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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第五章 金の麦と銀の獅子
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5-10 ヴィヴィアン

 その日の内にも、急ぎバーズレック伯爵やハスロー子爵らと最後の打ち合わせを終えたエイネシアは、ジェシカが用意してきてくれた白と黒の修道服に身を包んで、バーズレック伯の見送りを受けながら教会の馬車に乗り込んだ。

 教会の紋が刻まれたこの馬車と、巡回司祭というヴィヴィの身分証明が有れば、関所でもほとんど訝しまれることも無く通過できる。

 御者に扮した逞しすぎるリカルドの装いは流石に無理があるだろうかと思わなくも無かったが、同じく修道女の装いに身を包んだジェシカと四人。ヴィヴィが、「北方大教会に赴任いたします」と笑顔で口にしたなら、それだけで何の疑いも無く関を抜けられた。


「正直、こんなにも簡単に行くだなんて、驚いています」

 そう思わず眉尻を落として言ったのはジェシカで、目の前でニコニコと、ジェシカとエイネシアの偽造手形、もとい、実在する修道女の身分証明を借り受けてきた司祭様を見ながら、ジェシカもとても困った顔をした。

 神にお仕えする人物に、ましてや政治や権力とはもっともかけ離れた存在であるはずの教会の司祭様に、こんなことをやらせていいのだろうか。

 その懸念は、やはり皆同じなようだ。

「私はもうとっくに覚悟を決めましたよ。これで神罰が下るのだとしても、本望だと思うことにしております」

「私は神罰よりも、これを機に教会が政治に関与する存在にならないかの方が心配だわ。ヴィヴィ司祭のことは信頼しておりますけれど、協力を求めたすべての司祭様方も、同じでいらっしゃるとは限りませんから」

 膝の上で計画立案を練りながら、二人を見ることも無くポツリと呟いたエイネシアに、視線が集まる。

 そんなお嬢様に、ジェシカが困惑する一方で、ヴィヴィの方はただニコリと笑みを深くして、「流石のご慧眼でいらっしゃいます」と言った。

「ですから私も……別の意味で、覚悟を決めておりますよ」

 そう言うヴィヴィに、ふと、エイネシアも僅かに視線を上げる。

「私としては、この一件が終わればなじみ深い西方に戻って、出来ればまたアーデルハイド領で、孤児院設立の件に協力なんかしながら、小さい町の教会でのんびりやりたいのですが」

「それは、できないでしょうね」

「ええ。させてはもらえないでしょう。他でもない、“殿下”が、そうさせては下さらないでしょう」

 そう一つ肩をすくめたヴィヴィには、エイネシアも困った顔をした。

 巻き込んでしまったのは、そのアレクシス殿下とエイネシアだ。

 自分達は、あの日、あのアーデルハイド領の小さな田舎町で偶然に顔を合わせたことを期に、この快い司祭様の未来を捻じ曲げてしまった。

「ですから覚悟を決めて、教会本部で出世することに致します。そして私自身が、私の蒔いた種である、教会と政治とのかかわりを牽制する役目を、引き継ぐつもりです。おそらくこれは、私が為すべき事でしょうから」

「ヴィヴィ司祭……」

「本名は、ヴィヴィアンと言います。ヴィヴィアン・カセル・ブルネッル」

「えっ」

 思わず声を挙げたのはジェシカで、そんなジェシカに、ヴィヴィも肩をすくめて見せた。

「ブルネッル……ということは、ジェシカのお父様のお生まれであるヘドマン子爵家の本家筋ね。アーデルハイド領にも隣接する、旧王国時代からの西部名門貴族だわ」

「現ブルネッル伯爵は私の兄です。ヘドマンからは度々アーデルハイド家へ奉仕する者が出ていると聞いてはいましたが、ジェシカさんのご家名を聞いた時は、正直少し動揺しました」

