在だろう。

「こちらは、そんな上王陛下のご信頼も厚い姫君でいらっしゃいます。この地方の復興のお手伝いをなさっておられ、私も上王陛下の御命のもと、その手助けをさせていただいております」

 そう上手くエイネシアのことも説明したシロンの言葉で、皆きょろきょろと戸惑う様子は見せていたものの、「上王様の?」「俺たちを追いだそうって算段をしに来た連中じゃないのか?」などと、言葉を投げかけてくれるようになった。

「追いだすというのは、何の事ですか?」

「違うのか? 町じゃもっぱらの噂だ。こんな町、全部焼き払って、綺麗な町にするんだろう? そしたら俺たちのような汚い連中は、皆町の外に追いやられるんだ。そう、昔から決まっている」

 憤るというよりも諦めるといった物言いの男性に、「だから、そうしないでほしいと言いたくてね」と、隣の女性がか細い声色で続けた。

 そうしないでほしいと言いたいが、怖くて言い出せず、ここで小さくなって中を覗き見ていたわけだ。

 確かに。イースニック伯の圧政からは解放されたといっても、それで新たにこの土地を治めるようになった“何か”が、“何”であるのかを、彼らはまだ何も知らない。

 領都の方などではまた違うかもしれないが、人手も足りず、ただ近衛やら役人やらが、あれこれ政庁の中を引っ掻き回しているだけのこの状況は、彼らに不安を与えたであろう。

「これは私が悪かったわ。説明が後回しになったせいで、不安を与えてしまったんですね。奥様、旦那様。どうかひとまず、町の皆に伝えて下さい。私達は何の手立ても無く不当に皆さんを追いだしたり見捨てたりなんて、絶対にしません、と」

「本当に?」

「冗談じゃない。俺は早いところこんな町、出て行きたいんだ」

 一方で、後ろの方にいた別の男性が、そう嘆くように吐き捨てる。

 何も情報が残っていなかったせいで、いまいちこの町がどういう状態にあったのかが分からなかったのだが、しかしこの様子からすると、あるいはこの町の政庁は、何らかの役に立つ人材を町に閉じ込めて労働させていたのだろうか。

 少なくとも、ここにいたくているわけではない人もいるということだ。

「勿論。出て行きたい方を強制的に引き止めるような真似も致しませんから、安心してください。生憎と、領内の状況確認が済むまで他領へ出ることは制限させていただいているのですが……年内にも、ちゃんとした戸籍の作成と確認を行ない、個々の身の振り方へのサポートをしてゆく手筈です」

「戸籍の、調査?」

「何の確認をするんです……?」

「大丈夫ですよ。悪いことに使うための調査ではありません。例えば皆さんの名前と家族構成。出身と、どういったことを生業にしていたのか。そしてこれから何を生業とするのか、といった調査をさせていただきます。名前をお聞きするのは、行政的な管理のためと、領内の民の人数を正確に把握するためで、家族について調べるのは、家族が離れ離れにならず、また扶養する家族の数によって税収を軽減させるといった制度を円滑に管理するためのものです。仕事については、記録の為というより、復興支援……皆さんがこれから生活を立て直していくために、どうしたらいいのかをアドバイスするための物だと思ってください」

「私達を……助けて、くれるんですか?」

 キョトン、と首を傾げた彼らに、「当たり前です」と訴える。

「救いの手が遅くなってしまったことは、どんなにかお詫びしてもしきれるものではありません。でもだからといって、ようやく手を差し伸べる機会を与えられているのに、どうしてそれを引っ込めたりなんてするでしょう。手助けを、させてください」

