三話 伊勢 潮~部員争奪前哨戦~
三話は伊勢潮の視点です。他人(幼馴染)から見たよくわかる土晴の酷さも注目。
伊勢 潮は、二メートルを越す巨漢だが、当然昔からこうだったわけではない。
一族はほぼ全員背が高く、両親共に一八〇センチ越えである。潮も背が高くなるだろうことは予想されていたが、現在は両親より頭一つ分は大きい。小学生の弟と妹は潮の腰程度だが、潮は弟と妹の頭を撫でるたび、「ちいさく健康に育つんだぞ……!」と本気で願いを込める。
それにしても――どうしてこんなに育った。
小学校五年生頃から急速に身長が伸び始め、酷い時には一ヶ月で五センチも成長する体は、常にミシミシと悲鳴を上げていた。学校で体調を崩してしまうことも度々あった。
運動が本気で苦手になったのもこの頃だ。
日々成長する体の感覚がいつまで経っても掴めず、遠近感覚も狂っていた。手を伸ばしてボールを手のひらで受けるはずが、腕や肩に当たってしまう。運動できないせいなのかはわからないが、思ったようにいかないことが多くなっていた。
そもそも全身が痛くて、少し動かすだけでも酷く痛むのだ。動けないことを言い訳に動かなくなっていって、今では体育の成績はもっとも悪い。授業態度だけで持っているようなものだ。
――そんな調子だというのに、潮を運動部に誘う人間は絶えなかった。元々体育会系のノリは苦手だったが、毎日飽きもせずやってきてはしつこく同じ話をされると嫌気がさす。皆総じて、運動をやっているせいか、諦めが悪いことも『運動部嫌い』に拍車をかけた。
……あと、運動ができないせいで、運動ができる人間には無条件でコンプレックスを感じる。この点に関しては、嫉妬としか言いようがないが。
高校では静かに暮らしたい、という希望は既に打ち砕かれた。
周囲には既に黒山の人だかりができている。しかも、中学の時とは違って、高校のガタイの良い人達は、酷く圧を感じる。全身を縮こませてガタガタと震えるが、助けてくれる人は誰一人としていない。小・中学生の時は潮の事情を知っていて、助けてくれる人たちもいたが、今はそうではない。同じクラスの人たちは、遠巻きにこちらを窺っているだけだ。
その時、教室の扉が勢い良く開かれた。潮からは人垣で見えないが、また勧誘者が増えたのかと絶望的な気分になった。
しかし、その人物は、思いもよらない宣言と共に割り込んできた。
「おい! 潮が欲しいなら俺を通してからにしてもらおうか!」
互いによく知る、幼馴染の福井土晴だ。僅かに割れた人垣から、こちらに向かってくる土晴が見えた。その表情は普段よりも数段暗く、目は完全に据わっていた。基本的には穏やかな土晴にしては珍しく、大概お兄さん絡みであることが多い。
何故だか酷く、嫌な予感がした。
「潮には防災部に入ってもらう――!」
――救世主は、裏切り者だった。
しん、と一瞬だけ教室が静まり返ったが、徐々にざわめきが戻ってくる。
「誰だ、てめぇ」
土晴は柔道着の男に凄まれたが、まっすぐに目を見据えたまま動じない。それを当事者のはずの潮は、はらはらと見守るしかないという状況だ。土晴がここまで他人に対して攻撃的な態度を取ることは、大変珍しい。たまに変なスイッチが入るとこうなるが、そういう時は大抵一段落するまで妙な迫力と不思議な力を発揮する。
でも、多分内心では――
(正直兄のほうが数段怖い――!)
……とか、思っていそう。潮は親友として概ね正しい推察をした。
そして親友にして幼馴染、ただ今に至っては裏切り道を爆走中の土晴は、堂々と名乗りを上げた。
「1-E、福井土晴です。そちらこそ! 全く存じ上げませんがどちら様ですか。まさか運動の全く! できない! 潮を運動部に誘うつもりじゃないでしょうね! 一体何を考えてるんだ!!」
一々不得意部分を強調してくる土晴に、潮は思わず硬直する。
(うわーん!! はるくん、やめてぇ!)
