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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第六章 七人の少女とたった一つじゃないその結末
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6-2 次の戦場(1)

「国王陛下はお怒りです」

 洗練された手つきでゆったりと紅茶を淹れながら、金の髪の、まるで少年のような面差しの青年が、淡々とした口調で言葉を紡ぐ。

「陛下の裁可を得ずにイースニック伯を更迭したことも。陛下の制止を聞かず、宰相府がイースニックと裏の繋がりを持っていた商人や官人の調査を続けていることも。すでにこの関連で、近衛府は七人の貴族の関与を告発し、追及の許可を奏上致しました。イースニック伯については、今日明日にでも爵位の剥奪と領地の没収がなされることでしょう。しかしこれについても、未だ国王陛下のお許しはいただけておりません」

 カチャリ、と目の前に置かれた北部特産の温かみのある焼き物のティーカップに、ほのかに懐かしいタイナーとレディグラムのブレンド。

 その芳しい香りが、空気も情景も何もかもが違うこの場所にいながら、王都にいるであろう懐かしい顔を次々と思い起こさせた。

「良い香り」

 だから思わずそう溢したら、紅茶を差し出してくれた王宮侍従のお仕着せの青年が、ニコリとわずかに口元をほころばせる。

「上王陛下からのお届けものです。陛下はすっかりとこのブレンドがお気に召されたようで、ご自分でブレンドの比率を熱心に研究為されていらっしゃるほどです」

「それに貴方も付き合わされているのね、シロン」

 クスと同じように口元をほころばせたエイネシアは、早速そのお茶に手を付けて、懐かしい香気を楽しんだ。

 苦味を孕んだじんわりと広がる深い味わいと、花のような甘い香り。いつぞや学院のお茶会で、ビアンナが淹れてくれた乱暴なブレンドと同じ味の、でもうんと洗練された上品なバランス。

 エイネシアは、そのどちらもが好きだった。

「それで、議会の様子はどう?」

「一度、ほとんど三ヶ月ぶりに、国王陛下が評議会にお出ましになりましたが、ご憤慨の様子をお伝えしただけで、表立った宰相府へのお咎めなどはございませんでした」

「そう……」

「ただご出席になった王弟殿下につきましては、厳しいご叱責を……」

「……」

 きゅっ、と、思わず首飾りの装飾を握りしめた。

 分かっていたことではあるが、それでもなんと胸が痛い話なのか。

 それは一体どれほどに、アレクシスを傷つけたのか。

「しかし殿下は少しもひるんだ様子などなく、堂々と、明るみにされた罪を裁く正当性をご主張なさり、それを見過ごすことはあってはならないことだとご反論なさったそうですよ」

「……え?」

 内容的にはちっともおかしなことではないはずなのだが、思わずそう問い返してしまった。

 アレクシスが国王陛下に対し反論をした?

 それがどうにもピンとこない。

 いいや。それを覚悟して臨んだイースニックの弾劾だったのだから、当然といえば当然なのだけれど。

 でもあの人が誰かに物を言い返す様だなんて、ちっとも想像がつかない。

「殿下はご立派に、ご自分の役目を果たされておいでです。お辛いこともおありなのでしょうが、しかし少しも躊躇いなどお持ちにならず、まるで宰相閣下がもう一人いらっしゃるかのようだ、とのご評判です」

 エイネシアの不安そうな顔に、それを宥めようとしてくれているだけなのだろうか。

 それとも本当に……そうなのだろうか。

 遠く王都から離れたこの場所ではそれを推し測ることはできなかったけれど、しかしすでに揚げてしまった反旗に対し、彼が誠実に自分の為すべきことを為していることだけは確かだった。

「フレデリカ派の動きはどうかしら?」

「重要な資金源を断たれたのは、やはり大きかったようです。その憤りは尋常ではなく。とはいえ、思いがけない大きな損失は、人を愚かにするようですね」

「フレデリカ派は、真っ当な手を打てなかったようね」

「はい。内部処理に明け暮れてすべてが後手後手に回り。その混乱の三日間が、宰相閣下には大変ご都合宜しかったようです」

 それについては詳しく聞かずとも、エイネシアにもどういう事か理解できた。

 具体的に父が何をしたのかは知らないが、突然の宰相府の反旗と損失に、フレデリカ派が慌てて証拠隠滅に明け暮れている間にも、父はもとより入手していた財源に関与する不正という不正をすべて明るみにし、一斉に摘み取ったのだろう。

