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4-4 バーズレック領

 バーズレック領は、他領に比べればとても穏やかで、豊かな土地だった。

 飢饉からこの方厳しい財政が続いているとはいうが、農地の復興は順調に進み、それだけでなく交易も盛んな土地柄であるのが幸いしたようで、物の流通も盛んだった。

 王都や、貿易港を要するアーデルハイド領やラングフォード領のような大都会とは比べ物にはならなかったが、それでも細々とした北部の土地にあっては、かなり豊かな部類にはいるだろう。

 バーズレック伯も、書面でやり取りしていたエイネシアでさえも驚くような、なんとも気さくで風変りな御仁だった。

 北部貴族でありながら、よく日に焼けた肌と赤毛に、堀の深い顔立ちをしていて、むしろ南部貴族の面影を色濃く受けたような御仁で、そしてなぜか舞台劇に出てきそうなちょっと古風な装いをした彼は、エイネシアとアーウィンにそれぞれ、とても古風なご挨拶をして歓迎の意を表した。

 バーズレック伯爵家は元々、三代前に、旧王国時代からの豪族貴族であったエルーキラ伯爵家が断絶したのを機に、南方から移封されてきたのだという。

 元は南部の出身とあって、北部の貴族達とは違う気さくな雰囲気があり、そのせいか、あっという間にアーウィンとは打ち解けてしまった。

 バーズレック家の居城についても、中々風変わりな物だった。

 小高い丘に、すでに防御としての意味はなしていないであろう古びた三重の城壁がめぐらされており、その中、稜線沿いに一本の石畳が敷かれ、中央の石造りの城へと続いている。

 同じく古びた石造りの城は、これまで泊まってきたどこの居城よりも北部の伝統的な居城の風格を残しており、それがまた妙にご当主の雰囲気と似合わないのだが、古典的な柄のタペストリーや、寒さを防ぐための分厚いカーテンなど、どこもかしこも古風なところは、そっくりだった。


 そんな奇妙な光景をまじまじと見ていたのに気が付いたのか、部屋へと案内をしてくれていたバーズレック伯爵夫人がクスクスと笑いながら、「おかしな領主とおかしなお城でしょう?」と言うものだから、エイネシアも慌てて前を向いた。

「すみません。つい興味深くて。もっと、ご出身の南部系と北部系とが入り混じったような土地を想像していたものですから」

「その上、あの舞台みたいな恰好。ふふっ。べつに、かぶいているわけではないんですよ」

「は、はは……」

 いや。まぁ……ちょっと、コスプレ趣味的なやつなのかな、とか思ったのが本音だけれど。

「何しろこの土地は流通も乏しく、北方との交易路は開いていますが、真新しい文化なんてものは中々入ってこない土地柄ですから、文化が停滞しがちなのです」

「何かとその……古典的でいらっしゃるのは、そのせいだと?」

「無論それだけではなく、こちらにいらした先々代の……初代バーズレック伯が、大層この古風な、旧王国時代の北部様式を残したお城をお気に召しましてね。子孫代々、よくこの伝統を守るようにとご遺言なさったんですよ」

「あぁ。それで」

「うちの旦那様も、そんな先々代のお祖父様に育てられたせいで。なんともおかしな風体でしょう?」

 そう奥方はお笑いになったけれど、しかし古風な伝統を守り続ける一方で、未だ開発公開さえしていなかった新品種の小麦に一番に喰らいついてきた様子など、決してバーズレック伯が周囲に目を配っていないわけではない事は一目瞭然だった。

 どころか、それを自分の領地で開発実験に協力させてほしいと申し出てくるなど、まったく保守的なわけではなく、むしろ先進的な考えの持ち主である。

 旧王国時代の風潮と伝統にこだわる北部貴族の中では、かなり異端なのではなかろうか。

 あるいは彼が少し滑稽なくらいに古風な居城や恰好、所作に拘っているのも、よそからこの地に移り住んだ南部出身貴族として、周囲の豪族貴族に溶け込むためのプロパガンダなのかもしれない。

 そう考えると……なるほど。中々、侮れない御仁である。

「本城の西棟は、すべてお客様をお迎えした際の建物になっています。姫様には一番良いお部屋をご用意いたしましたが、何分このような土地柄、ご不便もおありかもしれません。ご容赦くださいませ」

 案内をしてくれていた奥方は、三階まで階段を上がったところで、そう言って正面の扉の方へと促した。

 途中まで一緒だったアーウィンは二階で別れており、本来“一番良い部屋”はアーウィンこそが使うべきであろうのに、あえてエイネシアをそこに招いたというのは、やはりシルヴェストの血に慮ってのことなのだろうか。

 そういうさりげないところでエイネシアを立て、他の北部貴族への体裁を整えるような細かな気配りをするとは、何とも思慮深い。

「ご配慮有難うございます。しかし、どうぞあまりお気を使わないで下さい。私は“小麦の研究者”として、こちらにお邪魔させていただいているのですから」

 そう言うと、奥方は何やら意味ありげに「まぁっ」と肩を揺らしてお笑いになったが。はて。そんなにほくそ笑むような言い方だっただろうか。

 その奥方に促されるようにして立ち入った部屋は、客人をもてなすにしてもとても立派な部屋だった。

 ごてごてとした分厚い刺繍がなされたベッドシーツや色とりどりの糸で編まれた絨毯。分厚い大きなクッションの置かれた背の低いソファーやテーブルに、大きな暖炉。

 どれも北部の面影が色濃い部屋だ。

 それに何より、寒冷な気候ゆえに小さくとってある窓のせいでいささか薄暗い部屋の中、その小さな窓の向こうに一面何処までも続くような茶色い土壌が広がっている景色に目を奪われた。

