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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第五章 金の麦と銀の獅子
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5-13 第二の催し(2)

「姫様っ」

 今一度そうリカルドが警戒してエイネシアを窘める声を上げたけれど、それを笑顔一つで制したエイネシアは、構うことなく天幕を掻き分ける。

 そうすれば、既に分かっていたかのように、馬を降りた騎士達がずらりと膝をついており、彼らの真ん中を一人、同じく騎士の装いをした“女性”が、歩み寄ってきた。

 スラリとした体躯に、けれど大きくはない小柄な体格。しかしよく鍛えられた指先が、すっぽりと兜を取ると、軽く結わえられた艶やかな黒髪が肩を滑り落ちた。

 その兜の下から現れた面差しには、すぐにもエイネシアも、「あぁ、やっぱり」と息を吐く。

「ごめんなさいね、シアちゃん。乱暴な招き方になってしまって」

 そう涼やかな声色で謝罪をする女性は、荷馬の上のエイネシアへと手を差し伸べる。

 煌びやかな白亜の城と、随分と物々しい出迎えに、黒髪の女騎士。

 背後でリカルドが警戒心を強めているのが分かるけれど、だがエイネシアにしてみれば、ただ納得の一言しかなかった。

「ジェシカは上手くやってくれたはずなのに、どうしてこの荷馬車だけ目を付けられたのか不思議だったのですが。これで納得がいきました。“貴女”が指揮を取っていらしたんですね。リディアおばさま」

 ほぅと吐息を吐くエイネシアに、すぐにもリカルドが、はっと目を瞬かせて、その女性を見やった。

 ニコニコと温厚な笑みを浮かべているが、その身に纏っているのはドレスではなく騎士服であり、そして腰に帯びた剣は飾りでも何でもない。おそらくは相当の腕前であることが、見ただけでもありありと分かる。

 だがその女性を、エイネシアは“リディア”と呼んだ。

「まさか……」

「リック。こちらは公爵令息夫人の、リディア・シグル・ダグリア様。こう見えて、幼少よりダグリア領で武人としての訓練を積んでこられた、猛将でいらっしゃるわ。貴方だって、敵うかどうか。この城で、もっとも“厄介”な御仁よ」

「まぁ、厄介だなんて。嫌ですわ」

 ふふっ、と笑って見せる様子は確かに貴婦人なのだが、それがかえってリカルドを緊張させた。

 隙だらけに見えるのに、ちっとも隙がない。

 そしてそれがかの東方公の血縁だと言われれば、手に汗握るのも仕方がない。

 彼らはこの国で唯一、本物の戦場を知る者達であり、そしてダグリア公爵家というのは、公爵家という身分にもかかわらず、おそらくは王国軍に所属する兵達以上に、幼少より特殊な訓練を受けてきた戦士達なのだ。

 それはかつて、放蕩者の主を探し回って東方に出向いた際、何故か主と細工物を行なっていた東方公の子息に、そうと知らずに剣を向けて一瞬で返り討ちに合った経験からも、身に染みて分かっている。

 大層小柄で、まるで子供のように幼い面差しをしていながら、リカルドはまともに剣を抜く事さえ許されずに地面に引き倒された。それを忘れるはずもない。

「では……この荷馬に、姫様が乗っていらっしゃると見抜いたのも……」

「芳しいワインの香りに交じった、教会の香木みたいな甘い匂い。それにジェシーというあの子の、あの様子」

 ふふっ、と笑うリディアに、「ジェシカ?」と、エイネシアが首を傾げた。

 匂いで気が付いただなんていうのは流石としか言いようがないが、しかしジェシカに、何かおかしな点なんてあっただろうか。

「ただの商会員にしては、物腰が整いすぎていましたよ。あれは何処からどう見ても、貴族の子女の振る舞いです。言葉遣いも随分と洗練されていましたし、イントネーションも貴族階級の話し言葉のものだったわ。シアちゃんにとってはそれが普通なんでしょうが、あれで町娘だなんて言われても……ふふっ」

 そう笑うリディアには、なるほど、とエイネシアも肩をすくめた。

 小さな頃から公爵家に仕えているジェシカの立ち居振る舞いは、確かに、貴族に仕える者として相応しいものであるようにと、徹底して教え込まれている。

 多少姿かたちを誤魔化したところで、この人の目はごまかせない。

 二、三言も言葉を交わせば、その人物の職業を見抜いてしまうという凄技は、エイネシアも小さな頃、ダグリア家の嫡男リードスに実演してもらったことがあって、とても感動して、あれは? あの人は? とリードスを連れ回して何度も見せてもらった。こちらの夫人も、同じなのだろう。