 それは……、と、再び皆が顔を見合わせた。

 きっと彼らの中には、“どうして今更”、“今まで見捨ててきたクセに”という思いがあるのだろう。それについては、どんな言い訳もすることができない。

 だからといって、見捨て続けることもできない。

 ようやく、ここまで来たのだから。

「そのかわり、慈善事業ではありませんから。皆さんにも相応の努力をしてもらいますよ」

 そうきぱっ、というエイネシアには、ざわざわ、と不安そうな面差しが過ったけれど、反発の声は上がらない。

「この土地はただでさえ前伯の圧政でか細く痩せ細り、流通も絶え、貧しいんです。これを立て直すのは並大抵の努力ではないでしょう」

 そしてそれをどうこうするにも、国にできることはせいぜい限られている。

 いくら援助金をばらまこうが、町の整備を手伝おうが、町そのものに活気が戻らなければ復興なんて夢のまた夢だ。

「国は、皆が再び働くことのできる環境について考えます。そして皆さんには、働きに応じた正当な報償をお約束します。けれどそれも、皆さんがこの土地を見捨てず、働く意欲を見せて、この町を豊かにしようと努力してくれなければ意味のない物です。だから我々は、皆さんがどうやったら再び手に職を付けることができるのか。そのための手助けをします」

「手助けしようにも、私たちがまず、意欲を見せないと……できない、と?」

 ポツリと呟いた奥様の言葉に、はっとしたように、皆目をまたたかせてエイネシアをみやった。

 その眼差しが、先程よりも良い目をしているように見える。

 そのことがエイネシアの面差しをほっとほころばさせた。

「大丈夫。皆さん、ずっと耐えて来たんですもの。こんなに苦しい思いをしたら、もうこの後何があっても、大体乗り切れますよ。そう思うと、気が楽ではありませんか? 今までより苦しいことなんて、もう絶対にないんですから」

 それは私が保証します、と胸を張って見せたところで、「酷い言い様だね」と、一人の奥様が思わず肩を揺らして笑った。

 この町で。この領地で……初めて見た、笑顔だった。

「普通こういう時、お国とかってのは、甘い言葉で俺たちを宥めすかすもんじゃないのか?」

「あら。だってそんなことをして、後で、聞いていた話と違う、だなんて言われても困りますもの。酷い目にあって来たからといって、手厚く遇してもらえるかだなんて思ったら大間違いです。私たちは貴方達を救うためではなく、助けるためにいるんです」

「救うんじゃ、ない?」

「ええ。救済などと言って民心を集め、ただ真綿にくるむように甘やかすのは非常に非効率的です。そうではなく、貴方達がごく普通に働け、ごく普通の生活を送れるよう、その意思と手段を与える手助けをするためにいるんです。国は、罪を犯したのが貴族だからといって甘い処罰をしたりしません。貴方達の恨みの分だけ、厳しく罰しましょう。そのかわり、貴方方が被害者だからと言って、無償で養ってなんてあげません。速やかな復興のためにも、ビシバシ背中を叩いていきますからね!」

「ははっ。正直なお嬢ちゃんだね」

「その……少々、言葉が極端過ぎたかもしれませんが」

 そう肩をすくめて見せたら、「まぁ確かに。お嬢ちゃんに約束してもらってもなぁ」と、いささか警戒心のとけたらしい男性がそう眉尻を下げた。

 まぁそのお嬢ちゃんとやらが、実質、今この旧イースニック領の差配を一任されている“臨時代官”なわけなのだけれど。

「俺は正直、領地がどうだろうが俺がどうなろうが、どうでもいい。働くだけで生活が元に戻るってんなら、なんだってやる。だがあんた。よくわからねぇが、上に顔がきくんだろう?」

 上に顔がきくというか……と益々エイネシアは困った顔になるのだけれど、取りあえず何でも、相談してもらえるならば聞く耳を持つとも、と黙って先を促したなら。

「だったら俺たちの事より、まず“娘”を返しちゃくれねぇか」

 その疲弊したような、懇願するような、そして絶望するような深い深い嘆きの言葉が一瞬理解できなくて、「え?」と、呆然とした声が零れ落ちた。

 どういうことだ。

 娘だなんて言われても、今この政庁にいる女は、エイネシアとジェシカの二人だけ。返すと言われたって、何の事かちっともわからない。

 何か聞き間違えたのだろうか、と、困ったように他の皆を見渡したところで、彼らは何ら訝しむことも無く、むしろ項垂れるご夫人やら慰めに肩に手を添えるような人までいて、その光景に、エイネシアは改めて呆然となった。