 今更証拠の隠滅など遅すぎるのだ。それにフレデリカ派が気が付くのに、三日を有したというわけだ。

 いや、三日でそれに気が付いたという件については、流石はフレデリカだと思わなくもないが、この件では父が一枚上手だったことになる。

 流石は父というべきか。少しのチャンスだって無駄にしないその手腕は、実に容赦がない。

「王都ではそろそろ、衝撃から我に返った側妃様方が反発を始めている頃でしょう。しかし国王陛下が議場に足を運ばれたのは先だっての一度きり。財源も後ろ盾も無い側妃様方が、上王陛下の後ろ盾と王弟殿下のご権威を得た宰相府に、一体どれほどの太刀打ちができましょうか」

 心配はいりませんよ、とシロンは口をほころばせたけれど、それについてはエイネシアも肩をすくめるだけに留めておいた。

 確かに、そうといえばそうなのだが、それで簡単に大人しくなってくれないのが、フレデリカという人なのだ。

 意表をついたことで、今はこちらが優勢に状況を作り挙げることに成功こそしているが、成し遂げられたのは、まだフレデリカ派の財源を断つという行為だけだ。

 大きな供給源を断てたことの意義は大きいが、しかし元より穀倉地帯を有しているシンドリー侯爵領以下、フレデリカ派の貴族達の所領から上がる財源はなおも彼らの懐にあるわけで、完全に力を奪ったわけではない。

 彼らがこれまで蓄えてきたであろう軍の動きにも目が離せないのは勿論、多少の貴族を勾留できたことは幸いとはいえ、評議会もフレデリカ派に抑えられたままである。

 それに今回の件で、国王陛下の意思を無視して、上王陛下の威を持ち出してイースニック以下の断罪を行なった宰相府も、それにアレクシスも、共に国王陛下からの信頼を失ったと見て良い。今後国王が国政に関与することがあったとして、それは決して味方としてではない。

「いかに先手を取り続けるかは、今後益々重要になるわ」

「はい。そのため宰相府は上王陛下のご許可のもと、宰相府監察局のお役人から近衛府監査局の騎士をも総動員して、一気に綱紀の粛正を図るご所存です。私も上王陛下のご命で姫様の所へ遣わされてきた身ですが、それに際しては宰相閣下から、北部の情勢や貴族の動向などを事細かに報告するようにと求められています」

 そう肩をすくめた彼の本職は“上王陛下付宮廷侍従”なのであり、本来ならばそんな間諜みたいな真似はする必要のない職なのだが……本当に、申し訳ない。

「私の所にも、そんな内容のお手紙が来ていたわね……」

 だが如何せん、“ただの学生”であるはずのエイネシアの所にも、全く同じ内容の手紙が父から寄越されているのであり、これにはシロンと共にため息を吐いて口を噤むしかなかった。

 本当に、容赦のない父である。

 北部鎮静の功に対するねぎらいの一つすらないのだから。

「とはいえ、こんなところでは、そのお言いつけは果たせそうもないわ」

 そうため息を吐いたエイネシアは、このシルヴェスト領を訪れた時よりはるかに居心地良く整備された、その教会塔屋の一室を見渡した。

 余分なものは排除され、古くなっていたタペストリーは掛け替えられ、真新しいシーツのかけられたベッドに、最新の魔法式の刻まれた魔晶石が埋め込まれた火鉢。さらに毎日のようにジェシカの元へと届けられる十分な食材に到るまで、もはや至れり尽くせりなこの状況は、紛れもない、シルヴェスト公爵の、配慮という名の監視だ。

 あの催しの日からこの方、シルヴェスト公エルジットからは毎日のように使者が遣わされてきて、毎日のように、クリスヴェネト城に滞在しないか、との伝言がもたらされている。

 時には公爵令息エルリックが自ら様子を見に来ることもあり、そんなエルリックから何の報告を聞いたのか、最近は毎日のように、この古い部屋の調度品が新調されてゆく。

 流石に、いたたまれないレベルになってきた。

 一応エイネシアは、『もし王都での王位争いに敗北し、約束が守られなかったときは、自分をどうにでもすればいい』と、自分の身を人質にして、この北部の協力を得たわけだから、今すぐ軽々しく北部を離れるというわけにもいかない。