 まったく。厄介な御方がいたものだ。

「私が荷に紛れているというのも、おばさまのご推理ですか?」

 そうリディアの手を借りながら荷馬を下りたエイネシアに、リディアは不作法をしてシルヴェスト領に入った人物に対する態度とは思えないくらい丁寧に、乱れていた髪飾を整えたり、ショールをかき寄せたりしてくれるものだから、困惑してしまった。

 荷馬が泊められたのは城の正門ではなく塔屋の粗末な裏口だから、まず間違いなく今後の状況は悪いものであるに違いないのに、どうしてそんな気遣いをするのか。

「お気付きになったのはお義父様ですよ。私はシアちゃんの味方だもの」

 そう言って下さる言葉が本心なのかどうかは分からないけれど、「よし、これでいいわね」と装いを整えて下さる様子は、あまりにも呑気で、呆気にとられてしまいそうだった。

「おじさまはご存知なんですか?」

「うちの旦那様でしたら、お義父様が私に荷馬を改めるようにと仰るのを聞いて、『シアならやりかねない』って、大笑いしていらっしゃったわ」

「……おじさま……」

 思わず頭をかけてため息を吐く。

 ちっとも笑い事じゃないのに。

 絶対それを見て、公爵はあのただでさえ怖い顔を益々怖くしたに違いない。

 やめてほしい。

 本気で。

「私はこちらに嫁いだ身ですから、お義父様のご意思に逆らうつもりはありませんけれど。でも心の中では、貴女を応援していますからね」

 そうぎゅっと手を取ってくれたリディアに、エイネシアもゆっくりと顔を上げた。

「それを……この状況下で、仰るんですか?」

 どちらかというと大好きな御方だけれど、今ばかりはそのふわふわとした声色にほだされるつもりはない。

 案の定、ちっとも甘いところなんてない形ばかりの微笑みを浮かべたリディアは、「まぁそうよねぇ」と言いながら、掴んだエイネシアの手に縄……ではなく、リボンをかけた。

 リボンなのは……彼女なりの配慮なのだろうか。

 でも当然、罪人のごとく拘束されたことだけは確かで、それをあまりにもニコニコと正反対のことを言いながら実行するリディアには、エイネシアもついため息を吐いてしまった。

「まぁ、シアちゃんの戦闘力がゼロなのは知っているのだけれど。領地に不法侵入したわけだから、一応ね」

「……おばさま」

 言うに事欠いてゼロだなんて、心外だ。いや。事実だけれど……。

「ところで私も、まさかもう一人お客様がいらっしゃるとは想定していなかったのだけれど。そちらの近衛については、どうしたら良いのかしら?」

「何も言わず、私に同道させて下されば良いのだと思いますわ」

「その場合……首と胴を断った上でになるけれど」

 物騒なことを言うリディアには、多分冗談ではないだろうからと、エイネシアも失笑してしまった。

「こちらは、大切な御方にお預かりした、大切な王国の騎士です。私がその件に関して大叔父様に会いに来たことはもうご存知のはず。それを承知で、大叔父様のお許しも無く王国の騎士に手をかけるおつもりですか? 公爵令息夫人」

 わざとそんな堅苦しい言い方をして視線をあげたエイネシアには、なるほど、と、リディアもほのかに口元を緩めて首肯した。

「私は武にしか才能のない人間ですから、元よりシアちゃんと口で言い争って勝てるだなんて思っていないわ。そうね。でも剣は手放してもらわないとならないわね」

「王国の騎士から剣を奪うことができるのは、国王陛下のみです」

「とはいっても……」

「それより、少しでも早く大叔父様にご面会したいのですが」

 どうせ口で争っても勝てないと分かっていらっしゃるようだから、いっそ話を本題にすり替えることにした。

 このままこの塔屋……エイネシアの記憶が正しければ、公爵家で代々“お仕置き部屋”と呼ばれている、悪いことをした公爵家の子供が反省するまで閉じ込めておく部屋があるはずの、その場所に閉じ込められたりしたら、状況は最悪だ。

 城の中でも奥の方に当たるし、反省用の部屋なので窓も小さくて抜け出せない。一本道しかない上に、更にリディアに監視なんてされようものなら、絶対に抜け出せない。その前に、何としてでもシルヴェスト公に面会し、説得せねばならない。

