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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第五章 金の麦と銀の獅子
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5-6 作戦会議(1)

 ジリリと火のはぜる音を立てて灯されたランプの下で、ばさりと広げられた北部の地図を取り囲むようにして、皆が集まる。

 バーズレック伯とエイネシア、それにリカルド。町に残っていたオーブとジェシカも領城に呼び寄せて、伯爵家の侍女に交じって部屋の灯りをともすジェシカに対し、オーブにはこれからの作戦会議に交じってもらった。

「まず、北部貴族の特徴についてはすでにご承知の事と思いますが、大きく分けて三種類。シルヴェスト公爵家を筆頭とする、旧王国時代からの北部貴族が一つ。我々のように、領地替えによって北部に移ったが、北部の伝統や慣習に協調して、北部全体と協力的な関係を築いている新興貴族が一つ。それから、王国とのパイプを重視し、北部貴族達とは距離を置いているタイプの新興貴族が一つです」

 机の上に広げられた地図には、三色の塗り分けがなされていて、それぞれの所領がどのタイプなのかが一目でわかるように加工されていた。

 エーデルワイス王国の王都は、全体のやや南東よりに存在し、王都の西側は旧王国領の版図が広がる。西部と南部はほぼ同じ大きさ。東部はやや小さめになるが、その中でもとりわけ北部は広大な敷地を要している。

 といっても、雪深くてとても住めない土地や、険しい山間なども多いため、人口という意味では多くない。

 そんな北部の中でも、青で塗りつぶされた最北の最も広大な領地を要しているのが、シルヴェスト公爵家だ。北部のほぼ四分の一を占めるかという規模で、但しその内の西側の大半は、国内最標高の険しい岩山で覆われている。

 その公爵領の周辺と、東側の山と山に囲まれた、北部でもとりわけ厳しい気候地帯の一帯が、総じて青く塗られていた。

 そんな山間部の西。シルヴェスト領と王都との間には広々とした平野地帯が存在しており、そこになると、青と黄色が入り混じるようになる。

 手始めにバーズレックが白いポーンを置いたのは、黄色く塗りつぶされた所領で、即ち、新興貴族ではあるが北部と協調している、バーズレック領であった。

 すぐ北には青い所領。すぐに南のハスロー子爵領は、黄色だ。とりわけバーズレック領あたりを境に、北は青。南は黄色が増える。

 だが何よりも目を引くのは、その穀倉地帯のど真ん中。バーズレック領からもほど近い、とりわけ規模の大きな、穀倉地帯を東西に分断する位置に横たわる、赤い所領だった。

 王国派の筆頭。イースニック領である。

「我が領は、ちょうど旧来の北部貴族と、新興貴族とが入り混じる辺り。もっと西に行くと王国派……というより、中央に出仕しているような新興貴族が増えるのですが、ひとまず注視すべきは、やはりこの穀倉地帯から北でしょう。この穀倉地帯の真ん中に位置しているのが、イースニック領です」

「穀倉地帯は、思ったより、協調派の新興貴族が多いんですね。これら黄色の所領は、バーズレック領同様、あまりクーデターの風潮に染まっていない、と捉えていいんでしょうか?」

 そう問うてみたところで、「そうとも言えませんね」と、バーズレックは、イースニックの東に位置する黄色の集まる所領の辺りを指で辿った。

「穀倉地帯の中でも、西と東は全くの別物です。まず問題のイースニック領ですが。これは我が領から北東に一日。馬車なら一日半といったところでしょうか。穀倉地帯の中ではほぼ中央に位置し、平地が多く生産性も高い土地ですが、イースニック伯が北部にあまり協調的な態度ではないため、元々王都以外との積極的な交易は行なわれておりません」

 赤は赤でも、真っ赤である。

 北部で他の領地との交易を行なおうと思ったら、どうしてもその北部の“色”に染まる必要があるが、それでもイースニックは王都以外との交易を行なうことはほとんどなく、北部行路からは排斥されているといっても過言ではないという。