「あ、兄って……じゃあ」

 おろおろと困惑して、最終的にエイネシアに助けを求める顔を向けたジェシカに、エイネシアも口元を緩めて見せた。

 ジェシカは、エイネシアの乳母をしてくれていたジェンナの娘で、ジェンナは元々代々アーデルハイド家に仕えている男爵家出身の出身だった。そしてアーデルハイド家が仲人となって彼女が結婚した男性が、そのブルネッル家に仕える分家ヘドマン子爵家の三男であった。

 両親はともに家も爵位も継げない立場であったが、エイネシアに仕えることが決まった際には、ヘドマン子爵家の猶子として貴族籍に入れられている。ジェシカ・ヘドマンは子爵令嬢でもあるのだ。

 そしてこのヘドマン家の現子爵……即ちジェシカの伯父であり後見人である現当主は、本家ブルネッル伯爵家の当主とは従兄弟に当たる。当然、ジェシカの父もそうだ。だからジェシカにとって、ヴィヴィは父の従弟ということになる。

「ですがご本家は……ブルネッル家はうちとは違って権門のお家柄。それなのに、どうして司祭様が教会に?」

 そう問うジェシカに、今一度肩をすくめたヴィヴィは、少し困った顔で眉尻を下げた。

「生憎と、私は家との折り合いが悪く。金にうるさかった父はもとより、兄とも根本的に反りが合わず」

「ブルネッル前伯は、神経質なくらいの倹約家でいらっしゃったと聞いているわ。奢侈令を度々ご領地内でも発布なさって、かなり領民を厳しく統治し、疲弊させたとか」

「仰る通りです。娯楽という娯楽を制限し、小さな罪にさえ断罪を下すような人でした。兄は兄で、その反動のように金にがめつく、まさに“俗物”という人柄で」

「私の記憶にある限りだと、中々に紳士で人当たりの良い御方だったと思うのだけれど」

「対外的にはそうです。質素を装い、父の圧政に苦しんだ領民にゆとりを取り戻させた良い領主ですよ。しかし家の中では、酷い暴君でした。兄は、一度タガがはずれると随分と暴れる性質でして」

「そうだったの……」

「年の離れた異母の弟妹はそんな兄にへつらって上手くやっていましたが、どうにも私にはそれができず、学院に入る年の頃、領地を出たのを幸いと、そのまま家を出て教会に。修道院に入った時にこの名前と家名は捨てました」

 教会に入る貴族は、多くはない。分家筋の次男三男ともなれば別だが、伯爵家直系の次男が入るのは、かなり珍しい部類になるだろう。

 だがそれゆえに、ヴィヴィは教会内での出世を恐れた。

 貴族の子弟が教会内で力を持つことは、教会に俗世のしがらみを持ち込むことになるのではないか。

 そしてそうなってしまえば、それはヴィヴィが厭い逃げ出した世界の物事を、教会にもたらすことになってしまう。逃げ出した先で、またもその厭わしいものに捕らわれてしまう。それが嫌だったのだ。

「でしたら、やはり今の状況は、ヴィヴィ司祭には望まぬ状況なのではありませんか?」

 そう変わらず彼をヴィヴィと呼んだエイネシアに、一つ苦笑を溢したヴィヴィは、「そう思ったこともありました」と取り繕うことなく答える。

「ですが私ももういい年ですから。今では、司祭の位をいただいたことに誇りも持っていますし、西方教区に赴任して以来、何かと子供の頃に培った学問や領政の知識が役にたっていることも理解しています。自分の出自が役にたったのだと、親に感謝もしています」

「そのせいで私の既知を得ることになってしまい、アレク様の横暴に付き合わされる羽目になってしまったけれど」

「それについては自業自得でもありますから、お二方を責めは致しませんよ」

 そう肩を揺らすヴィヴィは、「それに」と言葉を続ける。

「後悔もしておりません。殿下も、それに姫様も、私の出自を聞いてもこれまでとお変わりなく接して下さる。殿下が私に望んだのも、私の今の立場や私の考え方あってのことで、それ以上のことを求めたりは致しません。むしろ、自分の出自のしがらみにとらわれ続けていたのが自分の方だと気が付かされた思いでいます」