 これに失敗したら、もはや状況は最悪だ。

 だから今ここで、何としてでもリディアから、公に面会を申し出ていることを伝えねばならない。

 いや。公が、エイネシアと会ってもいいと思うようなネタを、突きつけねばならない。

「お義父様でしたら、今宵は何でも“大きなパーティー”がおありになるとかで、お忙しいようですわよ」

 そう言ってニコリと微笑んだリディアの物言いは相変わらずで、「勿論、存じています」と、エイネシアも負けじと虚勢を張って答えてみせる。

「しかし公は私がその催しで何を言うつもりだったのかにも、興味がないと仰るのでしょうか?」

「……」

「あるいはこの事が公の耳に入らないことで……公の甥である、ジルフォードの命が不当に奪われることになったとしても?」

 その言葉には、ピクリ、とリディアも眉を吊り上げて、じっとエイネシアを見やった。

 深い深い藍色の眼差しが、見定めるように、ちっとも逸らされない紫の瞳を見据える。

 エイネシアもまた、嘘なんて言っていない、と、そう訴えるかのようにじっとその瞳を見つめた。

 そうして一体どのくらいの時間が経ったのか。

 やがて、その瞳を伏せたのはリディアの方で、深い深いため息を吐くと、困ったように眉尻を下げた。

「嘘ではないようね」

「おばさまも、うちの父の横暴はご存知のはずです。父は私に、『今宵一度限りで何とかしろ』と命じました。そして私が成功しようが失敗しようが、関係なく、予定された行動をお取りになる。そして私の失敗は即ち、父の敗北をも意味します」

「シアちゃんったら。私がジル様をとってもお慕いしていることを存じていて、そんなことを言うのかしら」

「ええ。勿論です」

 ダグリア家の者は何よりも武略と知略を重んじ、用兵の修練のためにとありとあらゆるボードゲームを幼少の頃より嗜む。父ジルフォードがそんなダグリア家の者達に武で適うはずなんて微塵もないが、しかしそのボードゲーム……とりわけチェスなんかについては、いつも父の圧勝に終わる。

 そのせいか、四公爵会議なんかがあると、空き時間にはリディアやリードスらがこぞって父に勝負をふっかけては盤面にかじりつく。そんな様子は、もはや恒例のことなのである。

 それを“慕っている”という言葉で表していいのかは疑問だが、本人が言うのであるから、そうなのだろう。

 であれば、リディアを動かすには十分な言葉であるはず。

 そして同時に、父曰く、本当はとても“身内想い”であるらしいシルヴェスト公爵にとっても。

「……いいでしょう。お義父様にご伝言はお伝えします。しかしただで、とは参りませんから……」

 さて、どうしましょうか、と思案したリディアは、そのままチラリと、エイネシアの後ろで未だ剣を手放さずに警戒をしているリカルドを見やった。

「ところでシアちゃん。大事なシアちゃんの護衛を任されるということは、それ相応の腕前の御方なのだと思うのだけれど」

「……おばさま」

 その先の言葉が容易に想像できてしまったエイネシアは、途端に、うーん、と眉を顰める。

「騎士殿。お名前をおうかがいしても?」

「はっ。リカルド・ブラン・ディーブレイと申します。令息夫人」

 声にはとげとげしさが残っていたものの、そう公爵令息夫人に答えるにふさわしい物腰で答えたリカルドには、すぐにもリディアが、「まぁ」と声をあげた。

「驚いたわ。噂に名高い騎士長ご縁戚のディーブレイ伯にこんなところでお目にかかるだなんて。相手にとって不足はありませんね」

「は?」

 どういうことだろうか、とリカルドが顔を上げた瞬間、しゅらりっ、とエイネシアの傍らを通り越してリカルドの首元へと突きつけられた切っ先に、咄嗟にリカルドが剣を掴んで身動きを止めた。

 本当ならその殺気に瞬く間に剣を抜いていたところだが、エイネシアの命令と相手の身分に慮って、かろうじて抜くのを留めた、と言ったところだろうか。

 エイネシアにはそういう武人の一瞬の判断とかいうやつがちっとも分からないのだけれど、リカルドが自分の命令を順守するために剣を抜かなかったことだけは、はっきりと分かった。