 ゆえに、イースニック領は穀倉地帯の中心とはいえ、交易路の中心にはなり得ない。

 そう言うバーズレック伯の言葉は、流石は商家の母を持ち、大商家の妻を迎えた人物らしい物言いで、説得力があった。

「とりわけ、八年前の飢饉以降は、街道さえ閉じている始末。そのため穀倉地帯でもイースニックを経由しなければ王都側への街道へ出られない東の穀倉地帯は、今は北にしか街道が抜けられず、かなり押し込められた状態になっています」

「なるほど……東の穀倉地帯は、ちょうど東の山脈とイースニック領に閉じ込められる形になっているのね。だから北部協調路線の黄色の貴族でも、封じ込めの原因になっているイースニックに、強い反感を抱いている」

「実際、そのせいで交易が途絶え、農地の再編や災害からの復旧もほとんど進んでおりません。それも王国がイースニック伯を放置しているせいだと、この件への不満が最も高い、“反王国勢力”の塊です」

 これは思っていたよりも、反王国勢力の版図が根広い。

 あわよくばと思っていた穀倉地帯も、半分以上が不安要素だ。

「伯。この地図では、イースニックを避けるようにして、このバーズレック領に、東方からの街道と。それと、王都からシルヴェスト領まで続く街道が大きく通っているように思えるのですが」

「ええ。これは我が領で編纂された地図なので、少々使い勝手がいいように誇張されて描かれていますが、実際、イースニック領を避けて行き来をするのに、我が領は最適な立地をしていますから、交易路が発展しています」

 おそらくは、商家との縁を結んだ折に、そうした商家の助成によって築かれ、それが近年のイースニックの閉塞感の増長によって、急速に整備されたのだろう。

 学校の図書館に入っている最新の地図にはなかった道なので、おそらくここ十年の内に築かれた販路である。

「我が領は幸いにして商家との強い繋がりが有りますから、その協力のもと、この街道を通って多くの物資が入ってきます。おかげで飢饉からのいち早い脱却にも成功し、領内も比較的安定していると自負しております」

「実際、とても安定しているように、私の目からも見えます」

 そう口を挟んだのは、先んじて領内を調べ歩いていたオーブで、それはエイネシアも同意する所であった。

 幾つか北部の領内を通ってきたが、やはりそれらと比べても、バーズレック領は圧倒的に雰囲気が良い。

 農村地帯であるため、栄えているという表現はそぐわないものの、かなり開けた空気が漂っているのではなかろうか。

「人の出入りがあるというのは、それだけでも領内の風通しを良くするものです。これらがかろうじて領民の生活の保障に繋がり、クーデターの風潮を抑制しているのでしょう」

 それから、と、東側の行路を指差す。

「この東方との行路が、とても重要です」

「東方との行路は、東回りでシルヴェスト領に入る街道しか知らなかったのだけれど……この地図だと、その東回りでは、いくつかの赤い版図を通らなければならないわね」

「仰る通りです。赤とはいえ、必ずしも反北部的というわけではないので、東方ダグリア公からの荷馬車を差し止めるような真似はどの領地も致しませんが……しかしやはり、東回りを避けて、このバーズレック経由でシルヴェスト領まで向かう商人は、ここの所格段に増えていますね」

 すなわち、東と北の交易をするのに、皆やや遠回りになってでも、安全なバーズレック領経由で行き来をしているということだ。

 だがそれでも、バーズレック以東の情勢が芳しくない今、どれ程その行路が長続きするのかは怪しい。

「東からの交易が有ることで、物資が入ってくるのは勿論のこと、最も恩恵を受けているのは、“情報”だと思っております」

「情報……」

「王都からでもシルヴェスト領からでもない。極めて冷静で客観的な、東方からの貿易商人がもたらす、正確無比な情報。しかも、“戦慣れ”した東方の民が伝える情報です。その慎重さと合理的な物の考え方は、少なくともこの領内の民にも浸透しています」

「なるほど。先のオズワルド王の時代の戦争を知る民達は、戦が不利益しか生まない事も承知しているはず。その風潮が、少なからず影響しているんですね……」

 豊かさと、戦の不毛さ。そしておそらくは、“外とのかかわり”が、領民達を繋ぎ止めている。

「しかしそんな合理的な彼らが、無理をしてでも北との交易を続けてくれているというのは中々に不思議なものでして……。聞けば、東方公であるダグリア公が、交易を推奨して、護衛も出して下さっているのだとか。私にはこういう、公爵家同士の横の繋がりのようなものがいまいち分からないのですが……」

