4-12 動き
「これは、面白いことになったぞ」
そう言いながら、宮中から舞い戻った大公がエイネシアの元を訪ねてきたのは、それから幾日もしない日の事だった。
この屋敷で、過干渉することなく適切な距離で世話をしてくれているメルダという侍女が淹れてくれたお茶を手に、毎日無為に“何が起こるのか”を待っていた時分のことだ。
飛び込んできた大公の面差しが、顰め面なのか。怒り顔なのか。それとも呆れ顔なのか。
どれだろうか、などと考えていた最中、笑い声さえあげながらいらっしゃったのには、流石に少し驚いた。
さて。最初に動いたのは、ドコだ。
「ヴィンセント王子の新しい許嫁殿は、君とどういう関係だ? この計画に、どんな関係が?」
そうニヤニヤと問う大公に、なるほど、最初はそこだったか、と納得しつつも、少し呆れもした。
確かに……“居なくなる”という計画自体はアイラの言葉に発端があるような物だから、思い通りになったことに気分を良くしたアイラが騒ぎ立てる可能性は大いにあるが。
一体、どんなことを吹聴していらっしゃるのか。
「計画とは無関係ですわ。ただ、そういえば私がこの一件を仕掛ける少し前に、わざわざ私のところにいらっしゃって、殿下のために居なくなって欲しいとか、どうせなら殿下のお役にたつ死に方をして頂戴だとか。そんなおかしなことを仰っておられたかもしれませんが」
「なんだね、それは……」
思わず呆れた顔をしてしまった大公の反応は、実にごもっともだと思う。
普通に聞いたら、なんていかれたお嬢さんなんだと思うだろう。
でもそれが、アイラという少女なのだ。
アイラ・バレル・シンドリー。王太子ヴィンセントが選んだ、彼の許嫁。
「それで、大公様。アイラ嬢は、どんなことを吹聴していらっしゃいますか?」
「察しがいいところを見ると、この手のアイラ嬢絡みの問題は、過去にも経験があるようだな」
そんなことだろうとは思っていたが、と、ひとまずソファーに腰を下ろした大公は、ことの顛末を簡潔に、正確に教えてくれた。
大公がその噂を聞いたのは、宮中でのこと。
すでに、アーデルハイド家の姫を乗せた馬車が襲われ、令嬢が失踪したとのニュースは大問題に発展しており、数多の疑念に満ち溢れた目が飛び交わされていた。
犯人は、フレデリカ派なのか。
それとも、北部貴族なのか。
そんなきな臭い情勢下、誰もが疑われないようにと声を潜めて身を慎む中、とある権門貴族の一人が、我が子が学院内で変な噂があるとの手紙を送ってきた、と知らせてきた。
いわく、王太子殿下の許嫁であるアイラ嬢が、『王太子殿下が側妃にしてあげようと仰ったのに、お断りなんてするからです』だとか、『ご自分の無礼に気が付いて、恥じ入って国を出られたのではないかしら』などと、周りに吹聴しまわっているというのだ。
この様子に、周りは訝しむような不審な目を向けており、一時は噂を聞きつけたエドワード卿が、『口を慎め』とアイラ嬢に掴みかかるような一触即発にもなりかけたという。
エドワードの件については、エイネシアもぐっと唇を引き結んだけれど、だがアイラの行動については、想定の範囲内だった。
あの夏の離宮でのことは、ヴィンセントでさえ公には口にせずにいたというのに、アイラはそれも省みず、容易くあの日の秘め事の情報漏洩をして下さったらしい。
アイラはその一件が、エイネシアの無礼ぶりを知らしめるに違いないと信じているのだろうが、普通ならば、むしろヴィンセントへの非難が集まる話だ。
周りが不審な目を向けるのは当然である。
エイネシアとて、本音を言えばアイラには是非その一件を黙っておいてほしかったのだが……仕方がない。
きっとこの話を聞いたエドワードは……とても、怒っているだろうな、と。そうは思うけれど。
でもそれも、ただの事実。
もはやヴィンセントを庇う必要性さえないエイネシアにとっては、配慮せねばならない事態ではない。
「ヴィンセントは本気で姫に、そんなことを? まさか、いくらなんでもとは思うが」
そう笑う大公は、この話をアイラ嬢の嘘だと思っているのだろうか。
そう思わせておいても問題はないのだけれど、下手に隠して後でボロが出るよりはいいだろうからと、「嘘ではありませんよ」と正直に答えた。
「嘘ではない? 何? まさか、本気で殿下は姫にそんなことを?!」
「正確には、私が望めば正妃に。望まないならば側妃に。それさえ不本意と思うのならば仕方がないから、束縛はしない。但し、次の王太子を生めと、私に仰いましたね」
「……」
ポカンとして、最早言葉も無いといった様子の大公には、エイネシアも困った顔で苦笑を浮かべてやった。
流石の大公も、どう反応していいのか分からなかったようだ。
「おいおい。待ちたまえ。要するに……いや。待て待て」
「深くお考えにならないでください、大公。私はすでにそれを“お断り”申し上げています」
「あぁ、いや。あぁ。そうだな。そうだろうとも」
いくらなんでも馬鹿げている、という真っ当な大人の意見が、何やら少しエイネシアを安堵させた。
まったく。四公爵家の皆々様にも、この大公の態度を見習ってほしいものだ。
父ときたら、お前が選べ、と完全放任。ラングフォードは、いいじゃないか、よりを戻せ、みたいな風潮だし、シルヴェストなんて、それを盾にいたいげな十八歳の女の子を脅してきたのだから。
なにやらようやく、気遣ってもらえた気がする。