「まさか……この領では、若い娘などが、領主や役人に?」

 だから半信半疑に思い当たりそうなことを口にしたところで、皆がぐっと辛そうな顔で俯いたのを見て、「本当なの?!」と声を張り上げた。

 なんてことだ。なんて馬鹿だったのか。

 どうして気が付かなかったのか。

 どうしてもっと早く、町の声に耳を傾けなかったのか。

 そしたら、若い娘の見当たらないこの現状に、もっと早く気が付けたかもしれないのに。

「まさか。この領では、そんな非道が行なわれていたの?!」

「知らねぇとでも言うのか?!」

「なかったことにでもする気じゃないだろうな!」

 ぐっと眉根を寄せて、詰めが食い込むほどに手を握りしめた彼らの声色に、エイネシアも一瞬、ドキリと胸を突き刺される思いがした。

 あぁ、まったくだ。どうして気が付かなかったのか。

 どうして。

 いや。悔やんでいる時間がもったいない。自分がすべきは後悔じゃない。“対処”だ。

「もっと詳しく聞かせて! 領都でも、この政庁でも、そんな女性の影は一つも見ていないし、そんな情報を聞いたのは初めてよ。連れていかれたというのはどのくらい? 何処へ連れて行かれたのか、知っている人はいない?!」

 そんなエイネシアの権幕に、真剣さが伝わったのか、ちらほらと視線を交わした彼らは、ポツリポツリと知っていることを口にし始める。

「十代から三十くらいまで。見目のいい若いのは大抵が連れて行かれた。時々周辺の村に、役人が馬車でやって来て、乗せられるだけ乗せて連れていくんだ」

「うちの娘も。妻も連れて行かれた」

「何処に連れて行かれるのかは知らねぇ。だが馬車はまずここの役所に入るんだ。その後は、わからねぇ。帰ってきた女はいねぇからだ」

 そんなまさか、と、エイネシアはきつく眉を寄せる。

 この政庁内はエイネシアとリカルドで一通り見て回ったが、女性の痕跡がうかがえる箇所なんて、庁内の雑務に携わる侍女の部屋の他には見ていない。

 だとしたらここはやはり、ただの中継地点なのだろうか。

 ではその先の行き先は何処なのか。

 消えた女性達は、何処へ行ったのか。

 イースニックが落ちた今、その人達は、何処でどうしているのか。

 それを想像した瞬間、エイネシアは、ゾクリとかつてないほどの恐怖が背を這うのを感じた。

 近頃少しも思い出すことが無くなっていたはずの、“かつての自分”の記憶が、嫌に鮮明に思い起こされる。

 突然日常から連れ去られ、薄暗い袋の中で、何日も死の恐怖に怯え、ただひたすらにもがき苦しみながら、殺された前世。

 今もどこかにまだ、そんな人達がいるのではないのか。

 そう思った瞬間、気が付いた時にはもう、「シロン!」と声を張り上げていた。

「領都のテイラス政務官宛てに風手紙の準備を! 城内の調査も急がせて。連れ去られた人達がどこかにいるかもしれない。人の命にかかわることよ。最優先で調査するように!」

 ただの“お嬢ちゃん”から一点して覇気を孕んだ命令を口にしたエイネシアに、すぐにも物腰の柔らかな侍従から主君に仕える忠実なる臣としての態度に改めたシロンも、「御意のままに」と堅苦しい言葉で答えると、近衛にくれぐれもお傍を離れないようにとだけ言い置いて、政庁の中に飛び込んで行った。