 そう首を傾げたバーズレックに、「なるほど」と、エイネシアも頷いた。

 確かに。商人的な観点から見れば、易のないことをしているように見えるかもしれない。

 だがそうではない。

「四公爵家の結束は固い――。我々は口癖のようにそう言いますが、これは、何も思想的なものではなく、非常に現実的なものなんです」

 例えば、と、地図の端にのっている東方と北方の境にある大きな町を指差した。

 ここは東方のニーグレン伯爵領だが、そこに一つ、黒い弓のマークが描かれている。これは、東方ダグリア公爵家の派出所機関みたいなもので、それぞれ四方の旧版図境には、こうした公爵家の出先機関が置かれている。

 公爵家はこのそれぞれこの出先機関に領官を派遣しており、そこで互いの領の情勢を逐一確認し合いながら、情報と物資の需要と供給を調整する役割を担っているのだ。

「この派出所は、常時では、北部と南部の両方から、産業の疎かになりがちな東部に生産物をもたらすためのパイプ役を務めています。ですが今は北部と王都の交易が制限されているので、南部から東部への麦の供給を減らし、北部に利益が出るように調整しています。商人達にも、そう推奨している」

「それは商会組合の役目では?」

「勿論、組合も色々と考えているでしょう。そうした組合に働きかけをし、それに従ってくれる商家に一定の見返りを与える。今回の場合は、護衛の派遣と、それとおそらくは、南部より北部からの麦の方が値がかさむので、その買付けの差額分の負担をダグリア公爵家が行なっているんでしょう」

「まさか。それでは、ただの赤字ではないですか!」

 そう目を瞬かせたバーズレックに、「そうですよ」と、呆気なくエイネシアは頷いて見せた。

 そもそもこの四公爵家の結束というやつに、赤字・黒字は関係ない。

 ほとんど、ただの喜捨に等しい物なのだ。

「四公爵家内には、“共有財産”という制度があるんです。貿易港を抱えている西や南。特に南のラングフォード領に、各地で生産されたものを優先的に卸して、そこから上がった収益を主な財源としています。しかし実態としては、殆どラングフォード家からの喜捨ですね。それでも余りあるほどに、あの領の海外貿易による収益は凄まじいですから」

 アーデルハイド領も交易が盛んという意味では豊かだが、ラングフォードとは比べ物にならない。

 あそこは、エーデルワイス国内でも、ありとあらゆる穀倉地帯すら差し置いて、毎年最高額納税領になるほどの繁栄ぶりなのだ。

「それが、四公爵家の結束は固い、というやつですか?」

「ええ。言葉の通り、我々は他公への援助を惜しみはしません。そしてこの共有財産の運用は、“王国内の物資の均等化”に基づいて行われる。王国の意思は、関係ないんです」

 ただ四公爵家の結束というものにのみ頼った差配であるため、たとえ王国が王都と北部の交易を制限しようとも、四公爵家が互いへの信頼を継続し続ける限り、王国とは関係なく差配される。

 むしろそういう時にこそ、この四公爵家が持つ行路は活性化するのだ。

 その行路を用い、四公爵家は代々、時に赤字になるような相互協力も、当たり前のように行ってきた。

「商家の出としては、俄かに信じがたいお話ですね」

 思わずそう口を挟んだのはバーズレック伯の奥方で、「四公爵家を“四つの別々の家”と思っていてはそうかもしれませんね」とエイネシアも言葉を続けた。

「ですが、どうでしょう。もしご実家の商会の中で、領地の情勢に巻き込まれて不振となっている支店があったとして、その維持と再建のため余裕のある支店からの儲けを回して手を尽くすのは普通の事ではありませんか? たとえその支店が一時的に大きな損失を出そうとも、長い目で見れば、援助し建て直した方が後々の利益と為ることを知っているからです」