 かといってこんなにもてなされても困惑するばかりであるし、生活が豊かになればなるほど、何もしていない現状が心苦しくてたまらない。

 いっそのこと自ら王都で頑張る父達の為に情報収集に出回りたいくらいなのだが、毎日不定期な時間に訪れるシルヴェスト公の使者のせいで、それも上手くいかない。

 となればもう……やることは一つ。

「何とかして、大叔父様の使者を説得して、シルヴェスト領を離れるご許可をいただくしか……」

 そう。それしかない、と拳を握ったエイネシアに。

「そのご使者が、もういらっしゃっていますが……」

 眉尻を下げながら、ちょっと困ったように口にしたジェシカの声色に、「ひゃっ」と声を上げて振り返ったならば、いつの間にやら、ジェシカの傍らでクツクツと肩を揺らして笑っている父の従弟、シルヴェスト公爵令息エルリックがいて、たちまちエイネシアも顔色を濁した。

 一体どこから聞かれていたのか。

「お、おじ様……」

「ふふっ。いや、ははっ。昨日様子を見に来たリディアが、今日あたり多分シアが逃げ出す算段をしているはずだ、だなんて言っていたから。こっそりと扉を開けたんだけど」

 まさか本当にそんな算段をしていただなんて、と笑うこの人は、本当に呑気だと思う。

 あと無駄に気配を消すのは止めて欲しい。

 心臓に悪いから。

「いや、うちの父もね。本気でシアを人質にしようだなんて思ってはいないだろうから、好きに過ごしてくれればいいと、なんだかんだこうやってシアを放っているわけなんだけど」

 これが果たして放っておいてもらっている状況なのだろうか、という疑問はあったが、エルリックの言い分だと、一応“放っておかれる”状況であるらしい。

 ということは、領地を出ることも決して無理な話ではないのだろうか。

「でもシアがいなくなったら、うちの子達は悲しむなぁ」

 そう眉尻を垂らしたエルリックの背後から、ひょこっ、ひょこっ、と顔を出した小さな塊に、途端にエイネシアの顔が真っ青に冷めあがる。

 大きな青紫の瞳をパチパチと瞬かせた、絹糸のようなプラチナブロンドを綺麗に切り整えられたお坊ちゃまと、エルリックの足にしがみついて顔を出す、ふかふかのケープに身を包んだ、母親譲りのサラサラの黒髪の女の子。

 エイネシア目下、一番の難敵……。

「しあねぇさま、どこかいくの?」

 ふえっ、と、早速大きな瞳に涙を蓄えた、二歳になったばかりの少女と。

「でもお祖父様は、シアねぇ様は“ひとじち”だから、これからはずーっと、うちに居てくれるっておっしゃってたのに……」

 そう不穏なことをいって眉尻を垂らす、御年五歳の少年。

「ッ、おじ様っ。一体我が子達になんてことを吹き込んでいらっしゃるの?!」

「ははは。いやぁ。私じゃないよ? うちの父が何やら吹き込んだみたいで」

「いなくなるの、いやー!」

「いっちゃだめー!」

 弾丸のようにエイネシアに飛び込んできた少年と、よたよたと頼りなくかけてきた少女とに、ガシリと抱き着かれて身動きを封じられたエイネシアは、そのまま手を泳がせて、あーーーーっ、と、唸り声をあげた。

 うう……可愛い。可愛すぎる。

 特に、なんだろうか。この少年に感じる猛烈な既視感は。まるで、昔のエドワードを見ているみたいではないか。抱き着かれて頭頂部しかみえなくなると、ますます昔のエドワードだ。

 これを振り切るだなんて極悪非道な真似、出来るはずがない。

 そう。目下一番の問題は、シルヴェスト家の冷酷非道なご当主様でもなければ、ポワポワしているようで実はものすごく腹の黒い公爵令息様でもない。純真無垢に彼らに操られ、いつの間にやらエイネシアを虜にしてしまった、この可愛すぎる少年少女達なのだ。

