5-6 作戦会議(2)
「“アーデルハイド”であり“シルヴェスト”であり、そして“エーデルワイス”でもある。これは、そんな私が為さねば、意味のないことですから」
エイネシアはそう言ったが、だがそれを、この未だ年若い姫一人に託さねばならないとは、なんともどかしいことなのか。
「ただ私がこの意思を届けるにしても、この広大な北部の全所領を一つ一つ練り歩いていたのでは間に合いません。伯には、北部貴族達を何か一手に集めるような策を、打っていただきたいのです」
「一手に、集める……ですか」
「できれば、同時に。すべての北部貴族にであるのが最良です。タイムラグが生じると、噂を聞いて先走る貴族や、話を聞く前に拒絶する貴族が出てきてしまう。その懸念を無くしたい」
だからこの事は慎重に。彼らに、何故集められたのかを悟らせることなく、秘密裏に行われなければならない。
ふむ、と一つ唸ったバーズレック伯は、それで、貴族達を集めてどう説得するつもりなんだ、なんて懸念は少しも思い浮かばなかった。
自分が為すべきは、貴族達をとにかく集めること。
後のことは、この姫様ならきっとうまくやる。
そう信じるしかないのだ。
「正直に申し上げますと……すぐには、思いつきません。周辺の貴族達と協調的な関係は築いて来ましたから、それなりのパイプはあります。しかし我が家はまだ、北部では新参者。大層な理由も無く、北部のすべての貴族を集めるような催しを開けるほどの力は、生憎と私には有りません……」
だがそれでもどうにかせねば。
どうにか、期待に答えねば、と、そう苦悶して思い沈んだ伯の傍らで。
「では、旦那様。“マルユランタ商会”から一世一代の大発表がある、などという触れ込みをするのでは、如何でしょうか?」
ニコニコと微笑んでそんなことを言った奥方の言葉と、ポカンと傍らを見やった伯の面差しに、エイネシア達もまた、はて、と首を傾げた。
ニコニコホワホワと、どうにもこの場の緊張感には似つかわしくない、おっとりとした奥方。その物言いが、何とも軽いものだから、ことの重要性が分からずに首を傾げたのだが、一方のバーズレック伯は、すぐにもはっと顔色を引き締めると、「それなら。いや、しかしっ」と、思いふける。
「伯爵夫人。あの。マルユランタ商会、とは?」
悶々としている伯に変わり、そう問うたエイネシアに、「恐れながら、私の実家でございます」と言った夫人は、卓上のランプを見やると、クルリと裏を向けてエイネシア達の方に指示した。
アンティークな風合いを施された真鍮に、くっきりと刻まれた商会の紋章だった。
王都育ちのエイネシアにはピンとは来ないものだったが、確か町中でも一番大きな商会の壁に掲げられていた紋章も、これと同じだった。
「マルユランタ商会は、六百年の歴史を誇る北部最大の大商会。シルヴェスト領に本拠地を置いており、代々の公爵様にもご贔屓にしていただいております」
「そういえば……」
食事の席でも、そんなことを言っていたか。
「北部で最初に運送業を始めた商会でもあり、公爵様が施される物資を北部の方々に運ぶご依頼も頂いているご縁で、およそ北部の貴族という貴族。商家という商家のすべてに、顔が利きます。この北部で、マルユランタの名前を知らない者はおりません」
よもやそれほどのものとは思っていなかったので、流石に驚いた。
だが、時として貴族よりも商人の方が強い力を持つことは、エイネシアも良く知っている。
ラングフォード領などはその最たるものであるし、エイネシアもそのラングフォード出身の母から、商家との繋がりの大切さは教え込まれている。
彼らは時に、貴族達を牽引するほどのブームをもたらし、商家の機嫌を損なって商品の購入を拒まれでもしたら、その貴族は忽ち流行に乗り遅れ、他の貴族達から嘲笑われることになる。
商家の存在は、貴族達にとっても決して無碍にはできない存在なのだ。