「どういう……おつもりでしょうか」

「シアちゃん。この方と、手合せさせていただけるかしら?」

 そうニコニコと求めるリディアに、エイネシアは今一度、深いため息を吐く。

 こんなことをしている時間はないのだが……しかしこの御方を納得させるには、これが一番有効であるのも確かだ。

 いくら護衛についてくれているとはいえ、リカルドはブラットワイス大公家の所属。エイネシアの命で勝手に争わせることは、出来ればしたくなかったのだけれど。

「相変わらず、血の気が多くていらっしゃるのですね。おばさまは」

「大人しく夫人なんてやっていると、どうにも腕が訛ってしまいそうで。こうやって時々、発散したくなるの」

 なるほど。大変、“らしい”物言いである。

「リック……」

「お話は良く見えませんが。姫様が剣を抜けと仰るのであれば、私は抜きます」

 血の気が多いのは、こちらものようだ。

「相手はかつて、お一人で砦を一つ落としたことの有るような御方よ。気を付けて」

「まぁ嫌だわ、シアちゃんったら。アレは若気の至りというやつですよ」

 そう微笑むリディアは、そういうなり、開始の合図も無しに真っ直ぐと上段から“エイネシア”に向かって切っ先を突きつけてくる。

 その鋭い一太刀に、エイネシアが驚嘆に身をすくめる間もなく、いささか乱暴にエイネシアを後ろに突き飛ばしたリカルドが、瞬時に剣を振り抜いて切っ先をいなす。

 ぶつかった金属音に気が付いて初めてはっとしたエイネシアは、思わずトトト、とおぼつかない足取りで引き下がり、折よくあった荷馬の荷台に腰をぶつけて立ち止まった。

「手荒となり申し訳ありません、姫様。お怪我は」

「だ、大丈夫よ。私は平気」

 ただ驚いて、心臓がバクバクと脈打っているだけだ。

「なるほど。護衛としてはひとまず合格ですね」

 そんなことを言うリディアは、すかさず身を低くして切り込んでいくが、リカルドも焦った様子はなく、一つ一つを丁寧にいなしながら、少しずつエイネシアから距離を取って行った。

 その様子には、周りで深く叩頭していたはずの兵達も、チラ、チラ、と顔を上げて様子を覗き見る。

 そんな彼らの面差しに、これは……、と、エイネシアは目を細めた。

 堀の深い北方の面差しとは違う。もっと平坦だが、程よく日に焼けた肌と凛々しい面差し。

 それに身を硬くして控えているはずが、真っ直ぐと戦いの様子を見据えながら、指先でじりじりと剣の柄をなぞり、自分がその戦場に立っていた時の様子を目算しているような、熱心な眼差しをしている。

 それに、鎧の下にのぞいた僅かな黒の内着は……間違いない。彼らはシルヴェスト家の私兵と同じ鎧を纏っているが、シルヴェスト家の私兵ではない。黒弓の家紋に属する、ダグリア家の私兵だ。

 そんなまさかと目を見張ったが、やはり間違いなかった。

 剣の形が違う。山の多いシルヴェスト領の兵を含め、王国の騎士は皆反りのない両刃の直刀を用いるが、元々騎馬民族であるダグリア領では、片刃の湾刀が主流だ。

 細かい違いなんて知らないが、それでも今刃を交えているリディアとリカルドの持つ武器が異なっていることは一目瞭然で、その湾刀の柄の糸巻と金の装飾の施されたデザインも、間違いなくダグリア領の装飾だ。

 そして、そんなダグリア領の戦術の最たるものは、“魔法”の応用に他ならない。

 しばらく剣ばかりを交えていた二人の戦線がやや単調になってくると、先にそれを繰り出したのはリディアの方だった。

 ブツブツと定型句を囁いて地盤を固め、その反動を利用した、タイミングを突き崩す一手が、瞬時に身を逸らしたリカルドの頬を掠めて行く。

 これにすぐに対応したリカルドもまた、日頃は馬車の加速や手紙にしか用いない風魔法を剣に纏わせて薙ぎ払う。

 それをいなしたのは地面から突き出した土くれの棒で、追い打ちをかけるように四方八方から突き出した棒に、リカルドは身軽に後退して距離を取る。

 完全に見切ったかのように見えたその所作と、次いで土棒の間をぬってすかさず切り込んできたリディアの太刀を、風魔法で勢いをつけて受け流そうとしたリカルドの太刀が、交わるかと思った瞬間。