「貴方達の情報だけが頼りだわ。誰でもいい。何か、知っていることはない?」

 そう急くように問うたところで、「あの……助けて、下さるんですか?」という不安そうな声色が帰って来たものだから、思わず勢い余って、「当たり前よ!」と叫んだ。

 だがそう口にしてすぐ、いや、駄目だ、と、自分の中の憤りを抑え込むかのようにぎゅっと胸元を握りしめた。

 感情に振り回されるな。

 安易な言葉は人を傷つける。

 安易な希望は、人を絶望させる……。

「ッ……いえ。いいえ。ごめんなさい。違う。違うわ」

 冷静にならなければならない。

 そうでなければ、本当に大切なものを見落としてしまう。

「ごめんなさい……気が急いて、言ってはならない無責任なことを言ったわ……」

「いいえ。お心は、よく伝わりました」

 そういう夫人の言葉に、エイネシアもゆっくりと顔を上げた。

 年の頃からして、きっと彼女の娘か誰かも、連れ去られたのだろう。

 一体どれほどに、その帰りを待ちわびているのか。

「正直今は……何の保証もできないわ。でも必ず捜査に全力を尽くすと、そうお約束します。一人でも多く無事でいてくれるように。無事であったならば、必ず家族の元に送り返すとお約束します。だからそのためにも、情報が欲しいの」

「娘達の事は、本当に……我々には分からないんです。ただ」

 チラリ、とエイネシアの背後の政庁を見やった男性が、一つ二つ言葉を濁してから。

「お役所と癒着していた商人の屋敷の場所なら、分かります」

「えっ……?」

 思いがけない情報に、一度パチリと目を瞬かせたエイネシアは、ハッとして政庁を振り返った。

 腐敗した役人には、業突く張りな商人がセットであるのが世の常だ。

 イースニック前伯は国からの莫大な援助金を着服・横領したが、それをフレデリカ派が運用するに当たっては、何かしらの目くらましによりこの領地を運び出される必要がある。

 それに関与したであろう多くの商家はすでにいくつも摘発されていて、宰相府が直々に取り調べているが、生憎と領都にあるそれら商家の商館からも目ぼしい証拠資料は上がっていない。かろうじて商家自体を断罪できる材料はそろったものの、フレデリカ派にまで通じる物証は上がっていなかった。

 そう。この領地内にあるすべての“商館”に、それらの物証は存在していなかった。

「商人の……まだ、近衛の手が入っていない、家があるの?」

 その問いに、チラ、チラとお互いの顔を見合わせていた男達の一部が、コクリコクリと頷き合うと、やがて「あります」とはっきり答えた。

「この町は、前の領主がたびたび商人達と密談をするのに使われていたんです。その屋敷が、町の西側にあります。ただ……」

「ただ?」

「……申し訳ありません。ただ、食べる物が、欲しかっただけなんです……」

「ん?」

 文章の脈絡のない謝罪に、どういうかと首を傾げる。

 その何とも歯切れの悪い物言いにエイネシアが困惑していると、「あんたたちまさかッ、盗みをしてたんじゃないだろうねっ」と、離れたところにいた別の女性が声を荒立てた。

 その言葉に、どうして彼らが言い辛そうにしていたのか、ようやく腑に落ちた。

 主を失って、おそらく商家の下々の者達はその家の金品なり食料なりを持って逃げ出したはずだ。

 だがそれでも彼らが持ち去れなかった分の余りが、今もその隠れ家とやらには存在していて、密かに幾人かのグループがそこから物資をかすめ取っていたというわけだ。

 その後ろめたさと、折角の物資を取り上げられるのが怖くて、役人にはそこの場所のことを話すことができなかった。

 だがそれを今、エイネシアに告げようとしてくれていたのだ。

 さて……これを一体、どうしたらいいのか。

「物資に、残りはあるの?」

「いえ、もうあまり……」

「あんたたちッ」

「取りあえず、落ち着いて。どうかこの事は他言無用に。余剰分が多いならまだしも、さほど物資も残っていないと聞いて、焦って逸る者が出ないとも限らないわ。そんな人たちの間で諍いが起きるのは不本意なの。どうか皆さんも、沈黙を約束してくださいませんか? 皆さんを飢えさせない手段は、私が責任を持って考えますから」