いくら事実でも大声で指摘されると物凄く恥ずかしく、顔から火が出る勢いだ。先ほどまでは緊張で真っ青だったのに、今は羞恥で真っ赤だ。
「おっ潮、顔色が戻ったな!」
おのれ、誰のせいだ。
柔道着の男もまた堂々と胸を張り、自慢でもするような顔で土晴に言い返す。
「安心しろ、他の運動部は知らんが、我が柔道部は力こそ全て! 筋肉が正義だ!」
「おい!? 清々しいまでの脳筋じゃないか! 他の奴らも同じか!?」
土晴がザッと他の運動部を見渡すと、ほぼ全員が首を横に振った。
「サッカー部だが、体力と運動神経は最低限必要だな。あと頭も」
「バレー部だが、ブロッカーなら最低限の体力と、フェイントに引っかからない経験も欲しい」
「空手部だが、否定はしないけど怪我も多いから根性も欲しい」
「テニス部だが、体力と俊敏さと技術も必要だな」
何故だか、どんどん要求されるレベルが上がっていってる気がする。
そんなこと要求されても応えられる体力も自信も根性もない。
「……あの、皆さん体格以外にも要求するハードル高くないですか? とてもインテリインドア男子にイキナリ課せるものじゃないんですが……」
尋ねる土晴も若干引き気味で尋ねたが、それに反応したのはサッカー部だった。
「インドアってどれくらいインドアなの?」
「小・中通して運動部に所属したことはありませんし、外部もしかりです。中学では三年間手芸部です。成長痛がかなり長く続いたせいで運動苦手から運動嫌いに昇格しましたし」
中学までは周知の事実だったことを土晴が口にすると、運動部の主将たちは一斉に難しそうな顔をした。
「手芸部かぁ……運動全く関係ないな」
「小中全く運動部経験なしか……イチから体力づくりは厳しいなぁ」
「毎年一定数初心者はいるよね。やる気があればついてこれるけど」
「頑張りすぎて体壊すやつもいるしなぁ。ほどほどに始めないと」
「成長痛辛いよなー……アレってストレスもあるんだっけ?」
「骨に筋力の成長が追いつかないんなかったっけ? 運動はできるらしーけど」
「え、アレって運動しても問題ないの? 俺のダチ膝やった奴いるんだけど」
「それって成長痛だけじゃなくて、成長期の無理な運動だろ?」
「昔、痛いって言ってもサボってるとか、やる気ないだけとか言う監督いたわ」
「うわー最悪じゃん。俺、それ体育の先生にいたわ。女子倒れて飛ばされたけど」
「家事スキル高いならむしろマネージャーに欲しいけどなー体格関係ないし」
「この体格でマネージャーはないだろ。可愛い女子が良い」
「野球部のマネ可愛いじゃん」
「……可愛いのは顔だけだよ、アレは鬼軍曹だよ……」
後半は運動部あるあると下世話な世間話が始まっていた。
「つーか、やる気ない奴無理やり入れて問題発生したら、普通に入ってきたやつと不和になりますよ。普通にやる気があって入ってきた、根性あるやつ鍛えたほうが良くないですか?」
土晴が正論を叩きつけたところで、なんとなく運動部に諦めてくれそうな雰囲気が生まれた。
――よし、このままいけば、と潮は期待したが、世の中そう上手くはいかない。
「――難しい理屈は知らん! 柔道部は潮君を所望する!」
「えぇぇ……今の話に難しい部分ありました……?」
土晴が周囲に同意を求めると、テニス部が代表して答えた。
「馬鹿だからしょうがないよ、諦めろ」
「ぬ! 柔道を馬鹿にしたか……!?」
「馬鹿にしたのはお前だよ」
「ならば致し方なし……!」
もう帰ってくれないかなぁと潮は半ば死んだ目で状況を眺める。当事者だけれど、さっきから一言も口を聞いてないよ。
「大体防災部って何だ! 聞いたこともないぞ?」
やや嘲るように言い放った柔道部に、土晴は鋭い眼光を持って答えた。指摘すると怒られるので言わないが、こういう時の表情は本当にお兄さんそっくりでゾッとする。