「まぁアレク様は、ご自分の出自にさえ頓着されない御方だもの」

 そう笑ったところで、「確かに」と、ヴィヴィも思わず声をあげて笑った。

 何しろ、初対面の王弟殿下を聖歌隊の指揮者に仕立ててしまった張本人だ。あんな王子様は見たことがない。

「なので、この一件が片付いたとして。私ももう、自分の出自がどうの、過去がどうのと理由をつけるのは止めて、殿下方の協力者になってしまった今の自分……“ヴィヴィ”として、なすべきことを致します。俗世の権門の諸々に関わるものを、教会に持ち込んだりはしません。それでいて、教会と政治とを切り離す。その監視の役目を担います」

 そしてくしくも彼には、それができる能力がある。アレクシスもそうと分かっていて、ヴィヴィを重用しているのだ。

 分かっているからこそ。この一件が終わった時、彼はヴィヴィを中央から遠ざける地位には行かせないだろう。今、こうして政治と教会を関与させてしまっている張本人であるからこそ、今度は彼に、その牽制の役割を担ってもらわねばならない。

「まったく。本当に、お優しい顔をしていながら手ひどい御方です。殿下は」

「ふふっ。だって、“一応”王子様ですもの」

「ええ、ええ。忘れてしまいがちですが、“一応”殿下でいらっしゃいますからね」

 そうどちらからともなく笑った二人に、「お二人方とも、その殿下に不敬でいらっしゃいますよ」とジェシカが困った顔をした。



 その内、馬車は段々と速度を落としだし、御者台のリカルドが、「そろそろ最後の関です」と声をかけたのを機に、エイネシアもペンを置いて窓の外を見やった。

 これまでにない、延々と領地を囲む頑丈な石造りの領界線。大きな、まるで小ぶりな城のように立派な関はそれだけでも威圧的で、居並ぶ関守の身だしなみや立ち居振る舞いからして、もはやこれまでの領地とはかけ離れた様子が漂うものであった。

 もはや、城塞と呼ぶべきもの。

 過去数度この門を通ったことのあるエイネシアは、これまでその様子をじっくりと見たことなんてなかったけれど、今となっては、その様子が他とはかけ離れていることがよく理解できた。

 シルヴェスト領大関門。

 すでにうっすらと道端には氷が張り、今にも雪が降り出しそうな灰色の空をした、北の果て。

 ここを潜れば、その先には広大な領地を誇るシルヴェスト領しか存在しない。

 流石にこのシルヴェスト領の関を潜るのには緊張したけれど、おそらくいつになく厳重であろう関守の慎重な手形監査の中でも、三人の教会手形と御者の身分証明。それに王都からここまでの関の記録を見て、すぐに通過の許可は発行された。

 他の馬車は、皆馬車を降りて手荷物検査までうける厳重さだったのに、と驚くエイネシア達に、ヴィヴィも、「教会はシルヴェスト公の意向で、北部各地の教会に物資を届けたり、それで炊き出しを行なったりとの任を託されていますから。今や教会関係者のこの門の出入りは商人以上なんですよ」と言われた。

 それには納得するものがあり、教会への警戒が緩いのも、おそらくはこれまで教会が政治に一切かかわってこなかったことへの信頼によるものなのだろう。

 後々のことを考えれば、それを覆して利用している状況が本当に申し訳ない。

 きっとすぐにもエイネシアが教会を利用してこの領に入ったことは知られるところとなるはずで、そのせいでシルヴェスト公らに抱かせることになる教会への不信感は、相当のものであるはずだ。

 その後処理を一手に引き受けることになるのはヴィヴィであり、彼もまた、それを自ら引き受け、責任を取るつもりでいる。

 もう自分達は、引き戻せないところまで、彼を巻き込んでしまっているのである。

 でも謝罪は口にしなかった。

 それはきっと彼が何度も悩み、選んだ今のこの現状への覚悟に対する冒涜だ。

 だからただ一言。

 感謝だけを、述べた。




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