 なんと広々とした台地か。

「城の裏手はすべて麦畑なのですか?」

「はい。今は収穫も終わってしまって……見栄えが宜しくありませんが。初夏の頃などは、一面金色で、とても美しいのですよ」

 だがすでに九月も下旬。本来の秋蒔き小麦なら、もう種まきが終わっている時期なのに、土色のまま整地もされていないということは、あの辺り一帯が春蒔き小麦の実験農場として提供してくれる地帯ということになるのだろうか。

 てっきり郊外の荒れ地か何かだと思っていたから驚いた。

 領主の、新品種への期待が垣間見えるというものだ。

 そうしていると、コンコンコンコン、と丁寧なノック音がして、荷物を手にした侍女が一人、入室してきた。

「ご滞在中、姫様のお世話を任せてあります。エンマと申します」

 そう紹介した夫人に、荷物を置いて丁寧にメイド服のスカートを摘まんで頭を下げた侍女は、実によく王宮風の躾けが行き届いており、日頃は領主の近辺の世話を受け持つような、きちんと訓練された侍女であるのが分かった。

 伯爵は随分とエイネシアに気を使ってくれているらしい。

 それは……エイネシアがアーデルハイド嬢だからなのか。それとも、シルヴェストの血縁だからなのか。はたまた、バーズレック領に富をもたらすかもしれない新品種小麦の利権を保有する人物だからなのか。

「宜しく、エンマ。気楽に接して下さいね」

「ありがとう存じます、姫様。何なりとお申し付けを」

 エイネシアが声をかけてようやくそう言って顔を上げたエンマに、ではとりあえず、少し考えて。

「あの裏手の農地を、近くで見てみたいのだけれど」

 そうニコリと仰ったお姫様に。

「……は?」

 早速ポカンと呆気にとられたエンマは、少しあたふたとして。

「馬車を……ご用意いたします?」

 カクンと首を傾げながら、疑問形で答えた。

 まぁ。普通なら、お茶を一杯、なんてことになるのだろうが、生憎とエイネシアはここに、旅行に来たわけではないのだ。

 折角前乗りできたのだから、先ずは視察。それから町の様子も見たいし、流通の雰囲気も把握したい。“教会はその町を語る”、だなんて格言もあるくらいだから、教会にも行きたい。あとは今回の研究に協力してくれるという、バーズレック領に拠点を置くハーリア農学研究所の研究室も見てみたい。それから図書館ないし図書室だ。この地方にどんな農学書、どんな論文が多く取り集められているのか。そういうのも把握しておきたい。

 だからひとまず動きやすいように軽く髪をまとめたらすぐにでも……と、意気込んだところで。


「姫様……“くれぐれも”との再三のご忠告を、まさかもうお忘れなのでは」


 そう呆れた顔で扉の前に立ったアルフォンスに、ふきゃっ、と情けない声を上げて肩を跳ね上げた。

 忘れていた。

 いや……忘れようとしていたが。

 この幼馴染は、なんだかんだいってかなりの曲者なのだった。






『お出歩きになる時は必ず近衛から離れないでください』

『夜間でも朝方でも、お一人でお部屋の外をお歩きにはなりませんように』

 ただの幼馴染であった頃からは考えられないくらい、実に近衛らしいことをいうアルフォンスに、『どうしちゃったの、アル?』なんてことを言って顔を青くしたのは最初だけだった。

 エイネシアの失礼な反応にも顔色を濁すことなく、かわりにため息を吐いたアルフォンスさん曰く、『以前姫の護衛を務めた一件で、身に染みました。貴女には多少口うるさいくらいがちょうどいいようで』と。

 あぁ、うん。なるほどね。だからお父様はアルフォンスを……なんて思わなくも無い。

 同時に、気心の知れたアルフォンスだからこそ、さほど護衛なんてものが億劫にならずに済んだのも確かだった。

 アルフォンスならば、エイネシアが少々奔放に飛び回ることにも随分と耐性があり、他の近衛や伯爵家の侍女らがキョトンとするようなことを言い出しても、基本的には何も言わずに、やりたいようにやらせてくれる。

 ただ、エイネシアが農地の視察や何やらにいちいち馬車を使わないといけないことに痺れを切らせて、『アル、乗馬を教えて頂戴!』なんて言い出した時だけは、『いつか姫様がそう言い出したら全力でとめるようにと、エドに言われています』と困った顔をした。

 うぬ……まさかエドワードの手がまわっていたとは誤算だった。

 だがそうがっかりと肩を落としていたら、『なんだシアは一人で馬にも乗せてもらえないのか』と大笑いしたアーウィンが、呆気なく馬に乗せてくれた。

 周りの近衛たちはハラハラしながら、『お怪我でもなさったら』なんて心配をしていたけれど、ちっとも周りを歯牙にもかけないアーウィンの手にかかれば、そんな彼らを黙らせるのには笑顔一つで十分だった。

 ただこの先生は非常に乱暴で、テキパキと馬車から外した馬にエイネシアを抱きかかえて乗せると、手綱を握らせて、『取りあえずここを離さないように』という忠告を一つすると、馬のお尻を叩いて、『あとは慣れるだけだからー』と、初心者をいきなり一人で放り出してくれた。

 これには流石のエイネシアも、きゃーーーーっ、と悲鳴を上げたが、とりあえずこの無茶すぎる先生のおかげで、わずか三日にして乗馬の基礎をマスターしたのである。





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