「それは……えぇ、そうですが」

「規模は違えど、それと同じです」

 いやまぁ……規模が違いすぎるかもしれないけれど。でもつまりはそういうことだ。

「私の母はラングフォード。祖母はシルヴェストの出身です。シルヴェスト家次期当主のエルリックおじ様は父の従弟で、その奥方はダグリア公のご近親。ラングフォード公のお祖母様もダグリア公爵家の出身ですから、私にもダグリアの血は流れています。私達は住む場所こそ遠いですが、皆が皆近しい親族であり、互いに“遠方に住む親戚”くらいに思っていますから、助け合うのなんて当然なんです。実際に私の父は、早くに両親を亡くした後、他のどのアーデルハイドの親類縁者でもなく、叔父であるシルヴェスト公の養育を受けたといいますし」

 そう言われれば確かに、と、皆も納得してくれた。

 そしてその四公爵家の結束が、今なお北部にかろうじて物の出入りを可能にしており、北部を完全に孤立させずに済んでいるのだ。

 だがこれ以上情勢が悪化しては、いくらダグリア公が推奨したとしても、商人達が出入りを止めるようになるかもしれない。

 そうなればもう、取り返しがつかない。

 北部は完全に孤立する。

 だからそうなる前に、何とかして手を打たねばならないのだ。

 そう訴えたエイネシアの言葉には、バーズレックも言葉を飲んで、重々しく頷いた。

「問題となるのは、やはりイースニックでしょう。ここが、東方との交易の一番の難所になっています。そして、穀倉地帯東部の閉塞感も助長させている。イースニックのこと抜きに、北部で反乱の目を摘むなど、不可能ですぞ。姫様」

 そう言って黒のポーンを東部穀倉地帯に置いたバーズレックに、エイネシアも一つ頷くと、「なので」と、白のナイトを拝借し、そのイースニックのすぐ南に位置するランデル子爵領に置いた。

 その“駒”に、はっとした視線が寄越される。

「ですから手始めに。イースニックを、弾劾いたします」

「ナイト……」

 それは即ち、騎士の駒。

「ッ、まさか、近衛が動くとでも?! あり得ない!」

 思わずそう叫んだイースニックに、「嘘ではありません」と答えたのは、その近衛の略式騎士服に身を包んだリカルドであった。

 現役の騎士にそう言われては、バーズレックも口を噤むしかない。

 だがそれでも表情にはありありと、信じられない、といった面差しが浮かんでいた。

 それもそうだろう。

 何しろ王国は、もう八年間もイースニック伯の不正を見逃してきたのだ。

 ひとえに、それがフレデリカ妃の縁戚であるという理由だけで……。

「ですが……今更国王陛下がそのような許可を出すなど。やはり信じがたい……」

 いいや、そんなはずはない、と首を振るバーズレックに、エイネシアもギリリと拳を握った。

 そう。バーズレックの見解はとても正しい。

 八年も放置しておいて、今更国王がその許可を出すはずがないのだ。

 おそらく今もなお王宮では、父やアレクシスが必死に国王にイースニックの弾劾を訴えているはずだ。

 だが今や評議会は閉会され、フレデリカ派の不正な議会ばかりが催される毎日で、宰相府の権限は地に落ちた。

 アレクシスは、義兄である国王に面会さえ許してもらえないという。

 そんな中で、一帯どうやって国王を説得しうるというのか。

 不可能なのだ。

「ええ……ですから、ザラトリア騎士長は、これを機に、国王陛下から首を切られる覚悟です」

 朗らかで人当たりがよく、必要なことならば不正に目をつむるという器用な差配もできるその人は、それでもかつて、目をつむるという行為に対し、『いつか正すべきものが正されるのであれば』と申し添えた。