「それで、大公。正直アイラさんの件は、私にはさほど重要ではないんです。その一件を聞きつけた宮中で、何か動きが無いか。どういう様子なのかを、お教えいただけませんか?」
「あ、あぁ。そうだな。そちらの方が重要か」
うむ、と気を取り直した大公は、改めて、エイネシアに対して何人かの目立った動きを見せている権門の名前をあげた。
「まだ皆探り探りといった様子だが、アイラ嬢の件については、この辺の貴族が表だった非難の声を挙げているな。事の真相を確かめようと、王太子に面会を求めた貴族もいたようだが、返答はなかったようだ。ただ、殿下は近衛を動かして、自ら姫の行方を捜させているそうだ」
「そうですか……」
そこまでも、まだ大体は予想の範囲内といったところか。
「ただ気持ち悪いのは、宰相府だな……」
「宰相府?」
はて。というと……エイネシアの、父の話か。
「アーデルハイド公に、何か言い残してあるのか?」
「いいえ? この件は少しのほころびが命取りになります。弟は勿論、父にだって一言も計画の話などは致しておりません。知っているのは大公様と、ハイン様だけです」
「だとしたら……尚更、気味が悪いな」
「宰相府が、どうなさったんです?」
父の事だ。きっとエイネシアの意図など知らずとも、軽挙には出ないだろうと信じているが。
「どうもしない。不自然なくらいに冷静で、噂に耳を傾けるどころか、我が子を探させている様子も無い。無論、行政上必要な捜索などの措置は取っていたが、気持ちが悪いほどに“静か”だ」
そう眉をひそめる大公には、エイネシアも困った顔で首を傾げた。
エイネシアにとってみれば、それがとても“自然”なのだけれど……普通の人から見れば、やはりおかしいだろうか。
「私には、お父様らしいとしか思えませんが」
「らしい? まったく……それは一体、どういう神経で言っているのやら。我が子が行方不明になっているというのに」
「ええ。ですがそれももう……三回目、ですし」
「はぁ……」
深いため息を吐く大公に、エイネシアも肩をすくめた。
確かに、良く考えたら色々と変かもしれない。
最初に誘拐された時は、本当に危なかった。
死傷者も出ていたから、父も自ら近衛に足を運んでいて、エイネシアが無事な姿を見せると、流石に安堵の顔をしていた。
二度目は、夏休みの離宮の一件だ。
エイネシアを見つけたのはどうやら父の手の者だったようで、エイネシアが行方不明になった王宮の森周辺を探らせていたのは間違いないだろう。だから心配はしてくれていたのだと思う。
しかしそれを大事にすることも無く、冷静に対処した父は相変わらずで、心配の言葉なんてかけては貰わなかった。
そして今回が三度目。
そもそも今回は、色々とおかしな点が多すぎる。
この時期に、エイネシアが再び北部に赴くなどと言い出したことにしてもそうだし、近衛とはメルムント伯爵領で合流する、なんて意味も無いことを提示したのもエイネシアだ。それだけでも父に、何やら不信感を与えたことは間違いない。
そして御者だけを連れて学院を出たエイネシアが、エドワードに言い残した不審な言葉。アーデルハイド家が遣わしたはずもない、アーデルハイドの家紋の入った馬車の出所。道すがらの小さな町で、狙ったかのように歩みを止めた馬車と、そこを襲った賊。まったく、何もかもがおかしな話だ。
無論エイネシアが、わざとそんな“綻び”を作った。
そのすべてに、父が不信感を抱くことを想定して。
つまり、これがエイネシアの“狂言なのではないか”という考えを、父の脳裏に思い起こさせるために。
エイネシアとて、あの父に本気で捜索されたら、絶対に勝ち目がないと断言できる。だから何としてでも、父の動きだけは封じておかねばならなかったのだ。
かといって、この狂言に巻き込むわけにもいかない。
だから遠回りに手を懲らし、冷静に対処し、傍観に徹することを望んだのだ。
そしてそれはどうやら、思い通りに運んだらしい。
実に父らしい反応である。
「大公。引き続き、宮中での動きを教えていただけますか?」
「まったく……何をしでかそうとしているのかは、未だ秘密のままか」
そう息吐く大公に、「そんな大層な目的はありませんよ」と言う。
嘘じゃない。本当に、その言葉の通りだ。
別に政局に混乱をもたらしたいわけでもなければ、大きな変化を待っているわけでもない。
ただ知りたいだけだ。
エイネシアが居なくなった時、それに合わせて動揺するであろう政局の中で……たった一人。“彼”が、どうするのかを。
「大公も。どうか、傍観に徹してください」
「あぁ。君の思惑に乗った以上、君の言うとおりに振舞っておこう」
だが。
「そう長く、もつものでもないぞ」
「ええ。分かっています」
分かっていて、この時期、このタイミングを選んだ。
もうすぐ、宮中では一つの大きなイベントが起こる。
「フレデリカ妃の誕生祝……」
「あぁ。招待状が来ていたな。まったく凝りもせず、大々的な祝いの席を催すそうだ」
「是非、出席してくださいませ」
「……姫」
眉を顰める理由は分かるが、是非そうしていただきたい。
そこで何かが起こるという確信があるわけではないが、もしかしたら……あるかもしれないから。
「悪いようには、致しませんから」
再度その言葉を言うエイネシアには、やれやれと肩をすくめた大公が、「まぁ、面白い物が見られるかもしれないというのであれば、参加してやらなくもないか」と、席を立った。
パーティーは三日後だ。
さぁ。
その席で。
誰が、どう動くのか。
彼は……どう、動くのか。