「それは願ってもない申し出ですが……しかし、宜しいのですか? そのような大商家が、このような国政にかかわる話に乗るだなんて……」
商家を納得させられるほどの目算があるわけではない。
一歩間違えれば、その大商会を北部から爪はじかせる事態にだってなりかねない。
そんなものに、マルユランタ六百年の歴史と暖簾を賭けてしまっていいのか。
そう不安視するエイネシアに、おっとりと微笑んだ奥方は、ゆったりと頷いて見せた。
「商会長である父も、私を嫁に出した時から、旦那様とは身内です。その旦那様がお認めになった姫様のお人柄を信頼するのは勿論、これまでのお話を聞いて、姫様にご協力するのが商会の未来にとっても最も幸いであることを、私も確信しております」
「しかし……」
「無論、姫様ご自身にも、父を説得しうるだけの、貴族を集めるための“主題”を提示していただく必要があります。しかし商会のことを思えば、今ここで北部に戦を巻き起こす未来と、じっと耐えて希望を待つ未来と。どちらが本当に有益なのかは、ご理解いただけるはず」
「下手をすれば、私に協力をしたことを理由に、不利益を被ることもあるのですよ? それなのに、交渉のテーブルに付いて下さると?」
「姫様は、下手をなさるのですか?」
相も変わらずニコリと微笑んだその面差しには、エイネシアもドキリとさせられた。
なるほど。これは確かに、貴族の奥方なんかじゃない。大商家のお嬢様だ。
ニコニコとはしているけれど、一本芯のようなものが通っていて、自分が信じたものに対して微塵も揺らぎを感じさせない。
取引の鉄則を存じている人物の態度だ。
これにはエイネシアの方が一本取られた気分で、なるほど、と息を吐くと、俄かに顔をほころばせた。
思いがけないところで、思いがけない味方を得られたようだ。
「申し訳ありません、伯爵夫人。私は協力を申し出て下さった貴女に、『安心して任せて欲しい』と申すべきでしたね」
「いいえ。ご懸念はごもっともだと思います。ですがどうぞ、姫様。私を一人の“商人”として、ご信頼ください」
そう貴族ではなく商家の店主の如く胸に手を当てて一礼をして見せた夫人に、エイネシアも頷いて見せた。
それから改めて、傍らの伯爵を見やる。
「伯爵。夫人の身の安全は、必ずお約束いたします。マルユランタ商会の協力を求めるお許しを、いただけますでしょうか」
その言葉に、少し肩をすくめた伯爵は、「あぁ、やれやれ」と苦笑する。
「うちの奥方は中々強引なんです。これでは私が何を言ったところで、聞いてはくれないでしょう」
「私は、“商家の娘”ですから」
そう堂々と微笑んでみせる奥方は、何とも頼もしかった。
きっと、貴族の奥方になんてなって苦労も多かっただろうに。それでも堂々として、自分を見失うことも無く、恥じ入ることも無く生きている姿が、とてもうらやましい。
そしてその姿はまさに、エイネシアが。そしてアレクシスが求める、こうあってほしいと願う国民の姿そのものだった。
それが少しだけ、エイネシアに勇気を与えてくれる。
「では伯爵夫人。その申し出に、僭越ながら一つ、注文を付けてもよろしいでしょうか」
「はい。何なりと申してください」
「必ず……催しの会場は、“シルヴェスト領”に」
「姫様!」
それにぎょっと静止をかけたのはリカルドだった。
彼が言いたいことは分かっている。
エイネシアも旅立ちの前夜、アレクシスに散々言われた。
『シルヴェスト公とだけは、真正面からやりあってはいけないよ――』
その恐ろしさを見誤ってはならない。公にだけは、警戒を、と。
その忠告は忘れていない。
だがそれでもエイネシアは最初から、シルヴェスト公爵こそが自分が本当に相対するべき相手だと分かっていた。
例えどれ程に周りの貴族達を抑え込んでも意味はない。
シルヴェスト公の理解を得られなければ、元より自分の役目は果たされないのだ。