「諸事情で復活させる事になった部活です。そして、この部活の復活には、人命がかかっています!」
力強く言い切った幼馴染を見て、潮はどうやらお兄さんに脅されたな、と確信した。もしかしたら大穴で、ド天然のお母さんもグルかもしれない。
対して、突然大仰なことを言い放たれたことで、周囲を取り囲む運動部一同、どころかクラス中が静まり返り、妙な緊張感が場を支配した。
「それは、どういうことだ」
「少なくとも二年前まで、この部活により、この学校の備蓄倉庫は管理されていました。生徒はもちろん、近隣住民が被災した時必要となる物資です。いつ起こるかわからない災害に備えて物資を用意するには、徹底した『維持』と定期的に入れ替え等を行う『管理』が必要となります」
潮は話を聞きつつ、内心本当に人命の関わる話だったことに驚く。復活させようとしている土晴もそうだが、かなり重要な部活に勧誘されているという事実も潮にとっては重要だ。
「うむ、つまり?」
「用意だけでなく、管理する人間も絶対不可欠だという話です」
そう返した土晴に、柔道部の主将は深く頷いた。
「つまり……命がけということだな……!?」
(絶対にわかってないよこの人……!?)
運動部は総じて呆れ顔だったり、意外そうに土晴を見つめる人もいたり、反応は様々だった。
柔道部はそれでも諦めない。
「しかし、伊勢くんのように体格の恵まれた人間は、運動部に所属して活躍すべきだとは思わないか?」
そう言われた瞬間、潮は頭が真っ白になった。好き好んでこんな体格になったわけではない、利点も今は承知しているが、欲を言えばもう少し常識的なサイズでありたかった。普通の服屋さんで服が買えるくらいのサイズが、比較的生きやすいベストサイズだと潮は思う。
「……適度な運動なら否定はしませんが、体格が良い人間は運動すべき、皆無条件で運動ができてしかるべき、というなら偏見でしょう。小柄な人間が向いてないっていうなら差別ですね。体格で有利不利はあるんでしょうけど、そんなの努力と経験で超える人間は大勢いる」
理路整然と答える土晴は、冷静なように見えて、実はかなり苛立っている様子が見て取れた。勉強はあまりできる方ではないが、頭の回転は早い土晴は、決定的に分かり合えない埒のあかない議論を嫌う傾向がある。好きな人はあんまりいないとは思うが。
「それはそうだが……しかし」
「うるさい! 大体さっきから何様だアンタ! 人を外見でだけ判断して、体目当てで勧誘して、それでもスポーツマンか!」
とうとうブチ切れた土晴の物凄く誤解を煽る言い回しに、周囲の人間がごふ、と吹き出した。何人かは肩を震わせ後ろを向いたり、必死に口元を覆ったりして堪えていた。
(――当事者のぼくですか? 死にたい気分です)
なんだか虚空とか見つめちゃう。おうちに帰りたい。
「俺は、潮のきめ細やかな気配りや優しさ、几帳面さ、手先の器用さ……その、どれもが大切なもので、他の人間にはできないことだと思ってる。そしてそれは、防災部で最大限発揮できるものだと信じているし、俺も信頼して頼る!」
正直防災部以外でも発揮できそうだったが、幼馴染からの信頼はじんとくるものがあった。柔道部も腕を組んだまま感じ入ったように頷き、潮は諦めてくれるのかと期待した。
「よし……お前の覚悟はわかった」
「ならば、俺と伊勢くんを掛けて勝負だ!」
「何一つ、話聞いてないだろアンタ! こっちに何一つメリットねぇよ!」
思わず叫んだ土晴。彼の頑張りは、尽く無にされるのがセオリーなのだろうか。
とりあえず潮は、柔道部からの強引な勧誘について、担任と柔道部の顧問に相談することを心に決めた。あいつ、許さない。
明日は後編公開。
兼部できるのは一つだけですが、運動部を兼部するスーパーヒューマンはそうそういません。
プール目的で水泳部を兼部する人はいます。