 ニコリと口を緩めたリディアは、右の手に握られた剣ではなく、何かを引っ掴んだ左手を振り払った。

 たちまち空中から突き出した土の棒が、切り込んできていたリカルドの腹部を直撃して、後方へと投げ出す。

 囲みの兵達をも遥かに突き抜けてドンッと地面に倒れ込んだリカルドに、エイネシアも息をひっつめ身を乗り出した。

 倒れ込んだリカルドに追い打ちをかけるように地面を蹴ったリディアを見た瞬間、これはまずい、としゃがみ込み、手を地に付けて、慌ただしく魔法の文言を囁く。

 途端に、地面を真っ直ぐと走って行った地中の水分の塊が、パキパキッと甲高い音をたて、今まさにリカルドに最後の一手を掛けようとしていたリディアの足を絡め取った。

 それに足を取られたリディアの傍らを、だが同時に、鋭い風の刃が空中へと飛び去って行く。

 シンと静まり返ったその場と、じりじりと容易く溶けてゆく氷。その氷に捉えられた片足を見下ろしたリディアが、おもむろにチラリと後ろを振り返る。

 その白い頬に、一筋の血がにじんでいた。

「魔法の気配に、気が付かなかったわ。貴女の仕業かしら? シアちゃん」

「もう、宜しいでしょう? おばさま」

 ほぅ、と息を吐きながらゆるゆると立ち上がったエイネシアは、自然の摂理に反した状況となった場所を避けて、周り込んで二人に歩み寄る。

 リディアの魔法に強打され、剣を手放し倒れ込んでいたリカルドが、よろよろと身を起こし、切り裂けた服の下から滲む血を軽く抑えながら、薄く口元を緩めた。

 きっと、エイネシアが手を出さなければ、リディアの一太刀ははるかに深く、リカルドを切り裂いていただろう。

 だがそれだけではない。

 リカルドの右手に掴まれていた木の枝が、その手元パキリと音を立てて木端微塵に砕け散る。

 それを見つめながら頬の血を拭ったリディアが、そのチリチリとした痛みに、一つ深い吐息を溢した。

 今少し踏み込んでいたら、頬を掠めたその風魔法もまた、もっと深く彼女を傷つけていたはずだ。

 くしくもリディアの足を引き止めた一瞬の氷が、二人の間の間合いを僅かに遠ざけたのだ。

 無論、エイネシアにはそんなもの見抜けたものではないから、ただ咄嗟に魔法を用いたのだけれど、その“咄嗟”が随分と良いように働いたようだった。

「怪我を負わされたのは久しぶりだわ」

「恐れ入ります。しかし確かカルドナンの砦を落とした件の将は、“槍の名手”でいらしゃったはず。手加減をされていたのは私の方のようです」

 あら、と、途端に顔をほころばせたリディアは、「ご存知だったのね」と肩をすくめながら、そそくさと剣を納めた。

「謙遜する必要なんてないわ、リック。ズルをしたのはおばさまの方です」

 そうむすりと頬を膨らませながらリカルドの傍らに身を屈めたエイネシアに、慌ててリカルドが身を起こそうとしたけれど、それを制して、エイネシアはその肩から鎖骨にかけての傷口に指先を突きつける。

 リカルドはギョッとした顔をしたけれど、その傷口にパキパキと氷が張ってゆくのを見ると、大人しく口を引き結んだ。

「まぁ。シアちゃん、それ何? 氷魔法よね?」

 そう興味津々に覗き込むリディアには、一つため息を吐いてやった。

 まったく。相変わらずというのか何というのか。

「おばさま。“魔法石”をお使いになったでしょう?」

「あら。反則だなんて決まりはないでしょう?」

「戦争に用いるような高価な品を、こんな私闘にご使用になるだなんて」

「ただの試作品よ。試せて丁度良かったわ」

 そうニコニコしているリディアは相変わらずで、まったく、と肩を竦めつつ、改めてリカルドに手を差し伸べた。

 リカルドは「一人で大丈夫です」と気を使ったけれど、そこは問答無用に引っ張りあげた。

 といっても、手首を縛られているから大して役には立たなかったと思うけれど。

「あの。魔法石というのは……最後、空中から突き出した石壁の事でしょうか?」

「ええ。このシルヴェスト領で産出される純度の高い魔晶石に自分の魔法を刻んで保管しておく魔道具で、ダグリア公爵家の保有する軍事機密レベルの代物ですよ」

 そう言ったエイネシアに、どうして彼女がため息を吐いたのかを理解したららしいリカルドも、いささか困惑した顔で苦笑いを溢した。

 道理で。土の気も何もない場所から、突然理不尽な質量の攻撃にさらされたはずである。あれは流石に予想できなかった。

「そういうディーブレイ伯こそ。最後の風魔法は一体何です? たしか近衛は、近衛の規定にある戦闘魔法以外の使用は禁じられていたはずですのに」

 そう苦笑したリディアには、リカルドも、朽ちた木の枝を見やりながら肩をすくめる。

「恐れながら、夫人のご故郷で、偶然ご既知を得ました公爵令息に教わりました」

「ハァ……リードス様ね」

 そういえば彼もまた、優秀な魔法士でしたね、というリディアに、そういえば、とエイネシアも、遠方の昔馴染みを思い起こす。

 リードスはアレクシスとも随分と気が合ったようだから、そのアレクシスを探し回ってうろうろしてきたリカルドもまた、かの領地で、あの小柄な公爵令息の機知を得たのであろう。