 エイネシアも、この父の従弟の子、即ちエイネシアのハトコに当たる彼らに出会ったのは、今回が初めてだった。

 シルヴェスト家に嫡孫が生まれたとの報せはもう随分と前に聞いていたが、五年前といえばちょうどシルヴェスト家が王都を離れて所領に引き籠るようになった頃なので、エイネシアも彼らに会ったことはなかったのだ。

 下の子なんて、尚更だ。

 だから話にだけ聞いていたこの子達に出会えたことは純粋に嬉しかったし、この少年少女にとっても、父と同じ色合いの髪や瞳を持つエイネシアに対し、ほとんど人見知りをすることもなくすぐに懐いてくれた。

 だがそれこそが、大きな罠だったのだ。

「ハドリック、ハンナゼル。私も貴方達と別れるのは辛いけれど……でもずっとここにいるわけにはいかないのよ。私にもやらねばならないことがあって……」

「いやー!」

「そんなの、父様がやればいいじゃん!」

 えっ、と顔を上げた先で、我が子に蔑ろにされたエルリックが、ハハハと呑気に笑っていた。

 いや、それはそれでどうなのかと思うのだが。

「いやぁ。本当に。驚くほどシアに懐いたね。どうしてかな?」

 そう首を傾げるエルリックに、何故か隣でジェシカが、「それは当然、うちのお嬢様ですから!」とか胸を張っているが、そこはそれ。間違いなく、エイネシアではなく、シルヴェスト家の側に問題があったに違いない。

 なにしろあのとてつもなく顔の怖いお祖父様と、三歳から剣を振り回して『荒ぶる東方の猛将』を称された脳筋母リディアの無邪気なスパルタ教育。それに呑気な上に超放任主義で、そして性格という意味ではエイネシアの父ジルフォードにも良く似たエルリックだ。絶対この子達はまともな育て方をされていなかったに違いない。エイネシアの、ごく普通の親戚への可愛がり方が、何故か妙に彼らに、“ものすっごくいいお姉ちゃん”みたいな印象を与えてしまった。

 これについては、冷酷無比な父の放任英才教育に長年晒されて育ったエイネシア自身、何かと女子供に甘いラングフォード家の叔父やらアーウィンやらにベタ可愛がりされて懐いた経験から、断言できる。自分にとってのラングフォード家の面々が、このシルヴェスト家の少年少女にとってのエイネシアだったのだろう。

 それを思うと、なにやら割増しに彼らが憐れで離れがたい。

 まさかこれも、エルリックの計画の内なのだろうか。

 だとしたらものすごく怖いのだが。

「とにかくっ。何とかしてください、おじさま! こうしている内にも、この北部への危機だって着々と増しているんですからね!」

 そう訴えたところで、クスと今少し笑い声をあげたエルリックは、「まぁ確かにねぇ」だなんていいながらのんびりと歩み寄ると、エイネシアに抱き着いてぐずついている娘をヒョイと自分の手に抱き上げた。

 途端にハンナゼルが頬を膨らませて泣きそうな顔をしたけれど、慣れた様子でポンポンと背中を叩くと、きゅっと口を噤んで大人しくなった。

 宥めているというより脅されているように見えるのは、エイネシアの目が曇っているせいだろうか……。

 もうほんと。このおじさまが怖い。

「さて、困ったなぁ。ハンナはこれでいいとして」

 そうエルリックが見やったのは、エイネシアの膝の上に乗って、ぎりっ、と父を睨み上げた長男の方だった。

 一体誰に似たのか。五歳にして反抗期とは……。

「そうだ、シア。いっそうちの子も連れて行かないかい?」

「……正気ですか? おじさま」

 思わず冷めた声色で突っ込んでしまった。

 父の申し出に目をキラキラさせたハドリック少年には悪いのだが、まず間違っても、こんないたいげな少年を連れていくという選択肢は存在しない。

 遊びに行くわけではないのだから当然だ。

「ぼくを置いていくのですか? シアねぇ様」

 だがあろうことか、そうエイネシアに絶望の表情を見せるこの少年の顔と来たら、妙に罪悪感を喚起させる面差しで、なんとも無下にできない。

 絶対計算しているだろう、と思う。

 だからといって振り切って背を向けるような真似はエイネシアにはできないわけで。

 うーんっ。ううーーんっ、と、何度も何度も唸り声をあげながら。


 結局、この小さな爆弾を説得するのに、三日も費やすことになってしまったのである。





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