「穀倉地帯や、この地図の黄色の版図の貴族達を説得するのなんて、ただの前哨戦にすぎません。本当に北部のすべてを説得したいなら、旧王国以来の北部貴族をも納得させねばならない。そしてそのためには、絶対に、この“北部の王”の許可が必要なんです」
「……確かに」
うむ、と頷くバーズレックに、リカルドも眉を顰めたまま口を噤む。
「シルヴェスト公だけは、招待者リストから外れてはならない。ゆえに、催しはシルヴェスト領で。公の目と鼻の先。絶対に無視できない場所で催す必要があるんです」
「危険です。シルヴェスト領内でシルヴェスト公と見える? いくら私でも、公爵家ほどの場所から姫様を無事に逃亡させられるかは、自信が有りません!」
思わずそう声を挙げたリカルドには、エイネシアも眉尻を下げて、「どうして逃亡しなければならない状況になること前提なの?」と呆れた顔をした。
ちっとも信頼されていないのが、いささか悔しい。
「アレクシス殿下は、公はそれほどに危険な人物だと言っていました。たとえ姫様のご提案を呑んで下さったとしても、それとこれとは話が別だと、姫様を居城に拘束する可能性だってあります。もしもそんな状況で北部が離反などしようものならっ」
シルヴェスト公なら、やりかねない。
エイネシアの提案に同意するふりをして、その実、エイネシアを居城に留めおき、情報からも遮断して、それでいつの間にか、エイネシアを“シルヴェスト家の一員”としたまま、王国から離反する。
エイネシアの中に流れる、エーデルワイスの血諸共、シルヴェストに取り込んで。
そんなことになったら、最悪だ。
そしてそれも、決してあり得ない話ではない。
リカルドが心配してくれているのは、そういう事態なのだ。
「シルヴェスト公のことなら、私が一番よく分かっているわ。ちっとも食えない御方なのも知っている。けれどそれでも必要なことなの」
「姫様……」
「心配しないで、リカルド。最初からそのつもりだったのよ。だから、公を説得しうるだけの“物”も、用意してきた。少なくとも、公の事に関してだけは目算があるわ」
「……だけは?」
「あ」
いや、これは失言だった……。
シルヴェスト公以外の事はほとんど行き当たりばったりなのがばれてしまったか。
「と、とにかくっ。目算はある! 私を信じて頂戴。リック」
そう真面目な顔で言ったところで、おそらく留めるのは無理と判断したのであろう。
リカルドは、とても不満そうにため息を吐いてから、「危ないと判断したら、すぐにシルヴェスト領から連れ出しますからね」と言い置いた。
これは一応、許可を頂いた、ということでいいのだろうか。
後でアレクシスにチクられたりしないだろうか。
ものすごく不安だ……。
「姫様。でしたら先んじて、穀倉地帯の貴族達だけに話をする時間を作るのは如何でしょうか?」
そこに提案を告げたのはバーズレックで、はた、と、エイネシアもそちらに視線を寄越す。
「旧来からの北部貴族と、穀倉地帯の貴族達とでは利害が異なります。これを同時に説得するのは、確かにタイムラグを無くすには不可欠なことではありますが……」
「確かに……伯が、イースニックの件で王国派に揺らいでくれそうと目する穀倉地帯の貴族達だけでも、先に説得できていたなら、シルヴェスト領での催しでは、公の説得に専念できるわ」
その方が勝算が高くなることは間違いない。
もし本当にそれが可能なら、願ってもないことだ。
「伯爵。穀倉地帯……特に、イースニックの件や“麦”の権益関連で納得してくれる貴族は、どのくらいいますか?」
「麦……を、持ち出されるおつもりですか」
その麦の件ですっかり丸め込まれた者として、思わずそう口にしたバーズレックは、エイネシアのニコリとした食えない微笑みに一つ肩をすくめると、すぐにも地図に視線を落として、「穀倉地帯の四分の三。いや、五分の四は説得しうると考えます」と、ざっと幾つかの領地を指先で取り囲んだ。
およそ赤と黄色で塗られた、新興貴族達が治める穀倉地帯の辺りだ。