 でも、だが、と、憤る者達もいたようだが、「それで」と、エイネシアが急かすように情報をもたらした男性たちの方を見やると、皆も渋々口を噤んでくれた。

「表向きはただのボロ長屋です。ただ奥には小奇麗な広い空間があって、地下にセラーと食料庫が。生の物はほとんどありませんでしたが、保存食などが少しありました。他にも部屋がありましたが、食い物以外の部屋はほとんど手を付けていません。役に立つのかどうかは知りませんが……」

「盲点だったわ。イースニック伯は随分な豪遊をしていたというから、まさかそんな偽装された拠点があったなんて」

 想像もしていなかった。

「その場所を教えていただける?」

 すぐにも調査すべきだと身を乗り出したところで。

「申し上げます!」

 政庁の西棟の方から飛び出してきた近衛が、エイネシアの姿を見かけて声を張り上げる。

 はたと振り返ったエイネシアの傍に、なにやら民達がいるのを見て一瞬口を噤んだ近衛だったけれど、その焦燥に駆られた顔を見るや否や、エイネシアもチラリと彼らを気にしつつ、「ここで報告できることなら構わないわ」と促す。

 その様子に、彼は少しばかり声を潜めながら。

「申し訳ございませんが、すぐにご一緒に来ていただきたい場所がございます」

「どうしたの?」

「西の地下を調べておりましたところ、おそらく庁外に通じる、仕様の痕跡の濃い地下道が発見されました。その先にてディーブレイ卿がお待ちです。直ちに姫様にお出でいただくように、と」

 そうご伝言を、といって、確かにリカルドの印章の押された簡易の書状を差し出した近衛に、思わずエイネシアは、ホゥゥ、と、吐息を溢した。

 どうやら、リカルドも同じくソレに行きあったらしい。

 まず間違いなく、今しがた町の男性が教えてくれたその場所の事だろう。

「“当たり”だったみたいね……。すぐに行くわ。貴方は庁内のシロンに、今頼んである仕事の準備ができ次第こちらに来るように伝えて。シロンの案内もお願いね」

「かしこまりました。あの。しかし、姫様のご案内は……」

 それは大丈夫よ、と、再び町人の方を向いたエイネシアは、気まずそうに肩をすくめている男性を見やった。

 エイネシアに“当たり”と言われて、益々小さくなっている。

「うちの者もその場所を探り当てたようだわ。もし貴方達に“仲間”がいるようなら、すぐに知らせてあげなさい。今より後は近衛が調査を始めるから、もう忍び込んでは駄目よ、って」

 そうわざと声色を軽くして言ったエイネシアに、はっと顔を上げた男達が気まずそう、「宜しいので?」と問うてきた。

 まぁ確かに。何の罰も無いのであれば示しがつかないだろうか。

「明日には教会から司祭様が到着するわ。それでもまだ十分な物資がもたらされるわけではないけれど、炊き出しと、救護所を設けるよう依頼してあるの。だから罪を感じているのであれば、貴方達はそんな教会の手伝いをして頂戴。これを罰とします」

「そんなことで?」

「ですがお役人に聞かれたんじゃあ……」

 顔色を濁して背後の近衛を窺う男達に、ん? と首を傾げたエイネシアは、近衛を。それから男たちを。再び近衛を見て、今なお彼らがエイネシアの存在を良く理解できていないのを見て取ると、もう隠す必要もないだろうか、と改めて正面を向く。


「心配いらないわ。宰相府管轄王国直轄領となったこの旧イースニック領は、今のところ、“私”に差配が一任されていますから。私が“良い”といえば、“良い”んです」


「え?」

「ん?」

「え?」

 ポカンとした視線を受けながら、ニコリと微笑んで見せたエイネシアに、おろおろと戸惑う視線が彷徨う。

 うむ。やはりちょっと信じがたいだろうか。

 でも信じてもらうしかない。


「ですから。私がこの土地の暫定領主。“最高責任者”なんです」



 だから大丈夫、と笑って見せたところで、彼らの理解を得るまでは、今しばらくの猶予が必要だった。






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