「それで、おばさま。これでご満足いただけましたか?」

「ええ。久しぶりに良い手合せができましたわ、ディーブレイ伯」

「恐れ多いお言葉です。こちらこそ、ご教授いただき感謝いたします」

 そう丁重に頭を下げるリカルドの様子は、もうすっかりと、護衛としての立場とは違っているように見えた。

 きっと剣を交えている内に、リディアが、『エイネシアの申し出を受けるかどうか』の為ではなく、『本当に貴方にエイネシアを任せていいのか』を試しているのだということに気が付いたのだろう。

 同じようにエイネシアも、一つの事に気が付いていた。

 どうしてリディアが、シルヴェスト公の許しもないまま、こんなところでこんなことを行なったのか。

 まぁ、名高い騎士殿と手合せしたかったというのもきっと本心なのだろうけれど、それだけじゃない。

「勝負は引き分けといったところかしら。充分に楽しませていただきましたし。お義父様には、すぐにでもシアちゃんの言い分を伝えて差し上げますからね。それからディーブレイ伯には手当てを」

 そう言ったリディアに、「感謝いたします」と一度頭を下げる。

 リカルドは、「大した怪我ではありませんので」とエイネシアの傍で引き続き護衛に徹しようとしたけれど、リディアが引いてくれた以上は、ひとまず護衛が必要となる場面には出会わないはずだ。

 遠く引き離されて、リカルドが危ない目に合いそうならば考えるが、「うちの隊舎で手当てさせるわ」というリディアの言葉は、充分に信用に値した。

 きっとシルヴェスト公には知られずに手当てをし、後ほどきちんとエイネシアと引きあわせてくれるはずだ。

「だから安心して手当てを受けてきてちょうだい。もしここから逃げ出すことになったなら、その時に万全でいてもらわないと困るわ」

 そう堂々と口にしたところで、やはり周りの兵達にもリディアにも、それを不審がったり咎めたりする様子はなかった。

 やはり思った通り。彼らは、シルヴェスト家の者ではないのだ。

「では……私が戻るまで、くれぐれも」

「ええ。大人しくしています」

 そうこの旅の間何度口にしたとも知れないことを言うエイネシアに、「それが信用ならないんですが」と肩をすくめながらも、ひとまずリカルドは、促されるままに、塔からほど近い場所に見える建物の方へと誘われていった。

「それでは私はお義父様のところに。シアちゃんはひとまず、この塔屋で待っていてくれるかしら?」

「宜しくお願いします。おばさま」

 そう深く頭を下げたところで、ニコリと公爵夫人の顔に戻ったリディアが、手を差し伸べて、エイネシアの体を起こしてくれた。

 更に、先程結んだばかりの手首のリボンも解いてくれる。

「宜しいのですか?」

「貴女は目を離すとすぐに危ないことをしでかしそうで心配だから。先ほどの試合に手を出してもらいたくなくて、こんなことをしたのよ。ごめんなさいね」

「……はじめから、リカルドに喧嘩を売るおつもりだったんですか?」

「まぁ成り行き的なものもあったのだけれど。貴女が心配だったの」

 その言葉は、きっと嘘偽りではないだろう。

 何しろ、親族とはいえ敵の居城に、こんな危なっかしいことをして乗り込んできた娘だ。

「お義父様の件は、楽しませていただいたお礼に、必ずお連れしてみせるわ。だからシアちゃん……」

 リボンを解いた指先が、そのままきゅっと、エイネシアが被く、“見慣れた色”のショールを、丁寧に整えてくれる。


「頑張ってね」


 その言葉は、本心だったのだろうか。

 塔の前に控えていた侍女に、「姫を塔にお連れして」と告げながら背を向けたその人に、エイネシアはきゅっと唇を引き結びながら、もう一度だけ、僅かに会釈をして本城に向かう後ろ姿を見送った。






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