 本来ならば、国王陛下の騎士として、その意に反するような行動を取る人物ではなく、だが同時に、誰よりも正義感に篤い、公正な人物なのだ。

 そのザラトリアが、『自分が動きます』と言った。

 最早見過ごすことのできなくなったこの国の現状に、忠誠を誓うべき国王に逆らうことになったとしても、と。

 無論、そんなことで有能にして仁徳者である騎士長を失うわけにはいかないからと、父達も今最大限努力をしているはずだが、それでも騎士長の意志は固いと聞いている。

 ついに、国王に弓を引く第一歩の仕度が、整いつつあるのだ。

 それがとても、恐ろしい。

 そんなことを、宰相府と。そして“アレクシス”の権限で行うことが、とても怖い。

 それで一体、彼は国王陛下にどれ程に恨まれることになるのか――。

 下手をすれば、その時点で反逆者の汚名を着ることにもなりかねない。

 だが、イースニックへの国庫補助は、そのままシンドリー達フレデリカ派の資金源となっている。それを断つには、イースニック伯を引きずりおろし、その爵位と領地を取り上げるしかないのだ。

 どんな未来が待ち受けているとしても、必ず、為さねばならない。

 あとは、エイネシアが北部を抑えるだけだ。

 イースニックの弾劾を期に北部が暴走などしないように、エイネシアが彼らを抑制する。

 それで、すべての準備が整う。

「信じられません……まさか。姫様は、本当に?」

「北部のためというだけではありません。王国国内の情勢の為にも、必ず必要なんです」

 良く分かった。だからエイネシアがここにいるのだ。

 そう理解したバーズレックが口を引き結んで頷くのを見ると、エイネシアも少し安堵の面差しを浮かべてから、「それで」と、地図上の黒のポーンに触れた。

「ご意見を聞かせていただきたいのですが。東部穀倉地帯は、最もイースニックへの反感が強いと仰いましたよね? それで、もし今イースニックを引きずりおろしたとして、彼らはどう動くでしょうか?」

「簡単には推し測りかねますが……まず、朗報と捉えることは間違いありませんね。その後のイースニック領に対する差配によっても違いますが。当然姫様は、その後のイースニック領の扱いについても、北部に益のある手段での活用をお考えなのですよね?」

「あえていうのであれば、“黄色”にするつもりです」

 この地図の書き振りにのっとってそう口にすると、「なるほど」と、すぐにバーズレックが頷いてくれた。

「詳しいその後の扱いについては、私ではなく宰相府で、父が色々と策を練っています。父の差配なら、まず間違いありません。東部穀倉地帯をはじめ、シルヴェスト領に至るまで、必ずや交易路は復活し、活性化することになるでしょう。バーズレック領にとっては……交易路を奪われることになるかもしれませんが。その点も、父は考慮してくれるはずです」

「はは。いや、確かに。そういうことになりますな」

 思わずバーズレックもそう一つ苦笑を浮かべたけれど、「いえ、だがそれは今はよいのです」と、権益を度外視して、これに賛同してくれた。

 イースニック領からほど近いとあって、実際にバーズレックも、この一件でかなりの王国への不信感を募らせていたのだろう。

 それが断罪されるとなれば、権益なんて関係ない、と言いたくなるほどに喜ばしいことなのだ。

 その様子は、同時に東部穀倉地帯の領主たちの姿の代弁ともいえた。

「王国への信頼回復の手段としては、申し分ありません。いや。これが現実となったならば、かなりの数の東部穀倉地帯の貴族達が王国派に揺らいでくれる自信がある」

 ただし、と言葉を続けたバーズレックは、その赤い版図を睨みつける。

「そんなことをして、本当に大丈夫なのですか? イースニック伯の縁者であるメイフィールドが、黙っているのでしょうか。場合によっては報復措置などと言って攻め込まれやしませんか? それで被害を受けるのは、我々穀倉地帯の土地と領民達だ。その懸念に、逸る者達が現れる可能性はある。正直私も……とてもじゃないが、浮ついた気持ちにはなれません」

 そう眉をしかめるバーズレックに、「ええ、そうですわね」というエイネシアの静かな声色に、ふと皆の視線が集まる。

「だから、私がここにいるのです――」

 ゆっくりと皆を見渡した、深い深い薄紫の瞳。

 その吸い込まれてしまいそうなほどに、確信と自信に満ちた声色が、無性に胸を喚起させる。

 何なのだろうか。その何の迷いもない言葉は。

 何の根拠があって、何が出来ると言っているのか。

「宜しいですか、バーズレック伯。国にとっては、理由なんて関係ない。弓を引いた時点で、“反逆者”なんです。どんなに理があっても、国の方針こそが正義。不安に駆られて起こした暴動であったとしても、これに対し国王は鎮圧のための軍を出すかもしれず、そうでなくとも評議会がフレデリカ派に制圧されている以上、評議会がそれを決議してしまうでしょう。弓を引いた時点で、負けです。絶対に、先に弓を引いてはならない」

