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七人の少女とたった一人のバッドエンド  作者: 灯月 更夜
第一章 定められた配役
12/192

1-8 弟の登城(1)

 そうした生活が半年ほど続いただろうか。

 すっかりと装いは厚めのドレスとなり、朝晩の冷え込みが強くなる盛秋の頃。

 その日は王宮へ向かってもいつものようにヴィンセント王子を訪ねることなく、父の執務室でハラハラと来たる時を待っていた。

 それはもう、落ち着きが無さすぎてすでに三度も父に名を呼ばれて窘められており、最近めっきり“王子の許嫁の顔”を覚えたエイネシアにしては珍しいほどの光景であった。

 そういう父だって、内心はいつもと同じであるはずはないのにと。そう思う理由はただ一つ。

 この日は可愛い弟エドワードの七歳の誕生日であり、今この国一番の大聖堂ではその洗礼式が執り行われているのである。

 洗礼は司祭と本人の間でのみ行われるのが仕来りで、親であろうともその場に居合わせはしないが、保護者も教会まで着いて行って洗礼の間から出てくるのを待ち構えるのが一般的である。

 しかし子供を少しだって甘やかさない方針であるらしいこの父は、当然ながらそんなおめでたい日でもいつもと変わらず登城して、いつもと変わらず仕事をなさっているわけである。

 一応母がエドワードにはついて行っており、エイネシアの時も母と、それから母の弟でもあるラングフォード公エルバートが一緒に来てくれた。

 あの時は確か登城していたエルバート卿が、可愛い姪の七歳の誕生日というお祝いの日に、普通に仕事をしているジルフォードの姿を見かけて、驚嘆して教会に駆けつけて来てくれたのだったか。

 今回はそんなエルバート叔父上の姿は見当たらないが、代わりに沢山の侍女や、父の優秀な秘書官などが教会に同行してくれている。

 だがそれでも心配なものは心配だ。


 この世界には、“魔法”という概念が存在しており、それ自体は微々たる力ではあるものの、この七歳の洗礼の儀によって、この世のあらゆる場所に存在しているという精霊とまみえ、その内の一つの属性と“契約”することは、もはや貴族の通過儀礼の一つだ。

 ここで精霊に嫌われたら魔法の力を得ることはできず、それは貴族にとって、貴族として認められなかったという意味にも匹敵し、家を破門される。

 ゲーム内で、その魔法の使い方を学ぶことを目的の一つとした王立学院に所属していた弟が、万に一つも精霊に選ばれないなんてことがないことはもう知っているが、それでも、一体どんな精霊と契約するのだろうかという不安はあるし、ましてやその後はじめて登城することになるエドワードのことを思うと、もうドキドキしておかしくなりそうなくらいだった。

 自分の時だって、こんなに緊張しなかったというのに。



「お前は近頃あれを甘やかし過ぎだぞ」

「ですがお父様。姉とは弟を心配するものですわ。お父様は一人っ子だから、お分かりにならないんです」

 はらはらと、父が呆れた顔をしていることにも気が付かずに口にする。

「王太子妃のエルヴィア叔母上は私にとって姉のようなものだったが……甘やかされた覚えなんて微塵もない」

 そう嘆息する父の言葉はすでにエイネシアの耳には届いておらず、まだかしら、まだかしら、と時計を見る娘に、ジルフォードは今一度呆れた顔をした。

 最近めっぽうしおらしくなったと思っていたが、こういうところは母親譲りだろうか。少し似ている。

 そのうち、コンコン、と叩かれた執務室の扉に、パッとエイネシアがたまらず腰を浮かす。

 それをこっそりと背中越しに苦笑をこらえながら、侍従の少年が少し扉を開けて来客を確認した。

 この日は侍従たちもこっそりと気を回して、エドワードが登城するであろう昼前からの時間は来客を入れないようにと密かに調整してあったのだ。

 だから客足の途絶えたこの部屋を訪ねてくるとしたら、エドワードの登城を報せる侍従だろうと思っていたのだが、しかしそこにいた人物に、少年はわっと顔色を引き締めると、すぐに扉を開いて深く頭を下げた。

 その扉から入ってきたのは、少し大柄で温厚そうな目元に既視感を感じさせる褪せたブロンドの紳士で、肩のマントを軽く背中に捲り着崩している様子などがこなれている、ダンディなおじ様だった。