それに、彼らとかかわりの深いほんのいくつかの青で塗られた北部貴族。
だがそれだけでも、先んじて味方にできたなら幸いだ。
「しかし伯。穀倉地帯の貴族達を招くとして……。しかしそれもシルヴェスト領で、とは参りませんが」
そんな催しをシルヴェスト領でやってしまったら、公の耳に入ってしまう。エイネシアが北部にいることも、他の貴族達にばれてしまう。
一度にすべての北部貴族を集めるのではなく、二段階に分けようと思うと、どうしてもそうした情報漏洩が懸念されることになる。
だから一度目の催しは、絶対に他の貴族に対し、それが“エイネシアが関わっている”ということを悟らせてはならない。
即ち、エイネシアが主催者として表立ってはならない。そこにエイネシアが現れることを気取られてはいけない、という前提がある。
暗に、『二段階に分けようと思うと、最初の催しは“バーズレック伯”の名前で。場所も、“バーズレック領”でなければならない。これによりバーズレック伯は、この催しが成功しようが失敗しようが、完全に王国派として認識されることになるが、それでもいいのか』と、問うているのだ。
その意味を正しく受け取ったらしい伯は、俄かに口元を緩めると、エイネシアに対して恭しい目礼を送った。
「妻が私を信頼し、実家の暖簾を賭けようとまで言ったのです。夫である私が、どうして私の爵位を同じものに賭けないでいられましょうか。私は商人ではなく、“貴族”ですから。そんなみっともない真似は、できません」
あらまぁ、と傍らではにかんだ奥方も、夫が賭けると言ったものに対し、反論の声は挙げなかった。
下手をすれば妻も子も、伯爵と共に爵位と領地を追われることになるというのに。
一体彼らの信頼に、どうやって答えたらいいのか。
「その覚悟。確かに、受け取りました――伯爵」
彼が自分に賭けてくれたのは、彼の持ちうるすべてだ。
一体それに、どうやって報いたらいいのか。
自分にできるのは、ただただ、この計画を成功させることだけ。
与えられた信頼に、全力で答えることだけだ。
そのためには、何が必要なのか。
穀倉地帯を味方に引き込むための目算は、少しずつ、頭の中にできつつある。
だが今の考えのままではまだ弱い。
もっと。
なにかもっと……彼らを強引にこちらの空気に引き込むような、何か。
「……商人」
「え?」
「その催し。穀倉地帯の貴族達と共に、いくつかの商家にもお声掛けいただけますか?」
「商家ですか?」
「できれば夫人のご実家の、マルユランタ商会にも」
首を傾げている伯爵とは裏腹に、夫人はすぐに、「姫様のご要望でしたら」と頷く。
「まぁ……私の母が商家の出であることは近隣の貴族達なら皆存じていることですので、商家が招待客に交じっていても不審がられるということはないでしょうが……。わかりました。姫様がそうおっしゃるのであれば、まずはその通りにしてみましょう」
「有難うございます、伯」
これほどの数多の協力に、なんとかして答えなければならない。
必ず、その信頼に答えねばならない。
そしてそのためには、“エイネシア”が、そうするに足るだけの人物でなければならない。
だからエイネシアは一度ぐっと拳を握りしめると、ゆっくりと口元に余裕のある笑みを象って見せて、彼らを見やる。
「さぁ、皆々様。後はどうぞごゆっくりと。私のお手並みを、ご覧になっていて下さい」
決して茶化しているつもりも、冗談を言っているつもりもない。
本気でそう言っている。
そのエイネシアの、頬笑んではいるけれどピリリと厳しく落ち着いた声色に、自然と、バーズレックも背筋を伸ばした。
その瞳に……俄かな、希望の色が見える。
重たい重たい、期待の色が見える。
でも心配なんていらない。
不安なんて抱えさせなんてしない。
やるべきことがはっきりとわかった以上、もう迷いはない。
あとはただ全力で。
為すべきことを、為すだけだ。