「ですが、先に王国が仕掛けて来たのでは……」

「ええ。恐ろしいでしょう。不安でしょう。その不安に駆られて、先走ってしまいそうになるでしょう。けれど私の存在にかけて、絶対に北部には、王国軍を立ち入らせたり致しません」

「そんな確約、どこから……」

「ええ。ありませんわね。でもだから、私自身が北部に赴く必要があったんです」

 その言葉に、途端に「あっ」と、バーズレック伯も口を噤んだ。

 思わず手にジワリと滲んだ嫌な汗に、指先がもぞつく。

「きっとフレデリカ派は、ありとあらゆる手段を使って北部に弓を引かせようとしてきます。けれどそれを耐えてもらいたい。耐えてさえくれれば、あとは父や……“アレクシス様”が、何とかしてくださいます」

「っ……」

「だから、彼らを信じて。報復を恐れて早まった真似をしないように。もしもこの約束が反故されたならば、その時は約束を破った私をどうにでもすればいい。その証として、ここにいる。私の存在にかけて、信じてもらうために」

 だがそれは、とんでもなく危険な賭けだった。

 本当に王都で、今この上なく増長しているフレデリカ派を抑え込み、軍を食い止めることができるのか。

 普通に考えれば無理な話で、それにもかかわらず、そんな荒唐無稽なことを言葉一つで窘めて回ろうだなんていう姫君の行いは、無謀にもほどがある。

 なのになぜだろうか。

 己の身を賭けて、北部に血を流させないと言ったその人に、無性に賭けて見たくなる。

 その言葉に乗せられるように、背筋が歓喜に震えてしまう。

 その人の言葉に……引き込まれる。

「バーズレック伯。これだけは、覚えておいてください。北部が反乱を起こしたら、戦争になります。フレデリカ派はそのための軍を、すでに……おそらくは何年もかけて、準備しています。そうなれば、北部に勝ち目はない。多くの民が死に、領地が荒らされる」

「……っ」

「だからたとえどんなちょっかいを出され、どんな不合理な仕打ちを受けようとも、反乱だけは起こしてはいけないんです。もしも……もしもそれで私達の力が足りず。不当に民の命を奪われる事態になったとしても……」

 一人も死なせない。

 出来ることならばそう言いたい。

 だがそんな保証はどこにもない。

 保証はないけれど、それでも、そんな保証も何もない自分を、信じて欲しい。

 一人でも多くを、救うために。

「その怒りと憤りは、すべて私が受け止めます。私が、その責任のすべてを負います」

 だからまずはバーズレック伯が、信じて欲しい。

 今ようやく王国は、正しいことを為してくれる王子を得た。

 北部はじっと耐えて、その王子の差配を待ってほしい。

「大丈夫。うちのお父様とアレク様が手を組んだら、中々に手ごわいんですよ」

 そうニコリと微笑んで見せたところで、なにやら、肩の力を抜かせたバーズレックが、ハァァ、と、深い嘆息の吐息を溢して呆然とした面差しを向けた。

 まったく。

 なんてことを考えるお姫様方なのか。

 話が大きすぎて、少々ついていけない。

 だが、言いたいことは分かった。

 このお姫様が、どうしてこの時勢柄、こんなところに来たのかも。

 一体、どれ程の覚悟を抱えて、ここまでやって来たのかも。

「お話は、よく分かりました。姫様が私に、北部の貴族を集めてもらいたいと望んだわけも。彼らの説得は、姫様自身が行なうと仰った理由も」


「“アーデルハイド”であり“シルヴェスト”であり、そして“エーデルワイス”でもある。これは、そんな私が為さねば、意味のないことですから」





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