 その姿に、腰を浮かしかけていたエイネシアは一度キョトンと首を傾げたが、すぐにもカタンと父が席を立つのを感じ取って、その人の正体を思い出す。

 そうだ。あまり縁が無かった御仁だが、たしかエイネシアとヴィンセントの婚約が決まり、使者と共に王子がアーデルハイド家を訪ねてきた時に、この御仁も一緒だった。

 女王陛下のご嫡男にして王太子。ウィルフレッド殿下である。

「おや。これはエイネシア姫。期待していた人物ではなかったのかな? がっかりなさっているようだ」

 そう朗らかに微笑む優しげな声色に、ぱっと頬を染めたエイネシアは、咄嗟(とっさ)に居住まいを正して丁寧な一礼をした。

「申し訳ありません、王太子殿下。お恥ずかしいところをお見せ致しました」

「いや、私も、公の自慢の息子にお目にかかるのが待ち遠くてこんなところまで足を延ばしたところだ」

 そう言うのは本音だろうか、冗談だろうか。

 少なくとも殿下の後ろには侍従が書類を抱えて立っており、仕事の話があって宰相を訪ねてきたことは間違いなさそうだった。

 父の元にいる優秀な書記官たちが、さっそく意を汲んだように書類を受け取っている。

「殿下。わざわざこのようなところまでお出でとは。何か急ぎの御用でも?」

 相変わらず王だろうが王太子だろうが構わず平坦な声色で問うジルフォードに、「理由は今言った通りだ」と慣れた様子で軽く受け流したウィルフレッドは、部屋主に断るまでもなく、エイネシアの前の前のソファに腰を下ろした。

 その様子に父が一つ、眉を吊り上げる。

 エイネシアには良く分からないが、普通王太子はこんなところを訪ねてきて、呑気にお客様用の応接椅子に腰かけたりなんてしないものなのだろう。

 それはエイネシアにも分かることで、ましてやその王太子に、「姫も座りなさい」と促された身としては、どうしたらいいのかと困ってしまった。

 だが侍従が王太子と、それからエイネシアの前にも新しいお茶を置いてくれたのを見て、それが暗に“座って宜しいのですよ”と指示されたのだと察すると、「それでは恐れながら」と腰を下ろした。

 公爵令嬢としては慎むべきだったかもしれないが、多分、息子の許嫁、という立場がこれを許すのだろう。父からも、特に咎めるような言葉はかけられなかった。

「子息はまだか?」

「まだでなければ、こんなにも娘がそわそわとはしていません。まったく。こんなところにまで着いて来てしまい……」

「はは。弟想いで良いではないか。私もアレクシスの時、は……いや、そういえばちっとも心配しなかったな」

 あれは大概の事は自分でどうにかする、というウィルフレッドには、エイネシアも心の内で同意してしまった。

「だがヴィンセントやアンナマリアの時は一日中そわそわしたものぞ。だというのにお前は相変わらず、ちっとも変わらない。面白くない」

「私の面白い顔を見に来たのですか? でしたらお生憎様です」

 そう言いながらも二、三枚書類を(めく)った父は、すぐにそれにサインを綴って、自ら王太子の前に書類を返した。

「それより本題はこちらのようですが」

 そう返す冷静な声色に、やはりおまえは面白くない、と言うウィルフレッドは、その書類を傍らの侍従へと返した。

 それをエイネシアが小首を傾げて見やる。

「エイネシア。殿下から、明日より早速エドワードをヴィンセント王子の近侍として出仕させるようご内示があった」

 エイネシアの様子を見て取ったのか、そう書類の内容を教えてくれた父に、パッと目を瞬かせたエイネシアは、まぁ、と驚くふりをして、改めてウィルフレッドに「弟へのご厚遇、感謝いたします」とのお礼を述べた。

 エドワードがヴィンセントに近侍することなんて未来を知っているエイネシアでなくても皆が知っていることなのだが、それでもまだ登城もしていないエドワードに対して先んじて内示があるというのは異例の事だろう。王家の側としては、一刻も早くシルヴェルト家の血を引く者を王子の味方に付けさせたいという思惑もあるのだろう。

 子供に任せるには重たい重圧だが、そんなこと、大人はちっとも考えていない。エドワードが冴え冴えと、冷たくさえある性格に育って行った原因は間違いなくそんな大人たちの期待と重圧に答えようと己を律した結果だ。

 でもそうさせないために、自分がいるのだ、と、エイネシアはぎゅっと拳を握って気合を入れた。


 間も無く、今度こそ侍従のお仕着せに身を包んだ少年が扉を叩いて、「エドワード様がご登城なさいました」との知らせを持ってきてくれた。

 これに再びエイネシアはぱっと立ち上がりそうになったけれど、目の前にウィルフレッド殿下がいらっしゃることもあり、父のキッとした眼差しがエイネシアをソファに縛り付けた。

 なんという威圧感だろうか……。

 でもそんな様子はバレバレなようで、「ジルの娘だというのに、姫は本当にかわいいなぁ」と無遠慮に笑った王太子殿下には、明らかに父の顔が憮然としたものだから、さすがに気まずさに頬を染めて俯いてしまった。



 ほどなく、秘書官に連れられたエドワードがこの部屋を訪ねてきた。

 登城を許され、貴族として一人前を認められた証でもあるマントと、それをとめる公爵家の百合の紋章が入ったブローチ。ふわっとした姉弟おそろいの癖っ毛が今日はキチンと整えられていて、最近のびがちな後ろ髪は白い艶のあるリボンで束ねられており、なんだかとっても紳士に見えた。

 入室してすぐ、少しも動じることなく恭しくウィルフレッド殿下に礼を尽くす様子なんてもう完璧で、何処に出しても恥ずかしくない……というのは、少々姉の贔屓目(ひいきめ)が過ぎるだろうか。

「やぁ、君がエドワードだな。噂には聞いていたが、本当に姉君とそっくりだ。二人とも、父ではなく母に似て良かったな」

 どこかで聞いたようなことを言うウィルフレッドに、顔をあげたエドワードが「恐縮でございます」と子供らしからぬ言葉で答えた。

 それはどういう意味の“恐縮”なのか少し気になったが、優しい姉はそこでそんな突っ込みをいれて弟を困らせたりなんてしない。

 それからエドワードはそわそわと手を握りしめて腰を浮かせた姉を見やると、ニコリと微笑んで見せてから、改めて父を向いて、もう一度礼を尽くす。

「父上。つつがなく洗礼を終え、精霊の祝福を授かって参りました。この日より一層、父上の跡を継ぐに足る立派な貴族となるよう、精進してまいります」

 そう決まり文句のような言葉を述べたところで、「あぁ」という短い返事しか帰ってこないことはエイネシアも良く存じており、この場でその返答に、「それだけか?」と目を瞬かせたのはウィルフレッドだけだった。

 ええ、それだけなのです。

「エドワード。先ほど殿下から、明日付けでお前をヴィンセント王子の近侍にとのご命令があった。感謝を述べなさい」

 お祝いの言葉もないままにそう事務連絡をする父に、ちっともそれに動じる様子も無く、「はい」と朗らかに答えたエドワードは落ち着いた素振りで再びウィルフレッドを向いて、「格別のご期待に感謝申し上げます」と頭を下げた。

「ヴィンセント王子のお話は姉上からよく伺っております。私も姉上のように、王子から多くを学び、いずれ王子をお支えできるようにと尽くしたく存じます」

「あぁ、これは安心だ。ジルの子供達は本当によく出来ている。だがなんだ。もっとこう、子供らしくても良いのだぞ」

「殿下。うちの子供たちに甘言を囁かないでいただきたい」

 案の定そう口を挟む父の物言いは相変わらずで、ですよね、とエイネシアも肩をすくめた。

 そこは嘘でも、優しいお言葉有難うございます、とでも言っておけばよいのに。これにはウィルフレッドも言葉を失い、口を引き結んで失笑してしまった。

「まぁ……いい。それよりこれから女王陛下への拝謁だろう? 私も一緒に行こう」

 そうこの場の空気をどうにかしようと明るい声色で促したウィルフレッドに、父も席を立って上着を調える。

 その間にエイネシアもパッと席を立つと、こっそりとエドワードに歩み寄った。

「おめでとう、エド。良い精霊には会えた?」

「はい。姉上と同じ氷の精霊が良かったのですが、私を気に入ってくれたのは水の精霊でした」

「お母様と同じね。素敵だわ」

「今度また扱い方を教えてください」

「喜んで。また一緒にお勉強しましょう」

 そう睦まじい姉弟の会話を、うんうん、と和やかに耳にするウィルフレッドが、「エイネシア姫も一緒に行くかい?」と声をかけてくれたけれど、成人の報告に陛下へ謁見するのは、一人前となった貴族の最初の大事な儀式でもあるから、「お言葉はとても有難いのですが」と辞退した。

 姉が付いて行って、エドワードを姉がいないと駄目な子、姉のおこぼれ、みたいな印象を与えたくない。彼は立派な一人前の貴族だ。

「姉上、帰ってしまわれませんよね?」

「ええ。謁見が終わるのを待っているわ」

 そう答えてから、エイネシアはチラリと父の方を見やる。

「エドを図書館に連れていっても良いのですよね?」

 今日は元々その予定で、先んじて女王陛下からは『エドワードにも図書館で有意義に学ばせてお上げなさい』とのお言葉をいただいていたこともあり、早速エイネシアがエドワードを図書館に案内するつもりだったのだ。

 だからエイネシアも朝からここで、図書館にもヴィンセントの所にもいかずに待ち構えていたのである。

「良いが、しかしその前にエドワードを連れて、王子にご挨拶を」

「勿論です、お父様」

 そう答えれば、「ならよろしい」という父が、ここで待っているようにと一つ椅子を指差してから、「では行くとしよう」と、先に出たウィルフレッドを追うようにエドワードを連れて部屋を出た。

 出て行きがてら、「すぐに戻ってきますね、姉上」という笑顔を向けてくれたうちの弟は、七歳になっても相変わらず天使ちゃんだった。





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